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2008年6月に作成された投稿

2008/06/29

集中講義の昼食

朝、宿舎を出るころから、小雨が降り出した。そして、講義の最中にすこし降りが強くなり始めた。けれども、講義への学生の方々の反応が大変良いので、気持ちよく午前中の講義を終わらせることができた。

集中講義期間中の昼食は、やはり疲れがたまってくるので、なるべく簡単に済ませたいと考える。お弁当を頼んでおくということもありうるが、土曜日と日曜日にかかるため、お弁当屋さんがお休みの場合が多い。

Sn3b00611 そこで近くの食堂へ出かけることになるが、先日の岡山大学のように、学食が近くて、美味しいならば良いのだが、そのような理想なところはなかなかない。

Sn3b00601 ところが、今回宮城学習センターのすぐ近所に、ちょうど昼食を取り、しかもゆったりと昼休みをくつろげるところを見つけたのだ。センターの煉瓦つくりの歴史的建造物のビルを出て、バス通りを横切ると看板が出ており、そのビルの地下に、「Mozart」という素敵な喫茶店があるのを発見した。

白いペンキでトンネル風に塗られた階段を降り、ドアを開けると、背の高いカウンターがあって、イベントのチラシが所狭しとばかりに並べられている。その横は調理場になっているらしい。

Sn3b00591 店全体は、コンクリート打放しの高い天井になっていて、やはり真っ白なペンキですべて覆われている。北欧風というのだろうか。その部屋のなかに、二つと見つけることのできないような古い家具、椅子やテーブルが、大小、高低、広狭、さまざまに置かれていて、視線が交差しないようにランダムに客席を配置してある。絵画から抜け出てきたような、コラージュ風の空間だ。

ベランダにも、安楽椅子や背の低い椅子が配置されている。そして、さらにバラの門をはさんで、テラスが広瀬川の絶壁を望むようにせり出している。

Sn3b00571今日座ったのは、8人掛けの表面に引っかき傷がたくさんある作業台風のアンティークの机である。しっかりした長椅子が付いていて、こちら側には、太い木で作られた無垢の椅子が並べられている。広い机はいろいろのものを広げることができて、なぜか以前から好きなのだ。

Sn3b00581 昼食には、バジルサラダが挟まったチキンのサンドウィッチと、カフェオレを頼んだ。パンは、ナン風の素朴な丸い生地のものだった。食後に、チョコレートのババロアをデザートとした。

これだけゆったりしても、50分間の範囲で、十分に間に合った。午後は、いよいよ集中講義の最後の時間に突入することなる。今回の講義では、近代システムである自由な市場と、民主的な政府との対比を行いながら、「社会関係資本」の性質を見てきた。学生の方との議論をなるべく盛り立てながら、講義を進めてきたのだ。

講義の最後になって、この「社会関係資本」という仮説を受け入れるか否かについて、挙手をしてもらった。その結果、44人中42名が受け入れ派となり、反対派は2名ということとなった。最後の恒例の拍手を受けるころには、朝からの雨がずっと激しくなってきていて、天候も拍手に加わってきたのか、と思えるほどだった。(ちょっと牽強付会!)

O先生には、ずっとお世話になりっぱなしであった。雨だというので、駅まで送ってくださった。ほんとうに感謝申し上げるしだいである。

あとで、学習センターの職員の方々にきいたところ、先ほどの喫茶店「モーツアルト」には、放送大学のチラシもよく置かせてもらっていて、女性の職員の方々には、馴染みの店だとのことだ。ときどきクラシックのライブも行うらしい。

2008/06/28

アフター・スクール

仙台講義の初日は、6時間ちょっとのハード・メニューである。昨日の雨はすっかり上がって、さわやかな日差しが杜の都を照らしている。すこし早目に宿舎を出て、ゆっくり歩いて宮城学習センターへ向かう。昨日、刺身の美味しい店で、たっぷりとご馳走をいただいたので、エネルギーは全開で講義に臨んだ。

学生は40数名だったので、このセンターの角にある大教室も、これで一杯らしい。6時間のなかでは、だいたい最低一人当たり3回くらいは全員の発言を求めることにしている。質問を多くする人であれば、6回以上は発言する機会があるだろう。同じ6時間であっても、質問の多いクラスと質問の出てこないクラスとでは、講義の印象はまったく異なってくる。こちらの講義が相乗効果を生むか否かは、じつは学生の側の質問や発言に依存しているのだ。

最近は「社会科学風講義」を意識した講義づくりを目指している。いわば「互酬制」的方法といっても良いかもしれない。参加型授業のなかでも、こちらのコースに乗せるのではなくて、できるだけ学生の経験蓄積を講義のなかへ取り込むことを考えている。こちらから題材を投げかけることは行うが、それへの応答を紙に定着させてから、討議に移る。

もちろん、これで出てきた意見のどの部分を活用するのかで、かなり講義が違う方向へ向かうことになるので、少しの工夫はいる。意見のスクリーニングをどのように行うかで、講義の方向性が定まっていく。5~6人のクラスと、50~100人のクラスでは、同じ参加型の方法を用いる場合でも、かなり異なる。学生のほうも、自分の意見が他者の意見と交わることによって、変化していくことを楽しんでいる。

帰りの道筋からちょっと外れたところに、喫茶「まつりか」という自家焙煎の店があって訪れたのだが、お休みで入れなかった。仕方なく、夕食は繁華街へ出て、仙台名物の牛タン定食を食べることにする。

「R」や「D」という評判の店は、支店であっても、観光客で満席状態で、玄関の外まで行列をなしている。身体が疲れているときには、行列を楽しむ余裕がないので、ほかの店をのぞいてみる。「太助」という店の支店も行列であったのだが、ちょっと行ったところに本店があって、カウンターなら空いているということだったので、すぐに腰掛けた。

カウンターからは、焼かれる前の生のタンが見える。小学校時代、校長先生が朝礼の時間に「夢」の話をして、人間のタンが倉庫に並んでいる超現実的な話をしたことがある。その場面だけが、記憶に残っていたのだ。話は結局道徳的な訓戒で「うそをついてはいけないよ」という落ちだったのだけれど・・・。

この店は、葱のいっぱい入った旨味スープが付いてくる。ボリュームたっぷりの牛タンを頬張って活力を回復して、アフタースクールへ繰り出すことにする。出張の夜は、いつだって長いものなのだ。

深夜映画がかかっているというので、それまで近くのJazz喫茶「Count」へ入って時間をつぶす。座ってから2曲目で、M.タイナー「Reaching Fourth」のB面がかかる。偶然だと思われるが、なぜかわたしの好みの曲なのだ。ここはいまだにLP盤を使っているのだが、ノイズがないのが不思議なくらいだ。大スピーカーが良い音を響かせている。

地下鉄を一駅乗って、映画館「仙台フォーラム」へ入る。内田監督「アフタースクール」がかかっていた。ネタバレをしてしまうと、この映画はそれが生命なので、あまり深くは描けない。綱渡り的な伏線の張り具合と、反転に次ぐ反転が面白い映画だ、ということで感想は終了。わたしのアフタースクールにとっても、浄化作用の大きい映画だったと付け加えておきたい。

