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2008年8月に作成された投稿

2008/08/31

8月の終わり

ついに、8月も終わりだ。神奈川学習センターでも、この時期には、試験も終わり、面接授業も終わり、さらにみんなの顔が揃うフェスタ・ヨコハマも終わってしまう。授業はもちろん行事も、何もないので、学生の姿もちらほらという状態だ。

とくに、今年はトイレの改装工事のために、昨日までは掘削機の音がかなり激しかった。工事の方々も身体へのたいへんな負担があるようで、夕方になると疲れた様子を見せているくらいだ。今日の日曜日は、さすがに工事もお休みということで、久しぶりにここ数ヶ月無かった静寂を取り戻して、ほんとにうら寂しいほどのセンターだった。

ということは、勉強にとっては、今日は穴場的な一日だったと言えよう。今日一日中、「実践(practice)」という言葉を追いかけて遠い旅を始めてみた。

最初は、哲学の道に従って、アリストテレスの「実践・制作・観照」から始まったのだが、やはりプラトンにも帰ってみなければならなかったりして、なかなかカント、ヘーゲル、マルクス、というようには、とんとんと進まない。原典の場所を見つけ出すのだが、このようにたいへん有名な語句であっても、そううまくはぴったりとそのページが見つかるわけではない。

すべての実践論が毛沢東のようにわかりやすく書いてあれば、すぐ理解できるのだが、そう都合よくはなっていない。現代的で、すっと入ってくるのは、やはりハイディガーだろうか。でも、実践以外のところに進むと、壁に当たったように、まるで無味乾燥に思えてくるから、不思議である。

あーでもない、こーでもないと一応全部を読んでわかったかのような錯覚に陥ったので、これ幸いとばかりに、もうすこし幅を広げていく。実践するためには、目的と技術が必要で、議論は当然のように、知識あるいは理論と、実践との関係に入っていくことになる。保守主義の陣営からは、ハイエクやオークショットが参加してくるし、革新主義からはケインズやハバーマスも加えなければならないだろう。折衷的なところでは、マンハイムが位置を占めている。プラグマティズムもはずすわけにはいかない。ブルデューも参加させなければ、と書棚を探したが、他の本はでてきたが、実践についての本は生憎持っていなかった。

さらに読んでいて気づいたのだが、H.アレントは、「実践・制作・観照」ではなく、「活動・労働・観照」としている。なぜなのだろうか。このずれは、なにに由来するのだろうか。こうなってくると、以前わかったと思い込んでいたことが、にわかに疑わしくもなってくるから面白い。

実際、本を読むときに、その背景となる文脈というのは、ほんとうに大切なことなんだと思う。文脈がちょっと異なるだけで、言葉の意味さえも違ってくるのだ。逆に言うならば、同じところをまた読んでみると、また違って読めるという、よく経験することを再認識したまでのことなのかもしれない。

神様が与えてくれた静かな今日を、きわめて衒学的な自己満足の一日として過ごさせていただけたことには感謝しなければならない。さらには、単なる衒学ではなく、印刷教材の原稿に結びつくことを願うばかりである。このような精神の小旅行は、夏の終わりの人気のない学習センターでの出来事としては、たいへん似合っていたと思われる。

それはそれとしても、そもそも「観照」に浸る一日になるはずであった今日なのだが、どういうわけか「実践」を追う一日になったのは、なんとも皮肉な結果なのかもしれない。

2008/08/25

デルフトの画家

フェルメール展へ行く。ミロのビーナスや、モナリザが来たときのような混雑が予想されるので、通常ならば辞退するところだが、妻が特別券を新聞社からいただいたので、お供をする。ふつう月曜日には都美術館はお休みで入れないのだが、会員限定で時間指定の入場、という恵まれた条件だった。

どんな人にも、フェルメールの1枚を見せると、いいねという。何がいいのとさらに聞くと、光がいいね、だったり、空と建物のコントラストがいいね、だったり、細部がいいね、だったりする。みんな観ているところは違うのだけど、けれども、「いいね」という共通点だけがあるのだ。

