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2007年6月に作成された投稿

2007/06/30

「肉付け」か「仮縫い」か

大きく膨らませようとすると、無駄が目立ってしまうし、最小限に止めようとするとしっかりとした構想が必要とされる。

今日は、卒業研究のゼミナールが東京の茗荷谷で開かれた。上記は何のことかと思われるかもしれないが、学部学生の卒業論文もそろそろ「肉付け」の段階を迎えているという話だ。

忙しい時間をぬって、学生の方がたも駆けつけてくる。材料が豊富に揃ってきたので、報告も時間通りには進まない。1時に始まって、結局6時前までかかってしまった。1階会議室では、M先生のゼミが行われていたようだったが、やはり同じころに部屋からどっと出てきたから、同じような状況だったと思われる。

さて、問題は肉付けに値する「骨格」ができているのか、という点である。わたしなどは、この辺をいつも曖昧なまま書き進めてしまって、あとで手痛い目にいつも遭うのだが。

Kさんは、「仮縫い」の段階ですね、という。なるほど、すこし余裕を持って、型紙に当てて、針で留めておくくらいの気分で、文章を膨らませることができていけば、この6月から7月の段階では上出来だ。修正に十分時間を当てることが可能だ。

もちろん、多くの方は、問題提起と資料整理で汲々としていて、なかなか余裕が無いところだが、やはり放送大学の学生の方がほかの大学生と異なるのは、「仮縫い」という言葉がすぐにでてきて、自分の現状を自覚していることだろう。もっとも、自覚していることと、それをうまく解決できていることとは別問題であるところが、たいへん辛いところだが。

肉付けで必要なのは、骨格を完全に掌握して、議論の幅を広げることができるかどうか、というところだ。例示ができたり、復唱できたり、レトリックを使ったりする余裕が問われるのだ。花の咲いたあと、急速に木々に緑の葉っぱが目立ち、林全体が大きくなって、風で揺れても、それが全体の律動となって、量感がわかるようになる。

あまりに、肉付けばかりに集中してしまい、当初の骨格を崩してしまっていることに気付くこともしばしばある。そうなる前に、骨格を再確認して、仮縫いをしっかり行うことが大切だと思われる。

そういえば、肉付けが極端に上手い先輩がいた。ちょっとしたモチーフがあると、一晩で400字詰め原稿用紙50枚ほどを埋めてしまうのだ。そうかといえば、ほかの先生で、あまりに書きすぎると筆が荒れる、といって、肉付けが進んでいてもなかなか書かなかった方もいる。それでも、ほぼ肉付けの段階で、ボリュームが決まり、全体の分量は仮縫い時の裁断によって決定されるといってよいだろう。

この時期に、面白いように、根に茎がつきさらに枝葉に育つように、文章が出てくれば、肉付けの段階に入ったといってよいと思う。今日会った卒研生たちの何人かは、確実にその時期を迎えつつあるようだ。

来月は気分一新して、場所を変えてゼミナールを開こうということになっている。帰りに、いつも寄る中国茶の喫茶店へ行ったが、残念ながら今日で閉店ということだった。また、静かに話せる店がなくなる。今日の最後は、結局ファミリーレストランに座席を占めて、皆さん「あんみつ」を食べつつ、お開きとなった。

2007/06/29

チャンバラ映画の効用

疲れているときには、覚醒文化よりも、酩酊文化のほうが効くような気がする。軽い肩こりと頭痛がして、この時期には、冷房などの影響もあって、いつも夏風邪をひいてしまう。

このようなときには、酩酊文化に浸ることにしている。けれども、昼間からビールを飲むのは時間を無駄にした気がしてしまう。そのようなときには、映画に限るが、あまり深刻なものではなく、昔ならばチャンバラ映画と呼ばれていたようなものがちょうど良いのだ。

幼稚園に入るころに、もぎりのお姉さんが許してくれて、東映映画に一人で通っていた。このころちょうど、月形半平太などが流行っていて、その習慣が今でも抜けないのかもしれない。(半平太の10人切りの殺陣を当時まねたりしたが、近年ではさすがにそのようなことはしないが、映画館で前のほうの座席を選択するのは当時の習慣が残っている証拠かもしれない。)

というので、今回選んだのが、現代のチャンバラ映画である「ダイハード4.0」である。やっぱり同じサイバーの世界であっても、「2.0」よりも、「4.0」くらいの歴史が欲しいものである。このギャグがわからないと、おじさんとしてこの映画を見る意味がない。

