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2007年11月に作成された投稿

2007/11/30

エディット・ピアフの生きかた

放送大学の東京連絡所で、国立印刷局の方がたと会って、ここ数年来進めてきている「印刷教材の検索システム」の相談を行う。これまでは、研究用に使うだけで、ほかには小数の学生のかたに、見ていただいたぐらいで、何とももったいない状態だった。

他の大学と放送大学との違いのひとつは、自前の教科書を持っていることだ。これらの科目を横断的に勉強できるような教科書の使い方を実現したいと考えている。来年には、たとえ部分的であっても良いから、著作権処理をうまく乗り越えて、ぜひインターネット経由で使えるように目指したい。

担当の方がたの整理がたいへん手際よかったので、相談もトントン進み、思ったよりもはやく終えることができた。

071130_150001 虎ノ門から日比谷の映画館街へは、とちゅう紅葉の映える、日比谷公園を斜めに突き抜ければすぐである。もう少しで、一斉に葉が落ちてしまうばかりのイチョウ並木が、雨に濡れて黄色に光っていた。

さて、エディット・ピアフの曲に初めて遭遇したのは、高校時代だ。音楽の時間に、全員が独唱をして、試験の代わりにしようと先生が提案した。友人のS君が「愛の讃歌」をフランス語で挑戦する、と言い出した。曲を聞いているうちに、好きになり、わたしも、それじゃ英語で挑戦する、ということになった。

音楽のクラスには才媛が犇いていて、後に大学のオーケストラで活躍したKさんや、スタンフォード大の先生になったMさんや、デューラー趣味のHさんたち女性軍が圧倒的優勢を保っていた。そんななかで、先生のピアノ伴奏で、気持ちよく歌いぬいて、自慢するわけではないが、目出度く優をいただいた。そんな曲の思い出がある。

映画「エディット・ピアフ」の会場に入る。いつものように、前から5番目のE列の真ん中に座ると、敵もさるもの、D列とC列の真ん中にもそれぞれひとつ置きにふたり座っているではないか。それも明らかにすでに60歳、70歳を超えている男性たちだった。ピアフのファンだった方だろうか。これまで、わたしの行くところ女性が90%を誇っていたのだが、今回ばかりは、男性優勢なのだ。

「それ」については、あまりの年月で、忘れかけていたのだが、それを思い出し記憶が蘇ってきたのはいつのころだろうか。

もし「それ」がないならば、ピアフを演じていられないと言わしめるほどの「それ」とはなにか。人生の最後に、もう何も後悔しない、と言いつつ、生きたいという。

  いいえ、私は何も後悔しない
  私に人がしたよいことも悪いことも
  何もかも、私にとってはどうでもよい
  私のいろいろな過去を束にして
  火をつけて焼いてしまった
  永遠に清算してしまった
  私はまたゼロから出発する

生い立ちが何であろうと、育ったところがどこであろうと、ピアフは生きた。大道芸のなか、父に何かをやれ、と言われて、歌いはじめた。ステージで歌うということが、ピアフにとって重要なことで、そのために集中することだけに人生が費やされた。だからこそ、「それ」がいつもピアフのもとに現れたのだと思われる。

ときには、神の形をしていたり、恋人の形をしていたり、指導する人の形をしていたりした。そのたびごとに、「それ」に思い入れをした。舞台で倒れてからも、「それ」を見つけ復活した。

  パダン、パダン、パダン
  それはわたしを追いかけてくる
  パダン、パダン、パダン
  <覚えているか>とこずかれる

という一節が聞こえてきたときには、不覚にも涙を流してしまった。
わたしにも、まだ「それ」を感ずる余地があったのか。「青空が降ってくるかもしれない。地球が転げ落ちてくるかもしれない。でも、大したことじゃない・・・」と歌った高校時代を思い出してしまった。

2007/11/28

ウディ・アレンの冗舌な空疎さ

仕事を早めに終わらせて、TOHOシネマズ川崎へ駆け込んだ。ウディ・アレンの新作「Scoop(邦題:タロットカード殺人事件)」は、良い意味で、「騙された」という映画であった。

ウディ・アレンの映画がなぜこんなに多作であるのか、ということは考慮に値する。ふつうは、B級であるから、とか、軽いから、とか、予算があまりかかっていないから、とか、という理由が付けられている。

たしかに、これらのいずれも、ウディ・アレンの映画の特徴をあらわしていると思う。つまり、同じく多作であった、チャップリンやマルクス兄弟的な要素をたぶんに持っていて、その場で即興的にシナリオを書いているような、良い意味で、ドタバタ劇の伝統を受け継いでいると思う。

けれども、決定的にウディ・アレン的なのは、冗舌であることだ。映画のなかで、いつものようにウディ・アレンがよせばよいのに要らぬことを連発していた。でも、これが観客に結構受けていた。

もちろん、おしゃべりの冗舌さは特徴のひとつではあるが、むしろここで言っておきたいのは、映画的な冗舌性である。

今回の「タロットカード殺人事件」では、主人公の女学生サンドラが一人で、女記者として、この事件に挑んでも何の不思議もない話である。なぜウディ・アレンが奇術師スプレンディーニとして、サンドラを助けなければならないのか。恋人でもないし、友人でもない。ふつうの映画では存在しないシチュエーションを作り出していて、つまりは、スプレンディーニの存在そのものが冗舌なのだ。