神経生物学者のセミール・ゼキ『脳は美をいかに感じるか』によれば、これらの見方すべてを同時に満たしてしまう複数性を持っていることが、名画の条件だということだ。つまり、人びとが脳に思い描く、複数の状況にも対応可能な「恒常性」が、フェルメールの絵には描かれているということになる。この際だから、ゼキの言葉を総動員して書いてしまうけれども、状況に対して、共通の「不変形」というものが、脳内で認識されるような絵なのである。

今回、現存する30数枚のうちの7枚が来日した。これらのうち、左に窓とカーテンが配置され、そこから部屋の中へ明るい光が差し込んでおり、人物がひとりあるいは複数いて手紙を書いたり楽器をひいたりしており、床は市松模様のタイルが敷き詰められ、壁には絵あるいは地図が掲げられている。このような構図のものが多く含まれている。

鑑賞者たちが、それらの一つ一つにエピソードをつけることは、そう難しいことではない。見方は、人によってかなり異なるだろう。1枚の絵の前に立つと、みんなが何かを感じてしまう。それぐらい、典型的な構図であり、何かがかならず呼び覚まされる傾きを持つ絵である。

さて、今回の絵は、7枚ともすべて、それぞれ別のところから集められている。落ち着いた通りを描いた「小路」は、オランダから、来ているし、現代的な容貌の「リュートを調弦する女」は、ニューヨークからだし、初期の「マルタとマリアの家のキリスト」はエジンバラから出展されている。今回見逃したら、それこそ欧米を一周しないと、観ることができない。個人蔵の「ヴァージナルの前に座る若い女」については、今後は一切見ることができないだろう。

それから、見逃すことができないのが、同時代の画家たち、とりわけデ・ホーホのものだ。これらの蓄積のなかで、「フェルメール」が生成されたのだ。

美術館での混雑を我慢してでも、きっと観る価値があったと思える展覧会だろう、と言うまでもなく、開催者はかなり強気で、(経済を専門としているから言うのではないけれど)通常の展覧会の倍の入場料を付けている。交渉費、運搬費、設営費などに通常の展覧会より手間がかかっていることは確かだ。だから、供給側からの価格決定が大きく影響しているのだろうが、それ以上に、この価格でも混雑が予想される、という見込みがはたらいていることも確実だ。

2008/08/24

夏祭り

神奈川学習センター恒例のフェスタ・ヨコハマが開かれると、いよいよ夏も終わりだと思ってしまう。今朝は、横浜港の霧笛がいつもよりも大きく聞こえ、天候の急変を告げていた。今日一日は、雨の降らないことを願いながら、センターへ出かけた。

フェスタ実行委員の方々の準備は万端である。今年の参加券も、これまで最高の枚数が売れたそうで、人びとの結集もこれまでにない出足だそうだ。

今回の中心となる講演会は、特別の趣向が用意されていた。フランス文学専門のK先生が中心となって企画が行われているのだが、ベトナム史専門のO先生、それに、学生の有志が加わったチームが組まれていて、フランスとベトナムと横浜にちなんだ「多文化理解」をテーマに、講演が構成されていた。多文化が組み込まれる葛藤を、ベトナムの歴史と現代のなかに見ようということらしい。

このようなチーム形式の講演会というのは、各分野の専門家が集まるシンポジウム形式などともすこし異なっていて、たいへん面白い試みだと思った。K先生がこのところ追究なさっている、オープンな叙述・言説で幕を開け、その内容や比喩や現実を後の方々が追っていくのだ。どこかで、終着がなされなければならないが、それは事によると、半分は講演会のなかにあったのかもしれないが、もう半分は聴衆のほうに任されていたのかもしれない。

わたしの関心からすると、17世紀のインドで観られた事例に惹かれた。植民地主義による現地への投資が行われると同時に、インドの側から資本を呼び入れて発展を行いたいとする、いわば優遇措置による投資もあった、という解釈を紹介していた。