サイバー・テロを題材にしているが、いつもの勧善懲悪路線は今回も維持されていて、英雄とは?というダサイ設定も保っている。これが、昔のチャンバラ映画には必須だったし、ダイハードも保守している。

サイバーのバーチャルな世界で始まったことが、最後はリアルな世界で決着がつくという、極めて常識的な筋立てで、いくつかのアイディアはあるものの、ほぼ安心してみることができる内容だ。いつもよりも、平板だとは思うが、腹八分目で、見た後すっきり忘れることができるほうが、この種の映画の場合にはかえってよい。

チャンバラの世界は、カーボーイの世界を経て、ダイハードの世界へ繋がっていると思う。カーボーイの世界では、年取った者がどのような最後を迎えるかは、重要なテーマであった。

たとえば、「ラスト・シューテスト」のジョン・ウェインが最後の酒場で崩れるところは名場面だと思う。当然、ダイ・ハードは最初から、なかなか死ねないをテーマに掲げてきたからには、最後の名場面をそろそろ準備しなければならないときを迎えつつあるのではないかと思われる。

なかなか死ねない者がどのような死を描くことになるのかは、バーチャルなサイバー・テロよりも、重要なテーマだと思われる。取って置きのテーマは、じっくりと仕上げていただきたいと思う。したがって、次回作・次次回作では、まだまだ「なかなか死ねない」をテーマに掲げてもらいたい、と勝手なことを考えている。

2007/06/28

銀座での研究会

研究会のことを書くことは、連続して出席しているほかの人へ影響を与えてしまい、その次の回からの発言に微妙な作用を及ぼしてしまう恐れがあるので、ふつうは好ましいことではない。ほかの研究会については、なるべく秘密にしておくことにしている。

けれども、今回発表を求められた研究会は、最初で最後の出席になるものなので、上記の心配はない。それに主催者も、出席者も、抱えているテーマも、そしてコメントもたいへん素晴らしい会だったので、ぜひ記憶に止めておきたいと考えた次第である。

以前に、銀座の交詢社ビルでの会合を紹介したが、それよりもさらに銀座の真ん中で、今回の研究会の会合が持たれた。それは、三越と松屋の斜向かいの本屋さんKビルの3階で開催された。

この並びには、御木本パールの本拠地ビルもある。御木本は「ラスキン文庫」のスポンサーとしても有名で、銀座と研究会との結びつきは以前から存在していたといってよい。

東京のどこからでも出て来やすいところにあるのが銀座なのだから、研究会の地の利としては申し分ないのは言うまでもない。研究会の場所は、内容と同等なくらい重要なポイントである。

あとで伺ったところでは、この研究会の行われた部屋は、もう亡くなってしまったが、かつて医師会の会長で名を馳せたT氏の診療所跡という、由緒ある場所だとのことだ。アールデコ風の壁面や天井のデザインが残る、文化の香りが漂ってくるビルであった。

以上のように、場所が良いというのは、研究会の第一条件である。第二の条件として、その会が議論の幅に寛容であることが必要である。発表者の言うことをじっくり聴いてくれることが大事だ。もっとも、あまりにじっくり聴かれすぎるとわかっているのかどうか不安になってくるのだが。わたしの悪いくせは、そのようなときにはこちらから質問してしまうことである。とくに、今回の研究会のように、議論を広げたいときに、すこし文脈をはずしてもついてきてくれる許容性がある研究会は素晴らしい。

第三には、このように外からの異なる分野の発表者が招かれる研究会では、当然バックグランドの違いがあるため、そう簡単には理解されるわけではない。この場合には、方法の違いを含んだ異なる意見の存在を許容する余裕のある態度が必要となる。この点でも、どこまでできたかはわからないが、今回の会ではこれらを乗り超えようとする意欲が勝っていたと思われる。

第四には、根本的なことだが、研究会形式の意見のやり取りを好ましいと考える人が参加しているかいなかは決定的に重要である。前提すら異なる議論に加わるわけだから、当然怖いもの見たさの感情や好奇心が支配していると見てよいだろう。したがって、多少常軌を逸した議論の組み立てでも、最後に何とか収まりが着くのであれば、それはそれで好奇心を優位において、議論それ自体を楽しもうとする意思が認められている必要がある。

以上、いずれもたいへん難しい条件なのだが、今回の研究会ではきわめて慎重にかつ周り廻りながら、これらを乗り越える努力をしたのだ。このような努力を毎回おこなっているこの研究会は稀有の存在であるといえよう。今後の発展を祈り、メンバーの寛容さに感謝いたしたい。

