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2007/08/28

乗り遅れの感覚

人生のなかで、さまざまな「乗り遅れ」を経験したことは、それこそ数えられないほどたくさんある。

それらは精神的には残っていても、現実感覚としては忘れてしまうものが多い。けれども、どうしても忘れることができないのが、皮膚感覚として残っている、交通機関への乗り遅れである。待ってくれという、よく夢にでてくる体験だ。

久しぶりに、幕張の社会と経済のカンファレンス室へ行くと、清掃の方がたが潮風で汚れた窓の拭き取り掃除を行っていた。Aさんはその作業を監視しながら、いつものように雑談に付き合ってくれた。

Aさんは夏期休暇で大阪・兵庫圏へ行ってらっしゃったらしい。帰りの新幹線を最終便に設定していたところ、新大阪までの途中で事故のため電車が遅れ、目の前で最終の新幹線が発車してしまったとのこと。乗り遅れて、目の前をすうっと出て行く感覚は、特別なものだ。

世界は同時に動いているのだから、列車に乗っていようと駅に留まっていようと、全体に変わりはないのだが、本人にとっては、遅れたという感覚になる。途中、新幹線より速い列車があれば、それに追いついて、追い越せば、それで済むことなのだが、通常、世界は不可逆的にできていて、一度遅れるとその遅れは取り返すことができないことになっている場合が多い。

わたしの場合、乗り遅れたという感覚は、バス旅行で経験した。東京の高校時代に池袋に集合して、秩父へ地質見学を行った。家から池袋まで電車で行って、集合場所へ向かったところ、目の前を数台のバスが通りすぎていってしまった。スローモーション・フィルムを見る感覚に似ている。あるいは、自分を含めたこの世界を上から、ぐるっと眺めている感覚といったらわかるだろうか。

じつはそこへ着く前にあらかじめ心のなかで、乗り遅れの感覚については繰り返し予行練習を行っているので、思いのほか冷静であったのを覚えている。だから、次にどのようなことを行ったらよいのか、次善の策を考えておく余裕がある場合が多い。

これからの時代、日本はいろいろな「乗り物」に乗り遅れることになるのだが、そのときにも、冷静に対処したいものだ。乗り遅れが、ときには違う解決の道を示唆する場合もあるのだ。

さて、Aさんの解決法は、夜行列車「銀河」で東京へむかうという選択だった。このようなときでなければ、寝台車に乗るような貴重な経験はありえなかったであろう。

さて、わたしの場合の解決法は、電車で追いかけることだった。電車のほうがバスより、池袋から秩父まで圧倒的に速く着くのだ。もちろん、この情報を電話で教えてきてくれたクラスの面々には、いまでも感謝している。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。