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2008/01/08

表情の恣意性

朝、神奈川学習センターへ向かう道が工事中であった。昨日通ったときには、正常であったので、急遽決まったのかもしれない。

と思いつつ、道を歩いていると、道の奥のほうで、中年の男性が工事の警備員と話していて、急に話を打ち切って、こちらへ向かって歩いてきた。

何となく嫌な予感がしていたが、当たってしまった。どうやら警備員に、なぜ工事が急にはじまってしまったのか、問いただしていたらしい。確かにこの道を迂回するとなると、かなりの遠回りを余儀なくされる。

そして、その男性は、きっとした顔をして、わたしを睨みつけたのである。警備員との話を終わらせて、すぐ顔をこちらへ向けたので、感情を転換する余裕がなかったのだろう。怒りがそのまま顔の表情に表れてしまったのだ。ひとはそれほど感情を統制できるものではないことを、これほど如実に示した例はないだろう。

わたしのほうこそ、いい迷惑だ。何も関係ないのに、怒られてしまった気分である。朝の爽快な気持ちが、この一瞬に吹っ飛んでしまった。

何を言いたいのかといえば、「表情」である。先日、駅伝で追い抜かれた選手の表情について書いたが、これが意外に不評で、妻からクレームがついてしまった。その選手は、抜かれることを知っていたのだ、という解釈で、だから飄々とした表情をしていたのだと言う。

諦めていた表情なのか、それとも意外で拍子抜けした表情なのか、見解が分かれた。F先生によれば、身振りは人間の最初のシンボルだと言う。表情も身振りに近いと解釈すれば、選手の表情は「シンボル」的であり、シンボルであるからには多義的なのだ。いくつもの解釈を内包した表現として、彼の表情はあったに違いない。

工事に怒った中年男性の表情は、明らかに怒りの表情であったと思われたが、本人は違うことをすでに考えていたかもしれない。ただ表情だけがそれについていけなかったに過ぎないのかもしれない。だから、怒りの表情も実際のところ異なる意味を持っていたのかもしれないのだ。

怒りを他の人に向けようとしていたのか、それとも、つぎの感情が現れる前の表情であったのか、それは今となっては想像してみるしかないだろう。このとき、わたしの表情が笑っていた表情だったら、おそらく彼はさらに怒りの表情を継続させることになったと思われる。小学校時代に、表情が現すコミュニケーションについて、あまり敏感でなかったために、手痛い報復を食らったことがあって、思い出してしまった。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。