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2008年7月に作成された投稿

2008/07/30

試験前のあくび

最近とくに激しいのは、眠気である。すごいなすごいな、と思いながら、考え事をしていると、以前は眠気が飛んでいってしまう経験をしたものだが、近ごろはむしろ激しい眠気に襲われる。

これは良いアイディアだ、と根を詰めて、細部を考えている最中に、いつのまにか瞼が下がってきて、気持ちよく眠ってしまっているのだ。このときの眠りは、たいへん心地よいので、申し分ないのだが、なぜ眠気に襲われるのか、よくわからない。

たぶん、脳のなかの酸素供給が、いつもはあまり働かせないにもかかわらず、急に使ったせいで、足りなくなるのではないかと思っている。探偵ポアロの「灰色の脳」説である。でも、きっと脳のホルモンや働きのリズムなども、関係しているのだろうな。さらに、場所の雰囲気や周りの人びとの状況も作用しているに違いない。

昨日と今日、そして明日は、朝から夕方まで、ずっと試験監督を行っている。これ自体、眠気を誘う活動ではあるが、ここで眠ってはならないので、じっと我慢している。けれども、わたしも人間なので、うとっとするときがあるが、そんなときに限って、職員の方が緊急の伝達で部屋に入ってくるときだったりする。いつもは、しっかりしていますよ。もちろん・・・。

わたしのことはこの通りだが、教壇から見ていて、前から気になっていたのは、これから試験時間に突入するぞ、という1分前ごろに限って、あちこちであくびをする人を見ることだ。答案に飽きて、試験時間の後半にあくびをする人は数多く見るが、そうではなく、明らかに飽きる前のもっとも緊張する場面であくびが出てしまうらしい。

自分でも、なぜ出たのかわからないらしく、ばつの悪い顔をして、周りを見回している。あまりの緊張感から、あくびが出てしまうのだろうか。それとも何か特別な体内変化が起こっているのだろうか。それともやはり、酸欠状態なのだろうか。しかも、あくびは人びとの間に伝染するということがわからない。

試験前の5分間というのは、摩訶不思議な時間なのだ。受験者と監督者が、何もすることなく、にらめっこしなければならない。以前には、よく冗談を飛ばして、受けていたものだが、やはり時と場所からすれば、あまりはしゃぐのは良くないと歳をとるにしたがって、思うようになった。というよりは、年とともに、妄想が押し寄せてくるようになって、沈黙しなければならないときには、その妄想に浸ることができるようになった。だから、5分のにらめっこなどは、苦にもならない。

このような中での「試験前のあくび」というのは、じつはたいへん好ましいことなのではないか、と思う。生理的には、酸素をたくさん摂ることになるし、精神的には、ちょっとリラックスすることができると思えるからだ。野球選手が緊張したときに胸に手を当てたり、陸上選手がこれから走るときに深呼吸したりしているが、おそらく「試験前のあくび」はこの「深呼吸」に相当しているのだと思われる。

あくびや深呼吸には、凝り固まった考えをほぐして、もっと遠くへもっと広いところへ、想像を羽ばたかせるような働きがあるのではないだろうか。この点からすれば、眠気はあくびの前兆ということになるだろう。

「眠気」に陶酔するのが、仕合せなのか、それとも、「あくび」で覚醒するのが仕合せなのか。明日の監督では、どちらの境地に身を委ねることにしようかな。

実際には、想像力を逞しくするためには、その考え方やアイディアにとっては、両方が必要なのではないかと、わたしは思っている。ひらめいた考え方に陶酔しなければ、良い考え方でも磨かれることはないだろう。また、しっかりと他の考えと比べて、目覚めた状態を維持しなければ、およそ大した考えは生まれてこないだろう。

2008/07/28

馬車道の喫茶店

K大の試験採点がどうしても進まない。そこで、今日中に終わらせるという強い意志を示すために、特別なところにこもることにした。といっても、予算もないし、手元の資金も底をつきだしたので、たいしたところへは行けない。

手軽なところで、いつもの馬車道の「サンマルク」へ閉じこもることにした。ちょうど、いつもの三方が囲まれたテーブルが空いていて、仕事を待っていてくれたようだ。

集中すれば、採点は早く進むものだ。12時前には、店に入っていたが、約四時間で残りの半分を済ませることができた。1200字で232人分なので、原稿用紙約600枚以上の書籍を読んだ勘定になる。単行本を1冊じっくりと読了したという感じである。

明日は、すでに集めてあるレポートがあるので、それと照合して、目出度くK大分の試験採点は終了である。今回の試験全般についていえば、準備のしっかりした人と、そうでなかった人との差が、かなりあるということだった。違いが歴然としているので、採点はたいへん行い易かった。後期は、もうすこし底上げをして、伝えるためのレポートとなるような工夫を行ってみたい。

午後の4時というのは、ちょうど映画のために残されたとでもいえるような時間だ。さっそく、京浜東北線に乗って、川崎のチネチッタへ駆けつける。5時から映画「歩いても 歩いても」是枝裕和監督が始まるところだった。

この映画の見所は、地元を描いているという点だ。京浜急行線の赤い電車が、映画の中を左から右へカタカタと走っていくのは、やはり懐かしい気がする。三浦半島の鄙びていて、急な坂が多い様子が、静かに描かれていて、あと五年もすれば、もう一度見てみたい映画となることは間違いない。風景の継続性は、覆うべくもなく、しっかりと映し出されている。

第二に、俳優が素晴らしい。樹木希林でなければ、これほどやすやすと演ずることができないだろうな、というシーンがふんだんに盛り込まれている。原田芳雄の厳格そうな父も好演している。親子関係が崩れていて、家族の崩壊ドラマであることは確かだが、きちんと再生へも目配りを怠っていない点で、慎重で隙のない映画である。はじめは、父親に大きな原因がありそうに描いているのだが、途中からじつは母親のほうにほんとうの原因があることがわかってくる。親子関係は、恐ろしい。

第三に、蝶の使い方が絶妙である。映画で使われていたエピソードは、小さい頃、友達同士でよく話したものだ。「モンシロチョウが冬までも生き残って、歳を超すと、次の年には、モンキチョウになるんだ」と話しながら、キャベツ畑を走った。