今日最後のコーヒーは、12時近くになってしまった。定禅寺通りにある、朝まで珈琲専門店だけでやっている喫茶店「珈巣多夢」で、浅煎りのハワイ・コナを頼む。

2008/06/27

喫茶店の条件

東京から仙台までは、1時間40分で来てしまう。名古屋と同じくらいのはずなのだが、もっと遠くへきた気分である。損をしたというのか、得をしたというのか、時間の余裕ができた分だけ、得をしたと積極的に考えたい。もっと仙台を楽しめ、という天の声なのだろう。

面接授業のため、O先生が呼んでくださった。講義は明日の朝からなのだが、列車が遅れたり予定が狂ったりすることもありうるので、前日に仙台入りをすることにした。

もうひとつ、じつは目的があった。来年度に制作が計画されている講義のために、余裕がある今のうちにロケハンを行って、取材地をすこし幅広く集めておきたいと思ったのだ。

Sn3b00481 お目当ては「芹沢銈介美術工芸館」で、東北福祉大学のなかにある。長男の芹沢長介氏が考古学の先生だったので、さまざまな工芸品とともに、銈介の収集品を展示している。

工芸館の1階では、東北の19世紀ごろの焼き物を集めた展示を行っていて、切込(きりごめ)焼の素晴らしい磁器と出会うことができた。切込焼にもいくつかの系譜があるらしいが、たっぷりとした首ながの大徳利の系譜と、緑とブルーの二彩あるいは三彩の系譜が素敵だった。(ここでは、大徳利の写真が得られなかったので、きれいな徳利の写真を掲げておきたい。)

http://www.town.kami.miyagi.jp/kanko/images/stories/08_images/8_07.jpg

前者は、おそらく江戸時代の伊達藩御用窯として制作されたものだと思われる染付磁器で、何となく気品がある。後者の二彩・三彩は、近世には珍しい大柄のデザインの陶器で、使いやすそうな器だ。決して奇を衒ったものではなく、土瓶などもあり、系統的に作られている。間違っているかもしれないが、後の益子焼に受け継がれている模様に似ている。

http://www.mumyosha.co.jp/guide/hakubutu/miyagi/touji5.JPG

今回の展示では、銈介の展示はきわめて少なかったが、そのなかでも、「茄子の型絵」は、良かった。生活のなかの美とは何か、と問われるならば、生活とは離れずに、なおかつそこから、日常とは異なる美を掬い取っているものだと言えるかもしれない。生活に付かず離れずするときに、生活美が生まれるのだ。

Sn3b00461「茄子の型絵」は、型絵特有のシンプルさと、筆では描くことのできない線の強さとを表している。紺色とエンジ色の対称性は、地味ではあるが、存在を際立たせていた。茄子二つまでは、バランスが良いと思ったのだが、気になったのは、二個目の陰になった三個目の茄子だ。何のために、ここに配置されているのかわからなかった。生活には、このようにすっきりしない部分が必ず存在するということが言いたかったのだろうか。

観覧が意外に長くなってしまったので、工芸館に併設されている喫茶「可否館」で、仙台を一望の下に収めながらちょっと一服。「ヴォリュート」と名付けられて、マイルド・ブレンドを頼んだ。

Sn3b00491行きは仙山線の電車できたので、帰りは窓から望んだ道に沿って、市内までバスで下ることにする。定禅寺通りには、仙台屈指の喫茶店「カフェ・ド・ギャルソン」があって、噂に違わず美味しかった。店のつくりが喫茶店というものの性質をよくわかって作っているなあと思わせる。会話がしやすく、個別に分かれていて、されど孤立しているわけではない配置だ。サービスもとても良い。みんなが、一番にこの店を挙げる理由がよくわかる。今日最後のコーヒーは、やはりマイルド・ブレンドを頼んだ。Sn3b00501

2008/06/23

「ぐるりのこと」

午後の講義を終えた後、夜になってしまったが、映画「ぐるりのこと」を観てきた。この「ぐるりのこと」という、梨木香歩の言葉がとてもよいと思う。

たぶん、身の回りのことという個人的なことに限定してしまっては、表すことのできないことをこの言葉は含んでいるのだと思われる。けれども、ただちに大きな社会へ跳んでいってしまわないで、自分の周りからはじめるという意味も含んでいるような気がする。

ほんとうは見えないかもしれないような、うしろもぐるっと見回してみるということも含まれているようで、面白い言葉だ。私は私の環境であると言った哲学者がいたが、私は私の「ぐるり」だといったほうが現代では気が利いている。

ぐるりに合わせて翔子とタミオの関係が変化していくことを、この映画はうまく描いていると思う。

まず、映画の出だしから中盤までは、わざと不快感を催すような場面の連続である。主人公と周りとの関係は、かなり直接的だ。卑猥な会話をしながら足揉みをしてもらったり、浮気を見破るために手の甲を舐めたりすることなどなど、直接性では決して届くことのできないことがあるということをこれでもかこれでもかと見せてくれる。醜悪さの描き方が、自然で秀逸だ。

本来は快適を表すリラクゼーションは、ときには醜悪な様相をあらわすことがよく描かれていた。どのように演じれば、自然に不快感を表現し、俗悪であると思わせることができるのか、というのはたいへん難しいように思われる。けれども、これを徹底的に行っている。

兄をめぐる「ぐるり」は、とくに醜悪に描かれている。家族をめぐる出来事もそうだが、とくにとんかつ屋での出来事は、笑ってしまうほどだった。食をめぐる不信が社会に存在し、社会の悪意がこのように出てくるのが、現代なのだ。

すこし大きなぐるりに目を転じれば、90年代にはM事件やS事件の裁判が行われて、法廷画家の目を通して、社会の動きが映画のなかに織り込まれていく。

映画の途中で、人間関係も社会関係もうまくいかなくなった状況に、転機が訪れる。それはどのようにしてなのかが、この映画の一番の見せ所なのだが、じつはそれほどはっきりとはしていない。けれども、わたしのみるところ、やはり「絵を描く」ということが転機になっているように、この映画は描いていると思われる。

タミオが最初に、法廷画家になり、定常状態を維持するようになり、続いて、翔子が天井画を依頼されてから、回復に向かうのだ。

いつもは鈍感なタミオが、電話をして翔子が出ないと、すぐに家に戻るシーンがあって、これが意識としては転機となっている。主人公の翔子は、子供を失い、仕事を失い、夫も失いそうになっている。ここでタミオのふんばりに観客は期待してしまうが、それは違うだろう。

映画の最後は、やはりタミオが絵を描くシーンで終わっていて、「なるほど」と思った。主人公が居て、どうにもならない現実がたくさんあって、さらにそれを上回る思い込みがある。けれども、絵を描くことで乗り越えていく。またしても、現実・想像・象徴の「三角形」的状況が世界を説明しているのだ。

