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2008年5月に作成された投稿

2008/05/31

喫茶店のネットワーク

岡山学習センターでは、「金融社会」について講義をすることになっていた。去年から放送授業の「消費者と証券投資」を担当しているというので、呼んでくださったのだ。

これまでにも、消費社会のなかでの金融現象や、放送授業「変動する社会と暮らし」のなかでも、日本社会の金融化やリスク現象について担当してきており、今回の講義で、これまで考察できなかったことも含めて発展させたいと考えていたところであったので、すぐに要請に応じた。

この辺を一気にまとめるには、まだまだ力不足で認識の足りないところは多いが、一度全体をしゃべらせていただければ、今後の勉強にもプラスになるし、また学生の方にとっても、議論の種となってよいだろうと考えたのだ。

面接授業の良い点は、もちろんこのように議論できるところであるが、それで学生の方の関心を惹き起こす同時に、講師の側の足りないところもあらわになるという利点もある。これを欠点ととらえるのか、それとも利点ととらえるのかで、クラスの開放度を測ることができるかもしれない。

講義のなかでこちらからの質問に答えていただくために、二度ほど学生に用紙を配って、自分の金融事情について書いていただいた。それを観ながら、質問をして当てていくと、放送大学の学生の方には、さまざまな金融的事情があり、資金運用を行っていることがわかるのだ。

ある方は、定年を迎えて退職金の運用をもうすこし利益の上がるものに変えようと考えているということだ。またある方は、株式から投資信託へ移して、すこし損失を出したらしい。証券会社の方々との応対の話もでたし、さらに、自分で30年前から利子確定の債券中心の運用を行っていて、変えたことがないとおっしゃる堅実な方もいらっしゃった。放送大学の特色が良く出た授業となった。つまり、経験を事例として取り込んで議論できるというクラスとなった。

このようにして、今回も質問の多いクラスとなった。きょうは、10時に始まって18時までだったが、最後には、Wさんがいらっしゃって、以前にわたしが書いた分厚い印刷教材を取り出され、サインを求められた。たいへんな光栄である。夥しい付箋が付けられており、こんなに読み込んでいただける仕合せな教科書はほかにあるだろうか、と感じた。

まだ、陽が高かったので、駅まで散歩がてら歩き、高島屋裏にある珈琲専門店「折り鶴」にて、モカを薄く淹れてもらった。コーヒーの覚醒作用が放心状態の身体全体に染渡った。

帰りに、店主が話しかけてきた。ちょっと濃かったのではないですか、という。深煎りの味でしたね、と答えると、地図を取り出してきて、じつは岡山市内のここに、浅煎りで軽さを追求している喫茶店があるんですよ、ぜひ行ってくださいという。地図には、丸く青いシールが貼ってある。柳川駅の近くだそうだ。

これには、驚いた。わたしの以前書いたコーヒー論では、ネットワーク消費が日本人のコーヒー消費を増加させた、という仮説で論じていて、過去のコーヒーチェーンの話を取り上げている。けれども、今日出会った現実は、それを超えている。つまり、チェーンではなく、独立した専門店が互いにネットワークを組んで、客を回しているのだ。これはたいへん素晴らしい試みだと思われる。競争より協力ということを、岡山ではいつ誰が気付いたのだろうか。

思い返してみれば、昨日のカフェ・カーネスにも、他の喫茶店の宣伝チラシが置いてあったことを思い出した。

2008/05/30

型絵染めの魅力

新横浜から新幹線に乗り、本を読んでちょっと目をやると、もう浜名湖の上を列車がすべっている。レジャーボートのような臨場感はないが、ガラス窓の外は湖であることは間違いない。船が水しぶきを上げて、こちらへ向かってきた。

次に外を見ると、すでに名古屋の駅に入るところで、名鉄の明治村の宣伝が目に付く。最後に目を遠くに泳がせると、姫路城が見えた。ビルの陰にはなってはいるものの、丘の上にちょっと立った白っぽい壁が綺麗だった。

岡山の面接授業は、明日の朝、1次限目から始まるために、今日のうちから岡山に泊り込まなければならないということになった。とはいえ、折角岡山に来たからには、前回時間をあまりとれなかった岡山県立図書館をじっくりと見ておきたい、という心積もりもあって、早めに岡山入りしたのである。

ところが、当初の予定を狂わせる事態が生じた。家で県立美術館を検索していると、「柚木沙弥郎展」を行っているということがわかり、急遽こちらも回ることにしたのだ。

お昼は、県庁通りにある以前も行ったパスタ屋さんでランチを食べる。薄いトマトスープと、ドレッシングの美味しいサラダがついて、メインは「ツナとセロリのパスタ」だった。ツナとセロリの味がこんなに相性が良いものとは思わなかった。最後に、エスプレッソがついた。

Sn3b00164 すこし石山みち沿いに戻り、旭川端に出て、散歩がてら県立美術館に入る。柚木の作品には、(玄関を入って最初の展示物を見るころから、何となく予感があったのだけれども、)これまで何度となく出会ってきていたらしいのだ。目に馴染む形であり、色であった。型絵染めの手法は芹沢銈介から出発したらしく、沖縄模様の型絵が素晴らしい。細かな緻密さが初期の作品では目立った。

独創的な作品を生み出し始めるころから、型絵染めには次第に大きな作品が目立つようになったのではないかと思われる。とは言ってみたものの、じゃ板絵作品や絵本作品はどうなのだ、といわれると、小さな作品も良いなあ、ということになる。

けれども、本筋のところでは、型絵染めの本質である、シンプルな形で、かつ大胆な表現を使うところだけ残していて、それに加えて、自分のなかの良い部分を発展させる才能に恵まれた作家であったことが理解できる。進化という言葉があるならば、このようなことを言うのだという典型例である。伝統を残しつつ、自分にあったところを伸ばしている。

2008okayama 民芸的な伝統を受け継ぎながらも、決してパターン化せずに、大胆さと緻密さをバランスよく使い分けているように感じた。たとえば、ポスターに使われているのは、「萌」という作品なのだが、色使いはほかの赤の色調の大布作品に比べると地味である。けれども、複雑な重層性や交わることのない対照性などを組み合わせて、見ていて飽きることがないのだ。

民芸運動のパターン化された形態というものがあったと思われる。それは、民衆のなかで選ばれて時間効果を通じて生き残ってきたものこそ、「美しい」というかなり保守的な思想で、それはそれなりに出来上がった思想であったと思われる。

けれども、パターン化することで、当初の試みの息吹が失われそうになることもあったのではないだろうかと想像する。柚木の作品をみていると、このパターン化を何とか突破しようとするささやかな挑戦を感じてしまう。