親子の問題、就職の問題、恋愛の問題、などの人生の重要なことが、あたかも重要ではないかのように、具体的な話として、横須賀のゆったりとした時間の中で描かれていく。これまでの家族では、一緒に住んで、それらの経験を言葉を介することなく、伝承していったのだが、自然家族がなくなってきて、構成家族が増えるにつれて、どこかに媒介をする空間と時間とが必要になってきているのだろう。大人になること、成熟することのアフォーダンスが自然状態から、人工状態へ移行したのが、現代なのだ。

この映画を観ていると、たぶんほとんどの人が、自分はどうだったかな、と思わずにはいられないだろう。わたしの場合、父親との関係で、職業選択をおこなったのだろうか、と自問することになった。それぞれの思い当たるところは違うかもしれないけれど、自分が「ムキになった」ころをきっと思い出すことだろう。

「歩いても 歩いても」という題名が、どこに由来するのか、これも意外なところからなので、何時聞いたことがあるのか、きっと自分に帰ってくるだろう。この映画の趣向を、僭越ながら「反省派」と名づけようと考えているが、賛同者はいるだろうか。

妻から頼まれた「ショッピング・カート」を、ラゾーナ川崎で購入して、家路を急いだ。

2008/07/27

「ムキになったら、いけない」

この2,3日、K大の採点を行っている。今年はいつもの年より、すこし丁寧に採点しているため、時間がかかっている。どのへんが丁寧かといえば、わたしが読書論の制作を計画しているので、参考にするために、学生がどのような本の読み方をしているのか、というところを時間をかけて観ている。

今のところ、どうも学生たちは、本を読んでの直截な感想を書く程度に終わっている。答案を書く前提条件として、2冊読むことを課しているのだが、「比較」と言う作業を行っている学生は少ないし、さらに進んで、本を超えるような想像力を発揮している学生はさらに少ない。

講義のときに、「幅の広い読書」と、「狭く深い読書」の両方を行って欲しい、ということを言ったのだが、いまのところは無残な結果に終わっている。まだ、1年生の学生が多いこともあろうが、試験が終わってからが、彼らのほんとうの勉強が始まるのだと思われる。それに期待したい。

ずっと一日中、答案を観て、照明を暗くした研究室に閉じ篭っていると、精神衛生上悪いので、家に帰ってから、妻のビデオ鑑賞に付き合うことにする。

妻は息子が高校に入った頃から、急に何を思ったのか、高校野球の熱心な観覧者兼私設応援団(外は苦手らしく、もっぱらビデオでだが)と化した。息子が野球部というわけでもない。我が家には他に野球ファンがいるわけでもない。キノコが道端の木に生えるがごとくに、突然変異的になったのだ。

けれども、ビデオを見ていて、「ボークってなに」などと聞かれた。4年間も野球鑑賞してきて、未だ「ボーク」も知らなかったとは・・・。

今日は、北神奈川大会の決勝戦に当たっていた。「慶応高校」対「東海大相模」の1戦だ。わたしにとっては、今年になってはじめて見る高校野球なのだ。骨休みを兼ねて、観始めたのだが、ミスの少ない見ごたえのある試合に、つい引き込まれてしまった。

前半戦には、東海大相模の主砲大田のホームランで、1点先制。そのあと、すぐ慶応が追いつき、さらに逆転する。ほぼ互角の投手戦の様相だった。

また、今回の解説者は、妻の贔屓としている横浜高校の野球監督渡辺氏であった。それで、的確な予想と、現実的な観察をして、向こうを唸らせていた。

ほぼ互角の均衡状態で中盤戦に突入したときに、渡辺氏がいうには、「ムキになったら、いけない」、「センターへ向かって、たたきつけるようなバッティングが必要です。」というと、観ている端から、センターへ向かってヒットが出る、といった具合だ。他人のチームでも、何が起こっているのか、そして何を行えばよいのかが、的確にわかるらしい。ほんとうに、素晴らしい予想力と指導性だ。

中盤後に試合が動いた。慶応が3点とって、4対2となる。しかし、その後東海大相模が再逆転して、4対6とする。さらにまた、9回に押し詰まって、慶応が2,3塁として、同点のチャンスを迎える。このとき、監督の指示が大事だ、として、渡辺監督ならばどのように言うのかと聴いていたが、「2点までは仕方がない。同点までは良い」とのことだった。

つまり、試合というのは、最後の最後までわからない、ということだと思う。負けなければ良いのだ。この辺のふん切りが、監督としての資質となるらしい。試合は、渡辺氏の言うとおり、6対6の同点になった。

ところが、なんということであろうか、ここで家のビデオが切れてしまったのだ。9回裏の同点場面で、きょうの鑑賞会は終了。野球の醍醐味だけは十分すぎるほど楽しめたので、結果なんぞは知っても仕方ないだろう。スポーツは、勝っても負けても、諦めが肝心だ。

それにしても、応援合戦は迫力があった。当然、応援している人びとは試合を見ているわけにはいかないのだ。とくに、味方の選手が活躍していればいるほど、観戦できないことになっている。応援は、本体を観ないという空虚さを、本質としている。

これはすごい状態なのではないかと思われる。わが師N先生の教えを援用するならば、応援というのは、スポーツの表す「メトニミー(換喩)」の一種であって、野球全体のなかに、もう一つの小さな別の世界が喩えとして作られることなのだ。それに参加する人は、野球はできなくても、横に広がって、人と人とを結び付けていくのだ。

これに対して、観戦解説というのは、同じく野球そのものではないにもかかわらず、言葉をもって、深く「比喩」を構築していくのだ。

今回の試合では、「野球本体」と、「応援合戦」と、そして「野球解説」と三位一体の緊張感あふれる観戦ができて、たいへん楽しかった。夜のニュースで知ったのだが、この勝者の甲子園第1戦で当たる相手は、わが故郷信州の松商であることがわかった。(以前にも書いたが、この松商が甲子園で優勝したときに、隣に住んでいたことがあるのだ。けれども、このところは最多出場の誉れは高いが、いつも初戦敗退が続いているのだ。)

