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2008年2月に作成された投稿

2008/02/28

千代田区立図書館の成功

Dsc03117 千代田図書館のニュースが、昨年あたりからたびたび新聞に取り上げられるようになった。以前から、ずっと気になっていた。なぜこんなに頻繁に取り上げられるのだろうか。

今回、神奈川学習センターのサポーター制を議論している過程で、サポーター制がすでに取り入れられている社会文化施設をみんなで見学に行こうということになった。1にも2にもなく、千代田図書館を選んだ。ここには、サポーターズクラブという制度が設けられているのだ。

ちょっと違うかもしれないという予感はしたが、それはそれで良いような気がした。とにかく、なぜ千代田図書館なのかというところを知りたかった。話をうかがって行くうちに、なぜ千代田図書館がこうも取り上げられるのかという理由は確実なものとなった。

たとえば、現在日本で一番の入館者と貸出数を誇っている図書館は、このブログでも取り上げた岡山県立図書館で、二年連続で1位を続けている。約100万人を超える人が入館する。なぜ人気があるのかは、行ってみればわかるが、図書館として利用しやすいからであり、「図書館のなかの図書館」という感じだ。ことしは岡山から講義で呼ばれているし、読書論を書かなければならないので、また取材するつもりだ。

それに対して、千代田図書館は、昨年の5月に開館してから、9ヶ月ですでに80万人を超える入館者を数えているらしい。入館者数を上げることは、目標ではないとおっしゃるが、それでも訪れる人が多いということは、それだけの理由があるのだろう。おそらく、新設にして、日本の図書館のトップに躍り出ることになるのは間違いない。

なぜこれほど人気があるのかは、ひと言でいうなら、ここは「図書館らしくない図書館」であるという点で、良い特徴を出しているからだと思われる。本を貸すだけが図書館ではない、とポジティブなことをおっしゃるのは、図書館プロデューサーのMさんである。Mさんは、設立当初の段階から、この図書館にからんでいるらしい。

どこが図書館らしくないか、と言えば、それは特徴を挙げていけば一目瞭然である。Web図書館の試み、新書マップのコーナー、展示コーナーの充実、そしてサポーターズクラブだ。一見、図書館が多機能を獲得している、と見られがちであるが、それとはまったく異なることがわかる。

この言い方は誤解を招くかもしれないが、じつは図書館の「解体」を目指しているのだ、とわたしは受け取った。それは、通常の図書館の目標である、入館者数と貸出数を指標とせずに、それ以外の図書館の「パフォーマンス指標」などを重視する姿勢に現れている。新聞記事への突出した話題提供は、その表れだったのだ。

なぜ「解体」なのかと言えば、それは簡単で、図書館のなかだけではなく、むしろ図書館の外へ向かってのコミュニケーションを発達させているからだ。その結果、図書館としてよりも、これまでの図書館を超えるところで、勝負しているように感じた。

たとえば、それはかなり、千代田図書館の立地条件にも左右されている。つまり、本の神保町を背景にもっているという強みがある。区役所のビルを出てちょっといくと、古書店や出版社が並んでいて、その社会的な関係ネットワークを利用できる。

古書店の展示即売コーナーがあって、「日本永代蔵」や太田蜀山人の本が並んでいた。もちろん本物で、非売品もあったが、16万、18万という値段がついていた。順番で、古書店が展示するそうだ。これは他の図書館では真似できないだろう。

Dsc03116 それから、本題のサポーターとはなにか、ということについても、たいへん興味深い話を聞くことができた。気を持たせるようで恐縮だが、そのことは神奈川学習センターのサポーター合宿でお話することにしたい。

Dsc03120 他にも、今流行の「指定管理者制度」についても、参考になる話が得られた。などなど、盛りだくさんの取材結果を得て、図書館をでた。同行してくださったSさん、Hさん、Kさんと、古い建物の中でもとりわけ重厚な九段会館で食事とコーヒーをいただいて、つぎのサポーター・グループとお会いするために、神奈川学習センターへ戻ることとなった。

(千代田図書館は、区役所の9階、10階にあるが、このビルは以前のお堀端の区役所の向かいにあり、大隈重信邸跡だということだ。だけど、この碑のうえのほうにある、1時25分を示すマークは何を意味しているのだろうか。娘は、大隈の人生125歳説に基づくんじゃないかと言う。ほんとうか?)

2008/02/27

空の青さ、まくはり

080227_100501_3風の強い冬の日には、空がよく晴れる。朝、公園のなかを通って、ビル街へ向かって歩くと、空の青さに身体が溶け込んでいくかのような感覚をおぼえる。

いま流行の言葉使いをするなら、歩くことの現実と、歩くことの想念とにレベルの差がなくなってしまい、フラットな感覚に陥ってしまっている。そのため、ことばを失ってしまうのだ。もっとも、この寒さのせいでもあるが・・・。

このことは、このような都市の公園では、とくに顕著であって、散歩する人も、何かに追い立てられているかのように、早足で歩いていく。健康のために走っている人も、ただひたすら何かを目指しているかのごとくに、走っていく。

それが証拠に、すれ違っても、顔を合わせてにっこりとする余裕もなく、視線も交わさない。さっさと通りすぎることに徹している。

080227_101802 もしかすると、互いに言葉やしぐさを交わしてしまうと、何らかの差異や格差を残してしまい、取り返しがつかなくなるとでも思っているみたいだ。そのことを証明するかのように、こんな素晴らしい青い空なのに、想念の世界も青さに跳んでしまっている。ふたつのレベルは、フラットなまま置かれてしまい、飛翔することはない。

こんなにたくさんの人びとが歩き、走り、そして飛び回っているのに、そして想念も空をぐるぐる回ってうろついているにもかかわらず、なぜか皆、それだけのことしか記憶に止めずに、日常に埋もれて棒立ちのままなのだ。