今回のように歴史を題材にするとき、多文化理解は、民族の「固有性」と「共通性」の交錯するところで成り立つようだ。他者存在の尊重、少数派への寛容、権力による強制を避けるような、多文化間の綾について、興味深く拝聴した。

そのあと、場所を移して、懇親会が行われた。結局、雨が降り止まず、大講義室にて開催することになった。講義室に、300人くらいの人が集まり、立食パーティになったのだ。これだけの人数が入ったのは、この第7講義室が始まって以来はじめてなのではないかと思われる。

今日は、代理の挨拶を頼まれてしまっていたので、哲学者ベルグソンの「こわばり」を題材にして、話をさせていただいた。けれども、学生の方々はすでにビールが入って、会はたけなわとなっていた。先日著書をいただいたMさんがいらっしゃったので、焼そばを食べながら、いくつかの疑問点をぶつけてみた。

そうこうしているうちに、昨年と同じように、レク・サークルの方々に呼び出されて、「じゃんけん・サッカー」に加わることになった。すでに経験を積んでいたので、攻守の違いを認識して、最後のゴールキーパー役を今回はうまくこなしたと思う。このゲームでは、攻めるときには厳しくて、前衛、中衛、後衛、そしてゴールキーバーと、じゃんけんで4回連続して敵に勝って、やっと勝利のメダルを手に入れることができるというルールだ。4回連続というのは、なかなか難しいのだ。

じゃんけんには、子ども回帰の欲求が満たされる効用があり、老人向けの遊びとしては、誰でもできるし、シンプルだし、お勧めの競技である。経験がものをいったらしく、今回のチームは4-2で勝利した。

途中、横浜国大の副学長K先生がいらっしゃって、挨拶をいただいた。じつは、K先生には放送大学の創設期の授業を受け持っていただいたことがあるので、たいへん縁のある方だ。現在、学習センターの隣には、国大の国際交流会館が建っているのだが、これが取り壊され、新築される計画があるそうだ。

この古い建物には、いくつかの懐かしい思い出がある。冬季が多かったが、一時、学習センターの教室が足りなくなったときに、この最上階にある大部屋を借りて、試験会場に使っていたのだ。教室の内に何本も大柱が立っていて、監督がやりにくかった覚えがある。けれども、窓からの眺めは素晴らしく、暖房がすこし効かなくても、気にならなかった。やはり、取り壊されると聞くと、ちょっと残念な思いがする。

さて、パーティのほうは、最後のビンゴ大会、俳句大会の発表などが行われて、終了となった。実行委員の方々のご苦労に感謝いたしたい。

2008/08/22

夏の終わりに

今日は日中から涼しくて、いよいよ夏の終わりが近づいたのではないかと思われるくらいだ。機が熟したように、我が家では、恒例のトランプ大会が開かれた。いつ行われるのかは決まっていないのだが、おおよそ夏が終わりになる頃、誰ともなく言い出して、開かれるのが定例となっている。

子どものころの田舎生活では、トランプを行うのは、暮れと正月の時期と決まっていたが、結婚してからは田舎の風習は踏襲さえず、むしろ夏にトランプ大会が開かれるようになった。たぶん子どもたちの受験との関連もあったためだと思われるが、そのような時期も過ぎ去って、自由に開催できるようになっているのだが、やはり習慣というのは不思議なもので、毎年の収穫祭みたいに、この時期に開かれているのだ。

トランプを家族で行う習慣がわたしの身についたのは、考えてみれば、1歳以前からだった。信州の大町に祖父が住んでいて、夏季と冬季にはかならず、彼の娘たちに連れられて、わたしたち孫たちが勢ぞろいした。

大人たちが料理を作ったり、仕事で忙しがったりすると、子どもたちの相手を祖父がしてくれて、仕事では結構厳しかったのではないかと思うが、このときばかりは顔が緩んで、笑みで満面になるのが楽しかった。このような大家族制のシンボル的な団欒がトランプ大会の思い出だった。

家族員が少なくなっても、結婚して核家族になってからも、トランプを行えば、家族が一堂に会して、会話を楽しみながら、ゲームを行うことができた。ときどきは勝敗に一喜一憂することもあったが、多くは団欒を楽しむための時間であった。