2008/07/26

試験近くの人間関係

昨日から、放送大学は定期試験の期間に入った。昨日と今日は大学院の試験なので、人数も少なく、センターもたいへん静かだ。玄関ホールには、フェスタ・ヨコハマのいつものメンバーの方々が参加券を売り出して、常駐している。

放送大学における試験と、一般の大学における試験と、すこし違うのではないかと思えることが少しだがある。なぜなのかはまだ、よくわからないことがあるので、確かなことはいえないのだが・・・。

たとえば、試験近くになってくると、いろいろな方から急に連絡が入り、交際が活発になってくる。もちろん、学生の方々からは、質問票が届いたりして、それに答えなければならないことは、あるのだが、それだけではない。試験のときにお会いする方々が何人かいらっしゃる。日ごろ、ご無沙汰しているので、試験のときならば会うことができるということだろう。

それから、放送大学では、この時期にちょうど来年度の計画を立てなければならないので、その先生方との連絡がある。また、わたし自身が講師として、地域の学習センターから呼ばれて、シラバスを送らなければならない。

来年の話を今からするのは、ほんとうに実現するのかわからないので気が退けるが、青森と長野、それから東京圏では文京で講義を持つことになりそうである。青森は初めて呼ばれることになるので、楽しみである。

ちょっと脱線気味で不謹慎だと叱られそうだが、試験は1種のカーニバルのようなものとしても位置づけられているようにも思える。日ごろ、家に閉じこもって勉強していた人びとが一斉に、学習センターへ集まるのだから、やはり学生の方々にも、晴れがましいところではないかと思われる。

試験に真剣に臨んでいることはわかるのだが、どう比較してみても、一般の大学生よりは、圧倒的に余裕があるように見えるのだ。それは、ある種の諦めであるのかもしれないが、ここまでやったのだから、という開き直りがきちんとできているのだと思われる。

そこで思うのだが、試験に同化作用を求めるタイプと、異化作用を求めるタイプとがあるようだ。教科書や先生の言うことに忠実な解答を求めるタイプと、それらを理解しつつもそれとは別に、それを超えるような解答を求めるタイプと、言い直してもよいかもしれない。

一般の大学では、経済学のような経験科学の場合、後者のタイプの試験は行い難く、前者のタイプになる気がする。それに対して、放送大学の学生には、経済の経験が存在するので、後者のタイプの答え方をするように思える。もっとも、これはわたしの科目に特有な現象かもしれないが・・・。

さて昨日、宇都宮の大学に赴任しているN先生から便りがあって、やはり宇都宮にある栃木学習センターから、面接授業を頼まれたとのことであった。N先生は放送大学の1期生で、お茶の水女子大学を出て、大学の教職に就いたのだ。放送大学のことを悉く知っていらっしゃる方に、面接授業をお願いできるのはたいへん喜ばしいことだと思われる。

大学のシステムの再生産が行われるようになって、初めて大学が伝統を重ねていくことになるのだろう。気が付くと、来年度は開学25年目に当たり、四半世紀が経つことになるのだ。

2008/07/25

幼稚症について

最初に歯医者に通い始めたのは、たぶん幼稚園時代か小学校時代で、かなり早い時期に行っている。両親ともに、虫歯には苦労したにもかかわらず、子どもの歯に対しては、あまり気に留めなかったようである。

幼稚園へ通っているときには、ほとんど自覚はなかったのだけれども、歯に関しては鮮明で細密な記憶と、曖昧ではあるが単純な痛さの支配する世界を生きていたように思われる。

いまでも、幼稚園までの行き帰りの道筋に何が在ったのかは、鮮明に覚えている。けれども、それは単純化しているからこそ、覚えているに間違いない。すべてを覚えつくすことは求められていないし、無意識に覚えている以上のことは決して、覚えておくことは必要ないかもしれない。

歯に関しては、ちょうど6歳ごろにまとめて問題が起こってきて、はじめて鮮明な記憶が残ることになる。乳歯が生え変わるということと、そのころに虫歯を経験することである。夜中に柱に糸を結び付けて、ぐらぐらした歯をべきっと抜いた記憶がある。このぐらぐらするときの痛みは、歯を病んだ人にしかわからない憂鬱なものだ。

だから、歯の記憶と言うと、この当時の、やはり幼い時代を思い出すことになる。もしわたしに幼児化が起こるとすれば、それは、歯の記憶に戻って、回帰する記憶が生ずるのだと思われる。すでに起こっているのかもしれないが・・・。

きょう、歯医者へ行く日に当たっていた。待合室へ入ると、ちょっと変わった雰囲気であった。かなり歳を召した男性がひとりいらっしゃって、隣にあるスーパーマーケットで購入したらしい「アイス・モナカ」を頬張っているのだ。それもまだ、診察前らしい。

じつを言えば、わたしもこのM製菓の「アイス・モナカ」は大好物で、死ぬ前にこれをたらふく食べてから逝きたい、という欲望に、昔から駆られている。だから、切羽詰まった心境をわからないではないのだが・・。そこにわたしの将来が見えてしまったのだ。かなり、まずいな。

歯医者の待合室で、「アイス・モナカ」を食べる、というのは、この男性にとってものすごく意味のあることだったのだろう。1回は快感で、2回目からはやめられなくなってしまったのではないか、と想像する。それぐらい魅力的な所作であり、そこに欲望の膨張を見ることができる。

もちろん、傍から観れば、明らかに幼稚症的な行為であり、おそらくこの男性は、すでにかつてのように、欲望を抑制することができなくなってきているのだろう。自己抑制が効かなくなるという、ひとつの典型例であろう。

歯医者の先生もたいしたもので、おそらく待合室での出来事は知らないにもかかわらず、この男性に対しては、それとなく歯磨きの励行を示唆して、診療を終えていた。

さて、ちょっと牽強付会的ではあるが、この行為は、わたしに対して、ひとつの基準を提示しているのではないかと思われる。

幼稚化が起こったか否か、ということで、将来もしわたしがこのような行為を自分で止めることができなくなったら、今後、わたしが歯医者の待合室で、何か甘いもの、たとえば「アイス・モナカ」を食べだしたら、それはわたしが幼児時代に戻った、ということだと思われる。

