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2007年8月に作成された投稿

2007/08/28

乗り遅れの感覚

人生のなかで、さまざまな「乗り遅れ」を経験したことは、それこそ数えられないほどたくさんある。

それらは精神的には残っていても、現実感覚としては忘れてしまうものが多い。けれども、どうしても忘れることができないのが、皮膚感覚として残っている、交通機関への乗り遅れである。待ってくれという、よく夢にでてくる体験だ。

久しぶりに、幕張の社会と経済のカンファレンス室へ行くと、清掃の方がたが潮風で汚れた窓の拭き取り掃除を行っていた。Aさんはその作業を監視しながら、いつものように雑談に付き合ってくれた。

Aさんは夏期休暇で大阪・兵庫圏へ行ってらっしゃったらしい。帰りの新幹線を最終便に設定していたところ、新大阪までの途中で事故のため電車が遅れ、目の前で最終の新幹線が発車してしまったとのこと。乗り遅れて、目の前をすうっと出て行く感覚は、特別なものだ。

世界は同時に動いているのだから、列車に乗っていようと駅に留まっていようと、全体に変わりはないのだが、本人にとっては、遅れたという感覚になる。途中、新幹線より速い列車があれば、それに追いついて、追い越せば、それで済むことなのだが、通常、世界は不可逆的にできていて、一度遅れるとその遅れは取り返すことができないことになっている場合が多い。

わたしの場合、乗り遅れたという感覚は、バス旅行で経験した。東京の高校時代に池袋に集合して、秩父へ地質見学を行った。家から池袋まで電車で行って、集合場所へ向かったところ、目の前を数台のバスが通りすぎていってしまった。スローモーション・フィルムを見る感覚に似ている。あるいは、自分を含めたこの世界を上から、ぐるっと眺めている感覚といったらわかるだろうか。

じつはそこへ着く前にあらかじめ心のなかで、乗り遅れの感覚については繰り返し予行練習を行っているので、思いのほか冷静であったのを覚えている。だから、次にどのようなことを行ったらよいのか、次善の策を考えておく余裕がある場合が多い。

これからの時代、日本はいろいろな「乗り物」に乗り遅れることになるのだが、そのときにも、冷静に対処したいものだ。乗り遅れが、ときには違う解決の道を示唆する場合もあるのだ。

さて、Aさんの解決法は、夜行列車「銀河」で東京へむかうという選択だった。このようなときでなければ、寝台車に乗るような貴重な経験はありえなかったであろう。

さて、わたしの場合の解決法は、電車で追いかけることだった。電車のほうがバスより、池袋から秩父まで圧倒的に速く着くのだ。もちろん、この情報を電話で教えてきてくれたクラスの面々には、いまでも感謝している。

2007/08/27

田舎生活について

毎年、夏には「田舎生活」をおくってきていた。今年度はいろいろのことが重なったので、先日書いたように墓参りだけで終わってしまった。

「田舎生活」というのは、どのような状況であると見られているのだろうか。映画「天然コケッコー」山下監督を観て来た。

第一に、この映画が描くところでは、「田舎生活」は、シンプルである。小学校と中学校がひとつで、人間関係が複雑でない。濃厚ではないというわけではなく、邪念が少なく、ノイズ・雑念がないのだ。

第二に、都会から見るほど、消費生活に困っているわけではない。通信販売も不完全ながら浸透しているし、村での何でも屋さんも健在なのだ。それに文化的には、テレビもラジオもインターネットもある。したがって、都会とそれほど変わりないのだ。

第三に、都会では分断されてしまった人びとのネットワークが、かすかであるが、まだまだしぶとく残っている。現代におけるユートピアというものの成立可能性は、やはり良いネットワークの存在にある。

この忙しい世の中で、携帯電話もなく、電車もなく、会社などの組織も存在しないで生きていくことができるような、ひとつのユートピアの成立可能性が、この映画の核心だと思われる。

この映画のなかで、隠れたネットワークを重視しているところは、たとえばバレンタインのチョコレートの互酬制に現れる。男の子の母親が作った義理チョコは、女の子の父親のポケットに入っていて、それを女の子の母親が取って、息子にあげる。その息子は男の子へそのチョコを手渡すが、それは女の子の贈り物として渡されることになる。ということで、無事に始めのチョコは、周り廻って、最初の男の子の家へ戻っていくのだった。

必要最小限の人間とそのネットワークがあれば、生活は成り立つ、ということもこの映画の教訓のひとつだ。簡単にシンプルに、現代版ユートピアを描いていると思う。

2007/08/26

祭りとネットワーク

祭りは、ネットワークを再確認する儀式だと思う。何かあると学生間や隣近所のネットワークは働くのだが、いつもは表面には現れない。だから、やはりときどきは、その存在を確認してやらない、と正常に働かなくなってしまう。

今日は神奈川学習センター恒例の学園祭「フェスタ・ヨコハマ」開催の日である。久しぶりに参加させていただいた感じから言うと、学園祭というより、欧米でよく催されるような学生間のパーティに近い印象だ。自由な雰囲気がたいへん好ましい祭りだが、それ以上に、神奈川学習センターの学生間のネットワークを確認する良い機会となっている。

なんと4年ぶりになるのだが、ちょっとだけお邪魔した。ざっと顔を見回したところ、3分の1くらいの方の顔には見覚えがある。4年間のブランクが信じられないほどだ。この場に参加しなかった4年間という時間感覚があまりないのが不思議なくらいだ。

かつて「センターだより編集部」に加わっていただいていた、Hさん、Yさん、Mさんはすぐにわかった。元気だった。また、研究会や発表会で一緒だったHさんや、Sさん、Aさんとの会話も、4年前とそう変わりはなかった。Yさんは4年前には大病を患っていたので、むしろ今日のほうが元気だと感じた。

レクサークルの方からのお誘いで、「ジャンケン・サッカー」というゲームにも加わらせていただいた。H先生チームとの対戦は面白かった。

今日最大のイベントは、放送大学図書館長K先生の「マスコミの裏側」と題する講演会であった。センター最大の部屋でも、狭かった。そこで、隣の部屋までつないで、ようやく全員が入ったというくらい、盛況だった。

マスコミ報道のお話のなかでは、現場の判断で、臨機応変に意思決定していく場面の紹介が行われ、興味深かった。たとえば、ベトナム戦争のパリ協定時に、ハノイに入って取材したエピソードではそのときの現場での臨場感が伝わってきた。

学習センターのフェスタは暑くもあり、なおかつ、秋を予感させるようでもあり、8月最後の祭りの雰囲気があった。今日はまた、それ以外にも、至る所で、お祭りが開かれていた。

