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2007/08/21

シュルレアリスムについて

消費文化論のために見ておきたかったが、時間がなくて見逃していた「シュルレアリスム」展が宮崎に来ていた。(至る所で、研究取材が成り立つというところが、わたしの商売の利点だと勝手に思っている。)

Musium展覧会を行っている宮崎県立美術館自体に、そのような超現実的な空間を作り出そうとしている意欲を感じた。

今日では、芸術の方法ばかりでなく、広告・宣伝のなかに取り入れられている。日常の手法として、身近なシュルレアリスムを確かめておきたかった。わたしたちの現実には、隠れた部分がたくさんあって、「超現実」という現実もある。

ふたつの手法について、わかりやすい展示が行われていた。

「自動記述」手法を使った作品はたくさん集められていた。表現を行うときに、ものを考えずに、描くスピードを上げていくと、それまでにない超現実の表現が現れる。このような作品のなかでは、イヴ・タンギー「棒占い」が良かった。ひとつひとつは、それぞれ意味があって、濃厚な物語が存在するのかもしれないが、集積され積み重ねられると、それらの濃厚な物語とは異なる超現実がそこに現れてくる。背景のブルーとクリームの取り合わせも素敵だった。

もうひとつの手法は、「デペイズマン」で、本来あるべきところのものを別のところへ置き換えることで、別の出会いが起こる。このとき超現実がありうるとする。あまり好きではない、といつもは通りすぎてしまうのだが、今回に限っては、ルネ・マグリットの「白紙委任状」が、この手法の例としてよくわかった。馬上の女性像が、樹木の前に描かれていたり、後ろに描かれていたりしていて、「ほんとう」の像はどちらなのかわからない状況を作り出している。じつは、現実というものはこのように、分断された像を持っているのだ。

ふつうはマックス・エルンストの「手術台のうえのこうもり傘とミシン」がデペイズマンの例として有名であるが、今回は別の形で理解できたことが収穫だった。

Live美術館の隣には、県立図書館があって、そこのポスターもシンプルで見栄えのするものだったので、写真を撮らせてもらった。

Uruwashi 宮崎で最後の珈琲は、地元の老舗として知られている喫茶「ウルワシ」でいただいた。市内のほんとうの中心部にあって、チェーン展開しているTのすぐとなりにあるにもかかわらず健闘している。談話のしやすい場所を確保していることで、優勢を保っていると見た。もちろん、珈琲も美味しかった。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。