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2008/05/02

ボブ・ディランの不在性

きょうは、推薦状をたくさん書いた。わたしが一日に推薦できる人の数は、知り合いがそう多いほうではないので、限られてくるはずだが、実際には仕事上の推薦状が多いので、ほとんど「自動化」されたものなのだ。それくらい、現代では推薦して代理人で済ませる風潮が定着している。本人不在の時代なのだ。

「現代は、不在の時代だ」と百年も前にすでに看破したのは、社会経済学者のソースタイン・ヴェブレンだが、米国は彼の予言どおりに、その道をひたすら歩んできた。これまで、論文では書いてきたのだが、日常生活でもやはりそうだったのだ。

なかでも、もっとも優等生だったのは、つまり身をもってこのことを演じ、自ら語り部として、これ以上の言葉は見つからないと思わせるほどに描いてきたのは、ボブ・ディランだ。

だから、わたしはいつも否定的な姿として、彼のアルバムを聞いてきた。たとえば、きょう初めて分かったのだが、有名な「コーヒーもう一杯」という曲がある。その中で、「コーヒーを一杯飲んで、下の谷へ」という文句がある。この「下の谷へ」というのが分からなかったが、ある種のプロテストだったのだ。これは、プロテストソング時代の歌ではないのだが、あきらかに社会に逆らう否定的な面を出しているのだ。

仕事を終えて、映画「I'm not there」をチネチッタで観る。

今回、自ら語ったと思われる「I'm not there」(そこに居ないよ:不在)という映画のタイトルにまでになって、目の前にボブ・ディランの伝記が示されて、しかも、彼自身がまったく姿を見せないということ、さらには、実質が抜かれて、名前まで変えられた伝記映画ができた。不在について、皆そう思っていたんだな、と確かめることができ、胸がすっとした想いだ。よくぞ、作ってくれた。

「歌は作られると、ひとり歩きをはじめる」という言葉から、この映画が始まる。ひとり歩きの途中で、さまざまな姿を放埓に分化させていく。彼の「分身」が万華鏡のごとくの、まったく異なる分岐した個性を発揮しはじめるのだ。その分身は、交錯しあうことはあるにしても、統合を探ろうという動きをまったく見せないのが、ボブ・ディランの特徴なのだ。

むしろ、統一に失敗し、さらに分岐を重ね、分身に分身を重ねて、自分というものから逃げ惑ったのが、ボブ・ディランなのだ。そのひとつの姿を演じたケイト・ブランシェットの演技は、アカデミー賞の候補になっただけあって、秀逸だ。

ぼうっとした顔をして、廊下を歩くシーンで、頬をこけさせ顎を張らせた顔を強調した演技は、ディラン本人を超えていると思う。ここで、分身を超越してさらに分化させて、この映画の意図を広げている。映画「コーヒー&シガレッツ」のときのひとり二役の演技に匹敵するだろう。

不在の時代は、ベトナム戦争が終わって反対できなくなるとやってくる。商業主義を批判して、それが終わるとやってくる。フォークが終わり、ロックの時代にやってくる。結婚が終わり、幸せな時代にやってくるのだ。支持者の集会を次々に破壊していくのは、信頼の不在を強調したいからだろう。彼自身が言うように、彼の姿は、アメリカの姿そのものだと思う。

映画を観て、不思議な感覚がよみがえってきた。つまり、ディランは否定という表現でしか、自分の存在、あるいは不在を表現できなかったのではないか、ということだ。否定という表現は、否定すべきものがあるとき、初めて成り立つ。だから、最後はいつも、「風だけが知っている」ということでしかないのだ。

最後になって、「Like a Rolling Stone」が流れてきて、それまでの数十の曲のほとんどすべての曲を聞いた覚えがあることに気づきびっくりした。同時代を生きてきたのだ。ということは、この不在ということを実在化して生きている問題は、当然わたし自身の問題でもあるということだ。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。