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2008/08/04

椅子の生活

0808021_2 椅子を購入した。 K大へ行く途中に、古道具屋さんがあって、学期末になると、学生の部屋から排出されたような家具や電気器具が並んでいた。大分まえになるが、かなり使い古された電灯式の卓上用の照明器具が出ていて、購入したこともある。

ところが、最近はアンティークな家具なども出るようになって、ときどき表を通りながら、覗いていた。じつは、わたしの身の回りには、意外なほど、古い家具が残っている。たとえば、現在研究室で使っている応接用のテーブルは、小学校1年生のときに、やはり信州松本の古道具屋で買ってもらった勉強机だ。よくぞ、20数回の引っ越しに耐えて付いてきたな、という強者である。

今回購入したものは、写真でわかるように、曲げ木の椅子で、座るところと背が、藤(あるいは竹)の蔓で編んだものになっていて、ソフトなすわり心地だ。

以前から、曲げ木の椅子は、軽いのが取り柄で、たいへん好きで、幕張の研究室でも何脚か使っている。

古道具屋に出てくる椅子というのは、価格が安いことも魅力だが、それ以上に、捨てられずに生き延びたものだけが、店頭に並ぶ、という進化論的過程を経ているという、魅力があるのだ。今回の木製椅子は、軽さといい、座り心地といい、さらにデザインの観点からもとても優れたものだと思う。近年、どうしてこのタイプの椅子が作られなくなったのか、不思議なくらいだ。

古道具を愛好するということは、古く残っているものは素晴らしい、と考えるきわめて保守的な思考の最たるものだが、骨董の場合には有益だと考えている。

椅子というものはときには、このような骨董的なイメージを表すために、地位や権力のシンボルとして、使用される場合がある。今日、NHKBSで黒澤明監督「生きる」を上映していた。

このなかで、主人公の市民課渡辺課長がミイラのごとく座り続けたところとして、椅子が効果的に使われていた。本人がたとえ居なくとも、椅子を映せば、本人以上の存在感を表すことのできるのが、椅子という物体の不思議な魅力だ。

本人が居るのだが、本人を超えた人間の本質を表すのが、椅子というものであるということは、きわめて象徴的な表現であると思う。逆に考えると、どのような椅子に座っているのが、その人の本質を表しているのではないか、ということになる。

わたしは、つねに軽く、すっと細く、使い古された感じの椅子が好きなのだが、やはりわたしの本質もその通りなのだと思われる。今回の椅子は、このイメージにぴったりなので、わたしもたいへん嬉しい。

さて、試験監督もようやく終了し、試験期間もほぼ終わった。そこで、この夏は、長野学習センター、岩手学習センターなどを回って、講義を行う予定である。同時に、その合間は、首都圏を抜け出て、田舎の生活に入ろうと考えている。そこは、残念ながらネット環境があまり整備されていない地域なので、当分の間、このブログも夏休み、ということにしたい。また、楽しい事が起こったら、報告したい。

それでは、お元気で、良い夏をお過ごしください。

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