このことについては私見ではあるが、わかりやすい作品として、「ならぶ人」がある。さっと見た限りでは、パターン化されたいくつかの人物類型が、型絵染めされているように見えてしまう。それぞれ家族的な類似を示していて、みな親戚のように見えるほど、それぞれの人物が似通っているのだ。ところが、実際にひとりひとり観察すると、全員が全部異なっているのだ。これは、きわめて現代的な試みであり、稀有なデザインだと思われる。

http://www.samiro.net/works/nuno/image/narabuhito.jpg

正確に観察すればわかるように、14人ずつの型絵がパターンを重ねつつ、その上に重ねる濃い茶色の髪、帽子、シャツの型絵を微妙にずらせることで、このパターン化を破っているのだ。この「ずれ」に意味があるのだと思う。同様のパターン化とパターン破りの趣向は、「型染紬地団縞壁掛布」にも認めることができると思う。

http://www.samiro.net/works/nuno/image/danjima.jpg

実物は写真よりもっと量感がありずっと良い。さらに今回の展示には工夫がされていて、天井から大きくつるされたこれらの大布にさりげなく風を通している。そのため、ゆらりと空気を感ずると同時に、布という軽やかな重さが観覧者に伝わるのだ。たいへん贅沢な見せ方だと思った。

柚木沙弥郎の年譜を見ていたら、かのバンカラがまだ華やかなりしころの松本高等学校を出ている。そして、のちには、わたしも子どものころ母に連れられてよく行った松本の「ちきりや工芸店」で個展も開いていることがわかった。もしかしたら、それで親しみを感じたのかもしれない。すでに、無意識の時代に作品を拝見していたのかもしれない。

Sn3b00183 県立美術館の向かいにある「コーヒー亭」には、酸味の利いたブルマンブレンドがあって、美術館のなかを歩いた後の美味しいひと時を過ごすことができた。

さらに、県庁正面に戻って県立図書館でも、貴重な数時間を過ごすことができた。考えていた資料は必ずしもすべて見つかったわけではないが、相変わらず、明るくて利用しやすい図書館設計に感心したしだいである。

図書館で資料を読んで頭のなかが、一杯になったら、やはりこの張りを覚まさなければならないだろう。ということで、開店から35年が経つという岡山喫茶店の老舗「カフェ・カーネス」(トルコ語でコーヒーの家という意味だそうだ)へ行き、今度はすこし濃い目のブレンドを飲むことになる。これがきょうの最後のコーSn3b00232 ヒーとなった。写真では、窓の外が見えないのだが、旭川にかかる「京橋」に臨んでいて、その上を路面電車が通っていくのが見え、喫茶店として申し分ない場所にある。コーヒーの味も、濃い目があまり好きでないわたしにも美味しいと思わせるものであった。

宵が迫ってきたので、岡山学習センターのS先生とI事務長に落ち会うために、待ち合わせ場所に向かう。岡山出張の出だしは好調だった。

2008/05/25

サポータークラブ

先日紹介した神奈川学習センターのサポーター制は、現在登録者が30名ほどになっており、さらに増えつつある。サポーターは、熱意だけが拠りどころなのだが、そうはいっても、忙しい毎日のなかで時間を見つけるのだから、並大抵のことではない。みなさん交代で連携を持っていて、傍から見ていても羨ましいほどのチームワーク振りを発揮しているからこそ続いているのだと思われる。

4月の「入学者の集い」を皮切りにして、サポーターによる「学習相談」も、毎土曜日と毎日曜日に行われてきていて、すでに十数人の方々が相談に訪れた。

きょうも、Yさん、Kさんたちが当番でいらっしゃっていて、休憩時間に様子をお聞きした。先日伺ったときには、ちょうど認定心理士の資格を取るために、統計の勉強を行っている方が相談に見えていた。

文科系が得意らしく、数学は苦手らしい。統計は難しいのではとおっしゃっていたので、基礎科目の「身近な統計」などの日常的な視点からの統計の授業もあることをお伝えしたが、それ以外にもう1科目取らなければならないそうだ。

ちょうど大学の先生を定年なさったIさんが、ボランティアで相談に当たってくださっていた。このような学習相談を行うことで、良い意味での相互性、社交性が楽しめるとおっしゃっていた。

現在、神奈川学習センターの談話室で行われているので、学生の方々、とくに新入生の方には、ぜひ一度覗いてみていただきたい。

http://u-air.net/kc/

このたび、めでたく、サポーター専用のホームページも作成された。こちらの方も、興味のある方には来ていただければありがたい。

2008/05/24

老後の持続性

老後の生活が近づくにつれて、現在行っている活動がどれほど続けられるのだろうか、という問題が迫ってくる。

きょうは、3月に放送大学を定年でお辞めになった、Ha先生を囲んでの食事会が麻布十番の中華料理店で催された。Ho先生が幹事となって、放送大学初期のころに一緒に仕事をした、Y先生とK先生をお呼びして、さらに古株のAo先生やAz先生、そして若いO先生も加わってたいへん楽しい会となった。

Ha先生が神奈川学習センター所長のころには、センター会議だと称しては、横浜のあちこちへ出かけて食事会が行われていたのだが、その時代が再来した気分だった。たとえば当時、三渓園ではちょうど紫陽花が満開のころで、隣にあった古い民家を改造した趣のある和食の店で、雨を見ながらゆったりと食事をとった。また、ニューグランド・ホテルのフランス料理も、港の眺望を楽しみながらで美味しかった。

きょうもまた、開学当時の話が多く出て、自然に歴史を追うことになり、いろいろな方の名前が出て、さらに意外な結びつきがあるので、たいへん興味深かった。たとえば、幹事を積極的に行ってくださったHo先生が岩手出身ということは有名なのだが、(そして、母校の校歌が軍艦マーチであることも面白かったが、)K先生やY先生のご家族にも岩手関連人脈があるのだそうだ。Ha先生も先日岩手学習センターを訪れたらしい。またわたしも、夏には岩手で面接授業があるので、ちょっとだけ関係の端に連なることになる。

Ha先生の言葉「これまで望んできた願いに従って自分を律していく」がさまざまに解釈されていくのは、楽しかった。先日のお別れ会での言葉のとおり、専門の仕事をこれまでどおりに淡々の行っていく、と受け取った方もいたし、論語のなかの言葉に仮託して解釈される方もいたし、さらに理性的な言葉として受けとめた方もいた。

いずれにしても、これらの言葉は、わたしの場合に全部帰ってくることは間違いないだろう。おそらく、あと数年後には、これらのことを覚悟しなければならないだろう。

折角、麻布十番に来たのだからというので、近くの商店街で見つけた現代風の喫茶店「Mystyle&Cafe」に入って、コーヒーとワッフルをとった。Ho先生は住居が専門なのだが、雑談のなかで、興味深いことを教えてくださった。まだ、わたしは完全な意味を理解していないのだが、お話では、自分の住居の見取り図を書きなさい、と子どもに言うと、日本の子どもはすぐに書くことができるのだが、他国の子どもは書くことができないそうだ。ちょっと意味深な結果だと思う。

店を出るころには、雨がだいぶ降ってきていた。南北線に乗って目黒にでる。かねてより観る機会を狙っていた、庭園美術館の「オールドノリタケと懐かしの洋食器」展を観る。今回も大正期を中心とした文化なのだが、輸出品であったというところが、またしても、大正期の特徴を顕わにしていると思われる。

