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2007/10/04

朗読の収録

ロビンソン・クルーソーを題材とした社会科学の番組を作っているのだが、きょうは放送大学のアナウンサーFさんに特別にお願いして、物語の触りを朗読していただいた。それを収録しておいて、番組制作の当日に、ラジオ番組のなかへ挿入するのだ。

さすがに、声が違うのだ。なんと表現したら良いのかわからないのだが、通常の日常会話の世界から、突如として、劇的な空間の世界へ連れて行かれた、という感じである。

ラジオの世界では、どうしてもしゃべるだけの世界なので、番組全体が一本調子になりやすい。そこをなるべく、わたしのしゃべる部分を少なくして、もっと魅力的な音の世界を呼びこもう、という作戦なのだ。

Fさんは、こちらの趣旨をすぐ理解してくださって、こころよく協力してくださっている。録音当日も、わたしの相手を務めていただけることになっている。楽しみだな。

ロビンソン・クルーソーはたいへんまじめな人なので、文章もたんたんとしていて、かえって朗読しにくいと、Fさんはおっしゃる。たしかに、劇的な起伏のある場面は少ないが、わたしが解説したのでは、もっと面白くないものになってしまうだろう。Fさんが加わったことで、波が起こって、さまざまな波状が水面に現れて、飽きることがないに違いない。

どのような内容になったのかは、ぜひラジオ講義を聴いて、お確かめいただきたいと思う。もっとも、来年度の講義なので、4月にならないと、聴くことはできないが。

これまでに試したことのない方法をとるときは、やはりどきどきするものだ。でも、なにか新しい試みがなければ、もちろん講義内容についてもだが、あらたな番組を作る理由がなくなるだろう。

今回、Fさんの参加には、たいへん感謝している。ところで、Fさんとの橋渡しをしてくださったブログ仲間のKさんが体調を悪くしているらしい。具合はいかがですか。

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