「アイス・モナカ」が今後はわたしの幼稚化チェック表の一項目になるのだ、と考えると、なんとなく将来は灰色のような気がしてきてしまったのだ。

2008/07/23

多面性と崩壊

夕べから朝にかけて、急ぎの仕事をこなした。一日の配分からすれば、朝は自分の仕事を行い、午後に大学の仕事を行うことにしていたのだが、今日は先に大学の仕事が入ってしまい、逆転してしまった。

それでと言うわけでもないのだが、お昼ごろには仕事は失速状態になり、とうに頭の中が崩壊寸前であるのが、さらに暑さも加わって、輪をかけて駄目になってしまった。自分自身の崩壊モデルをたどることがわかったので、もはやこれまで、ということになった。

そこで午後の早い時間に、千葉からの帰り道、先日開拓した渋谷ルートをたどって、帰宅することにする。渋谷へ寄っても、電車賃は200円くらい違うだけなのだ。Bunkamuraの美術館で、「ロシア・アヴァンギャルド」モスクワ市近代美術館所蔵展が開催されている。

出品数はそれほど多くはないが、それだけでも観たいと思わせる何枚かの絵があり、今日のドロップアウトは大正解であった。まず、会場に入ると、カンディンスキーの「海景」1902年が目に入る。抽象絵画に入っていく前の、しかし完全に具象というわけではない境界線上の作品で、絵の具を削る画法だけで、海の風景がこんなにも描けてしまう不思議さを堪能する。ここから抽象画まで、どのような飛躍を行ったのか。この絵を見ていると、まったく異なる側面からの接近を行ったように思える。

キュビスムの系譜が今回の展覧会では見応えがあった。とくに、マレーヴィチを中心とする脈絡はたいへん興味深いものだった。

この時期、なぜロシアにアヴァンギャルド、キュビスムが流行ったのか。それは、政治的な革命と、革命後の理想的新生活における、芸術家の表現とが構成されたからである。革新的な日常生活が求められたからだろう、と一般には考えれているが、社会の変化のなかでの伝統が破壊され、無秩序状態を埋めようとしたのか、もっと進んで、日常生活のなかでも、秩序を求めようとしたからのか。つまりは、社会変化の辺境にあり、活動が活発になったということだ。

そのなかで、シャガールがキュビスムの系譜の中にあることは、たいへん納得がいく事態だと思われた。シャガール「ヴァイオリン弾き」1917年は素晴らしい1枚だ。隣の「家族」にも共通しているのだが、多面的な場面に解離され、再び結晶体のごとくに結合されている。ブルーの結晶体は綺麗だったと同時に、現実が分離され、崩壊へとたどっていくことを暗示させていた。

キュビスムは、複数の視点から対象を見て再構成することで革新的な方法となった。芸術の表現様式であると同時に、見方をかえれば、心理学上の解離現象の症例を表示しているようにも思える。人格の多重性や、風景の多面性に分離されて現れてくるのだ。

わたしには、それは「秩序」であるというよりは、「崩壊」に近いものに観える。マリューティンの「タバコを吸う人物」では、すでに人物は背景のなかに溶けはじめている。

Bunkamuraの向かいのビルでは、映画「純喫茶磯辺」を上映していた。じつはこの映画こそ、先ほどから話題としている「崩壊」の物語そのものである。父親が喫茶店を作り、それが失敗するまでの、高校生「咲子」の物語を描いている。

http://www.isobe-movie.com/(オフィシャルサイト)

おそらく、日本のこれからは、「構築」よりは圧倒的な「崩壊」が支配する世の中になることは間違いない。建物ばかりでなく、企業や家族などの組織が崩れていくのである。

この中で、制度の浮沈によって個人が引きずられてきたのが、これまでの日本人の状態だった。これからは崩壊が当たり前の世界になるのだから、むしろ崩壊に強い個人が出てこなければならない、というメッセージを送っているようにも思える。崩壊に強いということは、「変わらない生活」というものを持っているということだと思う。わたしたちの生活それ自体が、キュビスム的な多面体ならざるをえないという状況に耐えなければならない。

解離状況にある、多面的な現実に対して、ひとつの局面が崩れようとも、あわてずにつぎの局面を生きていかなければならない。ということは、現代は横滑りの時代ということになろう。

それにしても、「純喫茶磯辺」というのは、良い名前だと思う。すでに、崩壊寸前という感じをぷんぷんとさせている。咲子は、父親の崩壊に限りなく付き合うことで、強さを獲得していく。けれども、決定的なところでの判断では、父親の判断が正しいこともある、というのが、泣かせるところだ。

もしこの父親が喫茶店を開かなかったら、このようなドラマも生まれなかった。この世には、まだまだ、たとえ失敗したとしても、崩壊したとしても、遂行しておかなければならないことがたくさんある、ということだと思う。

2008/07/19

透明な「ポニョ」の話

またまた、「透明」の話で恐縮するが、現代の主たる活動が透明にできているのであれば、そうなるのも仕方がない。

映画「崖の上のポニョ」がついに公開された。かつて、ポニョのような女の子を育てた父親経験を思い起こすべく、卒業研究のゼミを終え、同僚のY先生との興味深い雑談も十分に堪能した後、映画館へ駆けつける。

隣の席に、3歳くらいのかわいい女の子を抱っこしたお父さんが座っていて、あんな時代もあったと思った。でも、うちの子はあんなに静かに座ってはいなかったけれど・・・。抱っこされてはいるものの、空気のように黙って、向こうとなりの席とお父さんの膝とを無限振り子のように行ったり来たりしていた。

なぜポニョの物語は希薄さが占めているのか、といえば、それは明らかに透明性の物語を描いているからである。宮崎監督が、海の水の圧倒的な絵を描く、といったときに、それは必然的に透明な世界の物語になるだろう、という予感があった。

