« 試験前のあくび | トップページ | 椅子の生活 »

2008/08/01

転居の理由

「引っ越し」という人間の空間移動には、おそらく、かなり重大な理由が必要だ。そのたびに、100個以上のダンボールを用意し、収めることと紐解くことをして、再び異なる場所で、同じ状態を確保するなどという、無駄の極地とでもいえる作業(つまり、プラス・マイナス=ゼロの作業)を行わなければならないからである。

四方田犬彦の『引っ越し人生』を、妻が図書館から借りてきたので読む。これまで17回の転居を繰り返したらしい。それも、おおかた、四方田氏自身に理由があるのだそうだ。数を比べるのもナンであって失礼かもしれないが、じつは、わたしも20回は優に超える引っ越し人生を歩んできている。わたしの場合、多くは、両親が引っ越し魔であることに原因があって、わたし自身の転居は9回ほどであり、近年は落ち着いてきており、またとくにわたし自身に引っ越しの強い欲望があるわけではないのだ・・・。

けれども、小学校時代に東京へ吸い寄せられるという契機があり、渋谷・新宿・池袋に遊ぶという中学・高校時代には同じような境遇にあり、とくに井の頭線の三鷹台や世田谷下馬や下北沢、さらには横浜の妙蓮寺などでは、時間はすこしずれているものの、わたしとすれ違ってもおかしくない距離のところに住んでいたらしい。だから、描いている場所についてのイメージが次々に蘇ってくるのを楽しんだ。それにしても、心が入っていて楽しく書いていることがわかるエッセイだ。

人間には、柳田国男が「常民」とよんだ、木の根っこをはやすように、その土地に住み着くタイプと、「転民」とでも呼ぶべき、ヤドカリ族のような移り住むタイプが存在する、と彼は指摘し、当然自分を後者に位置づけている。

エッセイのなかでは、場所(Place)と空間(Space)の違いが指摘されていたが、「場所」というものの大切さ、重大さがわかっているために、その重圧に耐え切れないタイプなのだろうと推察した。

「見飽きた。
 聞き飽きた。
 知り飽きた。」

というランボーの詩の文句が誘惑するようになると、転居の欲望が目覚めるらしい。仮初の生活のもつ解放感は、何ものにも変え難いとおっしゃっていて、引っ越しをするものの醍醐味を書いている。

わたしも結婚をするときには、新居を見つけなければならず、エッセイに出てくる井の頭線の浜田山あたりを見て歩いた覚えがある。どういうわけか、妻はとんでもない郊外の山奥の団地がいいというので、わたしもずいぶん解放感を満喫することになった。

じっさい、なぜたびたび転居を繰り返すのかは、よくわからないところがある。わたし自身の場合でも、同じである。仕事や結婚などが理由である場合には間違いないが、四方田氏のように、潜在的な転居願望が強い場合は、おそらく本人も言っているように、何らかの「形而上的な喪失感」が影を落としているのではないかと思われる。

「場所」というものは、きわめて強烈で、その人の存在に深くかかわってくるものだ。おそらく、このことを強く描いたことで、名作『月島物語』が生まれたのだ。したがって、本源的なところで、これが喪われてしまっている人にとっては、おそらくどこの場所へ転居しようとも、本来の「場所」は得られないのだろう。四方田氏にとって、その「場所」がどこだったのかはきわめて重要なことだが、しかしここではあまり関係ないので、それはこの本をじっさいに読んでいただくことにして、ここでは書かないことにしよう。

このエッセイの最後に、まだ体験していない「引っ越し」として、「夜逃げ」と「入獄」というタイプを挙げている。ちょっと飛躍するが、じつは、映画「百万円と苦虫女」(タナダユキ監督)蒼井優主演は、「投獄」生活から、この転居をテーマとして、映画が始まる。予告編のイメージでは、「自分探し」映画?で、もっとテンポのあるもののように見えたけれど、実際には違っていた。

080801_115401_2今日、放送大学は試験の中休みである。そこで、パンクして修理に出していた自転車を取りに行き、さらに歯医者に寄って夏休みに備えた治療を行ったので、余勢を駆って、チネチッタ川崎へ出たのだ。上大岡から京急線に乗れば、ほんの15分で川崎に着く。

半券サービスを利用して、コーヒーを1杯とミートソースを食べる。映画館の席に着くが、今日は1日サービスデーということもあり、料金が千円なので、周りはぎっしりと満員であった。

080728_191101 主人公の鈴子の場合、なぜたびたび「引っ越し」をするのかには、明瞭な理由があった。「百万円ルール」という、規則に従ったからだ。家を出る理由、海の家のバイトをやめる理由、桃畑の仕事につく理由、街のホームセンターから出る理由は、すべて百万円が貯まったら、新しい生活へ脱出するというルールにしたがっている。

じつは、人間社会を維持するには、人間を交換するシステムが不可欠である、というコミュニケーション原理は不変のものだとわたしは思っている。とくに、「女の交換が社会を形成する」という構造主義のテーゼは中核をなしていると思われる。

近代になって、部族間のルールが弛緩してしまって、個人間の原理になってきてはいるのだが、やはりこの原理は働いている。この映画の想定する、百万円ルールというのは、秀逸だと思われる。日本人の5分の1ほどの女性が、もしこのルールにしたがって、日本中を移動して歩いたら、かなり日本も変わることだろう。

もっとも、潜在的には、必ずしも百万円というわけではないが、実際にはこのルールは存在しているのだと思われる。その転民タイプの人にとっては、かつて住んだところはすでに「場所」ではなくなっているのだろう。喪失感を抱え、不在性を示すことだけで、生きている証明とする人生、それが「引っ越し人生」だと思われる。

四方田氏は、「終の住処」はどこか、と自問して、「わたしの家はわたしの書いたものの中にしかない」と言っている。格好いいなあ。

« 試験前のあくび | トップページ | 椅子の生活 »

心と体」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/173786/42031864

この記事へのトラックバック一覧です: 転居の理由:

« 試験前のあくび | トップページ | 椅子の生活 »

『貨幣・勤労・代理人』(経済文明論)

  • “「貨幣・勤労・代理人」"

社会経営研究配布中

  • 2015study

社会経営ジャーナル配布中

  • 2015journal

開いている講義    「社会的協力論」

  • cooperation

「音を追究する」第13回・第14回

  • art

「多様なキャリアを考える」第2回・第3回・第4回

  • cooperation

「グローバル化と私たちの社会」第11回

  • cooperation
2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ

Recommend

プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。