父親という「不在」の現実があって、それに対する母親の思い込み、親戚の思い込みなどが錯綜する。けれども、父親の真実を表したのは、1枚の絵であった。

川崎のチネチッタでは、映画の半券を近くのレストランへ持っていくと、コーヒーを振舞ってもらえるのだ。最後に苦めのコーヒーを一杯飲んで、今日を締めくくった。

2008/06/22

試験問題作成の季節

K大学から、期末試験問題作成の依頼が郵便でどさっと届いた。この時期になると、放送大学も同様だが、試験問題をたくさんつくらなければならない。日曜日にもかかわらず、午後はずっと試験問題の作成に取り掛かった。

小学校時代に、多胡輝「頭の体操」というカッパブックスシリーズが出ていて、友人たちとのめり込んだ。同じような問題を飽きさせることなく作るので感心した。簡潔な問題作成がされているわりには、考えさせる問題であった。どのようにしたら考えさせる問題になるのかということを「考える」練習となった。「頭の体操」のレベルになってくると、仕事と趣味の区別が付かなくなってしまう。

大学の試験問題で一番注意していることは、思考過程を重視した問題を作成することである。もちろん、理想的には、ということではあるが・・・。記憶を確かめるような単純な問題や、講義を聴いたかどうかを確認するだけの問題は、なるべく作らないことにしている。だから、なかなか良い問題を作るのは難しいのだが、学生が数時間考えて、その結果そのことはたいへん重要なことであることを、自ら認識できるような問題を目指している。

むしろ試験そのものよりも、試験に至る事前勉強のときに、どれだけ考えることができるのか、という過程を重視しているということになる。たとえば、事前勉強には、約30時間以上かかるような問題を作っている。試験は、講義の一部であるという説に組しているといったほうが正確かもしれない。

試験の内容を見ていただければ、そのことはよくわかっていただけると思うが、残念ながらそれができないのが、まことに残念である。思考過程をあらわす答案のなかには、ときどき予想外のものが含まれていて、読んでいて楽しいときもあるのだ。

さて、日曜日の神奈川学習センターでは、面接授業というスクーリングが行われており、これらも7月のはじめには終了するので、そろそろ最終日を迎える面接授業が多くなってきている。

「しばらくです」と言って研究室に入ってきたのは、T先生だ。地方自治を専門としている講師の方で、この学習センターのことをよく知る方のひとりだ。Y市役所に勤めていたが、4月から専門の研究所へ転進を図ったとのことだった。

現場から離れず、しかも研究を続けるための転職で、40歳代後半の転回は理想的だと思われる。これまでの経験的な知識を活かして、さらに学問的な知識を究めたいというのは、放送大学に学び、放送大学を教えるもののモットーだと思われる。彼の転進に、放送大学がステップ台として貢献できたのは、たいへん名誉なことである。

きょうの彼の講義にも、地方議会の議員、会社の決算担当者などの出席があり、講義に関連する場所では、これらの方々の経験談を話していただいたらしい。社会科学を教えるものにとって、放送大学の講義ほど立体的な構成の取れるところは数少ないのではないだろうか。もっとも、その分、講義内容についての学生からのチェックも厳しいのだが。

2008/06/21

講義の返礼

放送大学の講義に対する返礼は、拍手で終わることだ。これが慣例になっている。けれども、このような美風は、現在の大学講義の返礼としては、むしろ異例となってきている。

それでは、一般の大学では、返礼は存在しないのだろうか。ちょっと観察してみると、かならずしも存在しないわけではないことがほのかにわかってきた。

まず、目に見えないものとしては、尊敬や名誉、さらには権威などを、暗黙のうちに与えている場合があるように思える。一般の大学でも、講義で顔を見知った学生と廊下で出会えば、今でも一応、礼をしてくれるだろう。

これらの目に見えない返礼でも、無いよりはましな風習であると思われる。それとなく互酬的に返礼をするのが現代的なのかもしれない。だから、たとえば、講義が終わって、投銭が飛んできたりお札を折りたたんで襟に挿されたりしても困ってしまうだろう。

G.ジンメルの回想やM.ウェーバー『職業としての学問』の有名なくだりに、教授と私講師の違いを書いている部分があって、私講師は大学から給料をもらうのではなく、講義室に集まった受講生から金を受け取るという。つまり、この場合、講義に対して、受け渡される金銭は正式の返礼ということなのだ。

早稲田大学のO先生は、講義を終えたら、「プリン」を渡された、と昨日のブログで書いていらっしゃった。金では身も蓋もないので、プリンというのは感謝を表す意味で、かなり妥当な返礼ではないかと思われる。やはり、給金とは異なる意味での、小さな返礼ということではないだろうか。

わたしの場合、K大学での講義のあと、K大学交響楽団の招待券を2枚いただいた。講義に対して、演奏会というのはかなり等価交換に近くて、お互いの努力を認め合って、実質的な返礼として最適ではないかと思う。

きょうは、その招待のコンサートの日なのだ。学習センターでの仕事を終わらせ、弘明寺駅で妻と待ち合わせ、途中の杉田にあるこってりした味のラーメンで、腹ごしらえをした。

雨がかなり降ってきたにもかかわらず、会場の鎌倉芸術館大ホールは、ほぼ満席だった。幸いにも、1階後方の真ん中の席を確保することができた。曲目は、ムソルグスキー交響詩「禿山の一夜」、グリーグ「ノルウェー舞曲」、そしてベートーヴェン「交響曲第7番」で、指揮者の松岡究氏の弁に寄れば、舞踏というものの聖化を意識したのだということである。

ノルウェー舞曲の民族音楽を思わせる部分は、懐かしい曲想だった。もちろん、第7番には力が入っていたが、若い学生のもつ繊細さやはかなさが一番発揮されたのは、アンコール曲の「カヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲」だった。妻が、ちょうど昼に、映画「ゴッドファーザーPartⅢ」を見ていて、そのなかで使われていて聴いたところだったので、不思議な符牒に驚いていた。

今日最後のコーヒーは、大船駅近くのMコーヒー店にて、アメリカンを注文した。これはほんとうに、最近珍しいほど不味いコーヒーだった。香りもないし味もない。もっとも、不味いコーヒーもなければ、美味しいコーヒーも存在しないわけで、久しぶりに不味さの基準を測ることができたことに感謝しなければならないだろう。妻との会話を楽しんだことで満足することにしよう。

2008/06/20

単位互換とネットワーク

大学間の「単位互換制度」についての説明をするために、小田急線「相模大野」を訪れた。「単位互換」という結びつきは、大学というものを考える上で、たいへん興味深い。

相模大野駅に降り立つと、駅そのものがショッピングセンターになっており、さらに商店街がアーケードでつながり、その先には「伊勢丹」が店を構えている。そして、そのつながりに文教地区が連なり、大学へと導いている。有機的な街づくりが行われていることがわかる。

大学の本部がある本館は、ガラスを多用した明るい建物で、開放的な感じがする。多くの先生方に聴いていただき、また今回ご尽力いただいたT先生にも、たいへん感謝している。