最後には、どうということもない交通事故を起こさせて、スプレンディーニをあっさりと画面から消してしまっている。

ジャーナリスト志望のサンドラが、青年英国貴族のピーターの懐に飛び込んで、虚々実々の騙しあいを繰り広げるのだが、ここでも父親役として、いらぬお節介の役を媒介させている。

じっさいに話を進める役としては、すでに死人となって幽霊として現れるジョーがいるのである。なぜこのジョー役をウディ・アレンが務め、サンドラと協力して事件を解決するというすっきりした筋にしなかったのか。

その答えは、おそらく冗舌性を重視したからだろう。下手な奇術を見せながら、寄り道しながら話を進めたかったに違いないのだ。

前作のマッチポイントのような、あざといトリックはないが、その代わりに、ふんだんにしゃべって見せたのだ。サンドラとスプレンディーニの掛け合いはたいへん面白いし、スプレンディーニのスラップスティック的な空想の冗舌さは、かなり映画的であると思う。

当然、それは言葉だけなので、空回りしてしまうところもある。犯人のメイドに見つかってしまうときの言いぬけは、わざとうまくいかない、言葉だけの空疎感を出していた。鼻白む雰囲気を気にせずに、なおも冗舌を続けるのは、やはりウディ・アレンの人間性に依存しているのだろう。いい加減にしてくれというのか、磨きがかかってきているというのか、それは五分五分だ。

ウディ・アレンが、今後も、映画的に観客を「騙し」続けることができれば、かれの冗舌さは、天下一品ということになると思う。つまり、かれが多作なのは、かれの本質が冗舌性そのものだからだ。その冗舌に人びとを巻き込むことに、映画の質を賭けているからだ。

2007/11/27

健康診断の憂鬱さ

きょうは健康診断の日だ。じつは来年には、他人に対して、健康と消費の調査を行おうとしている。このような者が、自分の健康診断も行っていないのはおかしい、と思い、自分の本性は嫌がっているものの、無理を言い聞かせて、朝早くに家を出る。

放送大学の社会と経済専攻の先生方のなかには、5年ぶりだという先生がいたり、毎年1泊の人間ドックを予約して念入りに調べたりする先生がいて、健康についての対応はさまざまである。

特別にポリープが見つかったり、白内障になったりした方は、緊急の対応が必要だと思われる。けれども要するに、先生がひとりでも抜けてしまうと、現在の教員組織はきちきちの状態で仕事を回し合っていることもあって、他の先生方にとってかなり痛いのだ。それを避ける程度に、いわばコミュニティとしての健康維持が求められている、というのが実情だ。健康は「社会的に」維持されるのだ。

放送大学の職場はあちこちにあるので、どこで受診しても良いのだが、今年は久しぶりだったので、負担軽減のために、家の近くで受けることにする。

夕べはK大学でたっぷり夜まで講義を行ったので、その後に、朝食抜きできょうの昼まで、検査を行わなければならない。これまで経験したことがない痰や便の検査まであって、フルコースのメニューだった。

とくに、胃の検査で、バリウムを飲むのが苦手である。良くジュースみたいで美味しいよ、という人がいるが、思わず顔を見てしまう。前後に飲む胃を膨満にする薬がとくに嫌で、ゲップが止まらず、どうにも仕方がない。

そのうえ、パジャマに着替えさせられて、(心地よい音楽がかかっているところまでは良かったが、)機械のうえで、仰向けになったりうつ伏せになったり、右45度左60度、立て膝をしたり腰を捻らされたり、これでは、まるで宮沢賢治の「注文の多い料理店」ではないか・・・。

その結果、何がわかったかというと、詳しいことは報告を見なければわからないが、物理的な検査の範囲では、まず体重が増えた。隣に座っていた若い女性たちは、2キロ増えた減ったと騒いでいたが、こちらはなんと4キロ以上増えていたのだ。これは問題だ。

さらに、重大なことには、右の耳が高音部を聴き取っていないことが判明した。道理で、妻の言うことが遠かったはずである。健康相談の医師は、老人になるとやや弱くなることもありますから、と言う。齢をとったと言われるより、病気だと言われたほうが、マシである。

Corner バリウムの気持ち悪さがずっと続いてしまったので、関内までは出てみたものの、喫茶店から離れられなくなってしまった。しばらく落ち着くまで、持って来た本を読むことにする。いつでもどこでも仕事、仕事。

Illいつもの馬車道の喫茶店で、アメリカンとシナモン・レーズンのパンを食べて、かなり長居をする。この写真では、電気の笠が白く写ってしまっているが、ほんとうは緑の優しい光なのだ。かえりは、すっかり暗くなっていて、伊勢佐木町のイルミネーションが青く輝いていた。ブルーライト・ヨコハマという趣向なのだろうか。

社会科学系に強い古本屋さんがあって、ちょっと寄ると、流行論を書くときにお世話になったガブリエル・タルド『模倣の法則』の9月新刊本が早くも古本で出ていたので、購入する。20年代に出た風早訳では、模倣の効果のところで、図が載っていたような気がするが、今度の新訳では一切載っていない。原書ではどうだったのだろうか。