でも、子どもは恐れを知らなくて、フラットを拒否するのだ。手を振って通りすぎていく。バイバイ、また会おうね。

2008/02/24

中華街の変貌

栄養調査の第一次検査は、無事終了したようだ。わたしは今回、施設の提供についてだけ、神奈川学習センターとの調整を行えばよいということになっていたので、ほかの作業を行っている人より、かなり優遇されていた。実際に、作業にあたった方がたのご苦労に感謝申し上げたい。

200802241 この期間を利用して、整理と大改造を行ってきた研究室のほうも、どうやら終結できたようである。写真にとってしまえば、それまでだが、ここまでに至るにこんなに時間がかかるとは予想していなかった。古い建物を修造する人びとのことを考えると、気が遠くなるような作業を行っているのか、と改めて感心してしまう。結局、過去の研究室を再生したに過ぎないことを思い知らされた。(写真ではわからないが、じつはあと40箱ほどの段ボールが開かずのまま、わからないところに残されているのだ。)

けれども、新たな想念が湧いてこなかったわけでもない。本を手に取るということは、それを頭のなかに配置していくことであり、整理されて新たな秩序が与えられることでもある。

200802242 真ん中右上から左下へ流れるような本の配置のなかに、新たな文脈を見つけたし、右の秘密兵器の書棚には、それぞれ箱ごとに異なる文脈を仕掛けておいた。いつ想念が爆発して出てくるのかが楽しみでもある。

栄養調査を最後まで整理して、片付けていた琉球大学のT氏が二階から降りてきて、きょうはこれで暇になったから、どこかで飲まないか、と誘うので、中華街へ繰り出すことにする。

昨日からの強い風が未だ吹いていて、きょうは春の嵐ではなく、冬の冷たい風となっている。それにもかかわらす、中華街は日曜日であるので、やはり混んでいる。以前、Eさんに連れて行ってもらった、中山路にある広東料理のR酒家へ上がる。

きょうは海鮮と野菜の炒めた料理がさっぱりとしていて、美味しかった。紹興酒も甕のような徳利で、たっぷりとして飲み甲斐があった。T氏の頭のなかは、栄養調査の影響で、「食」のことでいっぱいらしかった。ちょうど料理を運んできた店の人にも、中国の醤油について議論を吹っかけていた。また、苦瓜の料理が広東料理のレパートリーにあるということで、また旬のときには食べに来ようということになった。

店の方と話していて、以前と様変わりしたのが、食の安全に対する配慮である。話題になる食材ごとに、どこの産で、どの市場で仕入れたものかを説明する。中国の輸入食品の雄であった、木耳は料理のなかにまったく姿を見せなかった。中華街の変化はかなり急で、目に見えないところでの変貌が激しい。

きょう最後のコーヒーは、中華街から日本大通りへ向かっていった、角にある「Freshness Burger」で、CAFFÉ MOCHAをいただく。大きなジョッキのようなカップで、ゆっくり飲んでいたら、店が閉まる時間になってしまった。大きなガラス窓が霜で白くなっていた。

2008/02/23

栄養調査の意味

Dsc030944  栄養調査が始まり、対象者の方がたが朝早くからきて、時間ごとに整然と記録を取っていく

率直にいって、社会調査を観てきたものからすれば、栄養調査という人体を対象とする調査には、なにかたいへんな責任が付随し、すごく重い印象がある。

Dsc030956_2 それは、おそらく社会調査と比べて、格段に手がかることを行っているからだ。たとえば、尿や採血や血脈の検査だけでも、一人当たり何時間もの労力がかかっている。

この辺の意識が社会科学系と医学系の調査では大分異なるらしい。社会調査の場合には、調査員が信頼性を得てから、調査の対象者に対して質問し始める。調査のプロセスを重視する。それに対して、医学系統ではおそらく、このような過程は最小限で済んでいるものと思われる。なぜなら、医者と患者関係を調査に流用しているからだ、といえるような気がする。

それは安易な解釈だよ、と言われるかもしれないが、初対面の人にこれほどの信頼性を仮託できる調査・検査は、あまり存在しない。あとは象牙の塔内でしか見られないだろう。今回は幸いなことに、医学と学問の信頼性を最大限活用させていただいていると言えるのではないだろうか。

Dsc030997 もっとも、これまでの沖縄における、このチームの調査実績がものをいっていることは間違いないところなので、これだけの参加者の信頼性を得られるのは、当然と言えば当然なのであるが、社会科学のほうから見ると、これだけの信頼性はうらやましい限りである。

たとえば、この種の調査をもし社会調査のみで行ったとしても、おそらくこれほどの参加率を挙げることはできなかったであろう。大掛かりな仕掛けを持ち、周到な準備を行った上での調査であるから、人びとの信頼性も得られているのだと思われる。

対象者がいて、プライバシーの問題が生ずるので、無人の状態の写真でちょっと味気ないが、わたしの初参加の記念なので掲げておくことにしたい。

2008/02/22

本の顔

本にも顔があって、つまり個性があって、久しぶりに会うと、顔をほころばせているのではないかと思ってしまうことがある。ようやく、研究室に本が集結して、整理を始める段階になった。

Dsc030832幕張の本部の研究室では、仕事は研究棟で行い、本は千葉学習センターに置きっぱなしになっていたので、手元につねに本があったわけではない。たいへん不便な状況であった。

およそ3~4年ぶりに、本たちが戻ってきたという感覚である。無ければ無いで、諦めていたのだが、いざこのように段ボール箱から取り出して、書棚に並べ始めると、こんな本があったな、という気分で、書棚をすこし埋めては、読んでしまい、なかなか先へ進まない。

Dsc030863 たとえば、健康関連の書籍で、3年ほど行方不明になっていた本がひょこり出てきたり、ちょっと手元に取った本の目次をみると今度の論文で使えるようなことが書いてあったり、そして何よりも、もう何度も何度も読んでいて、付箋の数がものすごい数の本を開けると、以前まったく関心の無かったことで、とても重要なことを発見したりしてしまう。

Dsc030885  つまり、本の顔が変わっているのである。おそらく、3年見ないうちに、友人の顔が老けるように、本の顔も老けるのだと思う。およそ、100箱ちょっと超えるのだが、きょう一日でようやく35箱くらい空けることができた。