「単位互換」は、言うならば、授業単位を媒介とした、大学間のネットワークである。単独の大学では得られないような効果が、ネットワークが組まれることで、相乗的に生ずることが期待されている。

なぜネットワークを組むと、相乗効果が現れるのか、ということが重要だと思われる。ふつう、ネットワークを作り出す方と、そのネットワークに乗る方とに分けて考えられている。

第一に、ネットワークを作り出すほうからみれば、影響の及ぶ規模・範囲が拡大するために、規模が大きくなり、1単位あたりの費用が少なくなり、いわゆる「規模の経済性」が生ずるからだ、と考えられている。ネットワークは、生産的なのである。

第二に、ネットワークに乗る方からみれば、多くの人がネットワークを組めば、そのネットワークに対する信頼性は沸いてくるだろう。たくさんの人によって確かめられているという安心感が起きるだろう。これによって、ネットワークを組めば組むほど、そのネットワーク関係が拡大し、重層化する効果があらわれる。

けれども、これらは当然のことと考えられているのだが、つまりネットワークが組まれてしまえば、このような効果が見られるものの、通常の状態ではこのようなネットワークが自然に組まれるわけではない。

単位互換でも、同じことが起こる。ネットワークが組まれれば相乗効果が生ずる可能性があるが、最初からネットワークが組まれるという保証は存在しないのだ。ネットワークが組まれる前の制度を壊さなければならないし、新たなネットワークの制度に組みなおすための労力はたいへんなものだ。

以前は注目されていて、最近ではあまり使われなくなってしまった考え方に、「ロックイン」、つまり封印という考え方がある。同じネットワークに組み込んで、そこに「閉じ込めて鍵をかけて」出ないようにしてしまう効果である。

「会員制」によるネットワークという発想は、このロックイン現象を利用していると考えることができる。

しかし、なぜ使われなくなってしまったのか、といえば、本来ロックインを厳しくするならば、それは制度化をきびしくすれば良いのであって、ネットワークという柔軟性を特徴とする組織を使う必要がないからである。

だから、結局のところ、ロックインは結果であって、それが目的ではないということになってきていると思われる。さて、今回の単位互換というネットワークでも、程よいロックインを形成できるか、というところに核心があると思われる。

帰りに、T先生から、今度の7月8日にはこの大学で、放送大学のKiディレクターとNアナウンサーを呼んで、イベント「テレビ番組の作り方」が催されるという話を聞かされた。単位互換よりも先んじて、放送大学との間に「交流」という意味のネットワークが結ばれるのだ。KiさんとNさんならば、強力なネットワークを学生たちとの間に形成することだろう。

今日最後のコーヒーは、相模大野駅改札正面のテラス風の喫茶店「カフェラ・ブヴェットCafé La Buvette」で飲んだ。ちょっと人通りが激しいところだったが、ものともせずに、クリームたっぷりのウィンナーコーヒーを注文した。

2008/06/19

痛みの空虚

先週、ようやく歯医者から「はい、これでいいですよ。あとの虫歯は様子を見てみましょう」と言われたところだった。ところが、その近くの歯肉が腫れてきてしまったのだ。この腫れは歯ではなく、明らかに内科的な部位の問題とわかるところにできて痛いのだ。日ごろの不摂生がたたっていることは間違いない。

今週に入ってから、いろいろなところに痛みが走って、どこが本当に痛いのかわからないほどだった。痛みが軽率で尻軽なのか、感じる側の神経が麻痺して、いい加減なのか、それはわからないのだが・・・。

岡山から帰ってきたら、足の裏に肉刺ができて痛いのだ。それは右足だったのだが、それを庇っていたら、こんどは左足の膝が痛くなった。急に立ち上がったら、立ったという感覚が戻っておらず、頭ではわかっていても、身体がどうと倒れてしまった。

さらに、風邪になると、うずうずしてくる腰の痛みが加わり、そして遂に、顔を経て、頭痛にまで痛みが発展してきた。なんと計画的な痛みの移動だろうか、と感心してしまった。結局、それが何か本質的な一つの痛みだったのか、それとも、局所的な痛みの移動だったのか、わからないままだった。

頭痛のする反対側ののどをとんとんと叩くと、頭痛のところにどんどんと響くのだ。

個人的なところに留まっているならばそれで良かったのだが、どうも周りを見渡すと、痛みが社会全般を巡って歩いているらしい。

妻の友人は、この2週間断続的に「風邪」で休んでいる。それは、家の修理で塗装屋さんと話していたら、どうもその塗装屋さんがウィルスにやられていたらしい。咳を通じて、すっかり移ってしまったのだという。

近くの人は、やはり咳の出るウィルスにやられて、声が出ない。それで病院へ行ったのだが、即座に点滴をしなければならなくなったらしい。また、今週千葉へ行って、母と話していたら、盛んに咳をして、やはりのどが痛いという。

ブログ仲間のKiさんも、風邪で倒れたのち、歯が痛くなった、と書き付けていた。痛みが確実に、みんなを襲っていることがわかるのだが、それじゃ、痛みの中心はなんだろうか。ウィルスだ、と技術的にでもわかっていれば良いのだが、(たぶんエンテロウイルスの症状に近いのだが、)どうも今回はそれも特定できない。

夏風邪ということで簡単に済ませてしまうが、エンテロウイルスなら、先月北京などで流行していて、子どもたちに「手足口病」を発病させ、死者も出した。わたしの子どもが小さかったころ、ヘルパンギーナになった、ということも、妻と話していて、思い出した。今ではもう、忘却のかなただが・・・。痛みは通り過ぎるとすぐ忘れてしまうという都合の良い性格を持っている。だから、いつも付き合い難いけれど、離れることができずに、したがって「友達」で居られるのかもしれないのだ。

2008/06/18

東京の空虚

敬愛する先生方と、霞ヶ関コモンゲート西館にある「霞山会」で食事会を催した。文部科学省・教育会館・霞山会館一帯が再開発されて、昨年の秋に38階のビルに生まれ変わったのだ。新しくなってから、はじめてこのビルを訪れた。

かなり昔、大学院生時代に、この向かいにある三井ビルで9年間ほどアルバイトをしていた。取り壊されてしまった古い霞山会館の1階に「サントス」という喫茶店があり、アルバイト先の研究員の方々と昼休みに入ったものである。

そのころは、「霞ヶ関ビル」にはまだ神話が残っていて、最上階を観光で訪れ、1杯500円のコーヒーで客をもてなす意味が十分にあった。地下には、トリコロールが入っていて、ポットコーヒーが出され、時間に余裕があるときには、かなり長居ができた。しかも、当時のコーヒーとしては、きわめて美味しいと感じた。

「コモンゲート」ビルは、かつての霞ヶ関ビルの持っていたような神話性を取り戻すことができるのだろうか。

第一に、東京中を一望のもとに納めることができる、という点では、かなりの期待を満足させることができると思われる。池袋・新宿・渋谷、恵比寿や品川などののっぽビルと争っても、階自体は少ないものの、中心地Pap_00322にいる分だけ有利かもしれない。