家に帰ってビールを飲んでいたら、日本映画の「ジョゼと虎と魚たち」をテレビで放映していた。女優の池脇千鶴演じる主人公が、「好きな男ができたら、一緒に怖いもの(虎)を見ると決めていた」というシーンがあって、面白いなと思った。もっとも、さすがにこんな虎を見るような「研究会」は生涯に一度しかないかもしれないが、「魚たち」をみるくらいの研究会は数多く参加したいと思った。この「商売」していて良かったな、と思えるのも、このような研究会がときどきあるからだ。

2007/06/22

生涯学習とはなにか

Learning放送大学のK先生とI先生共著の『大人のための「学問のススメ」』講談社現代新書をいただいた。前回、K先生がやはり現代新書を出版なさったときに、いただく前に、読みました、と言って、感想を述べさせてもらったら、結局その本をいただけなかった。(根に持っているわけではないが、)今回はいただいてから、感想を述べることにしたしだいである。

生涯学習とはなにか、と正面切って取り上げている本は少ないと思う。もちろん、Adult Learningなどの専門書は数限りなくあるが、それが現代日本の一般の成人、社会人にとって、どのような意味があるのか、については論議となることは少なかった。改めて、このことを提起している点で時宜を得た素晴らしい企画だと思う。

とくに、「生涯学習の醍醐味は、結晶作用」という二人の先生の意見に、全面的に賛成する。つまり、ここが放送大学と他の大学と一番異なるところでもある。「物事を言語的に理解し、経験を評価してその成果を利用し、自分の周囲の環境から適切な情報を引き出す能力」が、生涯学習の大学では大切なのだ。

放送大学の学生の方々を見ていると、自分の人生でこれまで獲得し蓄積されてきた知識と、大学での学問とをうまく融合させて学習している人が、自分の勉強を最後には成就させてきている。

最近、生活と福祉専攻のN先生の話を伺っていたら、放送大学は、「知識循環のプラットホーム」だとおっしゃっていた。社会人の方がたには、それぞれの人生で獲得してきた実践の知識が蓄積されてきているのだが、その方がたがそれ以上に知識を得たいと思ったときに、その実践知をさらに伸ばす工夫が必要となる。このときに、知識交流の共通基盤として、放送大学の役割があるのだとおっしゃる。

またもちろん、逆に大学で得た知識を、実践の場で確かめ、活用することもできるし、「プラットホーム」としての大学では、これらを混交できるのだ。

4月から始まったわたしの講義「経済社会の考え方」の第一章(第1回)で、大人と子どもの経済認識の違いについてから話を始めている。経済学は経験科学だといわれているが、やはり実社会で経済取引を行ったり、財産管理を行ったりした人と、そのようなことをまったく行ったことの無い人とでは、経済という考え方が違ってくる。

生涯学習の大学では、むしろこのような経験知を得ている人が、多く大学に来ているのであり、そのことを大学は積極的に評価すべきだと思われる。そのことが、生涯学習という、極めて多様な学問のあり方に、新しい風を呼び込むのではないだろうか。

この本のなかで、後半には、従来からの企業内教育やリカレント教育にかわって、退職準備教育などの「キャリア教育」や、社会人の自己啓発としての「産学協同学習プログラム」の提案が行われていて、この点でも示唆に富んだものになっている。

放送大学の学生、生涯学習を考える方がたに必読の本になっていると思う。それから、この本を読めば、K先生とI先生がこれまでどのような人生を辿ってきているのかも、垣間見られることも付け加えておきたい。(I先生がそんなに怒りっぽい性格なのだ、とは知りませんでした・・・。某教授の「主婦」発言に、K先生がご立腹なさっていたことも、初めて知りました。)

2007/06/21

センターのバス研修旅行

神奈川学習センターでは、毎年恒例の、学生の社会見学と親睦を併せたバス研修旅行を行っている。

今年度の企画を行う当番に当たったので、これまでに無いような素晴らしいと思える計画をいくつか立ててみた。

千葉学習センター時代には、笠間焼きの本場へ出かけて、ろくろを実際にまわして、陶芸の真似事を行い、併設されている美術館で名工の器を鑑賞することができた。これは評判が良かった。

もっと前になるが、国会図書館や東大図書館などの図書館尽くしの「研修」ツアーというのも好評だった。

今回は静岡まで足を伸ばして、茶摘や手もみを経験するのはどうだろうか。あるいは、美容や化粧品の研究所を見学するというのは女性の学生には受けるのではないか。さらに、収蔵品に特色のある静岡県立美術館と芹沢圭介美術館を回るなどという、静岡を回るツアーも提案してみた。帰り道には、沼津で地ビールというのも良いな。(社会人向け大学の利点だと思う。)