米国の政治学者パットナムによれば、米国では、友人たちとカードゲームを行って、インフォーマルなコミュニケーションを保持しようとしたらしい。トランプゲームには、会話をするにもあまり緊張感はなく、手軽に楽しむことができた。

けれども、1960年代までは、友人とトランプをすることに重要な意義があったが、70年代以降、にわかにこのような傾向が低下してきたことが、指摘されている。ちょうど、欧米では転換点にあり、リストラ旋風が吹き荒れて、フレキシブルな労働形態が広がり、非正規労働が増大していたころだろう。仕事も忙しくなり、近代社会の浸透は米国に、友人関係の深刻な衰退をもたらし始めていた。

やはり、トランプゲームの良いところは、友人や家族が「一堂に会する」(一堂といえるほどの部屋が我が家にはないのが残念だが)ところにあるだろう。会話を楽しみながら、みんなの様子をそれとなく窺い知ることができるところだ。それでどうにかなるわけではないのだが、元気さとか、調子の良さとか悪さとか、何か遭ったのか無かったのかとか、という無言の「こわばり」を感ずることができる点だと思う。

「こわばり」をほぐすところは、すこし「バカ」のできるようなところしかないのではないかと思う。チェスタートンが「この世でもっとも狂えるところ」と敬意を表してよんだようなところが、夏の終わりになるころには、無性に必要となってくるような気がする。

2008/08/17

旧盛岡高等農林学校の建物

以前、熊本学習センターへ行ったときには、すぐ近くに、旧制五高の建物のが残っていて、そこでは夏目漱石が教えていた。今回は、岩手学習センターから農学部を越えていったところに、旧盛岡高等農林学校の建物(重要文化財)が、農学部の資料館として残っていて、ここでは宮澤賢治が学び、研究した。

http://www.museum.iwate-u.ac.jp/shiryoukan/shiryoukan.html

昼休みには、学習センターの事務長Sさんが案内して、その資料館と、かつての正門や門衛室(すでに100年も経つそうだ)まで、連れて行ってくださった。岩手大学のホームページに掲載されている、上記の写真では、外観しかわからないが、じつは中に入ると、資料がたくさん並んでいるのはともかくとして、この二階全部が大講堂になっていて、柱が一本も通っていないのだ。地震などに対して、これまでよくぞ耐えてきたな、という感じである。

080816_092201_3岩手学習センターは、数ある学習センターのなかでも、もっとも恵まれた環境にある施設のひとつだと思う。盛岡市内から歩いても大したことない距離だ。岩手大学の中心を占めている。岩手大学の図書館の階上にあって、岩手大学生と同等の利用ができる。しかも、新しく、ゆったりとした造りの学習センターだ。センター長のN先生は温厚で、親しみやすい。放送大学本部の先生方が、次から次へ訪れて来るのも、理由がわかる。

わたしの講義した部屋は、右上の写真に見える4階の、三つの窓の部屋で、機器の整備も完璧で、たいへん使いやすい講義室だった。

このような学習センターで講義を行うことができるのは、たいへん光栄である。関西の学習センターと比べると、やはり学生風土の違いは歴然としていて、どのような形容詞が適当なのかは分からないが、学生の方々がたいへん「奥ゆかしい」感じがした。活発ではないという意味ではなく、なんとなくではあるが、ひと呼吸入れてから発言するという風情なのだ。わたしの育った信州も、このようなリズムなので、よくわかる。先日の長野学習センターの講義でも、同じように感じたのだ。

講義では、質問を十分に受けることができ、それでも時間ぴったりだった。恒例の拍手とともに大団円。ひとりの学生が寄って来て、いつもはすぐ寝てしまうのだが、今回は眠ることができなかった、とおっしゃる。それは、残念でした、とお答えした。

帰りに事務長さんが送ってくださるというので、ネットで調べておいた自家焙煎の珈琲店「機屋」へ寄る。ここも、苦味の効いたコーヒーだったが、講義のあとの疲れにずんずんと響いてくるのだ。