だから、いつものように、何か劇的な冒険や、勧善懲悪の世界がそこに現れることはおよそあり得ないのはわかっていた。海の水に没した世界は、透明性が支配する世界なのだ。

だから、アンデルセンの「人魚姫」のように、ポニョが人間になりたい、と言って失敗したからといって、泡になってしまうことはない。まだ5歳の子どもの世界では、泣き出したくなるほどの恋愛劇も存在しないのだ。

あるいは、モーツアルトの「魔笛」のような、女王親子の葛藤も、存在しても描いて見せることはないのも、不思議の世界だからだ。親からの自立劇のなかでは親は「悪者」として現れるかもしれないが、ほんとうの悪者は存在しない世界なのだ。ポニョが赤ん坊から5歳の女の子に発達するのは、ポニョ自身の欲望がなせる業にしてしまっている。

これじゃ、希薄にならざるを得ない。斉藤環氏が「女性は存在しない」というラカン-ジジェク仮説で、女性の本質は存在しないけれども、表層にある、肉体から解放された身体としての女性は存在するのだ、と言っていることと、ポニョの現実は相応している。

ポニョは、金魚になったり、鳥になったり、人間になったり、変幻自在である。唯一ポニョの同一性を明らかにしているのは、着ている赤い服だけだ。これは、水にも濡れないし、身体に合わせて伸縮自由だし、水の透明性のなかで、これだけが確実に反抗し、水の世界と、水のない世界とを媒介している。

女の子としてのポニョが大人になれば、きっと現実的な象徴である「リサ」のような女性になってしまうのだろう。ポニョの物語は、やはり儚い女の子の、泡のように透明な、それだからして、きわめて現代的な物語なのだといえる。

映画にはその意図がうまく現れていなくても、その本質を描こうとした心意気だけは良し、としたい。それにしても、いつもながら、住んでみたいなという家を綺麗に描いているなー。

(映画の公式サイトに、今回コメントした画像がたくさん載っているので、どの場面かを想像しながらもう一度観ることができて楽しい。http://www.ghibli.jp/ponyo/

2008/07/18

透明ということ

家に帰ると、宮崎駿監督の「となりのトトロ」をテレビでやっていて、「猫バス」が走っていた。どこかで見たことあるな、と思っていたら、今日国立博物館で「対決:巨匠たちの日本美術」展のなかで展示されていた江戸時代の画家芦雪の「虎図襖」(和歌山「無量寺」)を思い出した。いまにも跳びかかりそうな襖絵と、空を翔る猫バスのダイナミックさが似ていた。

http://storage.kanshin.com/free/img_30/304551/k2082161450.jpg

080718_174802_2この「対決展」の面白さは、もちろん絵の比較が問題になるのではあるが、けれども、絵そのものが問題になるのではないところにある。描き方がぐっと前に出てくるのだ。同じ時代の似た作者が制作しても、同じ名前の「地蔵菩薩像」であっても、対比の妙で、「運慶」のものがすごいのだ。

雪舟の絵については山水図などで観ていて、枯れたものだと思い込んでいたが、その枯れているはずの「梅下寿老図」に描かれている、梅の木のしたにいる老人の目がらんらんと輝いているのはなぜだろうか。こんなにも、あくの強い絵だとは、本物を観るまではわからなかった。写真では、まったくわからないのが、残念だが。「四季花鳥図屏風」に描かれた緻密な「鶴」と荒々しい「大木の風景」は、現代美術として並べられても、遜色ない、普遍的な何かを映し出している。筆使いは粗っぽいのだが、それが幸いして、力強さと線の太さが前面に出てきている。

http://www.tnm.go.jp/gallery/material/film/images/frjf_pub/tmb00258/frjf1024/c0021852.jpg

その作者の他の作品も観たいと感じさせたのは、乾山「銹絵槍梅香合」「色絵紅葉図透彫反鉢」で、この作風が何百年も続いた理由になっていると感じた。

http://image.blog.livedoor.jp/sai_livedoor/imgs/4/3/43b2f324.jpg

新聞に批評が載っていた「永徳VS等伯」は、これらのなかでも、もっとも対称的な描法を明らかにしている。永徳「檜図屏風」「花鳥図襖」のダイナミックで筆太な存在感に対して、静かで透明な等伯の「松林図屏風」は同時代とは思われない好対照を見せている。

http://artgene.blog.ocn.ne.jp/images/autumn_18.jpg
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2007/1021/images/photo01.jpg
http://waretadataruwosiru.txt-nifty.com/photos/uncategorized/2008/01/03/c0028016_x1.jpg

松林の2,3本は、見えているのだが、じつはこの余白のところはすべて、見えない松林が存在するかのような、透明な存在を予想させる。この点では、時代を超えたリアリティがある。

国立博物館へ回る前に、幕張で重要な会議があった。重要であるということは、緊張するということであり、同時に疲れたということだ。この疲労感を回復させるためには、身体ばかりでなく精神の保養をするほかない。

080718_164201_2 じつは、「透明性こそ、現代の特徴である」ということを描いている、(と、わたしには思われた)展覧会が催されているというので、日本橋馬喰町にあるギャラリー「Radi-um」(株)レントゲンベルケを、ここへ来る前に回って来たのだ。藤芳あい「flower under flower」展である。

http://www.roentgenwerke.com/の中に、今回の展示写真、ギャラリー・アーティストとして、「藤芳あい」の紹介などが載っている。

最近ようやく、美というものに目覚めてきたばかりのわたしには、理解できないところもあるのだが、共通しているのは、透明な描き方であり、透明の向こう側にほのかに何かが存在する、ということだ。それが何んであるのかはわからないが、それを想像するきっかけを与えてくれている点で、これらの作品は、見えないものをぐっと前面に提示する。

そして、きれいでシンプルであることが、2006年作の「Swimming Pool」からずっと受け継がれ、追究されてきている。

080718_164202 僭越ではあるが、もうすこしこちらの観点に近づいてきたら、ぜひ取材させていただきたいなと考えたしだいである。

それにしても、このギャラリーの入り口は、アファーダンスの極度に制限されたドアなので、手垢の付いたところがなかったら、入れなかったかもしれない。

2008/07/17

赤い靴の女の子

Yokohamakaikou3 港の山下公園には、「赤い靴の女の子」の像が建っていて、広い公園の東(北かな)の一角のシンボルとなっている。

野口雨情の歌詞がいかにも横浜らしさを出していて、「赤い靴」が横浜の象徴として認める人は多い。この「女の子」をめぐっては、いろいろな逸話が残されていて、その話は叙情的過ぎて、必ずしも横浜らしいというわけではないが、港町の話だとは、いつも思う。

