« 年度末のすき焼きパーティー | トップページ | ドイツ・ポスター展 »

2008/03/13

生活地と観光地

Oohara 先日、京都でK先生と会ったときに、京都の大原がいいですよ、と言われたので、調べてみると、半日の行楽にはもってこいの距離と費用とであることがわかった。そこで、資料収集のための図書館へ向かうまでに、行楽してみることにする。早めに京都へ行き、ホテルへ荷物を置いて、近くのバス停から大原行きのバスに乗り込む。駅から大原までの道筋に、ホテルを取っていたことも時間の節約に役立った。

朝が早かったこともあって、バスで市街を抜けるころには、白川夜船を漕ぐことになった。観光地の成功する要因に、オプションをいくつか用意して、さまざまな欲求に答えられるという要件がある。生活地と観光地とは、つねに一体のもので、そこからどこまでが生活地であり、どこからどこまでが観光地だとは線を引くことはできない。けれども、明らかに旅行者には、観光地というものが欲望のなかに存在していて、その世界は、生活地とは別のものとして存在するかのように思われている。このギャップが激しければ激しいほど観光地の価値は高い。

問題なのは、いかにして現実の生活地を幻想の観光地として見せるのか、そして、そのギャップを最大のものとして、観光客に植え付けられるかがキーポイントになる。大原の場合、そのギャップを構成するのは、「歴史」である。教科書には必ず平家物語は載っているし、このことは繰り返しマスコミも取り上げる。

Jakouin寂光院という場所があるならば、その寺にまつわる歴史がどのように存在するのかが、この場所の情報にとって勝負となる。歴史を媒介として、生活地が観光地へ変換されるのだ。けれども、どのような地域でもそれが可能かといわれれば必ずしもそうではない。然るべき選択が行われて、観光地としての体裁が整えられる必要がある。

したがって、観光地を決定するのは、その観光地にどのような推進力が存在し、観光地と生活地のギャップを広げると同時に、共存できるかにかかっている。観光の資源が、言語化され、ブランドとしての意味がその地域で蓄積され、公式化へ持っていく用意が必要となる。

「コモンズの悲劇」という有名な比喩が存在するが、それにも増して「観光地の悲劇」とでもいいうる現実が存在する。観光客が増えることには、ふつうは全員の利益につながるから、問題なく行われる。けれども、あまりに環境能力を上回る観光開発がおこなわれると悲劇がもたれされることがある。

Sarasouju ところで、大原のバス停を下りると、右に行けば三千院となり、左へ行けば寂光院となる。どちらを選ぶかで、その人の人生の半分くらいがわかるような気がする。昼食は、きのこのうどんを食べ、早々に大原を切り上げて京都へ戻り、図書館へ急行し、仕事に専念する(沙羅双樹を見つける)

« 年度末のすき焼きパーティー | トップページ | ドイツ・ポスター展 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/173786/40512813

この記事へのトラックバック一覧です: 生活地と観光地:

« 年度末のすき焼きパーティー | トップページ | ドイツ・ポスター展 »

社会経営研究配布中

  • 2015study

社会経営ジャーナル配布中

  • 2015journal

開いている講義    「社会的協力論」

  • cooperation

「音を追究する」第13回・第14回

  • art

「多様なキャリアを考える」第2回・第3回・第4回

  • cooperation

「グローバル化と私たちの社会」第11回

  • cooperation
2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ

Recommend

プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。