080817_165302 ここから、駅に向かって途中に、宮沢賢治の「注文の多い料理店」を生前に出版した「光源社」という民芸品店があると聞いていたので訪れることにする。先日の仙台でも、支店を見学した。これも先日岡山での展覧会を見た、柚木沙弥郎がデザインした童話の絵や、「可否館」の看板などが中庭にあって、良い空間を作り080817_165101 出していた。けれども、このようなところでは、いつも女性しか居ないのだ。喫茶店へ入ろうと思ったが、若い女性で満員で、老人の男性が入るスペースは残念ながらなかった。

080817_165301 それで、このあと多くの方から、お土産を期待されていることを思い出して、探して歩くことになる。じつは昨日、タクシーの運転手の方から、「ぶちょうほ饅頭」というのがあって、糖蜜が饅頭に入っていて美味しい、ということを聞いていた。そこで、デパートなどいくつかの店を当たってみたが、完売とのことで、ついに手に入らなかった。

仕方がないので、駅のお土産やさんで、香りのとても良い一関の和菓子を購入して、間に合わせた。最後に、盛岡へ来たら、三麺を食べなければならない、と言われていたので、にんにくのこってり入った「じゃじゃ麺」に挑戦した。スープのたっぷりしたものを頼んだ。麺といっても、うどんに近い麺で、冬に食べたらまた一層美味しいのではないかと思われた。

今日最後のコーヒーは、にんにくのにおいを消すために、駅のスタンドでアメリカン。早々に、新幹線はやてに乗り込んだ。岩手学習センター職員の皆さん、学生の方々、たいへんお世話になりました。じつはセンターに傘を忘れてきてしまいました。街の金物屋さんで買ったものであまり良いものではありませんが、これからの驟雨のときにでもご利用ください。

2008/08/15

岩手へ

Okowa_2 田舎の生活もついにたたまなければならない日になって、いつものように皆で、松本へ出て打ち上げ。いつもの「山菜おこわ御飯」を食べようと、竹風堂を訪れる。最近になって改築されたらしく、奥に広い食堂が作られていた。こちらもいつものように、ちきりや工芸店を覗く。ろうそく立てを購入。それにしても、山から下りると、なぜこんなに暑いのか。もっとも、ちきりやだけは、民芸派だから、冷房なしで仕方がないけれど・・・。

休みなく、今日からは岩手出張である。明日は、10時から講義が始まるので、一日前に盛岡へ入ることにする。岩手では、期待していたことがある。

大正時代における日本文化の広がりはたいへん大きかったと思っている。岩手では、農学校時代の宮沢賢治、そして、土沢時代の画家萬鉄五郎がちょうど活躍していた。新幹線を新花巻で降りて、まず土沢へ向かい、萬鉄五郎記念館を訪れる。

080815_125201 駅から商店街を通って、途中、昔からあるような食堂を見つけて、カツ丼を食べる。カツ丼は、日本人の国民食だと思う。どの地域へ行っても、同じような味付けが行われており、どこへ行っても美味しい。とくに、今日の味は良かった。大きく削った手作りの鰹節が入っていて、出汁が出ている。田舎でも、このように頑張って生き残っていく店があると心強い。

萬鉄五郎記念館は、残念ながら、企画展の最中で、鉄五郎の常設画がすくなく、期待はずれだった。けれども、企画展のほうの「中村誠展」は充実したものだった。わたしの講義の中でも使った、人物ポスターの典型例である、資生堂の前田美波里ポスターをはじめとして、山口小夜子ポスターなど、黄金時代のポスター群を一望のもとに観ることができた。

宮沢賢治記念館は、夏休みということもあり、子どもたちで一杯だった。自筆原稿がたくさん展示されていて、独特の文字列が並んでいた。散文には、直した形跡がたくさんあるのだが、詩原稿ではあまり修正がない。これらの原稿では、字体から見ると、清書したとは思えない。ということは、賢治のなかで、散文と詩とは異なる媒体だった可能性がある。今度来るときには、もっと時間を取って、じっくりと原稿を読んでみたい。