空欄だった書棚にも、本がぎっしり入って、書棚にも顔が浮かんできたようだ。さて、50箱くらいで書棚が満杯になってしまいそうなのだが、あとの本たちをどのようにしようか。段ボールにいれたままでは、本の顔を観ることはできない。

2008/02/20

女性というものの分岐

昨日の「潜水服と蝶」の興奮が夜中まで続いて醒めなかった。肝心なことを忘れているようで、朝になってそうなのか、と思った。もちろん、「E,S,A,R,・・・」という記号の羅列は耳から離れない。けれども、もうひとつ、たくさん出演していた女性について思い当たった。

女性というものがどのようにして現れるのか、ということだと言い換えても良い。ふつうは、あらゆる女性が混然一体となっていて、たとえば「妻」という形で、まとめて現れる。それ以上は、求めない。

けれども、可能性としてみれば、女性はさまざまな形をとって、目の前に現れる。それらを、分節させてみて、ひとつずつ見せてくれているのが、「潜水服と蝶」である。

たとえば、ジャン=ドーの妻セリーヌは「現実界」であり、恋人・愛人のジョセフィーヌ、イネスは「想像界」、そして、言語療法士のアンリエットと編集者のクロードは「象徴界」なのである。これらは、対立を見せて分節しているにもかかわらず、最終的には見事な統合を見せている。

ふつうは、これらの役割すべてを、妻が引き受けている。けれども、ジャン=ドーのような、特殊な事情が生じたときに、分岐して現れ、それぞれが分業を始めだすのである。

面白かったのは、妻セリーヌが病室にいるときに、愛人からの電話を取ってしまう場面だった。ふつうは、これでジャン=ドーはどちらかのコミュニケーションの選択を迫られる。たとえば、愛人との会話を選択すれば、妻とのコミュニケーションは断絶する。けれども、この場合、彼は電話を通じて話を通じることができないため、結局はセリーヌが途中を媒介して、「E,S,A,R,・・・」とはじめなければならない。本来、断絶が起こるはずの場面なのだが、ジャン=ドーの場合には、妻は泣く泣く媒介しなければならない、というたいへん興味深い現象が起こるのだ。

これら三者の役柄は、たいへんわかりやすいのだが、ちょっと理解できなかったのは、理学療法士マリーと、友人のローランの演じている役の位置づけである。あえて、この三つの世界に位置づけるならば、この二人も「象徴界」ということになるかもしれないが、ちょっとずれているように思える。

どのような「ずれ」かというと、マリーの場合には、ジャン=ドーの身体活動に関わっていて、「現実界」へも橋渡ししている。ローランはといえば、本を読んでやったりして、「想像界」に首を突っ込んでいる。

このように考えると、わたしの周りには、どのような「女性」がどのように現れてきているのかを、この映画は分けて明らかにしてくれているのだ。これまで、どうも女性というものがわからないと思っていたが、このように「一覧表」にして見せられると、なるほどと納得してしまう。

昨日のことを思い出すと、この映画はほんとうに絢爛豪華な「女性」の一覧表であったと再認識したのだった。

つまり、あらゆる男性の周りには、少なくとも三人の女性がいるのだ。ということは、もっと一般化するならば、あらゆる人間の周りには、三人の他者がいるのだ。そして、その中の一人が、「E,S,A,R,・・・」とやってくれることで、ようやくその人は他の二人との関係も繋ぐことができるのだ。

女性にとっては、男性はどのように現れるのだろうか。つまり、「E,S,A,R,・・・」と言ってあげる世界は存在するのか。

さて、肝心の「E,S,A,R,・・・」の真の意味が知りたければ、今すぐ映画館へ走れ!

2008/02/19

潜水服と蝶

J.シュナーベル監督の映画「潜水服は蝶の夢を見る」(原題は「潜水服と蝶」)を観る。題名を見たときには、「手術台の上のミシンと蝙蝠傘」というシュルレアリスムを連想させたので、蝶のように飛んでいってしまうのかな、と思った。

それは杞憂だった。主人公のジャン=ドミニク・ボビーは、ドライブの途中で脳梗塞になり、全身が麻痺する「ロックト・イン・シンドローム」に陥る。このため、意識は健在で、聴くことだけはできるが、喋ることも書くこともできない。このため、言語療法士の示すアルファベットに瞬きで反応して、言語化が行われるのだ。

映画のなかでは、「現実」はベッドに拘束されているのだが、「想像力と記憶」は頭のなかで増殖する。すなわち、現実が「潜水服」状態を表し、想像力が「蝶」とともに飛んでいく状態を表しているのだ。

さらに、この映画の仕掛けとして秀逸で、これが真実を表していると思われるのが、「瞬きによる言語活動」が、結局主人公の生きる証であるという点である。言葉という象徴作用が、最後は現実と想像力とを繋いで、接合を果たしているのだ。

最初、シュルレアリスムの映画だと思っていたのだが、明らかに、これはJ.ラカン的世界を表していると、わたしには思われる。もっとも、まだ著書のほうは読んでいないが、おそらく小説のほうがもっとこの傾向が出ているような気がする。

読んでから書くべきかもしれないが、映画だけの知識で言うならば、潜水服状態の「ロックト・イン・シンドローム」が「現実界」であり、そこから広がっていく蝶状態の「夢の世界」が「想像界」であり、さらに目の合図で描く「本を制作する世界」が「象徴界」である。

見事なのは、全部の世界の成立・形成を統御しているのが、文字というシンボルである、という統合的な世界も明らかにしている点である。この主人公が、「エル」の編集長であった、というのも、ラカン的世界にとって幸運であったのかもしれない。

映画「潜水服と蝶」は、ひとつの神話世界を、完璧に描ききっていると思われる。現実界/想像界/象徴界という三位一体のラカン世界が、よどみなく描かれている。わたしたちの世界の当たり前の状況でもあるのだが、欠落したところがあることで、かえって隠れていた世界がくっきりと見えてしまうのだ。

