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2007/12/25

音のない世界

健康診断から尾を引いている問題で、難聴がある。ところが、今日ふっと目覚めると何も聞こえないという不思議な感覚に陥った。

中央線の特急列車の中で、トンネルを抜けて、眠いなと目をつぶるとすっと眠りに入ったところまでは良かったが、どうも起きてからが変だ。電車のゴットンゴットンという、いつもならうるさいくらいに聞こえてくる電車の震動音が耳にまったく入ってこないのだ。電車は、何の抵抗もない、超伝導車(といっても、超伝導の電車にまだ乗ったことはないのだが、いかにも震動が無いように思える。)のごとくに、滑るように空中を走っている。

耳が聞こえないことに気づいたのは、回りの人びとの話し声すらもまったく聞こえなかったからである。ああ、ついに来るべきことが来たのか、という気分であった。健康診断のときに予兆があったので、心の準備は出来ていた。(一時的なものなので、ちょっと大げさかな。)

覚悟を決めてしまえば、雑音・騒音がまったく聞こえない世界というのは、かえって快適かもしれない。もちろん、日常の生活には支障があるだろうが。このときはまだ幸いなことに、授業に向かっているのだという自覚が欠如していたのだ。

けれども、しばらくして、八王子、そして大月を過ぎ、山梨県に入ってくると、車内販売のおねえさんの声がかすかに聞こえてきた。どうも、やはり右がだめで、左は多少良くて雑音は聞こえないが、すこしの人の声ならば、聞き分けられることがわかってきた。授業では、事情を話して、すこし大きな声でお願いしてみようと決め、気が楽になった。

それにしても、耳が聞こえないということは、同時にこれまで激しかった耳鳴りも聞こえないことがわかり、この点ではよしよし、という気分だった。それに、いつもは何でもないことなので聞き逃していて、今回気がついたことがある。先ほどのゴットンゴットンという音は、音の感覚だけではなく、レールに繋ぎ目があるという情報を与えていたのだと思い知る。

このことから類推できる事は、おそらく、耳が聞こえなくなれば、視覚、もしかしたら触覚や味覚にまでも影響を与える事になるだろうということは想像できる。つまり、感覚全体の再編成を行わなければならないのだ。このとき、聴覚をうまく補うことができる再編成ができるとそれまでとあまり変わらぬ生活ができるに違いない。

それにしても、毎日老人が増え、確実にわたしのように耳が聞こえない人が増え続けてきているのだ。このような音のない世界は慣れてしまえば、それと付き合っていくしかない世界であり、今後も可能性のひとつの世界でありえる。これとまともに付き合うべきときが近づいていることを今回は思い知らされた。

ベートーベンは、20歳代から耳が聞こえなくなったといわれている。たぶん耳硬化症で声を聞くことができなくなったらしい。このとき、おそらく絶望したと思われるが、その後何らかの方法で音楽を創造する「耳」を発達させていったと考えられる。それがどのような方法だったかは想像できないが、残された音楽がそれを語っている。

そういえば、音のない世界に接する機会が一度あった。やはり、小学校時代の経験である。このとき、どうも中耳炎にかかっていたらしく、健康診断で難聴を指摘された。それで、近くにあった信州大学の病院へいって、聴力のテストを行った、これが聞こえないのである。中耳炎だったので、それが治ると、聞こえるようになったが、それ以来人の声が聞こえていないのではないかという強迫観念がある。

おそらく、妻の声がいつも聞こえないのも、このときの強迫観念がゆり戻してきているからに相違ない。妻ばかりでなく、他の人の声も聞こえなくなるならば、そのための準備を行っておかなければならない。とりあえず、今ここにある危機、今日これからの講義のことがまず先決問題だ。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。