萬鉄五郎の中心的な作品は、記念館ではなく、岩手県立美術館にあることがわかったので、早々に盛岡へ行くことにする。美術館は、夜の7時まで開いているというので、ゆっくりと観ることができた。企画展では、モディリアーニ展が開催されていたが、そちらは失礼して、常設展示室へ向かう。一部屋全部が、萬の作品で埋められている。

大正時代を象徴している作品は、なんと言っても、「赤い目の自画像」だと思われる。この時代に、たくさんの自画像が描かれているが、キュビズムの手法を萬独自の溌剌としたエネルギーあふれる色使いで、解釈しなおした作品だ。顔がいくつかの断面に分かれており、時代の熱気が全体にあふれていて、それが断面化して描かれている。この一枚の絵がかかれるためには、おそらく10枚以上の絵画現実が想定されていたのではないかと思われる。

http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=12444

何が大正時代的なのかといえば、やはり西洋流のキュビズムを日本に導入することに、最高の感情と技術をしても、ここまでが限度であったという点ではないかと思われる。ほかの西洋化と同様に、この時代に日本では明治期以来の西洋化が全面展開し始めたと考えてよいと思う。けれども、ここまでがやっとであり、限界があったのだ。なぜそれ以上は、進まなかったのか、ということが大正時代の特徴だと思われる。

このことは、となりの部屋の松本竣介の絵をみれば、納得がいくだろう。萬鉄五郎が、あれほど悩んで苦労して、それでもうまくいかなかったキュビズム的な手法が、松本の場合には、いとも簡単に(ほんとうは簡単ではないのだろうが)乗り越えられてしまっている。多面的な分断は、画法の本質的な部分として、松本の場合には息づいているのだ。

残念ながら、時代は昭和にかなり入ってしまっているが、今日の1枚は、やはり松本竣介が1939年、1940年に描いた「茶の風景」「青の風景」(原題は違うが、美術館の展示が隣り合わせになっていたことに、敬意を表して、こう呼ばせていただくことにする。)にしたい。

この2枚は、同じ風景を描いているらしい。それは配置や道筋、さらには木立などによって、なんとなくはわかる。けれども、ここの対象物をひとつひとつ比べてみると、細部はすべて異なっている。もちろん、色調も、「茶」と「青」と対称をみせている。つまり、双方は「家族的類似」を表しているのだが、個々にはすべて異なっている状況を描いている。

080815_183401 何が問題か、といえば、画家にとって、対象物(あるいは対象風景)がどのように「観えて」いるのか、ということだと思う。不変的なものとして、配置や構造は同じだと見えているのだが、色や形や、はたまた窓や壁というのは「観えて」いないのかもしれない。1枚の絵のなかでも、おそらく同様のことが起こっているのだと思われる。つまり、不変的なものとは何かということが描かれている、ということだ。

080815_201101_2  駅前に、H先生ご推薦の冷麺専門店「ぴょんぴょん舎」があり、たいへん混んでいたが、並んで入った。噂にたがわず、独特のすっきりとした冷麺であった。焼肉のこってりしたものと合うものだった。少し先の並びにある、エスプレッソ専門のコーヒー屋さん「詩季」で、マイルドのエスプレッソという矛盾した1杯を、今日最後のコーヒーとした。視覚と味覚からの平衡感覚を取り戻した1日となった。

2008/08/04

椅子の生活

0808021_2 椅子を購入した。 K大へ行く途中に、古道具屋さんがあって、学期末になると、学生の部屋から排出されたような家具や電気器具が並んでいた。大分まえになるが、かなり使い古された電灯式の卓上用の照明器具が出ていて、購入したこともある。

ところが、最近はアンティークな家具なども出るようになって、ときどき表を通りながら、覗いていた。じつは、わたしの身の回りには、意外なほど、古い家具が残っている。たとえば、現在研究室で使っている応接用のテーブルは、小学校1年生のときに、やはり信州松本の古道具屋で買ってもらった勉強机だ。よくぞ、20数回の引っ越しに耐えて付いてきたな、という強者である。