近代化が盛んになっていたにもかかわらず、表に現れた目立つところでの近代化だったのだ。ほとんどが輸出品であるところに現れている。それで、今回の守屋コレクションの輸出食器のなかには、コーヒーセットが多く含まれていて、デザインと技術ともに、当時の欧米に負けないものを作っていたことが良く分かった。中でも、大倉陶園と名古屋製陶所のものの何点かが、とくに素晴らしかった。

閉館時間間近なのに、大勢の観客がいて、皆熱心に見入っていた。じっくりと作品の前で身動きせずに、時間を忘れるほどに没頭するのは、精神的にもたいへん良い。久しぶりにゆったりした時間を過ごす1日となった。

http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/noritake/images/image-4.jpg
http://www.teien-art-museum.ne.jp/press/pdf/oldnoritakepress_02.pdf

2008/05/22

雑談の効用

1年のうち何回かは、大学の部屋に缶詰になって、何人かの先生方と一緒に共同作業を行わなければならない日がある。きょうも、午前中から夕方まで、6時間ほどいつもの社会と経済カンファレンス室で、複数の先生方と一緒に閉じこもった。

とはいえ、話好きの先生方が集まるので、つい作業のテーブルを離れて、お茶を飲むソファーへ移動し、Aさんの入れてくださったコーヒーを飲みつつ、雑談に興じることになる。たぶん、効率性をモットーとする方々には、先生という商売は向かないと言われてしまうのも、このような情景を目撃してしまうからなのだろう。

もちろん、このことは非難されるべきことではなく、ヴェブレン言うところの有閑階級の良き伝統は誉められてしかるべきだと思われる。今日のような閉鎖的で、分断された社会のなかでは、むしろ談論は推奨されるべきで、誇ったほうが良いと言えるのかもしれない。

高等遊民であるY先生は、いつもは素敵なブルーの車で通勤しているのだが、久しぶりに満員電車に揺られてきた結果、隣に座った人びとが気になって仕方がなかった、と話題を提供した。知らない人ならば良いが、話はずっと飛んで、F先生は街で学生に話しかけられて、一緒に写真を撮るように頼まれたらしい。また、航空機の搭乗員のかたに、○○先生ですか、と親切にしてもらった先生もいらっしゃるそうだ。

やはり、メディアにかかわる先生方は、このようにメディアの引き起こす近接作用によって、学生ならば良いが、さらに見知らぬ人に話しかけられることが起こってしまう。いつもならば公共の場で、知人とはほとんど接触しないのだが、メディアを通じて触発されてしまう事態があるのだ、など面白い話が続いた。

T先生は、なぜ世界の穀物価格が上昇しているのか、と最新の話題を問いかけてこられた。統制価格の問題、輸入物価の高騰、穀物市場の価格弾力性など、直ちにいくつかの答えが用意された。

などなど、楽しんでいては作業は終わらないことに気づいた先生方から、テーブルのほうへ戻り、最後に終わったのは、予定通りの夕方になってからだった。

2008/05/21

アメリカにおける「血」の不在

「イエスの血で清められる」という予言が、こんな最後の結末になるとは誰が予想できようか。夕方、チネチッタへ駆けつけて、映画「There will be blood」を観てきた。この題名にある「Blood(血)」は、結局誰の血だったのだろうか。

「イエスの血」でもあり、主人公の「血気」でもあり、親子をめぐる「血統」でもあり、なおかつ殺人や事故の「流血」でもあるのかもしれない。けれども、「will be」である点が重要なのだと思われる。ほんとうの「血」は、不在なのだ。

アメリカで発生した産業のなかでも、飛びぬけてアメリカ的なのが、石油産業だと思う。金鉱探しと同じで、ひとりで原油を掘り当てれば、一躍億万長者のアメリカン・ドリームを実現できる産業だからだ。主人公のダニエルは、「Oilman(石油屋)」と自称する独立系の採掘業者である。彼のビジネス血気がさまざまな事件を引き起こしていく。

15年ほどまえに、アメリカのペンシルバニア州の山奥にあるタイタスビルという町へ行ったことがある。有名なフロリダのタイタスビルではなく、石油産業発祥の地のタイタスビルである。石油の「ドレーク博物館」をテレビ取材した。ドレークは、会社の依頼で世界で初めて油井方式で掘削した人で、実際に油田を掘り当てるのだけれど、赤貧のうちにNYで亡くなるのだ。

代わって、石油産業で大金持ちになるのは、実際に油田を当てた掘削業者でなく、流通業を牛耳るロックフェラーなのである。汗水たらして働く人は報われず、市場を支配した者が蓄財するアメリカ・ビジネス文化の真髄がここにある。

このタイタスビルで、いかに独立系の掘削業者が、スタンダード・オイル、つまりはロックフェラーを恨んでいるのかを知った。映画のなかでも、掘削作業中に亡くなって行く労働者の描写が微細に渡っている。井戸の中で死んでいく名もなき労働者が描かれ、その積み重ねがアメリカの憎悪の蓄積として残っているのだ。

ドレーク博物館の庭には、スタンダード・オイルによる鉄道規制に対抗した独立系会社のパイプラインの現物が展示されていた。映画で観るような立派なものでなく、家庭用の水道管ほどのものだった。けれども、これが独立の象徴であったのだろう。

この映画の舞台は、すこし時代が下って、カリフォルニアだったが、ダニエルは、スタンダード・オイルの交渉人に対して、異常なまでの憎しみを顕わにする。この映画では、主人公がちょっと変わった性格のように描かれているけれども、現地に行けば理解できるが、当時独立系の石油屋の多くが倒産に追い込まれ、中には自殺に至らしめられた者もいる。いかにスタンダード・オイル会社に対して、極度の恨みと憎しみを持ったのかがわかる。

主人公個人をじっくりと粘り強く、骨太に描いている。日本では、あまり見られないキャラクターだと思われる。

ところが、このように灰汁が強く、強固なアメリカのビジネス文化であっても、じつは底抜けになっているのだ。そこを「第3啓示」派の宗教で埋め合わせようとするが、その宗教も底抜けであったのだ。この考え方に賛成するか否かは別にして、救われがたいアメリカを描いた大作の登場だといえるだろう。

それにしても、先週の「アイム・ノット・ゼア」に続く、アメリカの不在の物語であることは間違いない。先年亡くなったロバート・アルトマン監督に捧げられているのも、描く手法は正反対であっても、アメリカの「不在」を描いている点で共通しているからなのだろう、と思われる。

2008/05/20

五月の嵐

明け方、雨の音で目を覚ました。昨日から雨続きで、K大学へ行くときにも、レインコートで吹き付ける雨を避けなければならないほどだった。

図書館で、来週からの授業で使う資料をたくさん仕入れたので、帰りに雨はいやだな、と思っていたのだが、こちらのほうは帰りに止んだのだ。安心して、寝床に入ったのだが、やはり夜中になって雨に加えて、風も強くなり、壁に吹き付けるようになったのだ。