家の近くにある熊野神社でも、消防団が、神輿を担ぎ出していた。また、神奈川学習センター近くの、若宮八幡宮でも錦の旗をたてて宮司を従えての神輿が繰り出されていた。いつもは隠れているコミュニティの活動が一気に前面に出てくる瞬間である。

祭りに、隣同士や学生間のネットワークがなければ、じっさい行われることはないだろう。今日このネットワークを担った、神奈川学習センターのフェスタ・ヨコハマ実行委員会に感謝いたしたい。

2007/08/25

風呂釜の買い替え

我慢して使っていたのだが、風呂釜が限界に達した。整備はこれまで何回かしてもらったが、17年間も利用したのだ。償却しても、良い年数だろうと思う。

そこでインターネットで調べてみると、あるわあるわ、本体価格が半値のものが続々と載っている。けれども、湯沸かし器のP社の事件がまだ記憶に残っているので、こんなに安くても大丈夫なのか心配だった。それで、頼むのをぐずぐずと先送りしてきてしまった。

妻がメモを出してきて、そろそろ購入してという。けれどもやはり、信用のあるところを探さねばならないだろう。さて、どこに行ったらよいのだろうか。ところが偶然だったのだが、仕事の帰りに、川崎のラゾーナへよると、ホームセンターが入っていて、風呂釜を扱っていた。見つけたのは、ほんとうに、ラッキーだった。

さっそく、家に来てもらって、実際に合う機種を選定してもらい、見積もとった。価格もインターネット並であった。車を運転しないので、ホームセンターというところへあまり出かけたことがなかったが、このように駅のそばにあれば、たいへん便利だ。

そういえば、最近は風呂桶屋さんを見ることが少なくなった。ホームセンターのように便利なところができると、やはり淘汰されるのだろうか。

K大へ行く途中に、檜つくりの風呂桶を作っている店が一軒あり、いつも黙々と作業をしている。気がついたのは、木造り桶の店なのに、いつも店先にはプラスチックの古い風呂桶が積み上げられていることだった。

なぜか、ということは、ちょっと考えればわかることだった。新しい木造りの桶を依頼客へ収めると、古いプラスチックの風呂桶を引き取ってくるのだ。そのために、店の周りは古い風呂桶だらけになるのだ。

こんなにたくさんの古い桶が積み重ねられているところをみると、手つくりの檜の木の風呂桶も復活しているのかもしれない。

いまのところ、うちでは残念ながら、檜の木の風呂桶にする余裕がない。風呂釜だけ交換ということになるだろう。したがって、この風呂桶屋さんに頼むわけにはいかないのがほんとうに残念だ。

ところで、昔の家には、薪をそとから燃やす方式の風呂釜があった。この場合、湯加減をみるためには、燃やす人が付きっ切りで外にいて、火加減をずっと見ていたのだ。

このときに、両者の間に会話が成立するのだ。日ごろ話せないことも、湯に入ってリラックスすると通ずるということがあるのだ。近年になって、会話のできる風呂釜から、自動化されて1人ではいる風呂釜へ「進化(退化)」があったのだ。

(P.S.話は飛んでしまうが、「風呂桶」という文字は面白い。「風が吹けば、桶屋が儲かる」ということわざが入っているのだ。偶然だろうか。)

そういえば、風呂釜については、一度苦い経験がある。大学院生時代に、武蔵野の三鷹台で一軒家を借りて住んでいたことがある。そこには、木造りの風呂桶があり、趣きのあるのは良かったのだが、風呂釜はむき出しのガスバーナーだったのだ。

そこへマッチで火をつけて、風呂釜へ入れるのだが、バーナーがあまりに旧式なものだったので、スイッチのタイミングが悪く、ボンと爆発させてしまったことがある。幸いすこしのやけどで済んでよかったが、ガスの量が多ければ危ないところだった。

今回は事故になる前に、買え替えができるので喜んでいる。安全第一。

2007/08/24

明治時代の統計

Zaimu 財務省の貿易統計閲覧室へ行ってきた。

財務省の本館3階から合同庁舎4号館へ通ずる通路を行くか、それとも、直接合同庁舎4号館の2階へ行く。単に、統計を見るだけなのだが、身分証明書を提示し訪問先確認を行わなければならない。面倒だが、重厚な建物と、日本の予算執行の中枢を見学するための手間だと考えれば、すこしは気分は和らぐかもしれない。

閲覧室のドアを開けて入ると、その様変わりにびっくりした。

大学院生時代にアルバイトで貿易統計を操らなければならなくなって、数日間ここへ通ったことがある。当時は、輸出入の速報値を得るにも、直接ここへ足を運ばなければならない時代があったのだ。

そこで、証券会社、新聞社、放送局などなど、ビジネスに関係した機関が毎日押し寄せていたのだ。行列をしていて、並んで順番を待たなければ、統計表を手にできなかった。

いまでは、インターネットに数年間分の詳細な数値が載っているので、ここへ来なくとも見ることができる。だから、閲覧室には、係りの方がひとりぽつんといるだけで、コピーをとる必要があるときに限って、コピーの係が駆けつけてくる。

じつは貿易統計というのは、日本でももっとも歴史のある統計で、すでに江戸の末慶応年間からとられているのだ。したがって、特色ある商品の輸出入を追うことによって、日本経済の推移を知ることができ、たいへん便利な資料なのだ。明治や大正、昭和初期の経済を考えるときに、ときどき利用している。

もちろん、国会図書館へ行くという方法もあるが、夏休みでたぶん相当混んでいるだろうと思い、こちらの閲覧室を、昔のよしみで選んだ次第だ。

空いているという点ではここへ来て正解だったが、マイクロフィッシュの状態が悪く、ところどころ脱落がある。利用されているうちに劣化したのだろうか。はたまた、当初からの資料収集状態が悪かったのだろうか。

それでも、古い資料の場合には、この程度の脱落は我慢しなければならないだろう。原本の状態の悪さはどうしようもない。当然、このように古ければ活字も潰れているので、注意が必要だ。表に書き入れるときには、縦横の数値と総計を確認しながら、行わなければならない。昔を思い出すなあ。

統計は、このような一般的なところから、自分の関心のあるところへ変換するときに、表情を変えるのだが、その一瞬が楽しい。今日も、その瞬間がぱっと現れたのだ。(中身については、11月に横浜市立中央図書館で行われる横浜市「リレー講座」でお話しする予定である。)

ひとりもいない閲覧室で、特権を行使していたら、夕方になって仙台からわざわざ統計をコピーに来た御仁がいて、どうしても今日帰らなければならないという。マイクロフィッシュのコピー機械は1台しかないのだ。

