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2008/08/25

デルフトの画家

フェルメール展へ行く。ミロのビーナスや、モナリザが来たときのような混雑が予想されるので、通常ならば辞退するところだが、妻が特別券を新聞社からいただいたので、お供をする。ふつう月曜日には都美術館はお休みで入れないのだが、会員限定で時間指定の入場、という恵まれた条件だった。

どんな人にも、フェルメールの1枚を見せると、いいねという。何がいいのとさらに聞くと、光がいいね、だったり、空と建物のコントラストがいいね、だったり、細部がいいね、だったりする。みんな観ているところは違うのだけど、けれども、「いいね」という共通点だけがあるのだ。

神経生物学者のセミール・ゼキ『脳は美をいかに感じるか』によれば、これらの見方すべてを同時に満たしてしまう複数性を持っていることが、名画の条件だということだ。つまり、人びとが脳に思い描く、複数の状況にも対応可能な「恒常性」が、フェルメールの絵には描かれているということになる。この際だから、ゼキの言葉を総動員して書いてしまうけれども、状況に対して、共通の「不変形」というものが、脳内で認識されるような絵なのである。

今回、現存する30数枚のうちの7枚が来日した。これらのうち、左に窓とカーテンが配置され、そこから部屋の中へ明るい光が差し込んでおり、人物がひとりあるいは複数いて手紙を書いたり楽器をひいたりしており、床は市松模様のタイルが敷き詰められ、壁には絵あるいは地図が掲げられている。このような構図のものが多く含まれている。

鑑賞者たちが、それらの一つ一つにエピソードをつけることは、そう難しいことではない。見方は、人によってかなり異なるだろう。1枚の絵の前に立つと、みんなが何かを感じてしまう。それぐらい、典型的な構図であり、何かがかならず呼び覚まされる傾きを持つ絵である。

さて、今回の絵は、7枚ともすべて、それぞれ別のところから集められている。落ち着いた通りを描いた「小路」は、オランダから、来ているし、現代的な容貌の「リュートを調弦する女」は、ニューヨークからだし、初期の「マルタとマリアの家のキリスト」はエジンバラから出展されている。今回見逃したら、それこそ欧米を一周しないと、観ることができない。個人蔵の「ヴァージナルの前に座る若い女」については、今後は一切見ることができないだろう。

それから、見逃すことができないのが、同時代の画家たち、とりわけデ・ホーホのものだ。これらの蓄積のなかで、「フェルメール」が生成されたのだ。

美術館での混雑を我慢してでも、きっと観る価値があったと思える展覧会だろう、と言うまでもなく、開催者はかなり強気で、(経済を専門としているから言うのではないけれど)通常の展覧会の倍の入場料を付けている。交渉費、運搬費、設営費などに通常の展覧会より手間がかかっていることは確かだ。だから、供給側からの価格決定が大きく影響しているのだろうが、それ以上に、この価格でも混雑が予想される、という見込みがはたらいていることも確実だ。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。