朝になっても、風雨が収まらないので、息子も大学へ行くのを見合わせている。テレビでも、警戒警報がなかなか治まらず、横浜から東京へ、さらに千葉へ向かっているようにも思えた。

わたしが大学へ行くころには、幸いなことに、雨も風も通り過ぎたあとで、自動車で電線を見回っている東京電力の係員も、また鎌倉街道を走っていく救急車のサイレンも、すこし手持ち無沙汰なようだった。けれども、5月にこのような嵐に遭ったのは、記憶にはない。

この雨で恩恵を受けたものも居る。玄関を出て、向かいのOさん宅に咲いているバラは見事な花びらをつけている。大学への途中の生垣にも、真っ赤なバラと真っ白なバラが咲いていた。雨がつやつやとした葉っぱを演出し、花びらを洗って、水滴を太陽の光に反射させていた。

いつのまにか、街の彩りは、つつじ色からばら色に変わっていたのだ。雨で空も洗われたのだから、明日からは五月晴れを望みたい。

2008/05/18

7年ぶりのクラス会

ぱっと会って、懐かしいという感情が湧くのは、どのようにしてだろうか。そのときに、懐かしさの社会的な部分というのはありえるのだろうか。人と人との結びつきのなかにある、懐かしさとはどのようなものだろうか。

7年ぶりに、高校のクラス会が東京駅近くの会場で開かれた。担任のK先生が古希を迎えたときに、前回のクラス会が開催されたので、今回は喜寿のお祝いにちょうど当たることになる。

K先生とクラス全員との関係は、懐かしさの大きな要素であって、消そうにも消えることがないであろう。世話になった人も、世話になったと思っていない人も、目には見えない影響を受けていて、顔かたちの懐かしさを超越した懐かしさだ。挨拶の言葉を聴いているうちに、40年前の通学していたころの記憶がどうしても蘇ってくるのを止めることはできなかった。

会場に着いた途端に、腰周りが90センチに達したと自称するM氏が近寄ってきて、細くダンディだった昔の会話を蘇らせた。続いて、S氏もすぐに加わってきて、7年間の会話の途絶えがまったくなかったかのような話が始まった。

中学校時代からずっと続いて、高校時代もほぼクラスが一緒だったKさんとFさん(女性は結婚すると姓が変わってしまうので、旧姓で呼ぶことにする)も来ていて、この方々との懐かしさのレベルはかなりの高さである。記憶は確実に衰えても、しゃべる口調、しぐさ、ことによるとその内容まで、変わりないのだ。

ギブソン心理学に「不変項」という考え方があって、このような人たちの付き合いでは、その説を信じたくなる。移動や変化からの情報には、不変なものが構造的に含まれていて、時間を隔てても同一のものだと知覚する性質があるとする。この不変なものは、わたしの記憶のなかに存在するのではなく、不変項をその場で読み取ることで知覚すると考えられるのだ。

二次会では、この三人に、高校時代以来はじめてクラス会に参加してきた、気の置けない性格のA氏が加わってきて、他のクラスの噂にしばし終始した。この歳になってくると、やはり亡くなる方々も出てきて、At氏やYkさんのことも聞かされた。この話題はこれからも続くことだろう。いずれ自分もその中に入ることは確実である。

また、三人に共通する中学時代についての話題も、何度話しても、楽しく懐かしい。修学旅行では十和田湖へ出かけたのだが、この中学校には変な伝統があって、最後の日には、カップルでボートに乗るという風習があった。誰と誰がカップルとなって(カップルになるには、いくつかの儀式があるのだが)乗ったのか、というのは、未だに話題になる。

かと思えば、「美人」で有名だった方がいて、なぜかこの方の血液型が特殊であったということを、みんなが知っているのだ。なぜみんなが知っているのかということで、顔を見合わせ、話題が盛り上がったりした。美人薄命伝説の現代版なのかもしれない。

なぜ40年も時間が経過しているのに、その隔たりを感じさせずに、みんな昔のままで話が持続するのか、たいへん不思議な現象である。不変項が存在するとしなければ、到底説明できないだろう。

でも、不変項がぶれてしまったら、どのようなことが起こるのだろうか。じつは同じテーブルの向かい側に座った女性が、どうしても思い出せないのだ。つまり、記憶だけでは到底全員の同定はできないことがある。隣の人に聞いてもわからないし、近くに寄ってきた人に聞いていも、みんなその女性が誰なのか分からないのだ。名簿を見ながら消去法でやってみても、誰も該当しない。不変項をピックアップしようとしても、その人に関してだけ、誰もピックアップできない、ということが生じてしまった。

さすがに、女性に聞くと、すぐに教えてくれて、名前だけはわかったのだが、顔かたちから、話し方にいたるまで、昔のものと同一のものがほとんどないのだ。つまり、不変項が失われてしまっているとしか、説明ができない。Iさん、ほんとうに失礼しました。というようなこともあって、人間生きているといろいろのことが起こるのだ。

今回の幹事のH氏とMさんに、感謝申し上げたい。他のテーブルの方々と話ができなかったのはちょっと残念だったが、挨拶がそのままエッセイになりそうなHさんの言葉や、帰りの電車が一緒だったバイオリン奏者のAさんの雰囲気は確実に「不変項」を強化した。

それから、K先生は昔から義理堅い方だったが、今回もクラス全員に美味しいケーキ菓子をプレゼントしてくださった。わたしたちは、昔から世話をかけることでは、止まることを知らないことも思い出した。今回のクラス会に出席したことで、わたしの周りにある懐かしさについての不変項の彫が、また一段と、深くなった気がする。

なお、他のテーブルだったために話のできなかったNさんが、
クラス会のことをブログに載せていたので、感謝してリンクを
貼らせていただいた。
http://oceansheep.cocolog-nifty.com/mist/2008/05/post_f87d.html

2008/05/15

地震のニュース

今週起こった中国四川省の地震ニュースを知ったのは、その日のうちでもずいぶん時間が経ってからだった。研究室で仕事をしていて、先生がたが話題にしたのも、聞き逃していて、そのあとようやくメールで知ったのだ。

Y先生が主宰する旅行で、T先生たちがちょうど成都を訪れていて、この地震に遭遇した。航空機が遅れていて、どのように帰ってくるのか心配していた。電子メールだけは通じていたのが、不幸中の幸いであった。

昨日は、教授会のあった日だったので、会議の間を縫って、地震のことが話題になっていた。ニュースが入るたびに、被害が大きくなっていくのが傷ましかった。

夕方から、学習センター出身の先生方との恒例の食事会が、近くのパスタ屋さんOREAJIで行われた。今年は、I先生とM先生が新たに加わった。この店は、いつもランチを食べにくるのだが、夜もワイン飲み放題などのサービスがあって、会食には最適な店だ。

080513_183101 久しぶりに、話が弾んだので、ワインをしこたま飲んでしまった。夜も更けてきて、花見川沿いを歩いていると、川をさかのぼって行く船に気づいた。この辺は海に近いので、泥が多く滞留していて、到底船が通るとは思ってもみなかったのだが、こうして現実に遭遇すると、夜の闇にも紛れて、まるで夢の世界に入ったかのようだった。