じつはわたしも午前中から潰れた活字を再三見ていたので、すっかり疲れてきたところだった。今日の時間をやりくりしてきた、などとゴネルことはせずに、快く譲った次第である。

Kokkai 財務省3階には、UCC珈琲が入っていたので、帰りの一杯はここのアメリカンを。国会議事堂を臨みながら飲むことにした。統計資料を確認しながら、しばし明治、大正時代の雰囲気を楽しんだ。

2007/08/21

シュルレアリスムについて

消費文化論のために見ておきたかったが、時間がなくて見逃していた「シュルレアリスム」展が宮崎に来ていた。(至る所で、研究取材が成り立つというところが、わたしの商売の利点だと勝手に思っている。)

Musium展覧会を行っている宮崎県立美術館自体に、そのような超現実的な空間を作り出そうとしている意欲を感じた。

今日では、芸術の方法ばかりでなく、広告・宣伝のなかに取り入れられている。日常の手法として、身近なシュルレアリスムを確かめておきたかった。わたしたちの現実には、隠れた部分がたくさんあって、「超現実」という現実もある。

ふたつの手法について、わかりやすい展示が行われていた。

「自動記述」手法を使った作品はたくさん集められていた。表現を行うときに、ものを考えずに、描くスピードを上げていくと、それまでにない超現実の表現が現れる。このような作品のなかでは、イヴ・タンギー「棒占い」が良かった。ひとつひとつは、それぞれ意味があって、濃厚な物語が存在するのかもしれないが、集積され積み重ねられると、それらの濃厚な物語とは異なる超現実がそこに現れてくる。背景のブルーとクリームの取り合わせも素敵だった。

もうひとつの手法は、「デペイズマン」で、本来あるべきところのものを別のところへ置き換えることで、別の出会いが起こる。このとき超現実がありうるとする。あまり好きではない、といつもは通りすぎてしまうのだが、今回に限っては、ルネ・マグリットの「白紙委任状」が、この手法の例としてよくわかった。馬上の女性像が、樹木の前に描かれていたり、後ろに描かれていたりしていて、「ほんとう」の像はどちらなのかわからない状況を作り出している。じつは、現実というものはこのように、分断された像を持っているのだ。

ふつうはマックス・エルンストの「手術台のうえのこうもり傘とミシン」がデペイズマンの例として有名であるが、今回は別の形で理解できたことが収穫だった。

Live美術館の隣には、県立図書館があって、そこのポスターもシンプルで見栄えのするものだったので、写真を撮らせてもらった。

Uruwashi 宮崎で最後の珈琲は、地元の老舗として知られている喫茶「ウルワシ」でいただいた。市内のほんとうの中心部にあって、チェーン展開しているTのすぐとなりにあるにもかかわらず健闘している。談話のしやすい場所を確保していることで、優勢を保っていると見た。もちろん、珈琲も美味しかった。

2007/08/20

放浪について

Mitchi2 朝、宿舎を出て、どこか珈琲の美味しい喫茶店で、モーニングセットを頼もうと探すが、チェーン店系のコーヒー屋さんしか見当たらない。

仕方がないので、駅の構内でちょっとトーストをかじって朝食とし、つぎの目的地へ旅立つ。旅も三日目に入ると、心なしか、自らの根無し草の本性が現れてきてしまう。帰ってから行おうと思っていた仕事の準備も忘れて、旅にどっぷりと浸りっきりになってしまう。

旅に出ると、旅先での対応によって、次の旅先が決まり、連鎖的に次から次へと、行き先が変わっていく。

このような人間の本性である冒険心や不確実性について、ロビンソン・クルーソーはつぎのように言っている。これほど的確な表現にはお目にかかったことはない。

「生涯におけるある特定の境遇を自分の独力で選びうるといわんばかりに、自らの判断力に自惚れることは、賢い人のとるべき道ではない。人間は目先のきく存在ではなく、眼前僅かの所までしか見ることをえないのである。パッションは人間の最善の友ではなく特定の感情が最悪の相談相手となることも多いのである。」

「私はこのことを、私が若い頃からもっていた、世界を放浪したいという猛烈な欲望と関連させていっているのである。この原則が厳として私の場合に働いており、結局私が罰を受けるに至ったことは、明白であった。どうしてそうなったのか、その様相や状況や結果はどうだったのか、ということを年代的に、また実に多種多様な具体的な事実をあげて説明することは容易である。(中略)用事があったかなかったかはともかく、私はとにかく出かけていったのである。今はもう、自分の行為の理由づけを、或いはこの不条理さを、これ以上くだくだ述べる時ではないと思う。とにかく、歴史的な事実に話を戻したい。私は航海に出るために船に乗り込んだ。そして、出航したのである。」(『ロビンソン・クルーソーのその後の冒険』 デフォー、平井正穂訳

「世界を放浪したいという猛烈な欲望」という言葉は、自分の人生のなかで一度は、誰にでも思い当たる言葉ではないかと思う。おそらく、近代というもののひとつの契機は、この欲求にあって、世界というものを確かめるために、世界の果てまでいって、ネットワークを逸脱した可能性を確かめたい、と人間は考えていたのだと思われる。とくに、ロビンソン・クルーソーの時代には、強い欲求としてこの欲望があったと思われる。

その昔、学生時代に教員試験を受けるために、教育実習を行っていて、女子高校へ配属になった。わたしの担当したクラスは、半分は進学志望で、もう半分は就職志望であった。このなかで、どちらにも属さないような女性たちがいて、「世界を放浪したいという猛烈な欲望」をホームルームの時間に突然述べたので、びっくりした経験がある。

横浜らしいな、と思ったのは、彼女が船乗りになりたいと言ったからである。もしほんとうに船に乗っていたら、まだまだ現役で、南太平洋あたりを今でも航海しているのだろう。

Yashinoki などと、夢現つつの状態で、宮崎に着いた。午後から、T氏の修士論文の相談を受けることになっている。彼は医療経済に関係した論文を目指しているので、宮崎大学の医学部図書館で会おうと提案したが、宿泊のホテルまで来てくれると言うので、ロビーでじっくりと話を聞く。

宮崎市内の幹線道路には、椰子の木が植わっていて、異国情緒がある。日本から飛び出て、南方にでもきたような気分にさせてくれる。

2007/08/19

五高での講義

070818_123701面接授業では、体力も勝負なのだ。とくに二日目には栄養を十分取って備えることにしている。朝食は宿舎のバイキングでたっぷりとり、バスで学習センターへ。

熊本学習センターのある熊本大学の黒髪キャンパスには、旧制中学時代の赤レンガの本館(1889年竣工)が残っていて、それが五高記念館になっている。なかには、当時の教室が復元されていて、夏目漱石(1896年着任)、ラフカディオ・ハーン(1891年着任)などが教壇に立ったころを偲ぶことができる。