けれども、結局距離が長すぎて、それぞれ楽しむどころではなく、移動に追われてしまうという理由で、これらの企画はすべて没ということになってしまった。残念。

それではというので、取って置きの「製鉄の高炉」見学を提案すると、これはすんなりとOKが出た。製鉄各社は、中国経済が好調なために、このところ最高益を更新し続けている。

今回行くことになっているJFEは、これまでもこのブログで取り上げてきているように、凄い状態を維持している。とくに、高炉を間近にみるという機会は、そう滅多にないので、学生の方々にはぜひ応募していただきたい。

単位認定試験期間中には、学習センターの掲示が張り出されることと思われる。それから、もうひとつきっと行きたいと思われるところも、一緒に回るので、そちらの方にも期待していただきたいと思う。あまりに希望者が殺到してしまうと困るので、こちらはまだ内緒にしておきたい。070616_194201_2

こんな相談をしているうちに、陽が落ちてしまった。この写真は玄関部分を写したものだが、夜のセンターというのも、なかなか趣きがあって、良いですよ。勉強に集中できます。

2007/06/20

幕張の快晴

070620_125902 今日も快晴だ。日差しが厳しく、気温が30度を超える日中となった。けれども、 流れる風は涼しく、意外なほど街を歩くとすがすがしい。

海浜幕張の駅から、CMでよく使われるNTTビル、住友ビル、エプソンビル、キャノンビルなどの立ち並ぶ幕張のビジネス街を抜けて、IBMビルとカルフールの間を通るころには、汗が吹き出てくる。

070620_125901_1 昼に、研究室の扉を開いて外に出ると、久しぶりにS先生とばったり会った。昔は、こんなに30度を越えませんでしたよね、とおっしゃる。

たしかに、その通りで、わたしの小学校時代に夏休みの宿題で、毎日の気温を測ったことがある。信州の松本だったこともあって、ほんとうに数えるほどしか、真夏日はなかったのを覚えている。

当時は、気象庁の情報がかんたんに手に入るわけではなかった。毎日自分で気温を測り、NHKラジオを聴いて確認をしていた。

そういえば、雷に打たれて亡くなってしまった友人T君がいて、お母さんと一緒に毎日ラジオを聞いて、気圧を日本地図に記入し等圧線を見事に描いていた。気象に憑かれていたかれが、まさか気象現象の雷で死亡するとは、なんということだろうか、と当時はその不条理がわからなかった。

こんなことが起こるのも、夏の暑さのせいなのだ。それにしても、コンクリートの街、幕張の街は、やはり暑いのだ。

2007/06/19

バス路線の廃止

母の入院している病院まで行くには、潮風薫る海岸まで到達しなければならない。ヨットに乗って行くことができれば良いなあ、と思いたくなる立地なのだ。病院ビルの窓からは、じっさいにヨットハーバーが見える。070620_101901

ところがじつに、幸運なことには、大学近くの駅から直通の病院行きバスを見つけたのだ。病院が近いというのは、通ったことのある方はわかると思うが、ほんとうに助かる。

相変わらずのことながら、駅前の珈琲屋で持ち帰りのカップを買って、バスに乗り込む。途中、外国を走っていると見まがう瀟洒な住宅地を通って、離れ小島のような病院に至る。

ところが、今日はほとんど貸切状態の閑散とした客に混じって、バス会社の係員がチェックのノートを持って、乗り込んでいた。ついに来たか、と思った。つまり、あまりに客が少ないので、会社が調べを始めたのだ。

おそらく、二、三日もすれば、廃止すべき路線であることは、すぐわかってしまうことだろう。路線筋を見ても、これ以上乗客が増大するような、需要向上は望めないことは明らかなのだ。運転手もあからさまに、係員にそのことを告げている。

どうも、わたしの見つけるバス路線は、すぐ廃止になってしまう運命にあるようだ。わたしのように、すこし違った生活パターンを持っているものが乗るようなバスには、やはり需要はないのだ。

じっさい、二、三年前には、かなり愛用していた横浜―幕張直通高速バス、というやはり貸切状態のバス路線が簡単に廃止になってしまった。当時、N先生が新しく放送大学に赴任してきて、この路線を頻繁に利用していた。先生が運転手と話していて、どうも駄目そうだと言っていたのを思い出した。

わたしたちにとって、申し分ない路線だったのだ。朝の混んでいる時間にも、予約を取らずに、直通で電車より速く、しかも必ず座れる通勤が保証されていたのだ。

一番楽しんだのは、風景である。わたしは、車を運転しないので、高速道路をゆっくりと観察できる唯一の機会だったのだ。そのおかげで、旧日本鋼管の高炉を近くで眺めることもできた。

