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2008/01/04

「初」展覧会

ことしの展覧会の「鑑賞初め」は、ブリヂストン美術館となった。上野のムンク展を観に行って来た妻と、丸善で待ち合わせて、八重洲の京橋にある美術館へ行く。

途中、八重洲地下街に古本屋さんを見つけた。マーシャルの旧版大塚訳『経済学原理』全5巻が2000円で出ていた。他にも、昨年出た本で、第3セクター関連の本などが、要領よく並んでいて、これなら十分、東京駅という費用がかかる場所でも収益があがるな、と狭い場所での品揃えに感心したしだいである。

ブリヂストン美術館は、結婚してすぐに、ルオー展を観に来たところで、強く記憶に残っている。そのときの印象が素晴らしかったので、きょうもルオーはとりわけ見入ってしまった。

1925年制作の「赤鼻のクラウン」は、いつものように何層にも積み重ねられた絵の具の量もさることながら、その黒い重厚な線があらわす存在感にしばし見とれた。この黒い絶対的な輪郭線が、存在と非存在を描き分けている。わずかに見える緑の圧倒的な余地が少しばかりの余裕をあらわしているが、それ以外は極めて厳しい状況に迫られている。まわりの世界との段違いの格差を創りだしているのだ。

1935年制作のマティス「青い胴着の女」は、今日でも現代的だな、と思わせる一枚だ。わたしにとって、マティスは観るたびに解釈を変えさせる何かを見せてくれる。現実を解体していき、そのバラバラなものをひとつひとつ再構成していく手順の良さと、そのリズム感ある造形の見事さは比類のないものだ。とりわけ、色と形全体の明るさとが心地よい。自由さがあふれているのだ。

そして、数々取り上げたいものを押しのけて、印象に残ったのは、1878年制作のピサロ「菜園」であった。これは意外であった。そこに何かがあるのだが、それは白さなのだ。その白さは、壁であり、建物であり、木々であるのだが、全体として白いのだ。まるで世界全体に白さが混じっているとばかりに存在している。この最初の白さが大事なのだが、つぎにその白さに何かが加えられつつ、削減されていく。

解体と再生、あるいは創造と模倣、どちらの解釈も近代以降のパターン化の方程式なのだが、それらが最終的に落ち着くという保証はない。けれども、ここまでの調整がうまくいったものが、きょうたくさん観られたことは幸いだった。ことしも豊穣な1年になることを願っている。

今月から来月にかけて、関西と北陸出張が3回続く。そこで、いつもの旅行会社で、新幹線と宿の手配を済ませる。お正月のプレゼントで、一日乗り放題の大阪市内交通券をもらうが、観光ではなく用事で行くので、回って歩く時間のないのが残念なところである。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。