もっとも、こんな論理的な解釈は、むしろこの映画を貶めてしまうかもしれない。映画「魔術師」からずっと観てきた俳優のマックス・フォン・シドーの父親役は良かったし、ユーモアあふれる主人公の自由さは、現実の状080219_164501況をダイナミックに転換してくれる。だから、観終わった昇華の程度はかなり良いと思う。お勧めしたい映画である。

きょう最後のコーヒーは、シネプレックス幕張ビル1Fのタリーズにて。

2008/02/18

旧さの承認

080218_112802 大阪滞在は、淀屋橋近くの宿だったが、ここから本町にかけては、K大のKさんが博士論文で取り上げた道修町、平野町が続いていることに気がついた。老舗があって、Kさんからも推薦を受けていた。

そこで、文献収集、取材は午後に回して、この街の様子を観て歩くことにした。 080218_112801 先日は夜になってしまったが、日本銀行の建物は、遠くから見ても、また近代ビルのなかに埋もれていても、決して負けてはいない。(でも、写真ではちょっと負けているかもしれない。)威厳は守っていると思われる。おそらく、威厳という権威付けの点では、当初からの目論見だったのだろう。

他方、180度目を転じると、70数年前に都市整備されたときの御堂筋の広い通りが、直線的な美しさを誇示している。

080218_104302_2080218_104401今橋からすこし入ったところに、大正時代の建築「大阪倶楽部」を見つけた。スペイン、アラビア風といってよいのだろうか。洒落た煉瓦の壁が、周りの画一的な白い建物のなかで、たいへんよく映える。近くによって良く見ると、柱には彫刻が見られ、窓枠も飾りが凝っていて、ステンドグラスが一段と良く見える。倶楽部の方がたの社交心は、このような中核となるような建物という表現を得て、はじめて具現するのであることを認識した。したがって、これは建物という物的なものを越えて、いわばシンボルとして働いているようにも見える。

080218_104901_2伏見町の角に、日本家屋(たぶん、商家)が残されていて、錢高組の管理下にあるらしい。建物の前へ、美味しそうなお弁当の屋台を出していた女性の方に聴いたけれども、何の建物だったのかは知らないという。

すきのない建て方をしているところから察するに、質屋さんか金融業の家、という感じがしてくる。

旧いものを残す、ということは、たいへん難しいことだな、とこの家を見て感じた。つまり、現代に活かすことに手を焼いているのである。そのままの形で生かすことができるなら、このように門を閉めて、誰も住んでいない状態を放置することはないだろう。

周りの環境から、如何に遊離してきているのかということが、如実にわかる。つまり、問題は、素材があってそれ自体をただ単に、残せばよいと言う時代は終わって、いかに全体や環境の中で残るかということに変わってきているのだ。

昼食の場所を探したが、老舗ともなると、開店にたいへん時間がかかるらしい。Kさんからは、ガスビルの食堂、スエヒロ、美々卯本店、などの推薦を受けていたのだが、11時半にならないと開かないといわれたので、11時から営業している店を探す。

幸い、美々卯の系列店だろうと思われる、コンクリート打ちっぱなしの建物の店があり、天ぷらご飯とうどんがセットで、安いランチとなっている。本店に近いだけあって競争原理が働くのだろうか、粘り強く腰の強いうどんは、たいへん美味しかった。たれも薄味だが、とてもだしが効いている。

お腹の一杯になったところで、午後の資料収集に出かけることにした。

2008/02/17

京都御池の喫茶店

大阪学習センターのスクーリングも無事終了し、放送大学の良き伝統にしたがって拍手もいただき、最後レポートも仕上げ、かなりの成果をあげ締めくくることができた。

挨拶もそこそこに、天王寺駅まで帰宅途中の学生たちを追い越して、電車に飛び乗り、京阪線を使って、京都三条へ出る。ここにアメリカン・コーヒーを、たっぷりとしたカップで出してくれる、しかも料理も美味しい喫茶店があるのだ。

O大学のK氏と待ち合わせて、ほぼ一年ぶりに雑談を行うことができた。京都の街にも、ちらほらと雪が舞っていた。山のほうでは、この雪で電車が動かなくなったということで、奥さん運転の車で、駆けつけてきたのだそうだ。

アルゼンチン産のワイン(Passo Doble)が予想外に美味しくて、1本空けるころには、議論が面白くなってきた。かれは、今度著書を出すとのことで、ちょうど脱稿したところらしい。「メタ想像力」について書いたのだそうだ。

なかで、とくに興味深かったのは、認知心理学の臨床結果と、類人猿の学習に関する実験内容だった。発刊されたら、送ってくださるそうなので、また取り上げたいと思う。ほんの一端を聞いただけだったが、かなり期待できそうである。

料理のほうは、ホタテときのこを炒めたものや、魚介類のトマトソース煮、それからパスタとサラダなど、そして最後は、先ほど述べた、たっぷりしたアメリカン・コーヒーをいただいた。淀屋橋行きの最終電車に乗って、同じく雪の舞う大阪の宿へ帰った。

2008/02/16

大阪でのスクーリング

080216_105801 米原付近の冠雪に予感があったのだが、大阪についてみると、風がすごく冷たい。2週間前来たときとはずいぶん違って、街全体が白くみえた。

今回のスクーリングでは、ぜひ試してみたいことがあった。それは、ゼミナール形式の対話型授業方法で、ふつうは10名程度が適当であるとされているのだが、それを一気に80名クラスでも可能なのか行ってみたかったのだ。

これまでも、30名程度ならば、試行してみたことはあったが、その倍以上の人数に当てはめるには、多少の勇気が必要だった。教室は実験場だ、と嘯いていても、学生が自発的に行うのであれば、実験だったと言い訳が効くが、こちらがやってみて失敗だったとは、ちょっと言いにくい。

予想される困難は、10名程度ならば、対話が密に行われる利点があるのだが、80名ならば、その対話が8倍ほど希釈されてしまうことになる。そもそも講義であっても、80名というのは危険で、ちょっと気を許すと、講義の求心性が失われることがままあるのだ。脱落者が出てしまったり、居眠りを許してしまったりしてしまうものだ。

