« 夜学と試験終了10分前 | トップページ | 陶器の交流史 »

2008/03/05

大正文化の断絶

大正文化については、わからないことが多くて、魅力的だ。日本における「現代的ということ」の模範を作ったことは間違いないが、なぜ途中でうまくいかなくなったのかを考えていくと、たいへん面白い。

Yamamura きょうは大阪へ取材できているが、早めについたので、午前中ちょっと足を伸ばして、「阪神間モダニズム」の建築として真っ先にあがる「旧山邑邸」を芦屋へ観にいくことにした。90年代後半から「阪神間モダニズム」の展覧会を観て以来、ずっと楽しみにしてきたが、大阪からもちょっと距離があり、神戸からもちょっとあるので、二の足を踏んでいたのだ。

Yamamura4 やはり、来てよかった。伝達されながらも、当時の日本には馴染めなかったことがよくわかった。もしこの建築が当時の日本人にすんなりと受け入れられていたならば、おそらく日本文化の相当な部分が変わっていたと思われる。けれども、結局文化というものには、いくら提供する側があっても、受容する側で条件が整わなければ、それは定着しないのだという常識的なことを示しているのだが。ほんとうのところ、これだけ素晴らしい建築が、なぜ受け入れられなかったのだろうか。

Yamamura3 この建物は、帝国ホテルや自由学園などを建てたフランク・ロイド・ライトによるものだ。1918年に設計され、24年に竣工している。ちょうど問題となる大正期の建築である。この建築に何が現れているのか、という点が問題だ。

もちろん、モダニズムが現れているのだが、並大抵のモダニズムではない、と思われる。ちょっと迂遠な言い方をするならば、凸凹が並列しているような、あるいは、四角のデザインのへりを辿っていくと、90度側面の異なる平面へ達してしまうようなモダニズムである。つまり、近代化の二つの要因が織り込まれた建築だ、と言って良い。

Yamamura2 帝国ホテルもそうだったが、大谷石の彫刻の凹凸が複雑で、当時の日本人には、あまり近代的な建築とは思われなかった可能性が高い。当時の日本人には、まだ旧体制が残されていて、それはそれでひとつのバランスを保っていたから、近代的なバランスの取れたものは、むしろ旧体制のバランスのとれたものと見分けがつかなかったのではないだろうか。おそらく、一部の人にしか理解されずに、頭の上を通過していったのではなかろうか。

「有機的建築」とライトは読んでいたそうだが、この有機性は当時の日本にとってはかなり重要であったにもかかわらず、理解されなかったと思われる。けれども、この時代にこのような有機性という考え方が形成され、日本にも影響を与える可能性のあったことを喜んでおきたい。

すこし距離はあったが、芦屋川沿いに下って、谷崎潤一郎記念館まで足を伸ばした。昼食は、芦屋駅ビルのパスタ屋さんで済ませた。菜の花のパスタが鍋のまま出てきて、アサリのだし汁が美味しかった。080306_125301

午後は、本来の資料収集へ向かうことになった。阪大の豊中キャンパスでは、梅が満開で、香りがかなり遠くまで届いていた。

« 夜学と試験終了10分前 | トップページ | 陶器の交流史 »

住まい・インテリア」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/173786/40438132

この記事へのトラックバック一覧です: 大正文化の断絶:

« 夜学と試験終了10分前 | トップページ | 陶器の交流史 »

社会経営研究配布中

  • 2015study

社会経営ジャーナル配布中

  • 2015journal

開いている講義    「社会的協力論」

  • cooperation

「音を追究する」第13回・第14回

  • art

「多様なキャリアを考える」第2回・第3回・第4回

  • cooperation

「グローバル化と私たちの社会」第11回

  • cooperation
2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ

Recommend

プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。