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2007/11/28

ウディ・アレンの冗舌な空疎さ

仕事を早めに終わらせて、TOHOシネマズ川崎へ駆け込んだ。ウディ・アレンの新作「Scoop(邦題:タロットカード殺人事件)」は、良い意味で、「騙された」という映画であった。

ウディ・アレンの映画がなぜこんなに多作であるのか、ということは考慮に値する。ふつうは、B級であるから、とか、軽いから、とか、予算があまりかかっていないから、とか、という理由が付けられている。

たしかに、これらのいずれも、ウディ・アレンの映画の特徴をあらわしていると思う。つまり、同じく多作であった、チャップリンやマルクス兄弟的な要素をたぶんに持っていて、その場で即興的にシナリオを書いているような、良い意味で、ドタバタ劇の伝統を受け継いでいると思う。

けれども、決定的にウディ・アレン的なのは、冗舌であることだ。映画のなかで、いつものようにウディ・アレンがよせばよいのに要らぬことを連発していた。でも、これが観客に結構受けていた。

もちろん、おしゃべりの冗舌さは特徴のひとつではあるが、むしろここで言っておきたいのは、映画的な冗舌性である。

今回の「タロットカード殺人事件」では、主人公の女学生サンドラが一人で、女記者として、この事件に挑んでも何の不思議もない話である。なぜウディ・アレンが奇術師スプレンディーニとして、サンドラを助けなければならないのか。恋人でもないし、友人でもない。ふつうの映画では存在しないシチュエーションを作り出していて、つまりは、スプレンディーニの存在そのものが冗舌なのだ。

最後には、どうということもない交通事故を起こさせて、スプレンディーニをあっさりと画面から消してしまっている。

ジャーナリスト志望のサンドラが、青年英国貴族のピーターの懐に飛び込んで、虚々実々の騙しあいを繰り広げるのだが、ここでも父親役として、いらぬお節介の役を媒介させている。

じっさいに話を進める役としては、すでに死人となって幽霊として現れるジョーがいるのである。なぜこのジョー役をウディ・アレンが務め、サンドラと協力して事件を解決するというすっきりした筋にしなかったのか。

その答えは、おそらく冗舌性を重視したからだろう。下手な奇術を見せながら、寄り道しながら話を進めたかったに違いないのだ。

前作のマッチポイントのような、あざといトリックはないが、その代わりに、ふんだんにしゃべって見せたのだ。サンドラとスプレンディーニの掛け合いはたいへん面白いし、スプレンディーニのスラップスティック的な空想の冗舌さは、かなり映画的であると思う。

当然、それは言葉だけなので、空回りしてしまうところもある。犯人のメイドに見つかってしまうときの言いぬけは、わざとうまくいかない、言葉だけの空疎感を出していた。鼻白む雰囲気を気にせずに、なおも冗舌を続けるのは、やはりウディ・アレンの人間性に依存しているのだろう。いい加減にしてくれというのか、磨きがかかってきているというのか、それは五分五分だ。

ウディ・アレンが、今後も、映画的に観客を「騙し」続けることができれば、かれの冗舌さは、天下一品ということになると思う。つまり、かれが多作なのは、かれの本質が冗舌性そのものだからだ。その冗舌に人びとを巻き込むことに、映画の質を賭けているからだ。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。