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2008/03/21

痛さの存在

歯の痛さを経験したのは、かなり小さなときだった。それは乳歯だったので、夜に糸で縛って、朝にはぽろっと取れていた。

当時、歯の状態はかなり悪く、歯医者に通わなければならない状態だったが、それでも通った記憶はあまりない。ほかの医者の記憶は鮮明にあるのだが、歯医者だけは記憶にない。いつも夜になって、後悔するのだが、歯を抜いてしまえばそれでお終いにしていた。

おそらく、歯医者の記憶で、かなり悪い印象を持ってしまったのが、二十代に通った、T大の口腔外科である。ここでどうしようもない痛みを残した治療を受けたのだ。

大学の健康保険でかかった歯医者なので、費用が安いということが取り柄だったが、それでも、歯医者だけは費用に相談すべきでないと今では痛切に考えている。

何が問題なのかといえば、痛みの存在が他者にはわからないという、当たり前の現象に苛立っていたのだ。とくに、歯医者では、口を開けたままの状態で治療が行われる。そこで、痛いということが歯医者に伝わらないのだ。という諦めの状態にあることが、堪らないのだ。

たとえば、痛みを感じると自動的に、赤いランプが点滅し、歯医者に痛みが視覚的にわかる装置などが、なぜ開発されないのだろうか。キューンというお馴染みの音がして、歯を削るときに、同時に神経に障ることがたびたび起こる。患者は顔をしかめることで、痛みを示唆するが、歯医者には伝わらないのだ。

ここ十数年来かかっているY歯科は、歩いて10分ほどの近所にあって、たいへん確実な腕を持っていて、信頼している。義歯についても、これまで何本か入れていただいたが、上下の噛みあわせで満足しなかったことはない。

麻酔の打ち方もうまくて、針でちくりとも感じない。それでも、歯を削るとき、神経に障るとやはり痛い。そこで、最近は考え方を変えることにした。痛みはそもそも他者には伝わらないものであって、だからかえって、伝わらないからこそ伝えようと努力する気分になるのだと・・・。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。