きょうはかなり分厚い本を一冊読み終えて、他のかなり分厚い本を新たに購入し、両方で得した気分で、家路に着く。もちろん、伊勢佐木町をずっと遡って、黄金町まで歩く。これで、朝、坂東橋から歩き始めたので、ちょうど横浜中心部をぐるっと一回りしたことになる。

2007/11/24

近代の遺構

Img200711241横浜の近代になにが起こっていたのか、というテーマは、考えていると尽きることがない。昨日の新聞記事がどうしても気になって、やはり朝、山下町まで出かけてしまった。数十年前の遺構が、現代のビルと対照を成していた。

たくさんの人びとが押しかけることは、わかっていたが、それを上回って、主催者側の準備が行き届いていて、快適に観て回ることができた。数百人の群集を捌くことに慣れているようだった。レジュメもカラー写真入りで、たいへんわかりやすかった。

Img_03891新聞には、外国商館54番館と55番館が記されていたが、実際にいってみると、48番館のモリソン商会がとくに統一が取れていて、全体がわかる遺構であった。

わたしのように、「アームチェア」に座って物事を考えようとする傾向の強い派の者が、なぜこのような現物の世界に、足を踏み入れなければならないのか、ということは、最近よく考える。

Img_03961_3頭のなかで、法則性や抽象的なことを考える。たとえば、 数学者が推論を行うように。けれども、それらが現実世界でいかに帰結するのだろうか。この点については、何らかの形で驚くべき事実と結びついていることも確かだ。観ていると、このような現実が、どうしても存在するし、思考にとっても必要なのだ。

理論的なつじつま合わせを行うにしても、現実と想像を結びつける道筋が大切なのだが、それにはこれら両方が揃ってはじめて成り立つのだと、思っている。

Img_04091_3レンガの呈示する現実は、とくに面白かった。レンガの積み方に意味があり、平板に積み上げられているばかりではないらしい。とくに、55番館のコッキング商会には、蒸気機関があったらしく、残された版画でも、煙突が二本描かれ、工場然とした店構えだが、そのレンガ積はピラミッド形式になっていて、上の重量を分散する構造になっている。

レンガだけが残されていると、やはりその上になにが乗っていたのかが気になってしまうが、これほどたくさんのレンガ積の建物でも、地震には弱かった。おそらく、崩れたレンガが建物を覆いつくして、それが遺構として残されたのだろう。

レンガは、建物があるときには、それを支えたが、建物がなくなってからは、その遺構を覆い保存した。やはり、レンガ文化が明治期に日本に入ってきてから、日本の建物の考え方がかなり変化したということだろう。

071124_1053011数十年後に、このように残って姿を現したのは、レンガという素材があったからだといえる。東京の小菅でレンガが作られたらしいが、詳しくはわからない。その後、横浜のレンガも作られ、白いレンガにYOKOHAMAと刻まれたものも出土している。これは、きれいなレンガだった。(残念ながら、デジカメのメモリ不足で撮れなかったが。) そして、異国趣味のタイルにも、きれいなものが多く出た。写真のデザインは、どの国のものだろうか。

帰りに、当時のことが一望できる「横浜都市発展記念館」で、おさらいをして、ちょうど横浜明治のインフラを特集していたパンフレットを売っていたので、購入する。昼食は、馬車道へ出て、安い西洋料理のランチをいただく。鱸のポワレが美味しかった。

午後は、調査の打ち合わせがあったので、神奈川学習センターへ戻って、仕事をする。慣れぬことをしたせいか、足が緊張して、腫れが引かないのが情けない。考え方の違いではなく、この辺がフィールドワーカーとの決定的な違いかもしれない。

2007/11/23

ダブリンと横浜

映画「Onceダブリンの街角で」を観る。家を11時25分に出て、12時にはチネチッタへ着いていた。横浜の片隅から川崎駅のすこし離れたところまででは、驚異的な速さだ。もっとも、時間を間違えていて、間に合わないと思い、走ったのだが・・・。

映画は最初のシーンが肝心なので、途中からは観ないようにしている。それでこの強行軍になってしまったのだが、結局映画は12時半からで、コーヒーを買いに外へ出る余裕までできてしまった。

前半は、メロドラマ寸前だったよね。後半は締まってきたけれど・・・、というのが娘の批評であった。たしかに、そんな感じであった。歌の部分を抜かしたら、この評は当たっている。

全編にわたって、ドラマというより、ドキュメンタリー風に作ってあり、トラディショナルから派生したフォーク調ロックという言い方が許されるならば、それを唄う歌手が主人公であり、たまたま街で知り合ったチェコ人の女性と歌を作り、そしてデモCDを作るまでを描いている。

けれども、たとえ歌であろうと、何かに夢中になり、一生懸命それを作るというのは、歌それ自体の力もあったが、感動的であった。そして、ダブリンでなら、それも可能かもしれないと思わせる何か特別な雰囲気がある。

わたしはまだダブリンへは行ったことがないのだが、ダブリンと聞いただけで、ロンドンとは違った異国性を感じてしまう。都市であるにもかかわらず、鄙びていて、19世紀の面影を残して街が黒ずんでいて、人びとが伸び伸びとしている様子が描かれている。

