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2008/05/22

雑談の効用

1年のうち何回かは、大学の部屋に缶詰になって、何人かの先生方と一緒に共同作業を行わなければならない日がある。きょうも、午前中から夕方まで、6時間ほどいつもの社会と経済カンファレンス室で、複数の先生方と一緒に閉じこもった。

とはいえ、話好きの先生方が集まるので、つい作業のテーブルを離れて、お茶を飲むソファーへ移動し、Aさんの入れてくださったコーヒーを飲みつつ、雑談に興じることになる。たぶん、効率性をモットーとする方々には、先生という商売は向かないと言われてしまうのも、このような情景を目撃してしまうからなのだろう。

もちろん、このことは非難されるべきことではなく、ヴェブレン言うところの有閑階級の良き伝統は誉められてしかるべきだと思われる。今日のような閉鎖的で、分断された社会のなかでは、むしろ談論は推奨されるべきで、誇ったほうが良いと言えるのかもしれない。

高等遊民であるY先生は、いつもは素敵なブルーの車で通勤しているのだが、久しぶりに満員電車に揺られてきた結果、隣に座った人びとが気になって仕方がなかった、と話題を提供した。知らない人ならば良いが、話はずっと飛んで、F先生は街で学生に話しかけられて、一緒に写真を撮るように頼まれたらしい。また、航空機の搭乗員のかたに、○○先生ですか、と親切にしてもらった先生もいらっしゃるそうだ。

やはり、メディアにかかわる先生方は、このようにメディアの引き起こす近接作用によって、学生ならば良いが、さらに見知らぬ人に話しかけられることが起こってしまう。いつもならば公共の場で、知人とはほとんど接触しないのだが、メディアを通じて触発されてしまう事態があるのだ、など面白い話が続いた。

T先生は、なぜ世界の穀物価格が上昇しているのか、と最新の話題を問いかけてこられた。統制価格の問題、輸入物価の高騰、穀物市場の価格弾力性など、直ちにいくつかの答えが用意された。

などなど、楽しんでいては作業は終わらないことに気づいた先生方から、テーブルのほうへ戻り、最後に終わったのは、予定通りの夕方になってからだった。

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