第二に、皇居に近い、という利点は決定的だ。丸ビルや新丸ビルに匹敵する。ロラン・バルトが『表徴の帝国』で描いたような、東京の真ん中には、ぽっかりと大きな空虚が存在する、ということが、じっさいに目で見ることができるのだ。

Pap_00311_2 第三に、眼下に並び立つ官庁街を一望できることも魅力だ。「東京の空虚」の隣には、国会議事堂や省庁の密集した権力の集中が存在しているのだ。「空虚と密集」とがツインになっている様子が、手に取るようにわかる。

これらを挙げていくと、「コモンゲート」ビルはかなりの観光名所になる可能性を秘めている。ビルの素材は、石材をふんだんに使った贅沢なものであり、何よりも天井が高いという点で豊かさを表現している。

ただ、費用を十分にかけている割には、なんとなく象徴性を秘めるようなデザインにはなっていないところが残念であるのだが・・・。そして、下のほうの階に、官庁がそのまま入ってしまっているのは、なんとなく商売をやりにくくしているのかもしれない。

2008/06/16

出産と子育ての分離

映画「ジュノ」は、近未来映画ではないにもかかわらず、日常のあり方としては、ちょっと先をいく生活を提言しているように思えた。わたしは、この映画は一種の「思想」映画だと思う。引き受ける側が、片親であっても、里親制度は通用するのだろうか。

出産ということが主題である。ふつう、出産した子どもは、自然に任せるならば、その親に属し、子育ても行われることになる。けれども、考えてみれば、かつて思想家のルソーが試したように、自然の親が生んだ子どもを受け継がない例は、数多くある。

とりわけ、現代のように家族の枠組みが崩れてきている社会では、さまざまな方法が行われる「可能性」があることはわかる。今回は、「ジュノ」の場合が問題なのだ。

高校生ジュノは、同級生のポールとの一度のセックスで妊娠してしまう。16歳では、子どもを育てることができないので、生まれた子供を里子に出すことにする。いろいろのことが途中で起きるのだが、その出産までのジュノの生活を描いた映画である。

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何が近未来的かといえば、アメリカ的な部分である。つまり、制度を柔軟に分化させて、個人の自由を広げようとする創意工夫を考え実行してしまう部分である。アカデミー脚本賞を取ったディアブロ・コディは、「わたしはインディペンデント、つまり自立した状態が好きなのね」と言っている。契約によって、男女が夫婦関係を結ぶように、まったく同様にして、親子関係も契約として、子どもを異なる親の元で育てることが行われる。

ことによったら、それは社会にとってみれば良いことなのかもしれない。今回の映画では、高校生で子育てができないからという理由にはなっているものの、出産を子育てから分化させるという、考えが肯定されている。若い健康な世代に出産させて、豊かな中年世代に子育てをさせる、というのは、社会にとっては、かなり合理的な方法なのかもしれない。

ふつう、ひとりの子どもに対する「出産」と「子育て」は、セットとして一体化されたものとなっていて、勝手に切り離すことは難しい。もし切り離すとしても、それは貧困や病気のためにやむを得ず、里子に出されるのであって、なるべくならば無理をしてでも分離しないようなケアを行うのが、通常の家族制度の場合だ。

映画のなかでも、弁護士は里子の子どもの成長を報告しようかと提案している。実の親ならば、自分の子どもが気になるのが自然である、という家族思想は、この映画のなかでも活用されている。

けれども、里親・里子の合理的な部分は、映画のなかでは、しっぺ返しを受けることになる。里親になるはずだった夫婦が離婚してしまうのだ。もっとも、それでも子育ては行われなければならない、という落ちがつくのだが・・・。この辺が、映画の筋として論理的にはすっきりとしないのだ。けれども、映画的な現実はつねに論理的に動くわけではない。

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Juno_3 「出産映画」であるのだが、赤ちゃんの影が薄いのが、この映画の特徴である。お腹のなかで、超音波に映ったり、蹴ったり手で感じられたりして存在感を出しているものの、やはり現代においては、「赤ちゃん」は透明人間のごとく、きわめて実在感を出すのが難しい人間関係を形成しつつあるな、と感じたしだいである。

2008/06/15

なぜ同じ音を出すことができるのか

Sn3b00382 1ヶ月ほど前に、Kさんから川崎ミューザで行われる「東京交響楽団」の切符をいただいていた。そこで、じつは昨日、川崎へ出て、丸善のM&Cで「早矢仕ライス」とコーヒーで(今日の最後のコーヒーにもなってしまったが)腹ごしらえをして、向かいにあるコンサートホールへ向かったのだ。

先日の高校時代のクラス会の帰りに、ヴァイオリニストのAさんとの雑談のなかで、オーケストラの話になって、経営で成功しているのは、日本にはあるんですか、と聞いてみた。最近なら川崎ミューザの東京交響楽団だ、とすぐに教えてくださった。それで一度は拝見させていただきたかったのだ。もちろん、音楽も聴きたかった。

だから、ちょうどタイミングが良かったのだ。しかも、こんなに特等の席をいただいてしまって、感謝すると同時に恐縮しているところである。

わたしには、ちょっと高級で難しい、ラヴェル「ピアノ協奏曲」とマーラー交響曲第6番「悲劇的」だったのだが、そこは怖さを知らない楽観主義が勝って、あえて聴くことにしたのだ。それぞれ独特のくせがあり、わたしにとって耐えられないところもあったが、そこは「幸せの時間」に当てることで乗り切った。

とくに、「悲劇的」は出だしの第1楽章が行進曲風に勢良く始まったので、すごいなすごいなと聴いているうちに、第2楽章に入って、叙情的な曲想に180度変わってしまい、さらに第3楽章になると、変奏に変奏を重ね、繰り返しの連続で、かなり難しい大曲となっていった。第4章になると、ハンマーを鳴らす2回の見せ場はあったものの、そのままえんえんと長い構成は続き、最後は呆気なくフィナーレを迎えてしまったのだ。小説ならば、千ページものを読んだ気分だ。

途中、オーケストラの組織について、想いを馳せてしまった。かなり昔になるが、「オーケストラのリハーサル」というフェリーニの映画があって、それぞれの団員が個性的で、決して一緒に同じ曲を演奏しそうにもないにもかかわらず、それでも同じ曲を演奏しようとするのはなぜか、と問いかけていた。このことを、マーラーを聴いていたら、思い出してしまった。

この「悲劇的」を演奏しようと思ったら、おそらくオーケストラの団員それぞれみんな異なる解釈を持つことだろう。そして、自分なりの音符を拾ってくるに違いない。さて、そのときに同じ趣向の交響曲として、なぜ成立させることができるのだろうか。どのパートがどのように譲歩し、どのパートと妥協し、全体としての調整がいかに行われるのだろうか。しかも、それが瞬間ごとに、形成されなければならないのだ。

各パートにはリーダーがいて、それぞれのグループをまとめるだろう。さらに、オーケストラ全体はコンサートマスター(東京交響楽団の場合はコンサートミストレスか)が役割上はまとめることになっており、さらに指揮者がいる。フェリーニは、指揮者が「独裁的」オーケストラを指揮するのではないことを明らかにしてしまった。そのように見える場合も、実際は異なるのだと思える。

