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2007/10/11

ラジオ講義の録音当日

4日に『ロビンソン・クルーソー』の朗読をしていただいて、きょうはいよいよ講義本体の録音日である。

いろいろな都合が重なってしまい、スタジオ入りが午後の4時過ぎという遅いスタートとなった。通常は、朝の10時スタートか、午後1時スタートが多いので、これだけ遅いスタートは初めての経験である。

ラジオにとっては、声の良い状態が望ましいので、朝のスタートよりはかえって、このように遅いほうが録音向きかもしれない。じっさい、4時までの間、社会と経済のカンファレンス室で、先生方の雑談や、Aさんとの映画の話に加わっていたので、おしゃべりの準備体操(失礼!)は十分行っており、準備万端であった。

今回試してみたかったことは、対談形式でラジオ講義をつくるという方法である。これまでも、何回かはインタヴューを交えた講義や、先生方との対談は作成してきたが、今回の形式は初めてだ。つまり、ひとつのテーマに関して、コメントをもらいながら、話題をずらせていくという対談形式なのだ。

H先生は、対談をテレビやラジオに載せる場合には、気心の知れた方、あるいは少なくとも、おおよそどのようなことを発言するのかを予想できる方としか、できないよ、とよくおっしゃっていて、これはわたしも同感なのだ。

外に取材に行くと、予想できない話題が急に出て、質問して繋がればよいのだが、そううまくはいかず、会話が途切れることがよく起こる。日常では、このようなことは茶飯事である。もしこのようなことが本番中に起こってしまったら、それを繋ぐのはかなりむずかしいだろう。

今回、朗読をお願いしたFさんに対談の相手もお願いした。この点では、何回かお話させていただく機会のある方だったので、途中で途切れてしまうということはなく、仮にもし起こったとしても、修復がただちにできる範囲で収められる自信というか、信頼感があった。この安心がないと、対談形式にはなかなか踏み出せない。

次のような発見があったのは、収穫だった。それは、聞き役と聞かれ役のことだ。ふつうのラジオ番組での聞き役と聞かれ役の関係では、視聴者側、(あるいは視聴者側にたつキャスター)が何かを質問し、それに対して、情報を持っている側が聞かれ役として参加する、という形式をとっている。ここでは、表面上は、聞き役が主導権をもって、番組を進めていくのだ。

ところが、大学の授業では、聞かれ役である先生側が、同時に進行の指導権を持っていて、聞き役である学生を誘導するという対話形式を取っているのだ。聞き役と聞かれ役の主導権が、通常のテレビと大学の講義とでは、逆転しているのだ。

言われてみると当たり前のことだが、じっさいにラジオ番組を作ってみて、大学授業というものの「縦社会」的な構造、つまり情報の発信者が進行の主導権を握っているという構図が明瞭に現れてくることを発見した。

このつぎは、ぜひFさんに質問者となってもらって、進行権も持つようにして、もうすこしシナリオについても自由形式で行うラジオ番組を作りたいと考えたしだいである。それにしても、朗読と対談に縦横にしゃべっていただいたFさんにほんとうに感謝するしだいである。

関心のある方には、来年4月から開講される『市民と社会を知るために―名著に触れよう』をぜひお聞き願いたいと思う。ちょっと宣伝を!

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