このような学問的な雰囲気の残っているところで講義を担当できるのは、光栄の至りであるが、それにしてもやはり赤いレンガの校門(これも重要文化財らしい)をくぐるころには、汗が噴き出してくる。今日もそうとうな暑さだ。

午前中には、昨日宿題に出した課題についてグループ討論を行った。今日のテーマは、「組織における経済」なので、ちょうど組織的な決定の事例について、身をもって経験してもらうことにもなる。

ときどき講義のなかで、わざと意味の取りづらい、けれども、きわめて重要なテーマを出して、学生の反応を見ることにしている。一般の大学であれば、そのような課題を出すとただちに質問の山が築かれることになり、レポートに取り掛かるまでに時間がかかってしまうのだが、放送大学の学生の異なるところは、その辺の割りきりが極めて経験的である点だ。

ひとりの学生は、「先生は先生として意見があるだろうから、ひとまず自分たちの意見をまとめておけばよいのではないか」という。社会科学という学問では、正解のない場面が多いことを理解していて、それへの諦めがわかっている。なおかつ、真理を求めようとする姿勢を崩さない。このような思い切りの良さは、たぶん他大学の学生にはまねできない点であり、経験的な生活のなかで身につけてきた機転だと思われる。

ほかの女性の学生が、4月に入学したばかりで、レポートを書くのが初めてなのですが・・・。と言ってくるのだが、じつはレポート以外の文章はかなり書きなれている人が多い。その証拠として、こちらが言うことの範囲をある程度予想しながら、質問してくることが多いのだ。そして、実際にレポートの結果を見ると、起承転結がしっかりしているのだ。

いつものように質問をとった後、定刻どおりに、計画した講義を終え、学生の方の拍手で終了となる。質問のある学生は残り、三々五々帰っていく。ひとりの方は、来年熊本から東京のお子さんのところに引っ越してくるそうだ。そして、幕張の図書館へ通いたいのだとおっしゃる。日本中、どこにいても勉強できる、という時代を迎えつつあるのだ。

さて、レポートの採点も済まし、採点表を付けると、今晩の食事を考えなければならない。今日も事務長にお聞きして、ひとりでもゆったり食事のできる店を探す。すぐに昨日とは趣きの異なる「∞」という店を紹介してくださった。

熊本の繁華街には、下通りと上通りがある。かつては下通りが栄えていたらしいが、最近上通りの裏道が盛っているのだという。教えられた店へ行くと、表から見た限りは大勢で押しかけるような居酒屋風だったので、敬遠して一度は通りすぎた。けれど、ひとりの席があるかどうかだけでも聞いてみようと思い、店にはいる。玄関で、すぐに馴染む雰囲気があった。

Niwa ひとりの席もありますよ、という。入り口のカウンターと、庭に面したところと、どちらがいいですか、というので、外庭を選ぶ。

つまりは、人と人の結びつきは、相互作用の産物だということだ。もちろん、ビジネスにはビジネスの相互作用のやり方があるように、居酒屋には居酒屋の相互作用の流儀があって、それがその場所に上手くあっているかどうかが問題なのだ。

この店の場合、昭和初期風の人家を改造して、居心地の良さを演出しているばかりでなく、入り口の対応にはそれなりの応対を配置し、さらに接客には接客に手慣れた従業員を配置している。店全体の一貫性を感じた。

Ram団扇を片手に、今日もやはり焼酎を頼む。鳥飼というフルーティな銘柄をいただく。シーフードサラダに、刺身がいっぱい入っていて、美味しかった。最後に、クリーム状のプリンをデザートにとって、店を出る。その席の係りの人に聞いた、地元系のコーヒー屋「RAM」という店で、今日最後の一杯を飲む。

2007/08/18

ロビンソン・クルーソーの認知度

講義のために、熊本に来ている。

朝起きて、この暑さのなかでも、身体の調子は良かった。直通の羽田空港行き電車にも間に合ったし、順調に熊本空港に着いた。こんなに調子が良いときには、なにかおかしいことが起こっている前兆なのだ。

じつはわたしの勘違いで、学習センターの時間に遅れてしまったのだ。あやうく大事に至るところだったのだが、学生の方がたの理解もあって、所長の先生と職員の方がたが無事切り抜けてくださっていたのだ。

おかげで、ただちに講義に入ることができた。ところが、今度は2日前に送った講義のためのプリントが届かないという。おそらく、盆の休みで、宅配便の時間がかかっているのだろう。受講している学生には、話の内容に集中してもらい、パワーポイントを活用して、一時間目は切り抜けることができた。そうこうしているうちに、ようやくプリントが届いた。

これ以上はなにも起こらないだろうと思っていると、いつもは意識したことのない教室の音響機器がうまく操作できない。ところ変われば、機器も違うのだ。放送大学の学生には、高齢のかたもいらっしゃるので、マイクの音量などに敏感な方がいらっしゃる。無線マイクが混線してしまうと手に負えない。

などなど、次から次へと問題が起こったのだが、それにもかかわらず、講義自体はかなり良い状態で進んだ。午後のちょうど眠い時間帯に当たっていたにもかかわらず、マイナス分を取り返して、さらにこれまでにないほどに充実していた。

講義のなかで余裕があるときには、ときどきこの次制作する授業のための探索を行うことにしている。来年度のために、以前にも書いたように、「ロビンソン・クルーソー」を取り上げたいと、このところ講義案を練っている。

そこで、この話を講義のなかでエピソードとして使ってみて、学生のかたの反応を見てみた。その結果、思いがけないことがわかったのだ。じつはほぼ全員のひとが、ロビンソン・クルーソーという名前を聞いたことがある、と勝手にわたしは思い込んでいたのだが・・・。

20名ほどの出席している学生のなかで、それもとくに若い人のなかには、この物語をまったく知らないどころか、その名前すら聞いたことがない方が、3~4名いたのだ。20人中3~4名というのは、かなりの比率だと思う。

年配の方でも、最初から最後まで全部読んだ人は一人もいなかった。つまり、昔は英語などの教科書に載っていたり、絵本や漫画本に多く取り上げられたりしていて、多くの人が眼にしていただけなのだ。教科書に取り上げられなければ、とくに興味関心を惹く様な物語ではなかったのかもしれない。無意識のうちに、人間のひとつの典型として、孤島に住むということが考えられるということは、現代にあってはほとんどないのだ。

来年度、この物語を取り上げる際には、このようにまったく名前すら聞いたことがない人にも配慮が必要だ、と新たな発見をしたような気分だった。じつは、現代にこそ、このロビンソン・クルーソーの物語が必要だと考えているのだが・・・。(その種明かしは来年度の制作のときまで先延ばし。ほんとうにそんなに重要なことかと言われてしまうかもしれないが、乞うご期待としておきたい。)