わたしが山国育ちであるために、海や川にまつわる物には、余計な想像が加わるらしい。幻想的な景色を眺めて、酔いを醒ましてから帰宅した。

2008/05/14

会議の達人

会議を最小限に止めることができれば、それは現代においては、組織の中でもっとも求められる才能である。このような方が開く会議には、安心して出席することができる。ときには、頭の体操となって、その後の仕事に良い影響を及ぼすかもしれない。

このような会議の達人のひとりにかならず上げることができるのは、放送大学ではK先生とH先生だと思われる。

K先生の方針は、いつもおっしゃっているように簡潔明瞭であって、「会議は短い」ことを第一条件としている。たぶん、傍からみるところ、「1時間原則」を持っているのではないかと思われる。

そのため、この1時間内で、かなり厳しく生産性を挙げることが求められる。第1に、集中力が求められる。絶えず発言して互いにイニシアティブを取り合うくらいの議論を行わなければならない。これは、人によっては、2時間の会議よりもキツイ仕事かもしれない。

第2に、絶えず発言するために、議論相手からの攻撃を受けやすい。そのため、もし間違っていた場合には、反省を直ちに行える柔軟性を要求される。あるいは、強引に押し切るだけの柔軟性も必要となるかもしれない。

第3に、短い会議を至上目標にするために、議題はコンパクトにする必要がある。現実はすべてがつながっており、簡単には切ることができない。けれども、そこを切り分けて、関連させずに小さく囲い込むことが重要になってくる。総合的に考えようとすると、なかなか短い会議は目指せない。この点は、したがって諸刃の剣であるかもしれない。

いずれにしても、短いことを第1条件にするという、はっきりした目標をもつとするならば、(いつも短いことが良いとはいえないが)短さを追求する工夫を絶えず心がけていないと、会議というものは長くなるという習性をむき出しにして、モンスター化する恐れがあるのだ。

2008/05/13

会議と大学

会議というものの性格をどのように考えるかで、人生がずいぶん違ってくるように思える。会議は議論のためだけにみんなが集まる人間関係だと思う。ところが、ときどき会議は人間関係を深めるものだ、という会談や会合と同一視する考え方があって、これは目的を違えていると思う。

これは会社でも同じだろうと思うが、一般的に会議は仕事や研究の邪魔になるから、会議には出ないようにする、という基本方針があって、その原則は社会全般に存在するように思える。

けれども、社会全般の合意を得ているにもかかわらず、議論すべきことは人間関係が多くなればなるほど多いので、会議は多くなってしまう。だから、会議を半分に減らすことができたら、かなり仕事は進むだろうと誰しも思っている。

大学の先生方はとくに「特権階級」なので、有閑階級であることを示して、会議に出ない工夫をする方々が多い。それはそれで、大学ではひとつの「見識」であって、良き伝統のひとつであると思われる。けれども、近年はそれがいろいろな理由で許されなくなってきていて、大学の先生方も特権階級ではなくなりつつあることを示している。

「会議に出ない」という特権が奪われた以上、出席してなおかつ、議論が目的のかたちをなすためには、最小限度の実質的な貢献をおこなうことが、会議出席の正統性ということになると思われる。ポジティブな考え方が多少入ってくることは仕方ないとしても、それでもなお、人間関係を豊かにするのは、別の機会を設けるべきで、会議は議論の目的をはっきりさせて、最短で議論を収束させることを心がけることだと思われる。会議の議論を自然発生的に行うならば、議論が議論を呼んで、発散してしまうことは眼に見えている。

2008/05/12

なぜ痛みがわかるのか

きょうは歯医者の予約を入れていて、長年かかりつけのY歯科へ伺った。

以前、義歯の噛み合わせの技術が抜群である、と紹介したところだ。そのときには、なぜ噛み合わせがぴったりするのか、という理由として、赤い紙を使った技術的な観点から説明を試みた。

どうも、診療台の上に座って、横になっていると、発想が貧困と言われようが、シュルレアリスムの「手術台の上のこうもり傘とミシン」を思い出してしまう。こうもり傘なのか、ミシンなのかは分からないが、たとえば自分がほんとうにミシンになってしまったかのように思えてくるのだ。

いろいろな妄想が湧いてくるのが楽しい。顔にそれを出してしまうと、病気ではないかと思われてしまうので、すこし瞑想に耽っているような振りをしている。

わたしがもしミシンだとすると、ここに座っているわたしは一体何者なのだろうか、と疑問が出てくるのだ。自分は、ここに来て、患者を装ってそれを演じているわたしなのだが、そうではない、患者ではないわたしが別に居るのだ。

医者のYさんは、待合室が混んできたので、ウィンウィンと歯を削ることに余念がない。だいぶ血が飛び散っているにもかかわらず、Yさんはわたしが痛みを感じていないことを、どうも分かっているらしい。もちろん、麻酔を使っていない状態での話だ。実際に、どばっと血が出ている割には、まったく痛くはないのだ。

なぜYさんは、わたしが痛みを感じないことを分かったのだろうか、ここが不思議なところだ。顔を顰めないからだろうか、いやいや、確信して削っているのがわかる。あらかじめ、知っているような進め方をしていることがわかる。

わたしが痛みを感じないという構造的な何かが存在し、すでにそのようなYさんの判断も存在するのだ。それは何なのか。もしこのようなふたりの共通の了解がないならば、血が飛び散り、なおかつ、Yさんを信頼して任せるという事態は、到底ありえないことなのだ。

わたしも痛みを感じないし、Yさんもわたしが痛みを感じていないことを知っている、という双方の了解をもたらしている状況がここには存在している。

ミシンとこうもり傘は、偶然そこにあるだけなのだが、手術台の上にあるという共通点があるのだ、という比喩だけは提示することができるかもしれない。

きょうは余分な虫歯を削って、歯形を取ってもらった。来週は歯に被せるものが出来上がってくるので、それを装着してもらうことになる。外は冷たい風が北から吹いてきていた。これも台風のせいだろうか。早くも、台風2号が襲来するらしい。明日は大荒れの天気になるのだろうか。

2008/05/10

雨の土曜日

午前中に、自分の仕事を行って、午後学習センターで大学の務めを果たし、夕方から自分の余暇を楽しむ、という理想的な生活がいつからできるのか、と考えている。今から助走をしておかないと、気がついたときには、自分の仕事もままならず、労働も中途半端で、遊び心も育たないことになってしまうだろう。

ということで、今日はちょうど土曜日であることだし、予行演習の日とするにちょうどよい。仕事と労働の組み合わせのほうは、常日頃からの訓練どおり行って、多少お昼の時間に1時間程度のずれは生ずるものの、うまくいった。

やはり問題は、仕事全体を終えるタイミングである。ちょうど区切りがつけばよいのだが、一人で行っている仕事ならば調整は楽だが、やはり仕事は複数の人との関係があるから、切り上げるのが難しい。たぶん、他のひとから見れば、わたしたちの仕事はそうは見えないだろうと思われるが、実際は「環境」が仕事を決めているのだ。論文を読むときにも、ひとりで仕事をしているのは事実だが、なかなか途中でやめるわけにはいかない。