Sn3b00391 それでは、何が同じ音、同じ曲を演奏させ、その趣向を一致させているのだろうか。指揮者の個性も十分に要素のひとつではあるが、それに加えて、やはり団員間の相互の調整、つまりは趣向の近接化が必要なのだと思われる。

先日読んだ生態学派の心理学の本のなかに、この状況にぴったりの言葉を見つけた。「オーケストレーション」というのだそうだ。

さて、交響楽団の素晴らしさはオーケストラ経営の中核であるが、それ以外にも工夫されているところはある。たとえば、この建物がとても良い。デザインも良いし、360度の客席も一体感を生んでいる。

Sn3b00353 さらに、休憩所には、ロートレックのポスターの大判が飾られていて、たぶんこれらは、等々力にある川崎文化ミュージアム所蔵のポスターだと思われ、連携事業の結果ではないかと推測される。

満腹の料理を食べたような贅沢な気分をもらって、川崎ミューザを後にする。

2008/06/14

ゼミの昼食

きょうは、ゼミ日である。朝、10時から学部の卒業研究ゼミナールがあり、続いて11時から大学院ゼミナールを行った。梅雨空が晴れたので、急に日差しがきつい。

午前中、OBのFさんも参加して、順調に学部2人と大学院2人の方の発表を終えることができたので、久しぶりに参加者9人揃って、イタリアン料理を食べに、播磨坂へ繰り出す。「タンタローバ‎」は相変わらず、予約で一杯で、(また店も狭いこともあり、)入れなかったので、前回も入ったお隣の「タベルネッタ・アグレスト」に行く。わたしはランチの「トマト味のミートソース」を頼んだが、Mさんが頼んだピッツァが薄焼きで、すごく美味しかった。この次は、ピッツァを頼むことにしよう。

以前は道に面した席しかないと思っていたが、意外に中が広くて、奥のほうにすぐに9人分を用意してくれた。天窓から明るい陽が射しているような感じでとても良い。赤いテーブルクロスが広いテーブルにかかっていて、このままここでゼミを続けたい気分だった。

学生には会社や役所にお勤めの方々が多いので、組織の実例を聞くには、事欠かない。ちょっとしたわからないことをすぐ知ることができるメリットがある。放送大学の利点だと思う。もっとも、知りえたことの多くは守秘義務のかかったものが多いので、ここに書くわけには行かないのが残念である。

午後には、もうふたりの方が加わり、活発な議論が行われた。考えてみれば、お互いにそれほど関心のないテーマについて、みんなでこんなに真剣に議論することは、傍から見れば、たいへん不思議な現象だと思われる。けれども、わたしたちはそれを当たり前のように議論しあっているのだ。「なぜゼミナールということが成り立つのか」というのは、面白いテーマになりえると思われる。


2008/06/12

築地はなぜ注目されるのか

築地というところが、なぜこんなに注目されるのだろうか。理由をつければいくつか上げることは難しくないのだが、わたしの見るところ、食文化の「シンボル」だからだと思う。

映画「築地魚河岸三代目」を観て来た。コミックのダイジェスト版ということだったので、細部が省略されていたのは残念だった。しかし、人情劇の系譜はいたるところに見られたので、役者の演技を観にいく人には満足されたのかもしれない。俳優の長老や中堅の演技は、素晴らしかった。

けれども、映画を観ていて感じたのは、やはり築地市場は「市場」であるのだけれど市場でない部分の魅力がある、というところだと思う。シンボルというのは、多義的であるということだ。

たとえば、柄本明演じる築地の寿司屋が、「生簀で育ったさかなはうまいよ」と、常識と異なることを言う。この言葉の裏には、多くの意味が隠されていて、天然のさかながいかに生簀で蘇生されて出荷されるのか、を主人公の旬太郎は、銚子の生簀業者から教えられることになるのだ。ここには、じつは、さかなが獲れてから、消費者の口に入って、さらに美味しいと感じさせるまでの複雑な「流通過程」が含まれているのだ。

先日、この欄でも紹介したテオドル・ベスターの『築地』や、最近の寿司をめぐる経済書には、これらの築地のもつシンボル要素が描かれている。だから、なぜ築地が注目されるのかといえば、それはこのような複雑な人間関係を反映しているからに相違ない、ということになるだろう。このことが、わたしたちの興味を惹くのだ。

さて、人間もあまりに荒波にもまれ続けていると美味しくなくなってしまう、ということはあるのだと思われる。「生簀」が何を意味するのかは、人によって異なるとは思われるが、ちょっとした工夫で自分なりの「生簀」を作ることは人間にとって必要不可欠ではないか、と映画の本筋ではないところに感じ入ったしだいである。

2008/06/10

梅雨の晴れ間

梅雨の晴れ間である。天気は、気分を生み出すという比喩はとても良くできていると思う。ちょうど、この時期の晴れ間に映し出される風景は、過去の思い出や、ちょっとした日常の記憶を保存していることがあるのだ。

もう4年以上になるが、国立印刷局の方々と一緒に制作してきたプロジェクトに、ちょっとだけ「晴れ間」がのぞきだした。こんなにすこし抜けたような気分は、以前にはあったような気もするが、久しぶりのことである。きょうは、その報告を兼ねて、虎ノ門に出かけた。

これまでいくつかの壁があって、なかなかこれらの成果を表に現すことができずにいた。せっかく研究が成就しても、いろいろな事情が重なると、ずいぶんと遠回りをすることになる。研究でも隣にいる人に、ちょっと見せるくらいならば問題にならなくとも、いざ多くの方々に見てもらうとなると、手続きやら、ルールやらをあらかじめ設けなければならなくなってくる。

でも、このような苦労をくぐる抜けることが、ときには重要である。数多くの作業を行ってきてくださった方々には申し訳なかったが、もう少しで梅雨も明けるのではないかと考えている。

今年度もいくつかのアイディアがあり、打ち合わせのなかで可能かどうか探っていただくことにした。アイディアといっても、いつも同じところをぐるぐると回っているだけのようにも思える。けれども、実際に作っていただき、形になって現れてくると、ぐるぐると同じことを繰り返していたときと異なって現れてくるから、不思議である。

これまでの反省として言える事があって、サッカーで、最後は球を蹴り切って、シュートで終わらなければ、そのあとが辛いように、研究もある程度までは、自己満足で終わっていてもよいが、やはり最後は公表しないとプロジェクト全体に対して、申し訳ないことになってしまうということがある。何とか、今回は最後まで成就させたいと考えている。ここで、もう一押しの努力が必要だ。

Jazz相談は順調に終わったので、銀座方向に歩く。新橋の駅からガードを超えて、線路沿いに歩くと、並木が連なっていて、洒落た小さな商店や食堂が並ぶ一角に出る。この道を泰明小学校に突き当たるまで、散歩する。最後のコーナーにはバーや喫茶店が軒並みを連ねているところに出る。