けれども、案ずるより産むが易しであって、実際に行ってみると、通常の一方的な講義形式より、ずっと良い結果が得られた。

全体をひとつのゼミだと考えるから、80名は多いのだ。いくつかの塊に分節しておいて、改めて接合を考えれば、結局少人数のゼミを複数同時開催しているような気分になれるのだ。

さらに、80人の規模がひとたび一体感を持ったときの素晴らしさは、講義でも、少人数のゼミでも得られないものだった。分節を適切に行っておくことがポイントであると思った。個人作業をきちんと行っておき、複数の人との議論を媒介として、さらに80名の前で発表を行わせる。つまり、ゼミ的な意見集約に加えて、全体の評価も加える事ができる利点があることがわかった。今後も、機会があったら、試してみたい。

大阪学習センター所長のN先生は、今年度をもって、定年で退任なされる。そこで、センター所属の学生が100人以上も集まって、送別会が予定されているらしい。人徳人望がなせるところだ。

一日目の講義が終わると、N先生がいらっしゃって、学生団体のかたが一緒に飲みたいというので、連れ立って、天王寺のビルの地下にある「酔虎伝」(水滸伝じゃないのだ)へ行く。

すでに、大阪学習センターの学生団体「キャンパス情報倶楽部」の面々が待ち構えていて、楽しい時間を過ごすことになった。何よりも、先生方よりも放送大学の内部事情を良く知っていらっしゃったのだ。さすがに「情報倶楽部」であると感心し、いくつかの疑問に思っていたことをお聞きしたしだいである。いつもよりも多い量のお酒をいただき、すっかり飲み過ごしてしまった。明日のスクーリングは大丈夫だろうか。

2008/02/15

牛肉細切りのピリ辛炒め

昨夜遅くに、H先生からきつく催促されていた文書をメールで送っていたら、修士修了生のYさんからメールが入り、名古屋工業大学の博士後期課程へ合格したとの嬉しい内容だった。さっそく、おめでとうメールを出す。

ということで、すこし寝不足のまま、午前中に幕張で会議があるので駆けつける。会議は意外に長くて、お昼にかなりかかってしまった。すこし遅めの昼食を久しぶりに「ホイトウ」で食べる。

きょうのメニューは、「牛肉細切りのピリ辛炒め」で、ふつうのチンジャオロースだと牛肉、筍、ピーマンの細切りなのだが、この筍とピーマンが抜かれていて、かわりにたまねぎが使われていた。

辛さというよりは、美味しさが勝っていた。たれによるピリ辛炒めと聞くと、唐辛子の利いたピリっとした刺激的な感覚が想像されるが、きょうのはそうではなく、じんわりまったりとした辛さが周辺からやってくるような感覚だった。

辛さよりも、うまみがソースに染み出ていて、にんにくなどの薬味にうまく染み込んでいるようだった。肉がなくなった後も、箸でソースを掬い取りたいような美味しさだった。辛さの後の、乳性分の効いた杏仁豆腐もさわやかだった。

先日、台湾へ研修旅行に出かけるという張り紙がしてあったので、多重な味にさらに今回の台湾の味も加わっているのだろうか。

このように味を辿っていくと、二種類あって、習慣的で身近な味と、遠くから来てちょっと変わった味とミックスされていることに気づく。とくに、中華料理は、地域密着的な味というより、遠くへ遠くへ伝えていくような性質を持った味を提供することに秀でているように思われる。

帰りに修理をお願いしていたパソコンを、Kビジネスから受け取って、「社会と経済」カンファレンス室へ行く。きょうは重要な会議があって、先生方も出払っていたので、Aさんの淹れたコーヒーを独占して飲んで、きょう最後の仕事にとりかかった。

2008/02/11

在宅ワーク支援室

Jimu すっかり仕事が溜まってしまったので、F先生にお願いして、休日にもかかわらず共同作業を行っていただくことにした。F先生の住んでいるマンションには、「在宅ワーク支援室」という洒落た会議室があって、自宅で仕事をする人用に貸し出している。マンションの集会所は別にあるので、純粋に仕事用に作られている。電話線もあるし、LANも整備されている1LKの個室だ。

横浜の1等地にあって、山下公園とその向こうに海が見える。学生時代には、海岸通に事務所を持ちたい、というのが夢だった。何のための事務所なのかと問われれば、ちょっと返答に窮するのだが。

Chuuka 午前中にはほぼ半分が片付いたので、中華街へ繰り出すことにした。「徳記」という醤油そばの店があり、ここの葱そばが美味しい。店の女主人は、直裁な物言いで有名で、きょうも若い夫婦に、「ベビーカーはソト、ソト」とキツイ口調で注意していた。慣れれば、他意はないことはわかるのだが、初めての人はびっくりするだろう。

そのかわり、葱そばを食べれば、そんな些細なことは忘れてしまう。この葱の細切りの微妙さ、そしてこの味の繊細さは最後の一滴まで味わってしまう美味しさだ。最近、みなとみらい線の開通で、中華街の本通りや、市場通りは、人混みでごった返しているが、きょうのところはその波は「徳記」までは押し寄せてはいなかった。

Renga 帰りに、旧外国人居留地のレンガ塀が残っているところを案内してもらった。この近くに、じつは外国人用のコーヒーを商う外国商館があったのだ。偶然、それが現れたので、驚いた。

午後になるとすこし眠気が襲ってきたが、やはり集団で仕事を行うメリットがあり、最後まで頑張る事ができた。3時半までには、なんとかすべて済ますことができた。F先生には感謝感激である。

Jb 今週で最後になってしまう映画「いのちの食べ方」をみるために、阪東橋の映画館「ジャック&ベティ」へ駆けつける。始まる寸前だったので、立ち見ですよ、と言われてしまった。けれども、小さな椅子を出してくださって、前のほうで観てくださいと便宜をはかってくださった。残りものに福があるのだ。