仕事のあとの土曜の夜に、そして、このようにしとしとと冷たい雨が降る夜には、たぶん人によっても異なると思われるが、わたしの場合には当然映画に時間を使うことになる。チネチッタで、今日封切りの映画「最高の、人生の見つけ方(The Bucket List)」を観る。J・ニコルソンとM.フリーマン主演なので、ほとんど外れということはないだろう。

バケット・リストとは、棺おけに入る前に、済ませておきたいことをリストアップする風習のことだそうだ。フリーマン扮するカーターが、ひとりで書き出したものを、隣のベットに入ってきたニコルソン演じるエドワードが拾い上げて、ふたりの余命の目標にしてしまうところから、ドラマが動き出すことになる。

もちろん、リストの中身は世界中を回って見せるような、まったく荒唐無稽なことで、それを追うのは、ドラマの目的のように見せてはいるのだが、実際そうではなく、仕合せの「青い鳥」はもっと身近に居るのだ、という古典的な筋なのだ。このような筋立ては、安心してみていることができ、なおかつ、何回繰り返されても飽きることはないだろう。

問題は、またしても、三つの世界が登場することにある。カーターとエドワードのガンを患っているという「現実」、最高の人生という「想像」、そして、それらを言葉にした棺おけリストという「象徴」である。ドラマが、このリストをめぐって、展開されることからみても、このリストがすべてを支配していることは確かだ。

このリストに載っていること、あるいは載せるか載せないかを、話し合い、喧嘩し合うことを通じて、ふたりの関係が深められていくことが、このシナリオの秀逸なところだと思われる。

その昔、研究所でアルバイトをしていて、労使紛争に出会ったことがある。このとき、最初に行った事が意思統一であり、そのためにまず、スローガンが作られたという覚えがある。

この映画では、リストというものが人間関係を展開させていて、標語というものの威力を見せ付けている点でたいへん興味深い。企業内の仕事で使われる標語とどこが異なるのかが、ここでは重要な点だ。

主人公ふたりが、エジプトのピラミッドの頂上で会話する場面がある。スフィンクスが人間に質問していたそうである。一つは人生で、自分を喜ばせたことはあるか、もう一つは他者を喜ばせたことはあるか、というものだった。そこで、エドワードは重要な話をすることなる。それは、観てのお楽しみにとっておくことにしよう。

企業内の標語との違いは、やはり他者の反応を中心にすえられるかどうか、ということにあるのではないかと思われる。けれども、口でいうほど易しいものではないことは、すべての人のわかっていることであり、だからこそ映画の種になるのだ。

2008/05/07

TOKIA 東京ビル

080104_133102東京駅丸の内北口から横断歩道を渡って、中央郵便局の角を曲がると、「東京ビル」がある。あるいは逆に、帰りには京葉線の東京駅を出て、三枚目の写真に見える東京国際フォーラムとは逆方向に、丸の内側を線路沿いに歩くと、歩道をたっぷりととって、テラス風に椅子が張り出しているビルがそれだ。

Sn3b00031週に1、2回は、幕張の放送大学本部へ行くので、京浜東北線から乗り換えて、京葉線に入る。この連絡通路は、ほぼ一駅分ほど歩くことで有名な乗換え通路なのだ。ディズニーランドへの観光に行った人ならば分かるかもしれない。

地下の乗り換え連絡通路を行っても良いのだが、あまりに長い道のりなのだ。途中の壁面がときどき展覧会場になっていて、楽しいときもある。たとえば、これまで電車内広告特集のポスター展があったり、国際児童絵日記展が催されたりしていて、その期間だけは飽きることがなかった。

児童の描いた絵日記は、とくに素晴らしかった。独特の画法がそれぞれの国ごとに発達していて、細密画も顔負けの細かい描き方が珍しかった。けれども、このような展覧会は珍しく、通常はレンガの延々と続くだけの通路に過ぎないのだ。この長さには、飽きる。

Sn3b00021そこで、天気の良い日には、地下から出て表通りを歩くようになった。とくに、このTOKIA東京ビルは、なんとなく人をひきつける。超一流企業が入っているばかりでなく、Jazzの高級店から、庶民的なお好み焼きまで、あるいは立ち飲みや、ベルギービールの店など、東京駅の近くで、丸ビルや新丸ビル、さらに丸善のビルなどと並んで、食べ物のビルとしても魅力がある。

きょうも、幕張で三つも会議があった。四つ目や五つ目に、さらに出席している先生方にはご苦労様ですと思いながら、退散してきた。東京駅から、またすこし電車に乗らなければならないので、小休止にこのビルの地下にある「プラネット」というカジュアルなカフェテラスで、今日最後のコーヒーをいただく。流行の苦味のコーヒーだった。

このビルがこんなに新しくなる前は、灰色の壁が続くような、きわめて味気ないビルだったような気がする。山手線から眺めることができたビルだったので、大学生の当時、東京駅を通るたびに眼がそちらへ向かった。

080506_180401 ニュース映像で一度は皆が見ていると思われるが、水俣病の原因となった会社がこのビルに入っていたのだ。被害者が当時詰めていた。わたしも、もし中央郵便局の古いビル(四枚目の写真)がなかったならば、おそらくこのビルの事件を思い出すことがなかったにちがいない。この中央郵便局のビルを曲がった途端に、急に目の前に、古い東京ビルが立ち現れたのだ。

通学路や通勤路の面白さは、自分の環境すべてが、時間を隔てていても、同時に現れるところにある。長距離通勤の途中では、大概は人混みや疲れなどのマイナス面が強調されて現れてしまうのだが、もし長距離通勤のプラス面があるとしたら、このような時間効果の現れるところだと思う。

2008/05/06

ポロックのポアリング

絵を描くときに、絵筆を使っているとその描いているところだけに注意が集中してしまう。すると部分的な絵になってしまう。絵筆をキャンバスに触れないで絵を描くことは可能だろうか。キャンバスから離れて、絵の全体と部分との両方を見ながら、書くことはできるだろうか。

連休中には、暇ができるだろうと、妻からビデオを4本借りていた。結局観たのは、そのうちの1本だけだった。俳優エド・ハリスがいいよ、という妻の推薦で観始めたのが、彼が監督も行っている映画「ポロック」2001年(日本では2003年に公開)だった。

これまで、ポロックの絵はあまり注意してみたことがなかったのだが、2年ほど前に倉敷の大原美術館で、一枚のポロックを観てから、面白くなった。

何が面白かといえば、「全体」ということが意識されるからだ、と思っている。抽象画だから、当然対象物それ自体はそもそもあまり関係ない。また、カンディンスキーの抽象画のように、内的必然を持っているわけでもない。

ポロックの絵を観れば、直ちにわかるように、その描き方が独特なのだ。今回知ったのだが、彼の描き方は、ポアリング(pouring)、あるいはドロッピング(dropping)というらしい。といっても、描いているというのか、絵の具をたらしているというのか、そのままを言っているのであって、それはいわゆる技法という大げさなものではない。