この裏道へすこし入ったところに、ジャズ喫茶「Jazz Country」があって、以前から来てみたいと思っていた。やはりこれも、梅雨の晴れ間がなせるわざなのだろうか。ピアノトリオのキンキンという音が良く鳴っていて、しばし黙考する時間に当てることにする。ほんの三畳ほどの小さな喫茶店なのだが、その想像上広がる空間は、その100倍以上あるのではないだろうか。暗いジャズ喫茶に籠りたいと考えるのも、外に晴れ間が広がっているからに相違ない。

Sansin 帰り道だったので、有楽町の映画館街を歩いた。以前見に来たあの美しい「三信ビル」がとり壊されていて、ぽっかりと穴が開いていた。この足りない空間を見ていると、街が活性を失う理由が、はっきり見えるような気がする。もしそれを取り戻すとしても、おそらく何十年の年月を必要とするだろうな、と感じた。

2008/06/08

透明な現実

久しぶりに、日曜日を休日にすることにした。このような日には、とんでもないことが起こってしまう。秋葉原の「通り魔」事件である。不特定の人を巻きこむ犯罪は、大都市ではどうしても起こってしまうものなのだろうか。

以前、九州だったろうか、無差別殺人が(やはりナイフが凶器だったが)起こったときに、カンファレンス室で先生方と、どのくらいの距離だったら、避けられるか、という話をしたことがある。

今日も、電車に乗っていて、目を瞑ってみた。この状態で、正面からナイフを振りかざされたら、たぶん3メートル位の余裕がたとえあったとしても、避けることができないだろうと感じた。そもそも、街路や電車のなかで、襲われるかもしれないという準備のもとに歩いたり、座ったりしている人はいないだろう。社会の安寧がこれでまた、不確かな方向へ向かうことになるだろう。

千代田区三番町にある「山種美術館」がもうすこしで、恵比寿へ移ってしまうらしい。今のところは狭いので、仕方がないとしても、この静かな街を離れるのは残念だ。日曜日に、地下鉄を降りて、この街を歩くと、大使館も多いこともあって、外国に来たかと間違えるような緑と塀が並んでいて、素敵なところだった。同じ方向を目指す女性たちにたくさん会うことも、この街ならではの雰囲気ではないかと思っていた。

妻が、小林古径の「安珍・清姫の絵巻」を題材にしたテレビ番組のビデオを見せてくれたので、ちょうど今回の企画に合っていて、より興味を持てた。

http://www.yamatane-museum.or.jp/img/collection/collection_07.jpg

きょう観た山種美術館での1枚は、ほかにも数多くのものがあったが、やはり小林古径の「果子」を挙げたい。

林檎や梨、桃などが7個置かれている。あるいは、宙を舞っている。つまりは、浮遊するかのような配置がほどよく軽やかなのだ。そして、全体と個々の果実の示す透明感が素晴らしい絵だ。この透明な果実の色は、黄色を基調として、緑と赤がそれらのなかにあいまいに配色されている。絵画の背景全体は、シンプルで温かい色調の空間をもっていて、この抜けるような薄茶色が、現実を清潔に隠してしまっていて、全体としては清々しい情景に統一されているのだ。

横須賀美術館で観た中村岳陵の鯉の絵「潜鱗」に続いて、透明性を潜在的なテーマにした絵画だと思う。現代的なテーマとして、透明性という題材は魅力的だ。なぜ透明性なのかということについては、現代的な存在のあり方としてきわめて興味深い。いわば、レイヤーを重ね、二重化しつつ、その潜在的なレイヤーを隠しているのが現代なのだ。

道を戻りつつ、この街にももう来ることがないかもしれないと考え、以前にも寄ったUCCのコーヒーショップで、自家農園栽培のブルマンNO1を飲む。もうすこし浅煎りのを欲しかったが、時代の要請では仕方がない。

渋谷を回って恵比寿に出て、写真美術館へ行く。森山大道を特集していて、回顧展と新作展の両方が開かれていた。ここでも、写真の現代性ということを振り返って観るのに、ちょうど良い題材がたくさんあった。ただちに理解できるかということは二の次にして、とりあえず現代に触れてみたいと率直に思った。会場は、ほぼ満員状態だった。ビデオを流すところでは人混みが滞留しており、みんな何を思うのか、不思議な沈黙が支配していた。

1960年代の初期のものがとくに良かった。「ヨコスカ」「にっぽん劇場」には、その後の写真基調を形成した、黒い部分を塗りつぶしたような色調が早くも確立していて鮮烈な感じを出していた。ドサ回りの芝居一座を撮った写真で、胸毛を露出した女形や、睫毛の影を顔に落とした三流役者が居て、かつて学生時代に、わたしもこのような一座でアルバイトをしたときがあったなあと思い出した。時代の基本を確実に掬い取っている。

写真が得意とする描写性や、記録性などを、写真表現からすべて否定していくと、最後に何が残るのだろうか。この点では、森山が挫折を経験したあとに出された写真集『光と影』は、とても重要な作品群だと思われる。たとえば、路上に転がっているビンが透明に地面を映しだしている。自転車の後部だけを撮って、見せている。こんな部分的で、表面的なものを見せられても、ビンであり、自転車であると、わたしたちはなぜ感じるのだろうか。

今回の写真展は、早稲田大学のO先生がブログで紹介していたので、観に来たのだが、彼をして「もう一度観たい」と言わせた理由を半分理解したような満足感を得て、帰路についた。足にできた肉刺が痛くなってきたが、それを我慢しても余りある一日となった。

2008/06/07

学問の生まれるところ

どのようなときに、学問というものが生まれるのか、については、予想するには難しいものがある。おそらく、中核となるような、思考運動量がとてつもなく大きな人物のもとで、膨大な時間が注がれて、これまでの多くの学問が育ってきたことは間違いないところである。

それは、学問には蓄積が重要で、しかも文脈をはずさない知識の結集を行うには、確固としたセンターが必要であったからである。けれども、放送大学がめざすところは、すこし違うと思われる。この中核となるものが、多元化しているという状況を認識した上での大学活動ではないかと思われる。学習センターなどの、学生のなかにも、このような蓄積を見出そうということだと思われる。

道草をした言い方になってしまったが、きょう神奈川学習センターの同窓会に招かれて、話をすることになったのだが、その後の懇談の席で、学生のなかに着実に「学問の生まれる」要素が育っており、同窓会がその中核として有効な活動を行ってきているのを感じることができた。

きょうのわたしの講演のテーマは、「日本人はいかに情報を受容してきたのか」ということであった。内容は、日本の電信・電話産業の発達を取り上げて、情報受容の問題について考えることにあった。併せて、産業構造変化の理論的検討を行うという、わたしにとってはすこし野心的な試みだった。もっとも、講演というには口幅ったくて、問題提起を行わせていただいた、というところではないかと思われる。

これまでも、過去2回ほどこの場で話をさせてもらって、それぞれ参考意見をいただき、かなりの修正を行ったうえで、論文にまで持っていった覚えがある。この意味では、論文作成にとってたいへん生産的な場だと考えている。