映画は厳しかった。人間の現実というものは、ほとんど虚構でできているものだ、ということを再認識した。現実をすべて知ってしまったら、おそらく、何も食べることはできなくなってしまうだろう。ドキュメンタリータッチのこの映画は、逆説的にも、そのことを伝えている。

もちろん、食の人工化、大量生産化を糾弾しているのだが、それとは別に、虚構ということがあって、人間は相当救われているのだな、ということも再認識したのだ。

スィーニー・トッドと同様の状況だが、帰りの黄金町駅までの途中、精肉店があり、思わず怖いもの見たさの感覚で、店の奥のほうをじっと観てしまった。

2008/02/10

高校教科書への採用

昔、教わっていた大学の先生が自分の文章が高校の教科書に採用された、とおっしゃっていて、妙に印象に残っていた。考えてみれば、それはたいへん名誉なことに違いない。模範となるような文章である、と認められたことだからだ。

名誉という言葉があるとしたら、文章を書く者にとって、これほどの名誉なこともない。勲章などとは異なって、実質的な内容が取り上げられたのだからだ。教科書を編む人びとによって、いわば目利きのプロによって認められたことになる。

このような名誉ならば、いつでも受けてみたいものだと思っていた。じつはきょう、三省堂の国語教科書編集部から手紙がきて、平成20年度から4年間使用される高校の検定教科書「新編 現代文」の教師用指導書である『学習指導資料』に、わたしの文章が参考文として、掲載されることになったと書かれていた。

これは自慢であって、それ以上でもそれ以下でもないのだが、たいへん「名誉」なことだと、ひとりで喜んでしまった。教師用の指導資料というところが泣かされるところであるが。高校の先生方の目に適うとは到底思えないが、参考資料で、賛成意見、反対意見さまざまあるなかの一つとして採用されたのであれば、納得がいくところである。

さすがだと思ったのは、文章のなかのミスプリを修正のうえ掲載させていただきます、と書かれていたことである。放送大学の教科書も、どのような方によって、どのように見られているのか、わからないな、と身震いしたしだいである。

2008/02/09

栄養調査の説明会

朝早く、学習センターへ行くと、8時半だというのに、すでに学生のかたがいらっしゃっていて、「食物と健康」という授業の教室はどこですか、と質問される。10時からですよ、というと、時間を間違えましたと答えた。健康についての授業には、学生が詰め掛けると聞いたが、時間を間違えるほど熱心なのには、驚いた。

それほど、世の中では健康ブームが持続しているらしい。さて、きょうは待望の栄養調査の説明会である。琉球大学医学部のT先生をはじめとして、スタッフが20人ほど学習センターへ乗り込んできて、今日と明日の二日間かけて、さまざまな調査と検査の説明を行う。

最初は応募が少なくてどうなるのかと思ったほどだが、幸いなことに、途中からどんどん集まり始め、募集の300名は優に超えて、抽選を行ってお断りするくらい参加者が集まった。人びとの健康に対する関心の強いことは、ここでも証明されることとなった。

詳細な説明がT先生やO先生などによって行われ、わたしも分担部分の説明を行ったのだが、その際余裕があったので、ちなみにこの調査の情報を何によって知ったのかを尋ねてみた。

80%を超える人びとは、神奈川新聞と朝日新聞の記事から情報を得ていた。それに1割程度、ラジオなどの媒体によるものだった。わたしにとって、思いがけなかったのは、放送大学の学生の方がほんの数人しかいなかったことだ。

試験期間中を含めて、ポスターを学習センターのあちこちに貼り、チラシを数百枚刷って、すべて捌けていたので、半分くらいの応募者は放送大学生だろうと予想していた。ところが、見事に外れてしまった。

このことは、現在学生募集中の期間なので、学生以外の方が300人近くも学習センターへ集まってくださって、学生募集にとっての宣伝効果には絶大なものがあった、という評価に結びつけることも可能だろう。けれども、逆に考えれば、放送大学では、所属学生の方がたに対して、広報を行き渡らすことがいかに難しいのかということを露呈してしまった、という見方もできるだろう。

いろいろなことを学んで、とりあえず健康に関する栄養調査は始まったのだ。採血や食事調査を含むような、これほど綿密な調査は日本では類を見ないであろう。いずれ、ここでも調査結果を発表することができるのではないかと考えている。健康に対する社会的要因分析の点でも、考察を進める一助になることを期待しているしだいである。

2008/02/08

連携というネットワーク関係

社会の結びつきのなかで、組織間の結びつきについて考えることは、双方の組織内部の人間関係がからむために、もっとも知的な刺激を受けるところである。昨今の企業合併ほどの刺激はなくとも、大学間やNPO間や社会施設間の連携ネットワークは、盛んに行われるようになっており、見逃すことはできない。

きょうは、神奈川学習センターで学生支援で手伝っていただいているKさんと、横浜市内の社会施設を回ることになっている。先日から継続して報告している「知識循環」型の面接授業をお願いするためだ。これによって、組織同士の連携という、両方の組織の特色が相乗する効果が見込まれる

かねてから、電話で予約していた中央図書館のTさんとAさんに会う。こちらの趣旨を直ちにご理解いただき、たいへん積極な対応をしてくださった。これも、昨年大学リレー講座で、こちらを訪れ講演させていただき、そのときにお世話になったIさんを通じて、紹介していただいたことも影響していると思われる。

これだけ、前向きに考えてくださる方がたがいらっしゃるということは、単に制作の側からの圧力だけでなく、現場の方がたは当然利用者たちの要望としてもプッシュがあるのを感じているからだと思われる。けれども、ふつうの業務以外に仕事をお願いすることなので、担当する方にとっては労働加重になりかねない。この辺は、注意せねばならないと思っている。

次に回るところまで、3時間ほど時間が空いてしまったので、一度神奈川学習センターへ戻って、明日からの栄養調査準備のためにいらっしゃっていたT先生とセンター長のH先生と、昼食を一緒にとる。この弘明寺にも、洒落た店ができてきている。最近できたフランス料理店へ行くと、予約だけでもう満員だそうで入れなかった。弘明寺商店街といえば庶民的な店が並ぶというイメージだったが、変わってきているらしい。