今回、サポーターの方々と協力して、わたしもかなりかかわって企画した「横浜開港150周年シリーズの地域連携面接授業」のポスターが出来上がってきた。Kさんが、デザイナーの友人Hさんに依頼してできたものである。これまでの放送大学には見られないデザインなので、目に付くのではないかと期待している。

昨日、本部研究棟のコーディネーターの方々にお世話になって、ポスター用のプリンターにかけて作成してきたのだ。A0判というとんでもない大きさのものと、普通のA2判、そして、A3判のものを、神奈川学習センター中に貼ってきた。

明日には、関東の各学習センターへも小さな判のものをお送りするので、試験期間中にご覧いただければ、と考えている。

このポスターには、三つのモチーフが存在していて、その一つが、「赤い靴をはいた女の子」なのだ。なぜ放送大学のポスターに、つまり社会人中心の大学ポスターに「少女」なのか、というところが、目のつけていただきたいところなのだ。

ポスターの「異化作用」を利用した、といえば体のいい言い方だが、やはり横浜を印象づけるには、Hさんがおっしゃるように、「赤い靴」が良いと思う。つまり、赤い靴は目立つために、人間関係の循環の輪に入っていくという意味の象徴的な印なのだと思われる。そういえば、祖母の遺伝を受け継いだ、社交的なわたしの娘も赤い靴を愛用していたのだが、それはこういう意味だったのかも。

横浜開港資料館、横浜美術館、横浜市歴史博物館、横浜都市発展記念館、ユーラシア文化館と、神奈川学習センターとの連携が成立し、多くの講義は、それぞれの現地で行われる。ちょうど、その施設の企画展に併せて、講義を行うものもあり、たいへんユニークな面接授業になると思われる。

ポスターの情報を読んでいただいて、ぜひ多くの方に参加していただきたいと考えている。

デザイナーのHさんご自身の説明が正確なので、引用いたします。

説明:
横浜の幕末明治開港時から現代までを女性で表しました.
鹿鳴館風女性に,バックのシルエットは各国の帆船停泊図

大正昭和初期は「赤い靴はいてた女の子」に,
建物「キング・クイーン・ジャック」のシルエット

現代はミニスカすらり美女に,ランドマークタワー,ホテル,
観覧車のシルエット(みなとみらい)

女性は赤い靴をはいています.
ベタですが,横浜というと赤い靴♪ということで.
それでもブーツ→お出かけ靴→ハイヒールと,歴史はある...
着ている服は横浜のカラーである(ライト)ブルー.
鹿鳴館風のみ少しくすませています.

2008/07/16

こんにちの大学事情

今日は幕張で、日本の大学事情に関して、非常に詳しいといわれているリサーチ会社による説明を聴く。現在のわたしたちの大学に関する情報については、あまり得ることがなかったが、さすがに一般大学の事情についてはたいへん詳しいデータ解説が行われた。

そのなかでたいへん興味深いな、と思われたのは、次のことだった。そのリサーチ会社が日本の私立大学への志願者数の推移について、1990年度から2006年度まで集めた結果で顕著だったのは、経済学分野の志願者数が圧倒的に減少した、という事実であった。他にも、法律、経営などが軒並み減少している。

これに対して、志願者数が増加したのは、社会学、福祉学、心理学、人間科学、医学、薬学、健康科学などであったとのことだった。

このような傾向は、すでにわたしたちの学生時代から、学問の内部では起こっていた変化なので、それが学生たちの行動パターンとして現れたとしても、しごく当然のことだったと思われる。

物質の時代から、精神の時代への転換は、このような若い層の希望調査に率直に現れているということだと思われる。問題は、それではこれらの学部で勉強して、精神の時代を理解し、うまく解釈できるようになったのかといえば、必ずしもそうではないということだと思われる。

だから、物質の時代から、精神の時代というのは、むしろ現役世代の価値観を若い世代が敏感に、先回りして掬い取ったにすぎない、といえるかもしれない。その意味では、現在の状況は、若者と非若者の双方が共同して作った社会観であるにすぎないということだ。

わたし自身のことを考えると、すでに数十年前に現在のような経済学の衰退を、僭越ながらも予見したものが、「経済学」を教えていることがおかしいことなのかもしれない。自己反省をこめていうならば、もちろん志願者数の増減は時代の雰囲気の問題だとしても、経済学をはじめとした社会科学についての問題点を明らかにできていないことを反省しなければならないことだと思われる。

2008/07/11

「西の魔女」の魔法とは何か

映画「西の魔女が死んだ」を2週間ほど前に観てきた。けれども、本を読んで確かめたかったことがあった。

それで、娘が本を持っているというので、貸してもらおうと待っていたのだが、結局友人に貸してしまったところ、戻ってこないということがわかり、最後には、自分で購入することになった。

どこを確かめたかったかといえば、この映画のリアリティがもっとも現れていたところである。それは、主人公まいが、不信を募らせすぎて、英国から帰化したおばあさんがまいの頬を打つ場面である。これは、てっきり映画的現実なのではないかと思っていた。つまり、本には書かれていないのではないかとわたしは直感的に考えたのだ。

ここで「頬を打って」いれば、普通の成長的教養物語であれば、感情的に直接分かり合ってしまって、それで物語が終わってしまうからである。ところが、これは間違っていた。この小説は違った筋を見せてくれるのである。そこが極めて感動的なのだ。

本のなかでも、まいは隣人のゲンジの挙動を疑い、人物を邪推し、果てに「妄想」に至ることになって、ついにおばあさんは対抗して、感情的な対処を行っているのだが、その辺の微妙な感情のやり取りが興味深い。