たいへん大きなテーマで、実験的な内容に留まっているにもかかわらず、同窓会の方々には相変わらず熱心に聞いてくださって感謝している。この寛容の精神と、批判精神のバランスが生きている限り、このなかで生まれてくる知識は多いことだろうと思われる。

はっきり言って、今日のところ、学問はどこで生まれるのかといえば、生むほうもさりながら、生まれるほうにも、つまりそれを受けとめる側にも恵まれる必要があるということではないか、と思われる。

そして、そのあとの懇談会のほうにこそ、じつはこの真髄は現れる。先生わからなかったよ、と話しかけてくる内容に耳を傾けることにこそ、値千金のものが含まれている。プラトンの対話編のなかで、思想が生成される過程をみると、いかに聞き役が重要であるのか、ということがわかる。

きょうの電話産業の話のなかで、明治期の電話交換の写真を紹介したのだが、地方の郵便局の中には、電話電信業務が委託されて存在する事例があり、そのような郵便局では昭和30年代に至ってもまだこのシステムが残っていたらしい。実際に働き、電話交換業務を行っていたという学生のかたもいらっしゃって、たいへん参考になった。

また、わたしへのコメントだけでなく、それぞれの学生も、自分のテーマを抱えているので、それらを聞いているとそれだけでも面白いのだ。今日、いくつか聞いた中では、修士論文で輸入の「紅茶缶」について書いた方がいて、その内容が興味深いものだった。なぜ「紅茶缶」というものが発達したのかといえば、物質的には、輸出紅茶の保存のためだが、それだけでなく、缶製造やブランド形成やプリント絵などの文化的な必然性もあるのだそうだ。H先生に推薦状を書いてもらって、ロンドンのビクトリア&アルバート博物館や、スコットランドのグラスゴーにある「リプトン」関連の資料館にまで取材に出かけたそうだ。わたしのコーヒー論にも十分使える題材があることがわかった。

「玄屋」という居酒屋の2階が懇親会の会場になるのだが、和室であるために、歳を召した学生には厳しい。けれども、低い椅子を持ち込んだり、どっこいしょと掛け声をかけて、人々の間を話をして歩いたりしている方々もいて、学問の生まれるところはこのように混沌とした魅力ある場所を必要としているのだ、ということを実感したしだいである。

Hさんをはじめとして、同窓会の顔なじみの方々には、このような機会を作ってくださって感謝している。また、ゼミの卒業生のMさんやRさんも駆けつけてくださったし、Eさんも素敵な着物を召して聴いてくださった。わたしにとっても、「同窓会」に出席したような気分で、ゆったりと話ができたのは仕合せだった。

2008/06/02

突然の逝去

K大の講義を終えて帰ってくると、神奈川学習センターのサポーターでお世話になっていた、そして学生同好会の「放友会」で、ずっと永く活躍なさってきた芝崎さんが亡くなった、というメールが、Hさんから届いていた。金曜日に入院なさって、突然の事だったとのことだ。

週に1回は、神奈川学習センターでお会いするくらい、頻繁にいつもセンターへいらっしゃっていた。とくに、写真やパソコンが得意で、技術畑を歩んできた経歴を感じさせた。

以前には、放友会の皆で行った旅行や研修を収めたDVDを届けてくださっていた。全部の記録を集めてみれば、膨大な量になると思われる。けれども、おそらく写真を撮っている側にいつも回っていて、自分の姿はほとんど写っていなかったのではないだろうか。そのような人柄だったと思う。まだ、放友会のホームページが整備されていなかったころには、これらの記録を学習センターのホームページに掲げさせていただいたりしていた。

とくに、記憶に残っているのは、「神奈川学習センターだより」に何回か寄稿されているのはもちろんなのだが、放友会の紹介と連絡係をずっと受け持ってくださったことだ。投稿された文章は、現在でも神奈川学習センターだよりのライブラリーで読むことができる。

http://u-air.net/kanagawa/newsletter/

2000年1月1日号と2001年10月1日号に、エッセイ風の文章が見える。電電公社にお勤めの時代に、横須賀にある通信研究所で、CS放送の実験に携わったらしい。実験にかける技術者根性とでもいうような真面目さが伝わってくる。いまも、電波に乗って、日本中を駆け巡っているにちがいないのだ。

芝崎さんのご冥福をお祈りしたい。

2008/06/01

岡山大学の木陰

岡山学習センターのある岡山大学は、昔陸軍の武器庫だったところらしい。学習センター所長のS先生にお聞きしたのだが、前の学習センターが入っていたレンガつくりの建物が、その名残だということである。たぶん、これらの建物の間を埋めたのが、このこんもりと生い茂った木々なのであろう。今日は昨日と異なって、五月晴れで清々しい朝だ。

朝のバスで偶然、学生の方々と一緒になった。岡山大学の西門から塀に沿って、涼しげな木立の中を歩いて、学習センターの横へ出た。市内の方と、それから津山の方だった。津山からは、やはり2時間くらいかかってしまうそうで、この近くのホテルへ泊り込んで、面接授業に参加なさっているとのことである。

事務長さんに聞いたら、兵庫県から新幹線で参加してきている方も何人かいらっしゃるらしい。わたしにとって有難いことであるのはもちろんだが、学生の方にとってもこのように集まって共通のことを話すことに意味があるのだと思われる。

今回は、いつもよりもきちんと計画的に考えて、全員の方に最低1回以上の発言を、必ず行ってもらった。このことはたいへん重要なことだと思う。他者の発言がもたらす相互作用を利用するのが、面接授業の良いところなのだが、そこに自分の影響をも加えることで、作用の程度がかなり上がってくるのだ。

そこには当然、講師の側からすると、リスクを持ち込むことになる。守備範囲を超える質問を受けなければならない状況も、かなり出てくる。けれども、そこが面白いところであり、むしろ楽しみなのである。講義の最後に、この講義を聞いたから、金融で得をした損をしたなどと決して言わないで欲しい、と1本釘を刺すことも忘れなかった。

きょうは3時過ぎに予定通り終了となった。ところ変わっても、拍手で講師を労う放送大学の伝統は活きていた。学生として聴講してくださった事務長さんが、市内まで送ってくださった。二日にわたって、お付き合いいただき、ありがとうございました。

じつは、岡山シンフォニーホール地下のギャラリーで、1昨日観た「柚木沙弥郎展」の協賛として、型絵染の展示即売会が行われていた。残念ながら、主要作品は展示されてなかったが、ここには芸術と経済の問題が顕著に現れていて、たいへん興味深かった。観ながら、美術品の価値はどのように決まるのだろうか、というたいへん魅力的な問題のヒントをもらったような気がした。

Sn3b00271 新幹線の時間が迫ってきたので、駅へ向かって歩く。けれど距離が意外に近いことがわかったので、途中の本町で見つけた自家焙煎の店「エスプリ」で、カスタードたっぷりのシュークリームを頼み、ブラジル(カルモ農園産)1杯を今日最後のコーヒーとする。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。