昔からある西洋料理屋「Makoto」へ行く。ここは数学のK先生の行きつけの店らしい。ほぼ満員状態だったが、なんとか席を確保する事ができた。やはり、古くからある店は落ち着く。

午後から、Y美術館へ伺った。ここは、「5つ星美術館」の異名をとるほど、社会的活動の高い美術館として知られている。学芸員のAさんとKさんが会議を中座して、駆けつけてくださった。

すでに送っておいた資料で、おおかたの了解が得られていて、どこが問題になるのかについて、詰めた話ができた。こちらも積極的な姿勢で臨んでいただけるようなので、今後にたいへん期待できそうである。

帰りにお寄りください、と現在展示中の展覧会Goth展のチケットをくださった。ゴスというのは、ゴシックのなまったもので、暗い色調で、細身なスタイルの現代における若者のファッション様式だが、それがロリータ趣味などと結びついて現代に表れているらしい。

共通に、身体と精神の葛藤が描かれている。面白かったのは、Dr.Lakraの「昆虫を組み合わせて制作した額入り肖像のコラージュ」だ。これは、実際に見てみないと、その微細な感覚がわからないかもしれない。愛好家が来ていて、一眼鏡で細かいところを熱心に見入っていた。束芋(Tabaimo)の手と足が交錯して動く動画も面白かった。

さて、経済社会学者グラノヴェターが「弱い紐帯の強さ」という有名な論文を書いて、注目されたことがある。今回のネットワークの試みは、これまでほとんど関係のなかったところと連携を結ぼう、という企てなので、まさに「弱い紐帯」の有効性を試してみるという内容になっている。

これほど熱心な中核となる方がたを動員するからには、成功しないわけはない。少なくとも、その成果について、わたしの研究課題の題材になることだけはすでに決定されている。

2008/02/06

ネットワークの逆転

社会的ネットワーク論で、強いネットワークと弱いネットワークの存在が問題になる場合がある。

きょう、銚子のホテルで朝食を摂ろうと、1階にあるカフェへいくと、喪服に身を包んだ中年の男女の一群に会う。ホール一杯に響くような大きな声で、談笑していた。どうも地元出身者の親族グループのようだ。

久しぶりに、法事でふるさとの銚子に集ったのだろう。聞くともなしに聞こえてきてしまったことの多くは、自慢話だが、無難なところでまとめている。昔を思い出しながら、親族の同一性を高めようという暗黙の意図が感じられた。もちろん、このような場で議論はあまり馴染まない。

たとえば、話題としてイチロウの苦労話が持ち出されていたが、誰もが反論することのない話題だ。イチロウに続いて、銚子出身(?)の、ジャイアンツの篠塚が話題になっていた。これもおそらく、当たり障りのない話題で、みんなが一致する話の内容になることは目に見えている。

ちょっと奇妙なことに気づいた。それは、ふつう親族のネットワークは、常日頃から凝集性が高く、小集団の中だけの話に終始する。したがって、むしろこのような「イチロウ」や「シノズカ」を改めて、声高に持ち出す必要がないのだ。

それでは、なぜこの場でそれが話題になったのか、それが問題だと思う。つまり、同一性を強調しなければならないほど、この親族グループは疎遠な関係になってしまっていた、ということだろう。

本来、「親族」は、かなり「強いネットワーク」を組むことで知られている。けれども、時間が経つにつれて、「親族グループ」間で距離が離れ、単に冠婚葬祭だけで結びつくようなグループになってしまうことは、往々にしてあることだと思われる。

いわば、強いネットワークが弱いネットワークとして機能し始めることが起きるのだと思われる。このことが理解できれば、反対に弱いネットワークが媒介するものによっては強いネットワークに発展することもありうるのだと思う。

2008/02/05

Land's End

英国のコーンウェル地方にランズ・エンドと呼ばれている名所がある。最西端であることで、ひとつの観光地になっている。NHKの番組で、ある俳優がそこにある自然の地形を利用した劇場を紹介していて、印象に残ったことがある。

きょうの講義が終わると、H先生が現れて、素敵なところに連れて行ってくださる、という。ちょうど陽が落ちて、太平洋に向かって車を走らせると、ランズ・エンドという雰囲気がひしひしと迫ってくる。

連れて行かれた場所は、かの有名な犬吠埼の灯台であったのだが、昼の観光客が集まってみるようなところは宵闇に消えて、灯台の周りを一周すると、スケールの大きな夜の太平洋の姿を感じることができた。

こちらは、ほぼ360度海なのだ。断崖絶壁から見る夜の太平洋は、荒々しさも通り越して、荘厳さを醸し出している。押し寄せる波の壮大なことは、かつてトンガに行ったときに、秘境という感じで見て以来のものだった。

意外だったのは、灯台のサーチライトだった。沖を通る船は、光の種類から観て豪華客船のようだが、転々といくつかが黒い海に広がっており、灯台のライトはそれを通り越して、地上の果てから、海の果てまでも映し出すかのように、信じられないほど遠くまでも、閃光を届かせているのだ。

昔、小さな劇場でアルバイトの照明係をしていたことがあり、遠くを照らす快感というか、すべてをひとつの劇場宇宙のなかに映し出したいという欲望というか、これらの思い出が出てきて、大自然が一挙に暗い大劇場に変身してしまったのを見た。

波の音とリズムが心地よく、黒くなった青空に突き刺すサーチライトが綺麗で、いつまでも、このランズ・エンドを楽しみたい気分だった。時間が許せば、もう2時間ほど、海を眺めて居たかった。

英国のランズ・エンドは、「地の果て」であるという不便さを逆手にとって、観光の拠点にのし上がった。銚子も東京から程よく離れていることで、地方ということを程よく実現している。ランズ・エンドとしての利点というものが実際にあるのだと思う。これからも、このことは銚子の位置を有利に導く可能性を秘めていると思われる。