講義のほうは、明日のために今晩考えていただく宿題を出して、今日の分については無事終えることができた。宿舎へ向かう途中、繁華街の真ん中に、「現代美術館」があり、夜8時まで開館している。「Attitude 2007―人間の家」と題されたこれまでのこの美術館の5周年記念の回顧展ともなる展示を拝見する。

表現に現れる、とりわけ「極限状況」での存在の重さということを感じた。荒木経惟の写真のなかの現実と虚構の連続は、物語として語りかけてきたし、ハンセン病療養所の入所者の絵画には、極限の存在感にプラスして、個性的な文脈が見られた。

これらのなかで、とくに感嘆したのは、「木下晋」の作品で、メモ帳に綴られた日記である。その小さな文字は、すでに判読不可能のレベルにまで達しているにもかかわらず、数十年間の存在感が圧倒的に現れている。ほとんど、日記や住所録やその他の日常の個人情報の集積は、文字内容よりも、その外見だけで個人の存在をその情報量の圧倒的な多さにおいて表現しているのだ。

つまり、ひとりの個人が存在するためには、それぞれの年、月、日にどのくらいの情報量で成り立っているのかが、視覚的に表現されているのだ。大壁一杯に、隅から隅まで、細かい文字で埋め尽くされているひとりの現実には、凄まじいものがあった。

展示室を出ると、広場になっていて、そこからピアノのインプロヴィゼーションが聞こえてきた。しばし、展示物の一部となっている「人間の家」の大テーブル群のなかで、静寂とピアノの音による、世間と隔絶した世界に浸る。

現代美術館は熊本市の繁華街の一等地にある。その一階の角は、イベントの行われるところらしい。そこへ降りていくと、今日はジャズライブが繰り広げられ、人を集めていた。その横をすり抜け。職員の方に紹介していただいた、Kという会食の店へ行き、熊本の焼酎「白岳」を飲みながら、この日記を付ける。

途中、「よかばってん」とか「~でよか」とかという、会話が聞こえてきて、いつもテレビで聞くのよりもやさしい響きに聞こえたのは、やはり本場の発音だからだろうか。言葉は、場所に依存するのかもしれない。

今日最後のコーヒーは、K店の方から推薦してもらった、すこし街の奥へ進んだところにある「はんの木」という店で、ライトブレンド。最近は、苦く濃いコーヒーが主流になっているので、このようにライト系のものを確保している店は珍しい。美味しかった。宿舎への帰りは、熊本名物のチンチン電車を利用した。サッカーの試合が跳ねたらしく、興奮冷めやらぬ、威勢の良い一群の人たちが乗り込んできた。

2007/08/12

民芸について

昨日のことだが、美術館からの帰り、すぐの角に喫茶店があって、その脇に入っていく道がある。この道をとおって、幼稚園へ通っていた。すこし遠回りになるが、直射日光で35度を越す今日の日差しを避けるためには、良いかもしれないと思い、幼稚園時代と同じように道草を食うことにした。

Y君が継ぐことになっていたお寺の前を通って(ほんとうに後をついだのだろうか)、大きなざくろの木(やはり、いまでは切り倒されてしまっていたが)のある横丁を抜けて、仲町通りへ入っていった。これで、また一般の観光客に戻ることができるだろう。

070812_132701いつものように、「ちきりや」へ寄って、砥部焼きや益子焼きを眺め、ガラス工芸 とアジアン工芸の部屋も見た。この店の品物は、使ってみて、味がわかるのだ。ちらと視界に入ってきたのが、タイ製の帽子だった。今日の天気でちょうど欲しいと思っていたので、ただちに買い求め、値段票を取ってもらう。

こちらもいつものように、「松本民芸家具」へ寄る。バーナード・リーチ特集を行っていて、彼がここの池田三四郎を尋ねてきたときに監修した椅子を展示していた。小ぶりのウィンザー型のものなど数点が並べられていた。手紙や年表をみると、わたしがここの小学校に通っていたころに、頻繁に便りをやり取りし、さらに何度かリーチが濱田庄司と一緒に松本を訪問していたのだ。

当時、「ちきりや」や「民芸家具」の商品は使われることで活きるということで、母も安い陶器をよく買ってきていた。このときの影響は、きっと受けていると思う。いまから考えるに、それが高じて、結婚式の引き出物に「ちきりや」の品を選んだことは間違いない。

さらに、こちらも例年定番となっている竹風堂の「山菜定食」で、昼食とする。店から直結した、漆黒のタイル張り床で、小さな中庭に開けた和風の食堂に入る。わらびや凍み豆腐の煮物、むかごの味噌漬けなどと一緒に、栗おこわが出てくる。これからも、一年に一回は食したい定食である。

道草をし過ぎて、午後になってしまったので、あわてて大糸線に飛び乗る。信濃大町駅につくと、駅前のスーパーマーケットで今夜の夕飯を買い込む。レジへ向かおうとすると、おうという声がする。到底、こんなところでは会うはずのない、思いがけない方とばったり遭ってしまった。

それはそれとして、今回は墓参りや親戚まわりなど、いろいろなところに行かなければならないので、初めての経験だったが、駅前の観光協会で自転車を借りることにした。

さっそく、いつもお世話になっている、親戚のTさん宅を訪ねる。積もる話があって、つい長居をしてしまう。大きく果肉がたっぷりの梅漬けが、あまりに美味しくて、三つもいただいてしまった。

2007/08/11

絵画における「絶筆」展

朝9時から、松本市立美術館が開いているというので、合理的なB&B風な朝食を済ませて、徒歩で向かう。たしかここは昔、松本警察署があったところではないかと思う。裏には、この盆地の扇状地が重なり、水源が集中する場所があり、至る所に清水が湧いていた。「源池」の発祥の地である。

幼稚園の通学路に当たっていて、毎日冒険を見つけていた。幼稚園では、お金を拾ったら、警察に届けなさいと言われていたので、純真なまま1円を拾ったときに、この警察署に届けた。甘いキャンディをもらって、なんとなく儲けた気分で、なにかちょっとおかしいとは感じていた。

「絶筆」というテーマで、100人の日本画家の最晩年作品が集められていた。小説の絶筆ならば、死ぬ前にどのようなことを考えていたのかが作品に現れるだろう。絵画にも、死の影響が現れるのだろうか。

http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_0705/main.html

びっくりしたのはそれぞれの作品の前に立つと、自然に生前の作品との比較を始めたことである。代表作をそれほど多くみているわけではないが、それでもその画家の作品が目に浮かんでくる。それとの比較で、旺盛さや、衰えや、枯れという特徴がわかる。