今回購入したものは、写真でわかるように、曲げ木の椅子で、座るところと背が、藤(あるいは竹)の蔓で編んだものになっていて、ソフトなすわり心地だ。

以前から、曲げ木の椅子は、軽いのが取り柄で、たいへん好きで、幕張の研究室でも何脚か使っている。

古道具屋に出てくる椅子というのは、価格が安いことも魅力だが、それ以上に、捨てられずに生き延びたものだけが、店頭に並ぶ、という進化論的過程を経ているという、魅力があるのだ。今回の木製椅子は、軽さといい、座り心地といい、さらにデザインの観点からもとても優れたものだと思う。近年、どうしてこのタイプの椅子が作られなくなったのか、不思議なくらいだ。

古道具を愛好するということは、古く残っているものは素晴らしい、と考えるきわめて保守的な思考の最たるものだが、骨董の場合には有益だと考えている。

椅子というものはときには、このような骨董的なイメージを表すために、地位や権力のシンボルとして、使用される場合がある。今日、NHKBSで黒澤明監督「生きる」を上映していた。

このなかで、主人公の市民課渡辺課長がミイラのごとく座り続けたところとして、椅子が効果的に使われていた。本人がたとえ居なくとも、椅子を映せば、本人以上の存在感を表すことのできるのが、椅子という物体の不思議な魅力だ。

本人が居るのだが、本人を超えた人間の本質を表すのが、椅子というものであるということは、きわめて象徴的な表現であると思う。逆に考えると、どのような椅子に座っているのが、その人の本質を表しているのではないか、ということになる。

わたしは、つねに軽く、すっと細く、使い古された感じの椅子が好きなのだが、やはりわたしの本質もその通りなのだと思われる。今回の椅子は、このイメージにぴったりなので、わたしもたいへん嬉しい。

さて、試験監督もようやく終了し、試験期間もほぼ終わった。そこで、この夏は、長野学習センター、岩手学習センターなどを回って、講義を行う予定である。同時に、その合間は、首都圏を抜け出て、田舎の生活に入ろうと考えている。そこは、残念ながらネット環境があまり整備されていない地域なので、当分の間、このブログも夏休み、ということにしたい。また、楽しい事が起こったら、報告したい。

それでは、お元気で、良い夏をお過ごしください。

2008/08/01

転居の理由

「引っ越し」という人間の空間移動には、おそらく、かなり重大な理由が必要だ。そのたびに、100個以上のダンボールを用意し、収めることと紐解くことをして、再び異なる場所で、同じ状態を確保するなどという、無駄の極地とでもいえる作業(つまり、プラス・マイナス=ゼロの作業)を行わなければならないからである。

四方田犬彦の『引っ越し人生』を、妻が図書館から借りてきたので読む。これまで17回の転居を繰り返したらしい。それも、おおかた、四方田氏自身に理由があるのだそうだ。数を比べるのもナンであって失礼かもしれないが、じつは、わたしも20回は優に超える引っ越し人生を歩んできている。わたしの場合、多くは、両親が引っ越し魔であることに原因があって、わたし自身の転居は9回ほどであり、近年は落ち着いてきており、またとくにわたし自身に引っ越しの強い欲望があるわけではないのだ・・・。

けれども、小学校時代に東京へ吸い寄せられるという契機があり、渋谷・新宿・池袋に遊ぶという中学・高校時代には同じような境遇にあり、とくに井の頭線の三鷹台や世田谷下馬や下北沢、さらには横浜の妙蓮寺などでは、時間はすこしずれているものの、わたしとすれ違ってもおかしくない距離のところに住んでいたらしい。だから、描いている場所についてのイメージが次々に蘇ってくるのを楽しんだ。それにしても、心が入っていて楽しく書いていることがわかるエッセイだ。

人間には、柳田国男が「常民」とよんだ、木の根っこをはやすように、その土地に住み着くタイプと、「転民」とでも呼ぶべき、ヤドカリ族のような移り住むタイプが存在する、と彼は指摘し、当然自分を後者に位置づけている。