それでも、やっぱりロンドンへ出て行って、一旗挙げるのが、ダブリンの実状なのはもの悲しい。男性の主人公にそれを演じさせ、チェコから出てきた女性の主人公に居心地の良いダブリンに残らせている。

娘と別れて、横浜の開港資料館で開かれている「100年前のビジネス雑誌『実業の横浜』」展を観る。雑誌の展覧会というのは珍しい。『日本』のようなグラフィク誌なら、見せるべき鮮明な写真が掲載されているので、展覧会向きである。

ところが、写真中心の雑誌でない場合には、記事内容を逐次紹介しなければならない。それは、たいへんな作業を伴うだろう。何千何万もある記事を集約しなければならないのだ。

選ばれたトピックのなかでも、とくに興味を惹いたのは、英国商「ドットウェル商会」の写真であった。外国商館のなかでも、早くから電話が設置されている商館で、先日のコーヒー論の資料『横浜貿易捷径』にも載っていた。大きな立派な建物だ。

これに関しては、カール・ローデ商会のポスターも展示されていて、論文に使えそうだった。また、1913年には、神奈川学習センターのある弘明寺のつぎの駅である蒔田で、「勧業共進会」という大正博覧会が開かれており、そのときの『実業の横浜』記念号が発行されており、内容を見てみたいと思った。けれども、展示ではままならないので、このつぎ閲覧してみようと思った。

残念なことに、外国商館の多くは、1923年の関東大震災のときに崩れてしまったらしい。そういえば、今朝の新聞の横浜版に、中区の山下町で居留地の外国商館跡が発掘され、公開されるという記事が載っていた。54番館と55番館だから、50番館だった上記のドットウェル商会にかなり近いところだ。偶然だな。

2007/11/17

漂泊者としての詩人

「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」とばかりに漂泊する。

湯田温泉の宿を出ると、空気が乾いていて、快晴だ。そとを歩いていても、気持ちがよい。漂泊も、東京と山口との間なのか、現実と想像の間なのか、中原中也の世界に漂ってみた。

「青空を喫ふ 閑を嚥む
蛙さながら水に泛んで
夜は夜とて星をみる」

という気分だ。

071117_104201 宿からふたつの筋を渡ると、右に「中原中也記念館」がある。中也は、現在の山口大学のある湯田温泉の医院に生まれたのだ。

最近、大正期の文学者を取り上げている。もちろん、コーヒー論の続きである。先日の市立図書館では、永井荷風を取り上げたのだが、今回は中原中也に的を絞った。

最晩年の1937年の作品である「ある男の肖像」では、喫茶店は都市の閑人の集まるところとして描かれている。喫茶店が、街にあって当たり前の風景になったのが、この時代であった。

「洋行帰りのその洒落者は、
齢をとっても髪に緑の油をつけていた。

夜毎喫茶店にあらわれて、
其処の主人と話している様はあはれげであった。」

また、「雨が泣くように降っていました」の変則リフレーンで有名な「一夜分の歴史」では、つぎの如くにあらわれる。

「コーヒーにすこし砂糖を多い目に入れ、
ゆっくりと掻き混ぜて、さてと私は飲むのでありました。」

という具合に、すでに中也にとっては、コーヒーは日常の飲み物だったことがわかる。1930年代になると、コーヒーは人びとの間にかなり浸透していた。

湯田温泉の足湯をめぐって、このままゆっくりしても良いとも思ったが、バスに乗ればすぐだというので、山口市を歩くことにした。

大学院生のころ、下宿していた渋谷の宿舎に、山口県山口市生まれの山口さんという方がいて、面白い人だったので、一度は山口を訪ねてみたいと思っていた。

湯田温泉のバス停には、5,6人の齢を召した方がたが、井戸端会議を開いていて、バスが来ようと来ないとお構いなしに、おしゃべりに夢中になっている。みんな市民会館でおりたところをみると、何かの催し物でもあるのだろうか。

山口市歴史民俗資料館で小さな展覧会だったが、「懐かしい山口くらし展―徳見七郎が描く昭和」をやっていて、そのなかで、山口市で一番古い喫茶店として「カフェーオジャレ」が描かれていた。昔は、満席で入れないくらいだったそうだ。

071117_122801  道場町商店街のアーケードを行って、新町商店街に入り、かつて大内氏が繁栄を誇ったこの平野をぬっている「一の坂川」へ出るすこし前なのだそうだ。地元の人に道を聞きながら、到達したが、さすがに新しいビルなどに代わったらしく、影すらなかった。

きょう最後のコーヒーは、商店街と駅へ行く幹線道路の交差するビルに入っていた、「ヴィヴ・ラ・ヴィ」にて、ピラフランチと一緒にいただく。

中也に敬意を表して、「すこし砂糖を多い目に入れ」て飲んだ。

「これが私の故里だ
さやかに風も吹いている
ああ おまへはなにをして来たのだと・・・
吹き来る風が私に云ふ」


 

2007/11/16

山口大学へ初めて訪れる

山口大学と放送大学との間の「単位互換」のことで、山口市湯田温泉にある山口大学へ出張することに相成った。ほとんど、放送大学の連携推進室長のI氏が話を進めるので、居てくれればよいということだった。

