« 陶器の交流史 | トップページ | 沖縄の野菜料理 »

2008/03/08

ディープな沖縄

080308_130801 複数の仕事が重なってきて、それらを早急に済ませなければならなくなってきたので、沖縄へ出張することになった。

先日、神奈川学習センターで行った栄養調査の一次結果が出てきたので、それを検討しようというのが、もっとも大きな出張の理由だ。那覇の首里に到着するとすぐ共同研究者のT先生が、迎えに来てくださった。

080308_130701 ちょうどお昼についたので、首里石嶺にあるそば屋(沖縄では、「すば」というらしい。)へ連れて行ってくださった。ご覧のように、古い民家を改造したもので、沖縄らしさを、味覚と同時に、視覚でも楽しめる店だ。

その後、さっそく琉球大学のO先生のところへ連れて行ってくださって、かなり綿密な議論を行う。内容については、またお話することもあると思われる。研究室を出るころには、すっかり宵闇が迫っていた。沖縄に着いて感じたのは、日差しの強さであったが、ちくちくと刺すような刺激がある。それにやさしい風が似合っているのかもしれない。

夜は、T先生の友人であるO氏が合流して、もっともディープな沖縄を案内してくださるというので、沖縄市(コザ)へ移動する。米国空軍が常駐している街だ。現在、例の問題が起こって、米軍の夜間外出禁止令が出ているため、人影はまばらであったが、店の並びや街の雰囲気からすると、日本的というよりは、インターナショナル的だという形容が合っている。

O氏はここで、出版社とFM放送局を経営なさっていて、コザの街のタウン誌も編集しているため、事情にたいへん詳しい。戦後、沖縄の人たちが各地から一斉にコザへ出稼ぎに来るようになって、それぞれが各地のコミュニティをそのままコザに持ち込んだらしい。そのため、横断的な街組織はできなかったとのことで、昨年はじめて連合会なるものができたという、きわめてホットな地域づくりの場所だ。

080308_224501中心地にあるライブハウスに席を占めることになった。この米国人のライブが、60年代のクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングからはじまって、自分たちのオリジナルまで、えんえんと3時間以上も演奏していた。懐かしかった。

ほんとうは真剣に音楽のほうも聴きたかったのだが、こちらの4人の話も白熱していたので、それができなかったのがすこし悔やまれる。

|

« 陶器の交流史 | トップページ | 沖縄の野菜料理 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ディープな沖縄:

« 陶器の交流史 | トップページ | 沖縄の野菜料理 »