と、じつは最初は思っていた。けれども、映画を観ていて、このポアリングを最初に行う場面を見て、ちょっと違うのではないか、と思い始めたのだ。映画の場面では、絵筆で絵を描いていて、絵の具が床に流れ落ちる。それが模様になっていった、ということになっている。(伝記ではどうなっているのか、そのうち確かめたいと思っているのだが、)この映画では、ニュートンの林檎と同じ、偶然説を採用しているということだろう。

もちろん、床に落ちた絵の具から、発想を得たというのは、いかにもありそうで、ポアリングそのものだ。床に絵の具が注がれたのだ。しかし、単なる落ちた絵の具から絵画になるまでには、まだまだ相当な距離がありすぎる。この話はちょっと、眉唾ではないだろうか。

これは単なる想像であり、単なるひとつの解釈にすぎないのだけれど、やはり絵筆で書いていたときとの連続性を考えると、だんだん絵が大きくなってきていて、その大きさを克服する必要性があったと、わたしには思われる。そのときに、全体を観ながら、描く方法が必要になったのだと考えている。

つまり、絵筆を使っていたのでは、キャンバス面から離れることはできない。そこには、ひとつの工夫が必要だ。キャンバス面から離れることなく描き、なおかつ、キャンバス面から離れて観ることが同時に成立する画法が必要なのだ。それが、ポアリングなのだ。キャンバスから離れたところから、絵を描くことができる画法なのだ。

なぜ大原美術館でポロックが好きになったかというと、ポアリングで一筆書きのように描かれる線の連鎖が、あたかも見えない「ネットワーク」を象徴しているかのように見えたからである。必ずしも、1本の線がネットワークの人と人の結びつきを表現しているというわけではないが、そこには重層的な全体が描かれているのだ。

http://www.nga.gov/feature/pollock/lm1024.jpg

このようなネットワークの全体というものは、離れたところからしか見えないようなものだったのではないか、と、まだちょっと言葉は足りないかもしれないが、ほぼ自分では納得してしまったのだ。画法は、環境の要請にしたがって、決定されるのだということである。

2008/05/03

ドン・キホーテの没落

080503_135802 本格的な休日となったので、暇だという娘を誘って、横須賀美術館へ出かける。昨年の経験から連休中には混むことが予想されていたので、小雨が降って、海からの風が強いという今日の天気は、むしろ美術館日和であって最適なのだ。

電車が金沢文庫、横須賀中央、堀の内と進むごとに、乗客は半減していく。最後のバスの乗客は、わたしたちともうひとつのグループだけになっていた。美術館前の道路には、警備員が配置され、1周年記念を迎えて、観客動員数が40万人に到達する勢いが感じられたが、今日ばかりは肩透かしだ。

企画展の「中村岳陵」展は、小さなころ12歳から、70歳を越えるまで、天才的な線を描き続けた軌跡を、素人のわたしたちまでにも伝わるように見せてくれている。うわさにたがわず、腕の確かさは、途中の紆余曲折を乗り越えて、最後まで衰えていなかった。

初期のものでは、震災前の横浜居留地を描いたものがあった。また、ブルーを背景にした水神像は全体の色調が綺麗だった。眉間に険のある顔は、娘に言わせると妻に似ていると言う。それを聞いて思ったのは、早くから家をでた岳陵にとっての、母親像だったのかもしれないということだった。

とくに素晴らしかったのは、「潜鱗」と題された、池深く泳ぐ鯉を描写したものだ。透明感のある深さの見えない水の背景のなかにあって、鯉の存在だけが深さごとに書き分けられていて、全体としては淡い感じで、抜けるような絵であるにもかかわらず、受けとめる観客にとっては、自然の美しさを再認識させるような、迫ってくる絵になっている。

当時、「写生論」に凝っていたらしい。凝ってこれだけのものを残すことができるのであれば、凝るだけの価値があったといえる。

080503_130901 ここで、すでにお昼になってしまう。大道芸人が来ていて、風船細工やこま回しなどの余興をみせていた。こちらは、かなり混んできたレストランで、この地で水揚げされたスズキの焼いたものなどの入ったプレートを頼み、やわらかいパンを取って食べる。娘は、イチジクのケーキを食べていた。

じつはきょうのお目当ては、常設展のほうにあった。この地元の画家朝井閑右衛門の16枚の「ドン・キホーテ」である。1954年に始まって、1970年代に至るまで続けられた、息の長い「連作」だ。

最初に、「ドン・キホーテの没落」が描かれることからスタートされている。サンチョ・パンサが跪いているまえで、ドン・キホーテが亡くなって、夜空へ昇華する場面を描いている。「没落」というのは、キホーテが亡くなって、正気に戻ることだと思われる。

この連作に共通するのは、ドン・キホーテとサンチョ・パンサの関係を描いている点である。ある時には、胸をはって頭を高く掲げたロシナンテに乗ったキホーテが、先頭に立ち、いざ出陣で、頭を低くたれたロバに乗ったサンチョ・パンサがそれにしたがっている。ある時には、反省したサンチョ・パンサがいきり立つキホーテのまえに出て、牽制しつつ歩を進める場面を描いている。

不思議なのは、最初あまり前面に表れなかった、件の「風車小屋」が次第に存在感を増し、前面というか、重要な構成要素として現れてくる点である。ドン・キホーテの物語で、以前から面白いと思っていたのは、空想が創り出したものであるはずのドン・キホーテの創造物が、サンチョ・パンサの抑制にもかかわらず、次第に現実感を獲得してくる点である。「風車小屋」は、「怪物」として現れ、ドン・キホーテが生み出した創造物のなかでも象徴的なものなのだ。

080503_134001_2 さて、ドン・キホーテの頭のなかは、あまりに想像的過ぎて、すこしおかしくなっている。それに対して、サンチョ・パンサの頭のなかは、あまりに現実的過ぎて、かなりおかしくなっている。「風車小屋」を「怪物」と捉えることで、ここで現実と想像が融合し何かが変わるのだ。

つまり、朝井閑右衛門は、十数年間にわたって、このテーマを描き続ける中で、最後にこの「風車小屋」の重要性、正確に言うならば、「風車小屋」という現実を何かに擬えることの重要性に到達したのだと思われる。

帰りは、バスでそのまま横須賀中央へ出て、駅のそばの古い喫茶店「茶豆湯(ちゃずゆ)」へ入る。きょう最後のコーヒーは、久しぶりのジャマイカのストレート。

080503_155101店内の雰囲気はとても素敵で、女主人のサービスが店全体を活き活きとさせている。それでいて、歴史も感じさせる。常連の70歳くらいの人たちがカウンターを囲んでいて、さらに若い人びとも入ってくる。メニューを見ていて、思わず迷ってしまうほど、品揃えが多様であるところが、チェーン店には見られない特色だ。


