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2008/01/18

二重化する健康観

昨年の夏、健康に関する研究会で話す機会を与えられた。そのときに、場所を変えて、同じ話をしてもらえないか、という要請をT先生から受けていた。

きょう、銀座の松屋から築地のほうへ向かったところにある洒落た会議室で、喋る機会をもった。以前と異なる点は、社会疫学でこのところ進んだ知見を盛り込んで、健康に関する消費論に結び付けようという試みである。

成功したか否かはわからないが、講演のあとの質問をみると、一定の問題提起くらいにはなったかもしれない、という反応だった。

話しているうちに、それぞれの健康観の違いや共通点が見えてきて、面白かった。たとえば、健康というのは、日本国憲法にも規定されているように、最低限の保証されるべき社会的権利である、という考え方が定着しているのだが、J大学のW先生は、ずばっと「健康は本来贅沢品だったと思う」、と述べられて、こちらが言い出しかねていたことをおっしゃってくださって、話が弾んだ。

もっとも、現代においては、公的保障があったり健康保険が整備されたりしているので、贅沢の構造が複雑になっているのであるが。

そこで講演会の後になって考えたのであるが、どうも近年、日本人の健康観がたいへん厳しいものになってきているのではないか。たとえば、医療の世界で、エビデンスということにきわめてこだわる人が増えたようだ。

もちろん、病気の原因として証拠があがっているものについて、食べたり飲んだりすることはなるべく避けるべきであるが、絶対的に禁止すべきか否かは、社会のなかでの生活上のバランスの問題として考えたほうが良い場合もあるのではないか。

このとき、おそらく考え方は二重化しているのだと思う。基礎的なところでは、十分に安全で安心できる最低限の健康管理の方法が必要なのだと思われる。けれども、もうひとつ上のレベルでは、十分な情報と知識を与えた上で、健康の対象者は自由に選べる状況がありうるのだと思われる。

ちょっと抽象的な言い方になってしまったが、このようなことがサプリメントや贅沢消費をめぐって問題になった。今回も多くの質問と議論が参考になった。何人かの方がたからは、参考文献もいただけるようであるし、むしろわたし自身にとって講演を行った成果は十分上がったといえる。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。