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2008/06/23

「ぐるりのこと」

午後の講義を終えた後、夜になってしまったが、映画「ぐるりのこと」を観てきた。この「ぐるりのこと」という、梨木香歩の言葉がとてもよいと思う。

たぶん、身の回りのことという個人的なことに限定してしまっては、表すことのできないことをこの言葉は含んでいるのだと思われる。けれども、ただちに大きな社会へ跳んでいってしまわないで、自分の周りからはじめるという意味も含んでいるような気がする。

ほんとうは見えないかもしれないような、うしろもぐるっと見回してみるということも含まれているようで、面白い言葉だ。私は私の環境であると言った哲学者がいたが、私は私の「ぐるり」だといったほうが現代では気が利いている。

ぐるりに合わせて翔子とタミオの関係が変化していくことを、この映画はうまく描いていると思う。

まず、映画の出だしから中盤までは、わざと不快感を催すような場面の連続である。主人公と周りとの関係は、かなり直接的だ。卑猥な会話をしながら足揉みをしてもらったり、浮気を見破るために手の甲を舐めたりすることなどなど、直接性では決して届くことのできないことがあるということをこれでもかこれでもかと見せてくれる。醜悪さの描き方が、自然で秀逸だ。

本来は快適を表すリラクゼーションは、ときには醜悪な様相をあらわすことがよく描かれていた。どのように演じれば、自然に不快感を表現し、俗悪であると思わせることができるのか、というのはたいへん難しいように思われる。けれども、これを徹底的に行っている。

兄をめぐる「ぐるり」は、とくに醜悪に描かれている。家族をめぐる出来事もそうだが、とくにとんかつ屋での出来事は、笑ってしまうほどだった。食をめぐる不信が社会に存在し、社会の悪意がこのように出てくるのが、現代なのだ。

すこし大きなぐるりに目を転じれば、90年代にはM事件やS事件の裁判が行われて、法廷画家の目を通して、社会の動きが映画のなかに織り込まれていく。

映画の途中で、人間関係も社会関係もうまくいかなくなった状況に、転機が訪れる。それはどのようにしてなのかが、この映画の一番の見せ所なのだが、じつはそれほどはっきりとはしていない。けれども、わたしのみるところ、やはり「絵を描く」ということが転機になっているように、この映画は描いていると思われる。

タミオが最初に、法廷画家になり、定常状態を維持するようになり、続いて、翔子が天井画を依頼されてから、回復に向かうのだ。

いつもは鈍感なタミオが、電話をして翔子が出ないと、すぐに家に戻るシーンがあって、これが意識としては転機となっている。主人公の翔子は、子供を失い、仕事を失い、夫も失いそうになっている。ここでタミオのふんばりに観客は期待してしまうが、それは違うだろう。

映画の最後は、やはりタミオが絵を描くシーンで終わっていて、「なるほど」と思った。主人公が居て、どうにもならない現実がたくさんあって、さらにそれを上回る思い込みがある。けれども、絵を描くことで乗り越えていく。またしても、現実・想像・象徴の「三角形」的状況が世界を説明しているのだ。

父親という「不在」の現実があって、それに対する母親の思い込み、親戚の思い込みなどが錯綜する。けれども、父親の真実を表したのは、1枚の絵であった。

川崎のチネチッタでは、映画の半券を近くのレストランへ持っていくと、コーヒーを振舞ってもらえるのだ。最後に苦めのコーヒーを一杯飲んで、今日を締めくくった。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。