古賀春江の一枚では、相変わらずのシュールな物語を楽しんだ。サーカスを扱っていて、虎たちの曲芸があり、象やいるかが宙に舞っている。背景のブルーが素敵だった。しかし、配置がなんとなく、いつもの作品と違っていた。晩年にちょっとした異変が起こっているかのような欠如が見られた。しかし、それはこの作品が他のものと比べての欠如であって、これはこれで完結しているのだろう。

もうひとつ見たかったのが、松本竣介の最後の二枚である。それぞれ、背景に潜む歴史の重さと、前面に軽快に描かれた表象とによって構成されている。ふたつの間の交錯が複雑な時間を表現しているように思えた。

とくに「建物」は面白かった。背景にはぼんやりとした四角い建物の、「内側」が描かれており、前景には太くくっきりとした線描で、三角屋根と大きなステンドグラスの丸窓のある建物の「外側」が描かれているのだ。

つまり、一枚の絵のなかに、内側と外側がほぼ重ねられて描かれ、おそらくそれらの時間は異なるものなのだ。それは、もう一枚の「彫刻と少女」でも共通していて、少女の内側らしい質感をもった身体と、黒い線で描かれた輪郭とに落差が見られた。これらが最後の作品だとしたら、やはり画業としては「未完」ということではないか。結果として、最晩年はあるのであって、松本竣介本人にとっては最晩年ということは存在しなかったのではないかと思われた。

常設展では、以前開かれた、松本出身の草間弥生の展覧会が残されていた。以前に書いたように、間違いかもしれないが、もしかしたら絵画を習ったことがあるかもしれないのだ。相変わらずなのであるが、際立った水玉や、無限鏡を見つめていると、すべて自分の心や、自分の姿に帰ってくるような、外向と内向の強烈なベクトルが感じられた。自分は何者なんだろうか、とこの作品を観るたびに問わざるを得ない。

2007/08/10

二日目の講義

朝、温泉に浸かることのできるのも、諏訪の魅力である。毎年泊まるNホテルの最上階には信州の山々をずっと眺めることのできる、展望の利く温泉があり、講義で身体上の無理を多少しても、このお湯に浸れば大丈夫なのだ。

この温泉の特徴は、無味無臭であるにもかかわらず、肌がすべすべになって、夜の寝汗をさっぱりと落とすことができる点にある。このような良い場所を放送大学の学生のかたも見逃すはずはないと思っていたら、ホテルのロビーでばったり受講生と会ってしまった。まだ、8時だというのに、これから出かけるのだと言う。街を歩いてから、講義に駆けつけるとのこと。

「経済社会のなかの階層制」にかんする話も、近代システムである市場と企業組織の話に入って、基本的な考え方もほぼ理解していただき新しい考え方も取り入れて、かなり話も核心に迫っていたと思う。朝10時に始まって、最後18時までの長丁場だが、思ったよりもスムーズに進めることができたと思う。

始まる前に、センター所長のN先生と信州大学から講師で来ているインド文化論のF先生と雑談をしていて、老後の話になった。老後を信州で過ごしたい、と思っていても、やはりシネコンがないと駄目ですね。とわたしが言うと、松本にも名画座が集まったようなシネコンがあり、結構地味な映画もかかるとおっしゃる。松本の近くなら老後も住めるかもしれないと感じた。今、インド映画が絶頂期で、「踊る」インド映画はいいですよ、と勧められた。

今日の昼食は、Nホテルの1階にある喫茶店「辻舎」のランチをいただく。ここのコロッケランチは昨年いただいて美味しかった。今日のランチメニューは、ハヤシライスにズッキーニと茄子の和え物。食後のコーヒーも美味しい。

もちろん、放送大学の同じ階に入っている「こうひい亭」のランチも悪くはないが、一日しゃべり続けるときには、途中の気分転換も必要なのだ。

亡霊のごとく、ふるさとの街を歩く

講義が終わってから、諏訪のS寺に先祖の墓参り。それから、母方の盆のお墓参りに信濃大町まで行こうと思い、駅までいくと、電車が1時間近く遅れているらしい。あまり遅くに向こうへ着くと、すこし山奥へ入る必要があるのでじつは怖い。手紙が来ていて、今年は熊が出るから要注意とのこと。

急遽、松本の駅前ホテルの中から、もっとも安い宿を選んで、投宿することにする。ほんとうに偶然だったのだが、部屋へ上っていくエレベーターから、花火が遠くに上がっているのが見えた。

今日はすでに一日中身体を使っていたので、もうちょっとでも動きたくないとはじめは思っていた。けれども、どうしても方角が気になった。昔は、この時期にこんなに大きな花火大会はなかったのだ。070810_203301

ふるさとにおける距離感や方角というのは、歳をとっても狂っていないらしい。じつを言うと、小学校時代住んだ家の方角で、この花火が見えたのだ。

近くに源池小学校があり、その横を流れる薄川にかかる大きな橋を渡ると、奈良時代にはこの地方の国府が置かれていた筑摩神社があり、ここの夏祭りを祝う花火大会だったのだ。

駅前から歩き始めると、途中まで結構距離があるなあ、と思い始めていた。8時間立ちっぱなしのあとの徒歩はやはり応える。

ところが、市民会館や深志神社の右側に出て、街深く入っていくにしたがって、次から次へと懐かしい町並みが暗闇のなかから姿を現すのだ。たしかに、なかにはすこし新しく見事なデザインの家に生まれ変わったところもあるし、さすがに産業施設で現役の工場は変化が激しいが、それでも町並みの骨格はほとんど変わらない。

記憶がよみがえるどころではない。ここ数十年間あたかもずっと住んでいたかのように、記憶を修正し始めたのだ。少年時代には大きく見えていたものを現在の縮尺に修正し、いつかまたこの町を訪れる準備を始めていた。

この辺にはたしか、と思って目をやると、その建物がぼうっと現れるのだ。歳とって、ふるさとの街を徘徊する夢を良く見るが、まさにその通りのことが現実に起こっている。頭上には、まだまだ尺だまのスターマインが炸裂し続けている。振り返りざまに街をみると、写真のフラッシュを焚いたかのようの昔の町並みが浮かびあがる。

ふるさとの街を亡霊のように歩く。ここは友人のM君の家だ、と思ってみると、白髪の老人が椅子に腰掛けて、孫を膝に乗せて空を見上げている。Fさんの家が写し出され、ピアノ教室の看板が浮かび上がった。この斜めの道を入っていくと、K君とそれに続いて、すでに十代で亡くなったT君の家があった。と思って、目を移すと、駐車場に夫婦が連れ立って眺めている。