エッセイのなかでは、場所(Place)と空間(Space)の違いが指摘されていたが、「場所」というものの大切さ、重大さがわかっているために、その重圧に耐え切れないタイプなのだろうと推察した。

「見飽きた。
 聞き飽きた。
 知り飽きた。」

というランボーの詩の文句が誘惑するようになると、転居の欲望が目覚めるらしい。仮初の生活のもつ解放感は、何ものにも変え難いとおっしゃっていて、引っ越しをするものの醍醐味を書いている。

わたしも結婚をするときには、新居を見つけなければならず、エッセイに出てくる井の頭線の浜田山あたりを見て歩いた覚えがある。どういうわけか、妻はとんでもない郊外の山奥の団地がいいというので、わたしもずいぶん解放感を満喫することになった。

じっさい、なぜたびたび転居を繰り返すのかは、よくわからないところがある。わたし自身の場合でも、同じである。仕事や結婚などが理由である場合には間違いないが、四方田氏のように、潜在的な転居願望が強い場合は、おそらく本人も言っているように、何らかの「形而上的な喪失感」が影を落としているのではないかと思われる。

「場所」というものは、きわめて強烈で、その人の存在に深くかかわってくるものだ。おそらく、このことを強く描いたことで、名作『月島物語』が生まれたのだ。したがって、本源的なところで、これが喪われてしまっている人にとっては、おそらくどこの場所へ転居しようとも、本来の「場所」は得られないのだろう。四方田氏にとって、その「場所」がどこだったのかはきわめて重要なことだが、しかしここではあまり関係ないので、それはこの本をじっさいに読んでいただくことにして、ここでは書かないことにしよう。

このエッセイの最後に、まだ体験していない「引っ越し」として、「夜逃げ」と「入獄」というタイプを挙げている。ちょっと飛躍するが、じつは、映画「百万円と苦虫女」(タナダユキ監督)蒼井優主演は、「投獄」生活から、この転居をテーマとして、映画が始まる。予告編のイメージでは、「自分探し」映画?で、もっとテンポのあるもののように見えたけれど、実際には違っていた。

080801_115401_2今日、放送大学は試験の中休みである。そこで、パンクして修理に出していた自転車を取りに行き、さらに歯医者に寄って夏休みに備えた治療を行ったので、余勢を駆って、チネチッタ川崎へ出たのだ。上大岡から京急線に乗れば、ほんの15分で川崎に着く。

半券サービスを利用して、コーヒーを1杯とミートソースを食べる。映画館の席に着くが、今日は1日サービスデーということもあり、料金が千円なので、周りはぎっしりと満員であった。

080728_191101 主人公の鈴子の場合、なぜたびたび「引っ越し」をするのかには、明瞭な理由があった。「百万円ルール」という、規則に従ったからだ。家を出る理由、海の家のバイトをやめる理由、桃畑の仕事につく理由、街のホームセンターから出る理由は、すべて百万円が貯まったら、新しい生活へ脱出するというルールにしたがっている。

じつは、人間社会を維持するには、人間を交換するシステムが不可欠である、というコミュニケーション原理は不変のものだとわたしは思っている。とくに、「女の交換が社会を形成する」という構造主義のテーゼは中核をなしていると思われる。

近代になって、部族間のルールが弛緩してしまって、個人間の原理になってきてはいるのだが、やはりこの原理は働いている。この映画の想定する、百万円ルールというのは、秀逸だと思われる。日本人の5分の1ほどの女性が、もしこのルールにしたがって、日本中を移動して歩いたら、かなり日本も変わることだろう。

もっとも、潜在的には、必ずしも百万円というわけではないが、実際にはこのルールは存在しているのだと思われる。その転民タイプの人にとっては、かつて住んだところはすでに「場所」ではなくなっているのだろう。喪失感を抱え、不在性を示すことだけで、生きている証明とする人生、それが「引っ越し人生」だと思われる。

四方田氏は、「終の住処」はどこか、と自問して、「わたしの家はわたしの書いたものの中にしかない」と言っている。格好いいなあ。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。