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2007/11/16

山口大学へ初めて訪れる

山口大学と放送大学との間の「単位互換」のことで、山口市湯田温泉にある山口大学へ出張することに相成った。ほとんど、放送大学の連携推進室長のI氏が話を進めるので、居てくれればよいということだった。

ふつうであれば、担当の先生がいくところだったが、ご都合が悪いとのことで、代理を頼まれたというわけだ。朝、ちょうどANAの搭乗システムが変換するところにあってしまい、航空券の機械から出てきたのは、なにやらバーコードの入った券であった。これをスイカのように搭乗のときかざして、飛行機に入っていくのだ。

山口宇部空港には、山口学習センター所長のM先生とU事務長がいらしていて、山口大学までの道中、熱心にこれからの計画をお話くださった。山口大学では、用意していった名刺がすべてなくなるほど、多くの方がたとお会いした。今回の単位互換制度には、これらの方がたの努力が注がれている。

そもそも単位互換制度がなぜ行われるのか、ということは、知られているほど理解されていない。互いの大学生同士が、相手大学の授業を受け、単位を授与され、その単位を自分の大学の単位として認定してもらう制度である。

だから、もし双方に同じ科目だけが存在するのであれば、単位互換を行っても無駄かもしれない、と考えられてしまう傾向がある。けれども、わたしには、決してそうとは思われない。たとえ同じ科目であっても、互換することで、相互のネットワークが形成される。それに、科目の選択が広がるばかりでなく、むしろ科目の内容が深まる可能性があると思われる。ところが、互換すること自体に意義があるのだ、というところにまで、なかなか認識が深まらないのが現状だ。

もちろん、内容までまったく同じであるとあまりメリットはないかもしれないが、ちょっとでもそれぞれの特色が生かされるならば、単位互換の役割はそれだけであるのだ。さらに進んで、将来共同で授業を制作することにまで発展できれば云うことはない。

けれども、最近大学では、経費削減が叫ばれているので、この路線に合わなければなかなか単位互換も進まないきらいがある。経費削減とネットワークの利益とは、必ずしも二律背反するものではないとも思われる。しかし、このことはもうすこし進めてみないと、実際のところはわからないだろう。

お話を聞かせていただいていると、大学間の理解と誤解とがいかに生ずるのかが、改めてよくわかった次第である。勉強になった1日であった。

夜は山口大学のある湯田温泉に宿をとった。24時間かけ流しで、1日の疲れが洗い流された。明日は、取材を兼ねた観光を計画している。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。