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2007/09/02

香りと支配

冷房になれた空気を風が一掃し、窓から土の匂いを運んでくる。

ほど良い風が研究室を吹きぬけて、秋を感じさせる。学習センターも、授業期間が終了して、静かな建物に戻った。仕事の香りがすこし遠のいて、しばらくは本の匂いが読書の季節を運んでくる。

学習センターから家へ帰ると、娘がマクルーハンのホット・メディアの話を持ちかけてきた。単機能のメディアが人間を支配すると、どうなるの、という。

だからというわけではないのだが、偶然にも今日は映画「パフューム」を観ることにした。もし人間が香りという感覚、香水というメディアのみで結びつくとしたら、どのような世界が現れるであろうか。映画のなかで、香りは数キロ先の存在を媒介するメディアとして描かれていた。

もちろん、そんな世界はないのであるが、ここが映画を観る理由のひとつで、映画的荒唐無稽を楽しむということがあるのだ。ふつう、人間を支配するのは、権力と金なのだが、もし暴力と同じように、香りで人間を支配できるとしたら、どうなるのであろうか。

この設定は、かなり楽しめた。もちろん、映画の「パフューム」自体、すこしエロ・グロ的な要素がプンプンとするので、その匂いの嫌いな人には向かない映画だ。

重要な荒唐無稽さは、次の二点だと思った。第一に、花びらと同じように、人間を原料にして香水を作ったらどうなるのか、そして第二に、そうして造った香水の匂いが、人間を支配するメディアになりえたら、どのような世界が展開されるのか、ということである。

映画に出てくるようなカリスマが現実に現れて、彼が嗅覚の超能力を持ったならば、このような世界が現れるのかもしれない。つまり、個人的な香りが人を結びつけ、それがダイレクトに社会をも結び付けてしまうこともあるかもしれない。単一のメディアで、上から下まで、一気に繋がってしまうような、かなりホットなメディアと世界が誕生することになる。

映画のなかで、最後に犠牲者となる女性が、殺される瞬間に目を覚ますシーンがある。ここの描き方には、不満が残った。殺人者をじっと見つめるのだが、やはりそうではなく、つまり彼を認めるのは視覚ではなく、嗅覚あるいは香りでなければならない。香りによる恋愛と殺人を演出して、はじめてこの映画の一貫性が保たれるのではないだろうか。

けれども、香りに関する想像力の飛翔に関しては、かなり満足させられる映画だと思う。映画として、嗅覚を視覚的に描くのはたいへんだったと思われるが、違和感なく観ることができた。

最後に、わたしの貧弱な香り体験を書いておきたい。中学校時代に、同級生のなかで、嗅覚に急に目覚めた友人グループがあったのだ。もちろん、香水などという高級な趣味ではなく、街の薬局から仕入れてきた「ハッカ」である。教室中が、ハッカの匂いで充満したことがあったのを思い出した。

もちろん、このハッカが中学校を支配することはなかったが、学校側は大事をとって、早々と禁止したのだった。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。