ふつうであれば、担当の先生がいくところだったが、ご都合が悪いとのことで、代理を頼まれたというわけだ。朝、ちょうどANAの搭乗システムが変換するところにあってしまい、航空券の機械から出てきたのは、なにやらバーコードの入った券であった。これをスイカのように搭乗のときかざして、飛行機に入っていくのだ。

山口宇部空港には、山口学習センター所長のM先生とU事務長がいらしていて、山口大学までの道中、熱心にこれからの計画をお話くださった。山口大学では、用意していった名刺がすべてなくなるほど、多くの方がたとお会いした。今回の単位互換制度には、これらの方がたの努力が注がれている。

そもそも単位互換制度がなぜ行われるのか、ということは、知られているほど理解されていない。互いの大学生同士が、相手大学の授業を受け、単位を授与され、その単位を自分の大学の単位として認定してもらう制度である。

だから、もし双方に同じ科目だけが存在するのであれば、単位互換を行っても無駄かもしれない、と考えられてしまう傾向がある。けれども、わたしには、決してそうとは思われない。たとえ同じ科目であっても、互換することで、相互のネットワークが形成される。それに、科目の選択が広がるばかりでなく、むしろ科目の内容が深まる可能性があると思われる。ところが、互換すること自体に意義があるのだ、というところにまで、なかなか認識が深まらないのが現状だ。

もちろん、内容までまったく同じであるとあまりメリットはないかもしれないが、ちょっとでもそれぞれの特色が生かされるならば、単位互換の役割はそれだけであるのだ。さらに進んで、将来共同で授業を制作することにまで発展できれば云うことはない。

けれども、最近大学では、経費削減が叫ばれているので、この路線に合わなければなかなか単位互換も進まないきらいがある。経費削減とネットワークの利益とは、必ずしも二律背反するものではないとも思われる。しかし、このことはもうすこし進めてみないと、実際のところはわからないだろう。

お話を聞かせていただいていると、大学間の理解と誤解とがいかに生ずるのかが、改めてよくわかった次第である。勉強になった1日であった。

夜は山口大学のある湯田温泉に宿をとった。24時間かけ流しで、1日の疲れが洗い流された。明日は、取材を兼ねた観光を計画している。

2007/11/15

映画「ビーナス」と文豪「漱石」展

きょうは夕方からの仕事だったので、午前中を利用して、文豪「夏目漱石」展を娘と一緒に、江戸東京博物館へ観にいく。

漱石は、細かいところまで気にするタイプで、それが小説へよい影響を与えていた。たとえば、小さいときの水疱瘡の痘痕が、かなり気になっていたらしく、『我輩は猫である』の主人の描写に利用していたりする。

それから、英国で神経症に陥ったのも、おそらく英国におけるあらゆることが気になって仕方がなかったからだと思われる。それは、かれが英国留学時代に購入した書物をみれば想像がつく。

留学時代に購入した書物は、339冊だそうで、これは洋書の蔵書が1707冊あるなかで、約6分の1を占める。当時流行のカーライルや、チェスタートンは購入している。それに当時すでに、古典とみなされていたであろう、ピープス氏の日記やジョンソン博士の書物も入っているし、当然ロビンソン・クルーソーやガリバー旅行記などのものが入った文学全集も仕入れている。さらに、文芸作品を離れて、カール・マルクスやウィリアム・モリスなども手に入れていた。今回、その収集品が一堂のもとに展示されていて、まさに圧巻だった。

これらは、東北大学図書館へ行けば、当然観る事ができるのだが、一望できるというのが良かった。漱石の蔵書目録は、自筆ノートで残っていて、以下のところで見ることができる。
http://www2.library.tohoku.ac.jp/soseki/images/img26-16.pdf

これらの書物を観ていると、日本の近代の見方が変わって来るのを感ずる。近代が外国から押し寄せたように、ずっと思ってきたが、そうではないことがわかる。むしろ、夏目などが率先して、これらの書物とともに、近代を持ち込んできたのだ。つまり、持ち込まれた西洋が、日本人によって読まれ、取り入れられる過程を通じて、日本人の長期的な趣味が形成されてきたのだといえる。

そういえば、漱石の本の装丁には、よく草花が使われていて、どことなくウィリアム・モリス風の雰囲気を感じないでもない。影響を相当うけているのではないか。おそらくどなたかは、すでに指摘しているとは思うが・・・。

さて、娘と別れたあとは、まだ時間が十分あったので、Aさんご推奨の映画「ビーナス」を日比谷で観る。ピーター・オトゥールの顔と目が相変わらず印象的であった。いたずらっぽい目がそのままで、顔の皺は増えても、目だけは齢を感じさせない。

この目があるために、主人公の演じる快楽主義的な、そして人生の行き着くところのモデルとして、最適だったのだろう。それにしても、最後に生活するところとしては申し分ない。毎日おしゃべりする友人がいて、元妻がいて、住むところがあって、どうみても年金には恵まれてはいないが、仕事も適度に存在する。そんな生活をしてみたいものだ。

大衆社会にあっては、ほとんどの人は、病院で最後息を引き取る。もし病院以外のところで臨終を迎えるのであれば、どのように振舞うべきなのだろうか。かなり、切実な問題である。

