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2007/12/15

卒論の審査

大学にいて良かったな、と思えることはいくつかあるが、そのなかでもとりわけ素晴らしいと思えるのは、学生の書いた卒業研究が完成したときである。

きょうはその面接審査の日であった。いつものように、H先生が兵庫学習センターで、関西在住の学生の方を招き、わたしが神奈川学習センターで関東在住の学生を集め、Webカンファレンスシステムで双方の学習センターをつないで面接を行うのだ。

H先生の担当された学生も、なかなか地道な調査や考察を繰り広げて楽しい審査となったが、とくに印象深かったのは、多少贔屓目かもしれないが、わたしの担当したKさんとSさんであった。

Kさんの中心課題は、日本人の個人主義の系譜を検討することであった。とくに、丸山眞男の「個人の析出パターン」論文を中心とした日本人の個人観の解釈と整理はたいへん興味深いものだった。「自立化」や「民主化」という近代特有の個人のあり方に対して、問題となるのは「私化」や「原子化」をどのように評価するかであるという点である。

Sさんの論文は、中世の物語のなかに見られる経済観念を発掘し取り上げたものだが、その表現形式に工夫が行われていた。おそらく、一般の大学では、到底思いもつかないことだろう。会計の仕訳を使って、概念を貸し方と借り方に分けていくのだ。

いずれの論文も、たいへん力のこもったものになっていて、読んでいて思わず引き込まれる新鮮さとユニークさを持っている。今回だけに終わらせることはできず、おそらく、生涯にわたって追い求める課題になってしまったことは間違いない。今後も探究を続けるに違いないだろう。

このように、卒業論文というのは、換えることのできないある種の出会いの雰囲気を持っているから、ここがたいへん良いところであり、入った人にしかわからない魅力のある部分なのだ。放送大学の卒業論文には、他の大学にない「時間の積み重ね」が反映されていることも、じつは読んでいるときに感ずることだ。

この重層的な時間の一瞬でも感じられる間は、放送大学特有の経験的な知識に学ぶことができることになる。だからというわけでもないが、卒業研究を読む作業をいつまでも続けたいと考えているしだいである。

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