2008/02/04

マリーナ・キャンパス

思わぬ雪が降ったせいで、少しずつ社会の交通秩序が狂ってきている。すべての人が通常より早くに家を出たらしい。そのため、少しだったが、混乱が起こった。

途中、ひとつの事故がたまたま起こったらしい。すると、たちまち全体にそれが波及して、小さかった混乱がしだいに大きくなってきている。

たとえば、今回の事故のため、総武線が東京駅での折り返し運転になってしまった。すると、継続していた列車を乗り換えるために、ホーム間で民族大移動が展開され、人びとが錯綜することになる。あたかも、雪崩が起こったように、混乱の輪が大きくなっていくのだ。

朝、5時に起きて、房総半島の銚子へ向かっている。時間を見るためにつけたテレビで、星占いをやっていて、たまたまわたしの星座が最下位で、「大混乱に巻き込まれて、収拾がつかなくなる」と出ていた。

横浜・東京の天気がこんなであったから、占いを信じるならば、さぞかし銚子はかなりの大混乱をきたしているのではないか、と駅に立つ。ところが、着いた途端見上げると、空には青空が広がっていた。

080207_151501 集中講義を行うC大学には、本部キャンパスとマリーナ・キャンパスとがあって、その名のとおり、キャンパス前にヨットが繋留されている。そのうしろは、見渡すかぎり太平洋が続いている。何も遮るものがない。

C大学の空は、180度すべてが海の上にある。海また海の上に、青空が広がっている。左に、名前のない岬がそのままずっと海に突き出ている。地元のタクシー運転手さんに聞くと、他の地域なら、第1級の観光名所になるのにな、とおっしゃる。地球規模の壮大な風景がそのまま放置されて、自然のままに置かれているのが、ここの良いところだと思われる。

080207_151401  収拾のつかない大混乱が人間の側に起こったとしても、この銚子の自然はそのままの状態を映すだけだろう。日本離れした雄大な風景のもとでは、星占いもはずれてしまうのだ。

2008/02/01

金沢の変わり様

金沢をふるさととする室生犀星は、1932年に次のように書いている。

「私も以前はこの町の人の活気のないことに愛想を尽かしていたものですが、いまでは、この町はこの町の精神だけで生きて行かれることを知ってから、かういふ珍しい自営自得の国宝的な美しい町もあってもいいと考へるようになって来たのです。だから文明とか発展とかの必要はなく、このまま、そっくり何百年でも持つだけ持って行った方が美事なやうな気がしてくるのです。これは都会的な骨董品であってそっとしてをくべきものではないでせうか。」 

この町の特色は、古さをふつうのことと考えるところにあり、つまり「骨董品的」都会である点にある。職人のまちという印象が強い。この文章の室生犀星も、それから泉鏡花もその職人的伝統を受け継いでいて、文章の凝りかたが独特である。

ところがである。今回訪れてみると、まず何ということであろうか。この町のシンボルである「近江町市場」が壊されて、新しいビルが建設されつつあるのだ。1昨年、金沢に来たときには、そのような再開発のことはまったく知らなかった。

さらに残念だったのは、以前来たときにたっぷりとした時間を過した、古い建物のまま残されていた喫茶店「ぼたん」までも姿を消してしまったことである。こちらは跡形もなく、コンビニに変身していた。街全体が浅薄になったようだった。

Photo 朝、金沢駅前のホテルで目を覚ますと、雪が降っていた。やはりこれでなくちゃ、金沢の雰囲気は出ないな。雪が新しさを隠してくれる。とはいうものの、今日一日取材に歩くことに決めていたので、急遽予定の半分を諦めて、とりあえず時間を考えると、訪ねることの難しいところに足を伸ばすことにした。

駅前からバスに揺られて、小1時間のところに、湯涌温泉というところがあって、そこに竹久夢二の美術館がある。岡山と東京には、夢二美術館はあることは知っていたが、金沢にあるというのは、こちらへ着てから知った。

Dsc03040途中、雪国らしい風景がつぎからつぎへ現れて消えていく。とくに木立に乗った小雪がさらさらと連鎖反応を繰り返して、降りていく流暢さは、雪が流動体であることを思い出させてくれる。

この夢二美術館には、大正時代の雰囲気が凝縮されていて、戦間期の文化状況を知るには逃すことはできない。もちろん、夢二が当時の少女たちのこころを掴んだ特殊な事情もあるが、それ以上に、時代の求めた民衆文化の諸相を色濃く持っている。

今回の展覧会は、「たまき」「彦乃」「お葉」という3人の女性にまつわる恋を題材としたものだった。有名な宵待ち草も、この館所蔵の絵である。「まてど暮らせど来ぬ人を、宵待草のやるせなさ、こよいは月もでぬさうな」大正時代の記憶と言えば、このメロディーが出てきてしまうほどだ。

さて、注目したのは、たまきが経営した「港屋」である。109などを覗けば、少女好みの雑貨屋が所狭しと並んでいるが、これが現代的であるというわけではない。港屋はすでに1914年、日本橋呉服町に「港屋絵草紙店」として開業されていて、千代紙やカードで評判を取っていた。たまきの開業のあいさつ文がとてもよいと思う。

「下街の歩道にも秋がまいりました。
港屋は、いきな木版画やかあいい石版画や、カードや、絵本や、詩集や、
その他の日本の娘さんたちに向きそうな絵日傘や、人形や、千代紙や、半襟なぞを
商う店でございます。
女手ひとつでする仕事ゆえ不行届がちながら、
街が片影になりましたら、お散歩かたがたお遊びにいらしてくださいまし。 

吉日外濠呉服橋詰 港屋事 岸たまき」

一方において、複製文化の到来に対して、積極的に取り入れようとする先進的な姿勢が目立つ。他方において、ビジネスが体勢となった日本社会に対して、「片影」になったら、つまりアフターファイブの余暇文化を喧伝しようとする姿勢も顕著であった。

Cake 収穫多い金沢での最後のコーヒーは、市内へ戻って、評判高い21世紀美術館のカフェテラスで、チーズケーキと一緒にいただく。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。