2007/11/14

中学生のインターンシップ

近くの中学生が放送大学の見学にやってきて、教授会や放送スタジオや放送局を、二日間にわたって見て回った。

大人が働いているところを見て見よう、という世間の流れが、放送大学の職場にも押し寄せて来たのだ。男の子と女の子のふたりだったが、女の子はメモを取ったりして、さすがに優等生の雰囲気を持っていたが、男の子のほうは文脈の分からない、面白くない議論の続くときには、ちょっといらいらするらしかった。けれども、ふたりとも笑顔が可愛かった。職場を開放してみせるのは悪くない企てだと思う。

英国ケンブリッジのキングスカレッジへ行ったときに、見学者の列がずらっと並んでいて、たまげたことがあった。大学とは、勉強に行くところであって、観て回るところではない、と思っていた。けれども、そこの大学生では理解できないような、観てみたいと思われる場所、というのか、遠くにいて想像していたところ、というのか、とにかく、何やら知らないことが行われている場所として、大学の現場にみんな興味を持つのだ。

ケンブリッジでは、そのような大学のキャンパスツアーがひとつの産業になっていて、ゴンドラに乗せたり、聖堂を見学させたり、学生たちのよいアルバイト先になっていた。

放送大学にも、このような面白いところがたくさんある。今回光栄なことに、中学生のインターンシップの回って歩くいくつかのコースのなかに、わたしたちの来年度制作科目『市民と社会を生きるために』の「教材作成部会」が組み入れられた。

そして、20分ほどのほんのわずかな時間ではあったが、放送教材のディレクターEさんや、印刷教材の編集者Mさん、教務課のKさん、そして主任講師のN先生、T先生に混じって、説明を聞き、質問して帰っていった。

Mさんや、Eさんは、このときとばかりに、先生方の原稿提出が遅い事や、NHKのテレビと、放送大学のテレビとの制作作法がまったく違う事など、恨み(?)をちらつかせながら興味深い語り口で、エピソードを交えて紹介していた。(もちろん、ここに出席の先生にはそんな事はないよ、とひと言注釈を入れてくれていたが)このようなときに、思いがけず本音が出るのだ。

また、T先生も中学生向けの職業紹介を行ってくれたが、くれぐれも放送大学の先生にはならないように、というアドバイスを加えていた。わたしも、チームワークの観点から、放送の仕事をフォローしておいた。一般の大学と放送大学と根本的に異なるのは、やはり放送を使った授業の作り方だと思われる。

午後には、中学生たちは、教授会にも出て、学長の紹介で、盛んな拍手を浴びていた。最後まで聞いていれば、面白い意見の応酬を見ることになったのだが、中学生たちは途中退場してしてしまったので、その議論バトルを観ることはなかった。

総合学習が縮小されていくなかで、このような機会はたいへん貴重だと思った。それは彼女たちにとってもそうだが、放送大学にとってもそうだと思われた。将来、彼女たちが放送大学に職を得て、わたしたちと一緒に働くことになるかもしれない。

2007/11/11

卒論提出最終日の前日

「卒論」は、いまでも大学で象徴的な意味を持っていると思う。その学生の大学生活のあらゆることが、卒論の文章のなかに集約され、織り込まれることになるからだ。(関係ないかもしれないが、このブログの題名のInterwovenの意味もこのような「織り込まれ」にあるのだが。)

それで、卒論を書くぎりぎりの要件には、どのようなものがあるのだろうか、と考えた。卒論を書くことができるのは、この忙しい現代にあっては、かなり「特権」であると思われる。仕事から離れ、家庭から逃れる特別の権利を、卒論執筆に入ったと同時に与えられるからである。その特権を行使する事ができるには、やはりそれなりの資格・要件が必要である。

まず、年齢はどうだろうか。今年は70歳以上の方がたが、このゼミナールでふたりも卒論に挑戦している。たいへん厳しい身体的、精神的条件のなかで頑張った。たとえ、途中で挫折しても、頑張ったことは記憶に留めておきたい。

このお二人とは違うが、先日紹介したKさんは、80歳を超えるなかで、卒論、修論、そして博論までこなしたから、ちょっと別格だが、それでも80歳を過ぎてからも、論文を書こうというのは、書きたいという意欲だけでも立派なものである。したがって、年齢はまず要件として関係ないだろう。

健康は必要だが、それでも書くだけの最小限の健康さえあれば、書くことに支障は無いはずである。

つぎに、「文章をうまく書くことができる」という要件はどうだろうか。これも、卒論作成の過程で、みんな習得していくので、徐々に進めれば障害とはならないだろう。文章というのは、一気に書いたあと、すこしずつ修正できるというメディアなのだ。再帰性を最大限発揮できる道具である。

さらに、パソコンの発達は、卒論をより書きやすくしている。この点では、80歳の方もパソコンができれば、かなり有効な手段となりうるはずである。残念ながら、今回はその方がたは手書きで挑戦したために、かなりの労力を費やす結果になったが、手書きでも十分ものになるはずだ。

あとは、やはり卒論を書くんだ、という強い意志は、最低限必要であろう。もし卒論を書く要件で、何が一番大事かと問われるならば、その人の書くに至る「必然性」であるということだろう。なぜ書かねばならないか、という点で迷いがないほど、書き続けるという信念に勝るものはない、と思う。

