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2007/07/06

最後に帰郷できるものは

最後は、ふるさとで死にたいと思う。墓もあるし、人びとが待っている。有名な戯曲「ペール・ギュント」のように、いちど何かが起こって、ふるさとを飛び出してしまったものが、どのような契機で戻ってくることができるのか。

古くて新しいテーマである。アルモドバル監督の「ボルベール(帰郷)」を観た。最初のシーンで、すでに物語のひとつの世界を感じる。スペインのラ・マンチャでは、生前に墓を作り、家族の墓を週に3回訪れて掃除をするという。死者とともに生活する習慣が残っている。

この物語の中心以外は、明確である。話の筋ははっきりしているし、わからないところがまったくない映画だ。主人公のライムンダの性格も、ひとつの秘密を持っている以外は、目鼻立ちがくっきりしているのと同様、はっきりした激しいものであることがわかる。その性格の特徴は色彩豊かな服装と、黒く輪郭をとったメイキャップに現れている。

(この女優から、この演技を引き出した監督の力量は凄いと思う。映画は、こんなに人間の性格を変えてしまうことができるのか。)

なぜ帰郷なのか。それがこの映画のポイントだ。帰ってきたものに尋ねる場面がある。なぜ帰ってきたのか、それに「孤独だったから」と答えさせている。

もっとも恨みに思っているものが面倒をみたり、面倒を見られたり、ふるさとでは人びとのネットワークが複雑だ。すくなくとも、短期的な損得勘定で動く都会のネットワークとは大違いだ。

見ているときには気づかなかったが、たしかに都会のなかの商売や友人の間のネットワークと、故郷での何十年にわたる家族同士の長期のネットワークを比較している。ライムンダを廻って動く、レストランを中心としたネットワークが片方であり、小さなときから付き合ってきた親族や故郷の隣近所のネットワークがもう一方で描かれている。

これらを再び結びつけるものとして、「幽霊」が登場するのだ。そして、ここがこの映画の想像力として素晴らしいところなのだが、女性だけの世界のネットワークがありうるのかが問われている。出てくる父や夫は、いずれも影が薄い。そして、最後に、この幽霊が現実のネットワークの結節点として役割を与えられると同時に、映画が終了する。

物語として、現代の、ひとつの伝統的な世界が完璧に描かれていると思う。

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