この感情的な妄想合戦の果てに、こだわりを残したまま、二人は別れてしまう。そして、最後に、これらを劇的に解決する、有名な場面が用意されることになるのだ。

終わってみれば、不確実で、真相のわからない「現実」(まいにとっては、学校に行きたくないという現実、ゲンジとの葛藤という現実など)と、膨らんでどうしようも無くなる「妄想」(他者への妄想が進みすぎる想像)と、さらにそれらを解決に導く、状況から脱却することのできる、奇跡的な「象徴」とが描かれ、いつものように、三つの世界が成立することになっている。

死を乗り越える方法が、こんなに身近なところにあるとは知らなかった。これが映画を観終わっての感想であった。このことを考えることができるのは、やはり「魔女」だけであろう。ところで、日本語にはなぜ「魔女」はあるのに、「魔男」はないのだろうか。語感があまりに現実的すぎるからなのだろうか。

たしかに、魔女になるための修行というのは、現代的で豊かな感じがするが、魔男になるための修行は、なんとなくおどろおどろしくて、ストイックで貧しい状況で行われる感じがする。魔男の物語でなく、「ニシノマジョ カラ ヒガシノマジョ へ」の物語でほんとうに良かったと思う。

2008/07/10

Cumulativeということ

Maki 研究室に、M氏から新著が届いていた。『循環的・累積的因果関係論と経済政策―カルドア、ミュルダールから現代へ―』(槙満信著;時潮社刊)である。

M氏とは、かつて神奈川学習センターで読書会を開いていた。独特の硬質な意見を発して、いつもみんなをはっとさせていた。

本書では、経済学者カルドアの成長論を検討することからはじめて、さらにミュルダール、村上の政策論を検討している。「収益逓増的」な成長の性質解明に集中している点で、背骨の一本通った書物になっている。

この本の中心的な考えは、「cumulative」ということにある。たいへん魅力的な言葉だ。わたしも『情報と社会』のなかの1章を書いたときに、一度使わせてもらった。通常は、「累積的」という言葉として、蓄積され逓増する性質を指し示すときに使われる。

彼は、このcumulativeを「循環的・累積的」というように、「循環的」という言葉を必ずつけている。なぜ循環的という言葉をつけた訳語を採用したのかについては、粗雑な読み方をしたらしく見逃したらしい。わたしにはわからなかったが、そのニュアンスは感じられた。らせん状に発展していくイメージなのだ。(もちろん、cumulativeに循環的という意味があるのならば、そしてそのことを強く押し出すならば、そのことだけでも、たいへん奥深い事象を表現することになることは間違いない。)

収益逓増ともうひとつの性質として、「外部性」を挙げているのだが、憶測の域を出ないが、これと「循環的」は関係するのだろうか。生産や消費にみられる相互依存関係を「循環的」と言うことも可能かもしれない。

あるいは、ケインやホプキンズたちが言うような「ジェントルマン資本主義」までも視野に入れるならば、この循環的という言葉も活きてくるように思われる。今度お会いしたら、ちょっと挑発してみたい点である。

本書のなかで断ってしまっているので、無いものねだりなのだが、わたしとしては、この言葉を使うとしたら、(おっしゃるように文脈は異なるのだが、)ヴェブレンの視点も入れて欲しかった。プラグマティズムの言葉としても、面白い言葉なのだ。

ということで、当分この本のcumulativeという考え方が頭のなかに住みついて離れないだろう。現代を解釈するための発想を求めている人にとっては、増殖に増殖を重ねて累積し、何かと循環し始める、というイメージは、かなり有効なものだと思う。わたしも、別の事象に対してだが、使用させていただこうと考えたしだいである。

2008/07/08

marsh 低湿地

京葉線に乗って、東京を抜け出すころには、まだ小雨さえ降っていなかった。舞浜駅に着いて、カップルたちがディズニーランドへ殺到してからは、がらんとした電車を追って、煙ぶるような雨が地面から沸き立ってきた。

市川塩浜駅あたりには、東京と千葉を分ける江戸川の河口が広がっていて、海のほうはずっと180度視界が開けている。海と空を分ける線があったとしても、昇りたつ霧を通して、太陽光線がきらきらにしてしまうため、曖昧な境界となっている。

他方、陸側をみると、ところどころに葦が茂っていたのではという、かつての湿地帯を想像させる地形である。山本周五郎の『青べか物語』が展開されたのは、この辺なのかもしれない。

先日読んだ梨木香歩の『ぐるりのこと』のなかで、次のようなところがあった。「marshという言葉が好きだ。陸地と河川を分ける境界にある、湿原、沼地のようなところ。・・・・・・全て曖昧になっているのに、ただ、marshという言葉の周囲に立ち上がる、水気を帯びた空気や丈高い草々、生活する鳥や獣たち、そして昆虫、そういった多様ないくつもの生命が、一斉に風に吹かれていく感じ、そういうものだけはっきりとした気配を伴って私の脳裏をよぎるのだ。言葉というものは本当に不思議だ。口にしただけで何かの霊が降りてくる、魔力をもっている、と、昔の人が考えたのも無理はない。それはある特定の神秘的な場所が、霊力のある地とされてきたのとおなじように。」と述べていた。

電車の窓の外を通り過ぎていく景色のなかでは、青べかの時代から、いくつもの自然が生成し、また壊され、さらに成り立っていったのであろう。自然のうしろに、もうひとつの自然が二重に存在し、その境界線上では、人間が何か責任を持っているかのように立ちすくんでいる。その境界は、常に何らかの表現を求めている。境界を行き来する態度が試されている。

「ぐるりのことは中心へ吸収され、充実した中心はぐるりへ還元されていく」というなかで、人間も自然に投げ込まれ、さらに自然へ還元されていくしかないことを思い知ることになる。湿地帯は「ぐるりのこと」そのものであって、昔からその発する水蒸気で、何もかも包み込んでは、そこから循環するものを送り出してくる。

江戸川をすぎた海沿いの倉庫群のなかに、Amazon.comの配送センターを見つけた。先週届いた本も、ここから発送されたものかもしれない。湿地帯だったので、畑も駄目で、工場も立てることができなかった。そんな場所だからこそ、現在の日本でも、もっとも循環の激しい書籍倉庫が、ここにできたということなのかもしれない。