きょうも研究室に来て、最後まで頑張って、卒論を仕上げた高齢のTさんを心から称えたいと思う。たいへんだったが、実り多い一日であった。

午前中には、神奈川学習センターの同窓会・同好会の面々が揃った会に、H先生、K先生、それに新しく加わったKさんと一緒に出席させていただいた。

いよいよ神奈川学習センターの「サポーター制」なるものを立ち上げる時期に至ったのである。詳しい事は、またポスターなどが仕上がった段階で発表いたしたい。乞うご期待。

2007/11/10

ボーン・アルティメイタム

ボーンが復活した。

いつも引用する形容語句「シャワーを浴びるように映画を観る」という言葉に、こんなにぴったりする映画はこれまでになかった。

隣に座った人は、始まってからもポテトチップを食べていて、ポリポリという音が聞こえていた。ところが、最初の事件が終わって、ロンドン新聞記者事件が始まるころには、すっかり画面に釘付けになり、その音が聞こえなくなった。

ノンストップムービーの名前に恥じない、アクション映画の最高峰だと思う。モロッコのタンジール事件では、屋根の上を逃げながら、ターゲットを追うのだが、物干しの洗濯物を手に巻きながら走るシーンがある。屋根の境にある盗難よけのガラスから、手を守るためだ。

ノンストップであるためには、ガラスを認識してから洗濯物を取るのでは遅いのだ。動物的な本能というのは、こういうものだと思う。このあたりの描き方は、アクション映画ならではのフィクションを成り立たせていて、ほんとうに面白い。認識を逆転させる楽しさがあるのだ。

主人公ジェイソン・ボーンの自由さは、身体能力の超越性だけではない。むしろ、記憶を失ったという制約のなかでの自由さであって、あらゆる身の回りのものからの絶対的な自由さなのだ。

前作同様、世界のあらゆるところに神出鬼没であるのは、アイデンティティの無さがそうさせている。だから、わたしたちはこの自由さに憧れて、映画を観るのだが、決して現代人はこのような絶対的な自由を手にする事ができないのだ。けれども、だからこそ、ボーンに憧れるのだ。

それにしても、今回もグッド・シェパード同様に、CIAが描かれているのだが、こんなにいとも簡単にボーンに騙され続けるマヌケなCIAの上役は存在するのだろうか。そこは映画的ナンセンスとして、大目に見ておこう。

第1作からずっと出ていた、脇役の女性諜報員がいる。最初から最後まで感情を見せた事が無い役として映ってきていた。いつかは事件に巻き込まれて死ぬ役だと思っていたが、なぜか生き残っていた。そのわけがこの映画の最後のシーンで理解できた。このために、生かされ続けてきたのだ。映画の虚構性というのは我慢に我慢を重ねて最後に花開く、この仕掛けは素晴らしいと思った。

第1作が海のなかから始まり、第3作もまた海のなかで終わる。このように完結性を重視している点でも、この映画チームがかなり成功裏に物事を進めてきていることがわかる。

きょうは初日だったので、客の入りはかなりあった。とくに目立ったのは、外国の人びとが多かったことだ。父親が息子たちを連れてきていたり、留学生たちが友だちと連れ合ったりしてきていたようだ。

帰りに、上大岡の駅のホームで電車を待って、ベンチに座っていたら、いつもメールで連絡を下さるHさんが近づいてきた。ここで福祉の実習を勉強しているのだという。相変わらずの勉強家ぶりである。

きょうは午前中から、修士の方がたとのゼミナールが6時間ほど続いた。最後の詰めに入っているために、長時間に及んだ。それぞれの中心がはっきりしてきたので、あとは、どのくらい余裕を持って、原稿に挑むかという状況だと考えている。

ジェイソン・ボーンのようにはいかないかもしれないが、動物的な勘を働かせて、いまの状況を打ち破って、次へ進んでいただきたい。

2007/11/05

騙し騙される情報戦の世界

さて、ブログを書いていたら、12時を回ってしまった。

原稿の締切や、プロポーザルのまとめや、さらにきょうの講演会などが全部重なってやってきていたので、マット・デーモン主演の映画「グッド・シェパード」をずっと観ることができなかった。

やはり、講演会のあとは、詰まっている仕事を早々に片付けて、最後は映画に繰り出すのが順当なところだろう。外でなら、雑踏のなかならば、気持ちも和らぎ、すこしは仕事になるだろう。ということで、横浜の中央図書館から移動して、川崎のチネチッタへ向かった。映画のスタートまでの数時間利用して、チネチッタ川崎のパスタ屋さんで、締切が迫っている学生の方がたの論文添削を二つ行った。

パスタも美味しかったが、皆さんの草稿のほうも少しずつ熟しつつあるようだ。もうすこしの工夫と、努力が必要だが、それはそろそろ時間切れが近づいているので、労働密度の問題になりつつある。最後の粘りを期待したい

「グッド・シェパード」はおそらく評価が分かれる映画になると思われる。けれども、CIAを舞台にしていると聞いただけで、見に行きたいと思った。現在は、情報の世界だといわれて久しいが、その情報世界のなかでもとびっきりの「帝国」そのものがCIAだと思われる。

