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2008/05/13

会議と大学

会議というものの性格をどのように考えるかで、人生がずいぶん違ってくるように思える。会議は議論のためだけにみんなが集まる人間関係だと思う。ところが、ときどき会議は人間関係を深めるものだ、という会談や会合と同一視する考え方があって、これは目的を違えていると思う。

これは会社でも同じだろうと思うが、一般的に会議は仕事や研究の邪魔になるから、会議には出ないようにする、という基本方針があって、その原則は社会全般に存在するように思える。

けれども、社会全般の合意を得ているにもかかわらず、議論すべきことは人間関係が多くなればなるほど多いので、会議は多くなってしまう。だから、会議を半分に減らすことができたら、かなり仕事は進むだろうと誰しも思っている。

大学の先生方はとくに「特権階級」なので、有閑階級であることを示して、会議に出ない工夫をする方々が多い。それはそれで、大学ではひとつの「見識」であって、良き伝統のひとつであると思われる。けれども、近年はそれがいろいろな理由で許されなくなってきていて、大学の先生方も特権階級ではなくなりつつあることを示している。

「会議に出ない」という特権が奪われた以上、出席してなおかつ、議論が目的のかたちをなすためには、最小限度の実質的な貢献をおこなうことが、会議出席の正統性ということになると思われる。ポジティブな考え方が多少入ってくることは仕方ないとしても、それでもなお、人間関係を豊かにするのは、別の機会を設けるべきで、会議は議論の目的をはっきりさせて、最短で議論を収束させることを心がけることだと思われる。会議の議論を自然発生的に行うならば、議論が議論を呼んで、発散してしまうことは眼に見えている。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。