死ぬ瞬間には、生前のすべての記憶が映像フラッシュのように、ざあっと目に浮かぶというが、いまがその瞬間なのかもしれない。まさにその世界に一歩足を踏み入れた気分だ。けれども、これが現実なのだ。

この斜めの道を抜けると、向かいに文房具屋があって、その隣に源池小学校が見えてくる。夜のため、わたしたちが卒業記念に作った河童池と河童像はさすがに見えない。そのまえ辺りから、人びとが道路に座り込んでいて、歩行者天国ならぬ座り込み天国状態になっている。

勝手知ったるところなので、暗闇のなかでも、数十年のまえの勘を働かせること は容易だ。ただちに土手まで達して、打ち上げ全体を見通せる場所を見つけ、陣取ることにする。070810_205902

花火は、甲子園への最多出場校のひとつである松商学園高校の脇から、どうやら打ち上げられているらしい。帰り道の途中、小学校時代に住んでいた家の前も通ってみた。そこにも、デッキチェアを持ち出して空を見上げている家族がいた。

おそらく、東京へ出ることがなかった070810_205901ならば、いまごろここから花火を見上げていたことだろう。ここに帰ってくるのも悪くはない。けれども、住んでいた場所は持ち主が転々としたらしく、現在はビルが建設中の状態だった。こんな住宅地の真ん中で、ビルはないだろうに。

せっかくの亡霊気分が消し飛んでしまい、ああこれが現実なのだ、と完全に引き戻されてしまった。駅までのなだらかな坂道をゆっくり転がり、明日もまた暑い日がくるのかと思った。

2007/08/09

長野学習センターでの面接授業

あずさ11号に乗って、上諏訪に来ている。1号車に乗ったので、ついでに新宿駅で写真を撮った。ところが、旅の途中でポケットからこぼれ落ちたらしくカメラが見つからない。機械は諦めるとしても、その後撮った数々の写真を諦めざるを得ないのは残念だ。

ところで、列車に乗った途端、眠気が襲ってきて、あっという間に夢の世界へ行ってしまった。隣の客が眠気を持ち込んだのだ。わたし以上に眠りが深く、静かにずっと眠りつづけているのだ。眠りは伝染するという説に、大いに賛成するしだいである。夢うつつのうちに、上諏訪に着いた。

昨年見つけておいた(娘の推薦の)「旨いもの処 季彩」へ直行し、ランチをいただく。かなりのボリュームの「冷豚しゃぶしゃぶ定食」で、栄養十分、授業の準備も万端状態で長野学習センターへ向かう。

今年のテーマは、「経済社会のなかの階層制」ということで設定した。現代の経済社会にあっても、「階層的な上下関係」ということが観察され、このことが重要な人間関係を形成している。企業経済の問題、官僚制の問題、市場と組織の問題など、現代の最重要な問題がつぎつぎに出てくる。わたしにとっては、たいへん魅力的な問題なのだが、果たして授業としてはどうだろうか。反応が楽しみである。

途中、それぞれの経験を書いてもらった。職業上の階層経験を書く人、上司と部下の関係、親子関係の上下関係を書く人、町内会の先輩・後輩関係を書く人が多い。そのほかにも、ボランティア活動でのヒエラルヒー、自衛隊での経験、広告会社での機関別の格差、看護師と医師・患者との関係、教師と生徒との関係など。多彩な経済上の上下関係についての事例集がたちどころに出来上がった。

学生の方がたの経験の多さこそ、放送大学の取り柄である。授業を行っていて、いつも感じるし教えられるところが数多くある。と同時に、授業に取り込んで可能性の幅を広げることができる点でも、他大学にない教育実践が可能なのである。

ところが、理科系の方がたに聞くと、経験は必ずしも歓迎されるわけではないとのこと。先入見が邪魔して、授業が行いにくいということらしい。とはいえ、学生たちの経験の多さが、放送大学の特徴となっているは、たしかである。

070809_204301集まったレポートについては、今晩じっくり検討させていただくことにする。8時過ぎには、諏訪湖半で毎晩、花火大会が15分間くらいあるというので、散歩しながら見物する。

ちょうど公園のベンチが空いていたので、腰掛ける。湖のなかに設けられた人工島の初島から、打ち上げが始まり、音楽に合わせて、進行されていった。070809_205001

一発一発重みのある花火から、コンピュータ制御で組織化 された花火師たちのチームワークによるショーへと、花火大会も変化を遂げているらしい。花火大会そのものには満足したが、その後の車のラッシュには違和感をもった。浴衣姿で、ゆったりと歩いて花火を観るのではなく、みんなが車で来て花火を観る時代になっている。忙しい時代だな。

2007/08/07

アニメの料理映画

アニメ映画は総じて嫌いだった。日本で評判になったアニメ映画も、子どもたちの付き添いでみただけで、それほど多くを見たわけではない。

とはいえ、子ども時代には、ちょっと古くなるが、東映映画で「白蛇伝」や、「猿飛佐助」などは熱心に観た。どうも、近年になってから、アニメ映画は苦手になったとしか思いようがない。

なぜ嫌いかといえば、映像が省略されすぎていて、大画面で見ていると、観るべきところが明らかに示唆的であることが多いところが気になってしまうのだ。そのくせ、それ以外のところは、のっぺりとしていて、落差が激しすぎる。

子供向けには、省略の多い映像は、原色で描く絵本が多いのと同じで、好ましいと思う。けれども、いつもクールな画像だけではいただけない。やはり、映画の画像はホットなものが良い。(と、ちょっと利いた風な理由を述べてみた。

それじゃ、アニメでも丁寧に描かれた、省略のないリアルな映像ならばよいのだな、といわれれば、そのとおり、と言わざるをえない。というわけで、本論にたどり着くまでに相変わらず手間取ってしまった。

映画『レミーのおいしいレストラン』(Ratatouille)を観てきた。最初の画面一杯に出てきた、田舎の家が素敵だった。赤い屋根に白い壁、かなり古くて、ねずみたちが住み着くには最適な家に見えて好ましい。ここで培われたテイストが、ねずみのレミーの味覚を養ったとすれば、あとの話はスムーズに進むことが予想できた。

この映画がアニメでなければならない必然性が、まさにこの映画を成功に導いていると思われる。アニメでなければ表現できない非現実とは、何か。レミーがねずみであって、人間であるリングイニと約束を結んで共同作業を行う、という想定である。これを実写で表現しようとしたら、たいへんなことになるだろう。人間の部分はどうにかなるとしても、やはりねずみの部分はアニメで切り抜ける必要性があったと言えよう。

