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2008/05/12

なぜ痛みがわかるのか

きょうは歯医者の予約を入れていて、長年かかりつけのY歯科へ伺った。

以前、義歯の噛み合わせの技術が抜群である、と紹介したところだ。そのときには、なぜ噛み合わせがぴったりするのか、という理由として、赤い紙を使った技術的な観点から説明を試みた。

どうも、診療台の上に座って、横になっていると、発想が貧困と言われようが、シュルレアリスムの「手術台の上のこうもり傘とミシン」を思い出してしまう。こうもり傘なのか、ミシンなのかは分からないが、たとえば自分がほんとうにミシンになってしまったかのように思えてくるのだ。

いろいろな妄想が湧いてくるのが楽しい。顔にそれを出してしまうと、病気ではないかと思われてしまうので、すこし瞑想に耽っているような振りをしている。

わたしがもしミシンだとすると、ここに座っているわたしは一体何者なのだろうか、と疑問が出てくるのだ。自分は、ここに来て、患者を装ってそれを演じているわたしなのだが、そうではない、患者ではないわたしが別に居るのだ。

医者のYさんは、待合室が混んできたので、ウィンウィンと歯を削ることに余念がない。だいぶ血が飛び散っているにもかかわらず、Yさんはわたしが痛みを感じていないことを、どうも分かっているらしい。もちろん、麻酔を使っていない状態での話だ。実際に、どばっと血が出ている割には、まったく痛くはないのだ。

なぜYさんは、わたしが痛みを感じないことを分かったのだろうか、ここが不思議なところだ。顔を顰めないからだろうか、いやいや、確信して削っているのがわかる。あらかじめ、知っているような進め方をしていることがわかる。

わたしが痛みを感じないという構造的な何かが存在し、すでにそのようなYさんの判断も存在するのだ。それは何なのか。もしこのようなふたりの共通の了解がないならば、血が飛び散り、なおかつ、Yさんを信頼して任せるという事態は、到底ありえないことなのだ。

わたしも痛みを感じないし、Yさんもわたしが痛みを感じていないことを知っている、という双方の了解をもたらしている状況がここには存在している。

ミシンとこうもり傘は、偶然そこにあるだけなのだが、手術台の上にあるという共通点があるのだ、という比喩だけは提示することができるかもしれない。

きょうは余分な虫歯を削って、歯形を取ってもらった。来週は歯に被せるものが出来上がってくるので、それを装着してもらうことになる。外は冷たい風が北から吹いてきていた。これも台風のせいだろうか。早くも、台風2号が襲来するらしい。明日は大荒れの天気になるのだろうか。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。