2008/07/04

教材検索システムの一般公開

Retro3_2 放送大学の「教材検索システム」がようやく陽の目を見ることになった。これまで試作されたシステムは、数えることができないほどである。

それまでの4年間にわたり、放送大学のスタッフはもちろんのこと、国立印刷局や教育振興会の方々にたいへんお世話になった。

また、このような検索システムを持つことができるのは、日本の大学の中でも、放送大学だけである。すべての科目に教科書テキストを持っているという独自性を最大限発揮すべきだと思われる。今日のように、知識があふれ、情報が飛び交う時代に、検索をして比較を行う意義は十分あると考えている。

今日のように、著作権への配慮がこれほど厳しく問われる時代はない。今回公開されるデータベースには、そもそも本文は含まれていない。だから、教育目的で非営利的な使用であるから、こんなに慎重になることもないという方もいらっしゃったが、やはり執筆者には断るべきだろう、という方もいらっしゃって、全員の方への周知をすることになった。

このこともあって、一般公開は大幅に遅れてきた。けれども、大方の許しを得た段階に到達することができた。関係なさった方々に感謝申し上げるしだいである。

http://ou-j.net/search/

上記へ入った後、初めて検索なさる方は、「初めてご利用になる方は、こちらから ≫」の表示にしたがって、まず「ユーザーID」「パスワード」を自分の好きな記号・番号で登録してから、ログインして使用していただきたい。

やはり、注意しなければならないのは、検索ということには限界があるということであり、それを知りつつ、いかに自分の想像力を結合していくことに、この検索を使うか、ということだと思われる。テキストという現実に対して、自分の想像力による現実を作り出すことができるか、それが検索の成否を決めるのだと考えている。

多科目間・他領域間の言葉の旅をぜひ楽しんでいただきたい。そして、もし「これは」という検索例、あるいは言葉や考え方の比較例が見つかったら、ぜひお知らせいただきたいと思う。この欄でも、紹介していきたい。

本文を含んだシステムも試行したが、著作権処理が難しかった。今回のものでは、検索を自宅で行ってもらい、そのページ箇所をメモして、教科書テキストは図書館で見てもらう。あるいは場合によっては、教科書を購入していただくことにした。

日本の大学図書館には、放送大学のテキストがかなり揃っているから、その大学の学生たちも、レポートを書くときに利用してもらえるのではないかと思っている。先生方にとっても、自分の分野の言葉が大学教育でどのように使われているのか、調べるときには、たいへん都合のよいシステムではないかと考えている。

この点では、放送大学の内部よりは、外部でかなり活用していただけるのではないかと期待している。もしそうなれば、社会的貢献ということになるのかもしれない。けれども、それはちょっと「狸の皮算用」のような気がする。そもそも、放送大学の印刷教材を書くために、どれだけ著者の方々の血と汗が流されたのかを考えれば、もっともっと多くのところで観ていただき、さらに活用の道を探るべきではないだろうか。

2008/07/03

映画「ぼくの大切なともだち」

ルコント監督の映画「ぼくの大切なともだち」を観てきた。幕張からもっと早く出られると思っていたが、仕事が次から次に生まれてきて、それは見事に連鎖を繰り返して収拾がつかなくなってきた。ほんとうは、前の回を観るつもりでいたのだが、結局最終回へ駆け込むことになった。

幕張から渋谷へ出なければならなかったが、いろいろの道筋が考えられることがわかった。結局は、新木場から有楽町線に乗って、永田町から半蔵門線で到達するのが、もっとも速くかつ安く出ることがわかった。ちょうど1時間であるが、予告編の時間へもぐりこめれば良いな、という心積もりだった。

ルコント監督のものは、かなり彼の「作為」ということがあって、おそらくその人為性についていくことができる人は、かなり変わった人だけかもしれない。最初の状況から、かなり無理をして、周りを作っている。

今回も、最後までどうしても馴染めなかったのが、なぜ誕生日会にまで出席する人たちが、こんなにも彼に対して冷たいのだろうかということであった。こんなに淡白な付き合いならば、ふつう誕生会には呼ばないだろう。ましてや、1年後に何もなかったかのように、集まるという状況は、ほんとうに最初はわからなかったのだ。

骨董屋のフランソワが友人のあまり居ない顧客の葬式に出るシーンから、物語は始まる。その話を誕生日会でして、仲間たちから「お前の葬式には誰もでない」と言われてしまう。意固地になって、親友を仲間のみんなに会わせるというゲームの賭けを行うことになる。たまたま知り合ったタクシー運転手のブリュノとの、親友探しの10日間が進行していく。

問題の核心は、やはり仲間である友人と、「親友」との違い、ということではないだろうか。誕生会での仲間が冷たい態度を表すのも、親友ということを際立たせるためにそうしたとしか、解釈できないだろう。

それじゃ、ルコント監督にとって、親友とは何かといえば、映画のなかで使われていたサン=テグジュベリの言葉「僕は君のたった1匹のキツネ」ということだと思う。キツネはたくさんいても、そのなかでどうしても馴染みのただひとりの存在ということがあり得るということだ。馴染みになる方法、過程はそれぞれ異なっているのだが。

友人だけだったら、起こり得ないことが、親友だったら、それが起こってしまうという不思議な存在なのだ。新しい世界が見えてきたり、古いものを再認識したりということが生ずる。この映画では、その本質的なところにだけ、神経を注ぎすぎたために、周りのことを描くのがすこし疎かになってしまっていたのは残念だった。女友達との関係は、もっと微妙なことが起こるに違いないのだが、特殊な関係で隠蔽してしまったので、物足りなかった。友人と、恋人とのちょうど中間に位置しているのが、「親友」という関係だと思われる。

この関係は、ふつう友人関係を支えたり、家族の関係を保持したりするのに役立つものなのだが、ちょっと間違えると、この両方の関係と敵対関係に陥ってしまうこともありうる。この意味では、親友というのは、諸刃の剣であり、危険な関係であり、なかなか手放してしまうわけにもいかない関係である。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。