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2008/03/06

陶器の交流史

080306_152301 京都の国立博物館で、「ヨーロッパ陶器展」を行っている。マイセンやセーブル、ミントンなどの、17世紀から19世紀に日本に渡ってきたヨーロッパ陶器を一堂のもとに見られるというので、これを見逃すことはできない。

卒業論文の昨年の履修者で、陶器の東西交流史を書いていらっしゃった方がいて、出来上がればたいへん素晴らしいものになったと思われるが、途中で家庭の事情で書けなくなって、残念に思っていた。彼だったら、どのようにこの展覧会を観るのだろうか、と考えながら、観て来た。

オランダのデルフトで、伊万里焼きを模倣しているのだが、その克明さはかなりの程度を超えていると思われる。また、有名な話として伝わっている、景徳鎮の窯をめぐって、有田焼が西洋でもてはやされるようになった経緯や、マイセンやセーブルの技術隠匿の歴史など、それが具体的な現物の焼きものとしてみることができるのが、たいへん興味深かった。

展示物については、あまり趣味に合うものはなかったにもかかわらず、その背景に興味深いものがたくさんあって、むしろそちらに注意を向けることになった。

たとえば、江戸期の京都茶屋中村楼に伝わっていた、英国、オランダ、フランスの陶器はたいへん面白い。外国人が使うために集めた、と説明文には書かれていたが、それだけでなく、おそらく日本人の「見せびらかしの消費」にも外国産の陶器は最適だったのではないかと推測される。

今回の収穫は、アールヌーボー期にデンマークやハンガリーなどから、革新的なデザインのものが集められたという事実である。このような20世紀のはじめにかなり現代的なデザインがすでに日本に入ってきて、けれども定着しなかったということは、やはりその後の大正文化と同様に、定着しない理由があったのだと思われる。

セーブルの一部のものにしても、ハンガリーのエオシン釉にしても、現代の作品として出品されても決して引けを取らないものだと思われる。

午前中に仕事をしてから、京都へ駆けつけたのだった。予定時間を大幅に超過して、展覧会を見学した。そのため、予約していた帰りの新幹線を見送って、3時間後の電車で家に帰ることになった。それにしても、関西にいるときにかぎって、花粉症が激しく出るのにはほとほと参ってしまった。

(写真を見ていただければわかるように、京都の国立博物館の建物には、ほんわかとしたキッチュさがある。その壁面には、天女の姿などが見られ、和洋折衷である。いかにも博物的な混交した雰囲気が付きまとっている。ワシントンのスミソニアン的な要素と同じような印象を受ける。)

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。