その原型がどのようなものであったのかは、現代人であれば知っておく必要があろう。濃密な情報世界なのか、それとも空虚な情報世界なのか、それが問題なのだ。

このような緻密な描き方は、決して嫌いではない。それというのも、実話風に描いているにもかかわらず、細部になると分からない部分がたくさんあるのだが、映画的工夫でうまく切り抜けていると思われる。たとえば、たびたび密告があるのだけれども、誰の密告なのか、すべて理解できるように作られてない。その点は残念な部分もあるのだが、それを想像してみる余裕をたっぷり与えているのだと観念してしまえば、かなり簡単に納得できる。

しかし、このような欠点を補っても、なおこの映画の魅力は減らない。評価が分かれるとしても、少なくともわたし自身は、かなり積極的な肯定派である。とくに、評価が分かれるであろう脚本に関して、かなり難ありとはいえ、重層化させた映画的なシナリオが素晴らしかったと弁護したい。

これだけ、騙し騙される関係、信用する信用しない関係、さらには、守る守られない関係を、ピアノ線の緊張の如くの仕切りをして、線の下を掻い潜らせるように描く手法はなかなかな趣向で面白かった。

アメリカといえば、通常は攻撃性の権化のように考えられているが、「誰も信じてはいけない」という伝統的な信条を語り継ぎ、アメリカにしては珍しい防御の典型としてCIAを舞台に描いたことで、アメリカ人の性格の幅をぐっと広げている。

米国にも、crony capitalism (仲間資本主義)があったのか、という描き方だった。生まれたときから知っていれば、情報戦の裏切りを防ぐ事ができるかもしれない、ということも確かではない。秘密結社を作って、他の人が知らない秘密を共有すれば、仲間を強固にするかもしれない、ということも反証されてしまう。

CIAの本質はあらゆる情報が集まってくる、情報の宝庫であり、権力と信頼が得られるはずの中核を形成するものであると考えられた。ところが、じつは組織のなかでは、人はひとりひとり孤独にならざるを得ず、その本質は空虚であるを、この映画はたっぷりと見せてくれる。とりわけ、自分の地位を守りきれずに、消えていく人たちの描き方が良かった。

人を疑って生きるとはどのような生き方なのか、人を信用するという生き方とはどのようなものなのか、典型例を見せてくれる。予告編のキャッチフレーズで、「子どもをとるか、国家をとるか」というのがあって、さあどちらなのか、というのも興味深々だ。それは、観てのお楽しみ。

2007/11/04

図書館での講演会

070919caffeeposter 図書館での講演会がこんなに素晴らしいものであるとは、これまで思ってもみなかった。もちろん、横浜市の大学調整課のTさんやSさんにはたいへんお世話になったし、図書館の調査資料課のIさんには司会までやっていただいて、たいへん感謝している。スタッフが揃っているのはたしかだが、それと並んで、やはり資料が手元にあるというのは、たいへんしゃべりやすかった。

横浜港を遠望できる高台にある市中央図書館の5階で行われたのだが、それは当然、図書館の書架と書庫が利用できるということである。講義室には、なんときょうしゃべる内容の引用文献がずらっと勢ぞろいしていたのだ。当たり前のようであるが、なかなかこれだけのことは普通の会場では困難である。図書館での講演であり、図書館スタッフの尽力があったから可能になったのだ。

文献のコピーではなく、実物を手にしながら、そして参加者の間に回しながら、しゃべるという理想的な状態が実現されていた。「ここにこのように書かれていたのです」と言った時に、その現物があることは、格段の違いがあるのだ。

もちろん、話自体に力のある人であれば、文献なんてなくても、簡単に話の信頼性を確保できるのであろうが、わたしのように推論に推論を重ねるタイプの者にとっては、話の印象がまったく違ってくるのだ。

これで、幕末から明治にかけての英字新聞をずっと見ておいた甲斐があったというものである。これまで、さまざまな展覧会で、それらを集めてきていたといっても、所詮コピーでは迫力がない。その記事が現実に目の前にあることが重要なのだ。

しゃべる者にとっては、たいへん「贅沢な」講演会だった。こんなやり方があったのか、という講演会が意外にも成立してしまったのだ。このような仕合せな関係をほうっておくことはないだろう。今回は、横浜市のプロデュースによるものだったが、放送大学自身が市立図書館を呼び込めばよいのだと気がついた。

そのうち、ぜひ図書館とのコラボレーションを実現させたいと考えている。そのときは、また大学調整課や市立図書館にお世話になりますが、よろしくお願いいたします。

講演会のほうは、自画自賛になって恐縮だが、準備が万端だったので、2時間すべてを使い切るほど充実していた。もうすこし時間が欲しいほどだった。

ただ、ひとつだけ参加者に訂正して謝らなければならないことがある。それは、コーヒーの重さの単位をめぐってのところだ。やはり、参加者のなかには手練の方がいて、ポンドの表示である「lb」を1バレル(bbl)と、わたしが誤って言ってしまったら、ただちに間違いを指摘されてしまった。この辺が、真剣勝負の恐ろしいところだ。

さて、それで、予告のコーヒーの出前はどうなっただろうか。じつは、無事「タリーズ」が引き受けてくださった。濃くのあるポット・コーヒーを味わいながら、しゃべる事ができた。この講演自体が、「コーヒーブレイク」のようなものですから、というエクスキュースが、この出前コーヒーで効いたと考えている。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。