それ以外に、この映画を成り立たせる可能性はなかった。その意味で、この映画はこのアニメという表現でもって、ようやく成立した特殊な映画であるのだ。

すこしわき道に逸れるが、昨日、女優のケイト・ブランシェット主演の映画『The Gift』を観ていて、Giftとはなにか、と考えていたのだ。レミーの料理の才能も、映画のなかで、Giftと表現されていた。天から与えられた生まれながらの才能をGiftと表現するということで、ようやく昨日の映画の意味も納得したしだいである。

今回の映画の標語は、「Anyone can cook」(誰でも名シェフ、と訳されていた)である。およそ、料理シェフからもっとも遠い存在である「ねずみ」を登場させて、最後に「名シェフ」にまで高めていく。一種のビルデュング小説の趣きもあって、この点でもたいへん楽しめる。

料理の場面にはそうとう気を遣っていることはわかっていたが、やはり料理に関してだけは、アニメ表現は合わないような気がする。たとえ白黒であっても、実写の料理のほうが、嗅覚・味覚・視覚の情報を、数倍観客に送るのではないかという気がする。

おいしそうな情報は確かに伝えていても、やはりそれだけの情報であって、五感を揺する映像は、実写のほうがまだ勝っていると、わたしには思われた。(最後に決定的な役割を演ずる「ラタトューユ」の絵は、主役たる料理の絵としてすこし貧弱なのではないか。)

(と書いていたら、アニメ派の娘が部屋に入ってきて、「押井守」をみてから、ものをいいなさい、と言われてしまった。そうなのだ。つまりは、アニメは食わず嫌いで、アニメ特有のリアリティがまだわかっていないという可能性はあるのだが・・・。)

2007/08/02

試験監督の楽しみ

試験監督も三日目になると、そろそろ飽きてくる。というと、受験者に失礼になることは重々わかりつつも、何もしないで三日間、教室に缶詰になる気分を想像していただければ、わかっていただけると思う。(教務の職員は8日間、試験本部に詰めっきりだから、わたしの比ではないのもわかっているのだが・・・。)

試験監督は、忙しいように見えるがそんなに忙しいわけでもない。かといって、忙しくなさそうに見えて、じっさいにはチェックすべきことがあって、刻一刻と緊張を強いられる。

義務だからやっているのであって、責任がなかったならば、すぐにも放り投げてしまいたい種類の労働であることは間違いない。けれども、公平を規すためには、誰かがやらなければならないのだ。

もっとも、気分は持ちようであって、こんなときでも楽しみがないわけではない。放送大学は通信制大学なので、学生にまとめてこんなに会える日はそう多くはないのだ。

学生の意見を聞くチャンスではある。

試験会場に行き、問題用紙を配って、開始時間になるまで5分くらい沈黙の時間がある。このときに、何か言うのは不謹慎極まりないのはわかっているのだが、やはり退屈の虫には勝てない。

きょうはちょうど、放送大学の多くの先生方が参加して、特別に制作した共通科目授業の試験に当たっていた。そこで、授業を聴いて、多くの先生が加わっていて、(1)もっと少人数の先生で制作して欲しかった。(2)多くの先生で良かった。

このふたつの選択肢を選ばせた。この教室のほぼ9割が(2)を選んだのだ。これから受験するので、多少の配慮があったとしても、この数字は圧倒的だ。

ちょっとショックなこともあった。わたしの科目はずっと論述形式の試験を続けてきている。そこで、択一式が良いと思うか、論述式が良いと思うか、と聴くと、ほぼ7対3で、択一式を好む受験生が、その教室では多数を占めたのだ。

もちろん、これらは正式のアンケートではないから、この結果からだけからは判断は難しい。そして、おそらく教室によっても、この数字は異なるし、時間がたてば、変化することも間違いないだろう。

そうそう、それから意外だったのは、字数制限の感覚についてである。論述形式で、800字以内と指示されている試験があった。そこで、800字以内と書いてあれば、わたしたちの感覚では、600字程度より少なかったら、おそらく減点の対象にしても良いだろう、と考えている。ところが、多くの学生は、800字以内というのは、あくまで「以内」であって、400字でも500字でも良い、と考えているらしいのだ。

ふーん、そうなのか。

(じつは、わたしの科目では、偶然にも「600字以上800字以内」と指定している。したがって、内容が最も重要であるのだが、形式的には600字未満だと減点の対象になるのだ。)

このように、試験前のちょっとした気晴らしとして、学生の意見を聞く機会を持てるというのは、たいへん良いことだと考えている。試験監督の役得のようなものだと思っている。くれぐれも、変な教員に変な質問をされたから、試験の成績も悪かったなどと思わないようにお願いするしだいである。

2007/08/01

イングマール・ベルイマン

先日の30日に映画監督のイングマール・ベルイマンが亡くなった。

わたしたちの学生時代、とくにわたしの場合には、70年代に作品を数多く観た。けれども、傑作といわれるものは、50年代、60年代のものが多い。

時間を遡っていくなかでの老医師を描いた『野いちご』や、ずっと後で制作された『魔笛』などが記憶に残っている。

いまから考えると、なぜベルイマンの作品にこんなに焦がれたのか、不思議な感じが残っている。流行していたヌーヴェルヴァーグなどとは手法が明らかに違っていた。

典型例は、『魔術師』(原題は『顔』だったと思うが)である。出だしからして、シェイクスピアの舞台を思わせるような、馬車の影絵のようなシーンから始まっていたと思う。ミステリーのような悪行や恋愛小説のような愛情を思わせるシーンは存在しない。必然の筋は想定されていない。その場その場の場面展開で、内的にさらに内的に、劇は進んでいくのだ。

どちらかというと、古典的な手法が目立った映画だった。白黒の画面であったし、舞台劇を思わせるようなシーンが多かった。

30年前にもかかわらず、マックスフォン・シドーの演技が目に浮かぶ。おそらく、わたしが老いて、このシーンが夢に出てくるとしたら、この黒マント姿の彼の姿であろうと思われる。

とくに当時素敵だと思われたのは、場面転回の急激さであった。ラストになって、暗い感じの映画が急に明るい感じの映画に転換し、その急激な転換に観客はついていかれず、あっけにとられているうちに、最後を迎えてしまう。

このタイミングは絶妙であった。これまでの映画になかったような、新鮮な驚きで眺めていた。

映画が終わってからが面白かった。ゼミの先輩たちと一緒に、岩波ホールで見たのだが、跳ねてから近くの喫茶店ラドリオで、暗くなるまで議論していた記憶がある。

内容は年月が経ってしまったので、あまり思い出せないが、とくに、魔術師には、不条理な部分が多かったので、その解釈は幾重にも幾重にも積み重ねることができた。仕合せな気分で、帰路に着いたのを思い出した。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。