2008/05/02

ボブ・ディランの不在性

きょうは、推薦状をたくさん書いた。わたしが一日に推薦できる人の数は、知り合いがそう多いほうではないので、限られてくるはずだが、実際には仕事上の推薦状が多いので、ほとんど「自動化」されたものなのだ。それくらい、現代では推薦して代理人で済ませる風潮が定着している。本人不在の時代なのだ。

「現代は、不在の時代だ」と百年も前にすでに看破したのは、社会経済学者のソースタイン・ヴェブレンだが、米国は彼の予言どおりに、その道をひたすら歩んできた。これまで、論文では書いてきたのだが、日常生活でもやはりそうだったのだ。

なかでも、もっとも優等生だったのは、つまり身をもってこのことを演じ、自ら語り部として、これ以上の言葉は見つからないと思わせるほどに描いてきたのは、ボブ・ディランだ。

だから、わたしはいつも否定的な姿として、彼のアルバムを聞いてきた。たとえば、きょう初めて分かったのだが、有名な「コーヒーもう一杯」という曲がある。その中で、「コーヒーを一杯飲んで、下の谷へ」という文句がある。この「下の谷へ」というのが分からなかったが、ある種のプロテストだったのだ。これは、プロテストソング時代の歌ではないのだが、あきらかに社会に逆らう否定的な面を出しているのだ。

仕事を終えて、映画「I'm not there」をチネチッタで観る。

今回、自ら語ったと思われる「I'm not there」(そこに居ないよ:不在)という映画のタイトルにまでになって、目の前にボブ・ディランの伝記が示されて、しかも、彼自身がまったく姿を見せないということ、さらには、実質が抜かれて、名前まで変えられた伝記映画ができた。不在について、皆そう思っていたんだな、と確かめることができ、胸がすっとした想いだ。よくぞ、作ってくれた。

「歌は作られると、ひとり歩きをはじめる」という言葉から、この映画が始まる。ひとり歩きの途中で、さまざまな姿を放埓に分化させていく。彼の「分身」が万華鏡のごとくの、まったく異なる分岐した個性を発揮しはじめるのだ。その分身は、交錯しあうことはあるにしても、統合を探ろうという動きをまったく見せないのが、ボブ・ディランの特徴なのだ。

むしろ、統一に失敗し、さらに分岐を重ね、分身に分身を重ねて、自分というものから逃げ惑ったのが、ボブ・ディランなのだ。そのひとつの姿を演じたケイト・ブランシェットの演技は、アカデミー賞の候補になっただけあって、秀逸だ。

ぼうっとした顔をして、廊下を歩くシーンで、頬をこけさせ顎を張らせた顔を強調した演技は、ディラン本人を超えていると思う。ここで、分身を超越してさらに分化させて、この映画の意図を広げている。映画「コーヒー&シガレッツ」のときのひとり二役の演技に匹敵するだろう。

不在の時代は、ベトナム戦争が終わって反対できなくなるとやってくる。商業主義を批判して、それが終わるとやってくる。フォークが終わり、ロックの時代にやってくる。結婚が終わり、幸せな時代にやってくるのだ。支持者の集会を次々に破壊していくのは、信頼の不在を強調したいからだろう。彼自身が言うように、彼の姿は、アメリカの姿そのものだと思う。

映画を観て、不思議な感覚がよみがえってきた。つまり、ディランは否定という表現でしか、自分の存在、あるいは不在を表現できなかったのではないか、ということだ。否定という表現は、否定すべきものがあるとき、初めて成り立つ。だから、最後はいつも、「風だけが知っている」ということでしかないのだ。

最後になって、「Like a Rolling Stone」が流れてきて、それまでの数十の曲のほとんどすべての曲を聞いた覚えがあることに気づきびっくりした。同時代を生きてきたのだ。ということは、この不在ということを実在化して生きている問題は、当然わたし自身の問題でもあるということだ。

2008/05/01

Book Clubという人間関係

連休の谷間に、人と人の関係を取り上げた小品である、映画「ジェイン・オースティンの読書会」を観にいった。ネットで予約してすでに席も決まっていたので、始まるまでゆうゆうであると思っていたが、途中郵便局に寄るやら、娘がコーヒーを買うやら、まごまごしている間に、すでに予告編が始まる時刻になっていた。

暗闇を透かしてみると、満員に近い埋まりようで、かなり盛況であった。予告編のあいだにも、わたしたちのような不心得者がたくさん居て、まだまだ多くの観客が入って来るほどだった。

ジェイン・オースティンが選ばれることだけあって、話の筋になにか重要なことが起こって場面が展開していくわけではない。日常の些細で微妙な人間関係が、映画の中でも描かれていく。ジェイン・オースティンの小説がそうであるように。

オースティンの小説6冊(分別と多感Sense and Sensibility1811年、高慢と偏見Pride and Prejudice1813年、マンスフィールド・パークMansfield Park1814年、 エマEmma1816年、 ノーサンガー僧院Northanger Abbey1817年、 説得Persuasion1818年) が、主人公6人の集まる読書会で6ヶ月かかって読まれていく。その中で、彼らの人間関係で、壊れた関係が静かに修復されて、秩序がふたたび形作られていく。その意味では、きわめて保守的な映画だ。

オースティン作品の半分ぐらいは、イギリス映画で観ている。分別と多感を映画化した「いつか晴れた日に」では、理性的過ぎるはまり役で、エマ・トンプソンが出てきて、印象的だった。今回の映画のなかでは、愛犬に嵌っているジョスリンと、SFおたくのグレッグとの関係が、オースティンの小説的な関係を典型的にあらわしていて、面白かった。それに、超越した生活をしているバーナデットが「神さま」的な位置にいて、運命に逆らわない微妙なバランスを映画のなかで保って読書会の継続性を支えていた。

また、この「読書会」というのが、素敵な設定だった。これは、いわば「弱い絆」をあらわす横の人間関係の典型なのだ。これに対して、親子関係やら、夫婦関係やら、恋人関係やら、レズ関係やら、ペットとの関係やら、縦の「強い絆」関係が絡んでくる。強い関係がうまくいかなくなって、読書会という弱い関係の「強さ」が証明される、という筋書きなのだ。

「読書会」が成り立つ世界は、言葉というものにきわめて信頼性を置く世界だと思う。言葉が現実世界へ影響を与えることを、当たり前のように容認するからである。たとえば、高校教師のプルーディーは、オースティンの小説ルールに準じて、教え子との不倫をとどまるのだ。現実の世界では、なかなかそうは行かない。感性や現実が、理性や言葉の世界を超えてしまう。そこから、数々の問題が生じてくることになるのだ。

この辺の「Sense and Sensibility」が単にオースティン時代の引き回しならば、現代では決して納得されないだろう。このような限界はあるものの、この映画を観ていて、「読書会」という仕組みは、なかなか魅力的に思われた。神奈川学習センターでも、もっとゆとりのある時代があって、10人ぐらいが集まって、読書会が開かれていた時期もあったのだ、ということを思い出した。

この映画のなかでは、読書会は最初にスターバックスで始まる。というわけだからではないが、帰りにラゾーナの丸善にある「M&Cカフェ」ですこし濃い目のコーヒーをいただく。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。