それやこれやで、返す返すほんとうに残念なのである。バスの利点は、くもの巣を描くように柔軟に、つまりは縦横に地域を結んでいて、あれっと思うようなところに通っているところにあるのだ。そのくもの糸が一本一本断ち切られていく。

駅がターミナルであると同時に、病院もターミナルである、という発想はたいへん良かったのだが、やはり病院だけの需要では、駅には匹敵できなかったということかもしれない。この病院が海岸ではなく、高校や大学と結びついたところであれば廃止は免れただろうに・・・。

2007/06/17

読書ノートの効用・メモの使命

卒業論文を書いている方から、読書ノートが送付されてきた。読書ノートをつけるのは初めてなので、コメントを欲しいとのことであった。

読書ノートはメモの類だ、とわたしは考えている。つまり、自分で都合の良いように付けておけばよいのであって、それ以上でも、それ以下でもない。

けれども、このメモを発表のレジュメに利用したり、論文に利用したりするには、それぞれの工夫が必要だということで、その工夫を二、三答えさせていただいた。たとえば、いつでも原文に帰れるような工夫とか、自分の文脈でメモすることも大切だとか・・・である。

読書ノートと改まって書くと、大げさなものになって、何ページにも渡って克明なものを想像してしまうが、これだと目的を達成してしまうとなかなか続かない。

朝日新聞の論説委員をなさっていたKさんが、メモのとり方について書いている。読書ノートというより、取材などのノート・メモのイメージが大切だ、という趣旨である。新聞記者だけあって、メモの取り方も場面に合わせて臨機応変である。

改めてメモ帳を取り出して、取材しようとすると、相手に緊張されてしまったり、話してもらそうだったことも聞けなかったりしてしまうこともあるとのことだ。ましてや、録音メモの場合には、細心の注意が必要らしい。

放送大学の授業での取材では、カメラを向けてインタヴューすることがほぼ前提となっているので、くだけた取材はインタヴューの前か後しか聞けないのだ。

Kさんのメモの話のなかで面白かったのは、さりげなくメモをとる方法である。これはわたしも良く使う手だが、相手と話していて、メモ帳を取り出すほどではない、しかし書いておきたいという場合に使われるのが、「箸袋」である。

食事をしていて、その裏にちょっとメモって置いたことが、あとで意外に面白かったりするのだ。結局、会話するときには、その会話自体を楽しみたい。けれども、面白い話は残しておきたい。この矛盾の中間を取り持つのが、メモだと思う。

日常の楽しいときに、物語は生まれているのだ。これをいかに文字に残すか、それがメモというものの「使命」だと思われる。

2007/06/12

健康の神秘

母の入院生活を看ていて、ときどき驚くことがある。

骨折には、薬も治療もいらないのだそうだ。ただただ、安静を保つことが重要なのだと、医師の先生はおっしゃる。何も診てくれないのですか、と最初は半信半疑の状態だった。

ところが、昨日まで食欲がないといっていたのが、今日からはお粥を全部食べてしまったり、今日まで痛いと言っていたのに、ちょっと立ってみようと言うと、実際に立つことできてしまったり、寝たきりが続いていたのに、明日からはリハビリで歩いてみましょうといわれたりして、健康をどんどん回復している。

わたしたちの当たり前の日常では、健康は隠されていて見えないのだが、病気になってはじめて、突然目の前に現れて、すべて見えるようになるのだ。

健康とは一体なんなのだろうか。このような回復が、健康ということなのだろうか。ただ安静にしているだけで、自然に体力が満ちてくるという感じがもっとも実感に近い健康というものかもしれない。

図書館を渉猟していたら、ドイツの哲学者ガダマーの健康論を見つけた。「健康を平衡状態と考えてみることは、最も理解しやすいことである。平衡は重力がたがいに相殺された無重力のような状態である。平衡の障害は反対重力によって取り除くことができる。しかし、障害を反対重力によって相殺しようとする試みは、また新たな平衡の喪失を引き起こす危険性がある。ここで初めて自転車に乗ったときのことを想い出せば良いだろう。一方に傾いたとき、進行方向を正しく修正するために、どんなに力を入れてハンドルを切っても、またすぐにもう一方に傾いてしまうのである。」

というように、あきらかに「安静」という自然の治癒方法を、ガダマーは支持している。薬をあれこれ使用しても、平衡を乱してしまっては、病気をぶり返してしまうだろう。

まさに、「健康とは、生のリズムであり、つねに平衡が保たれている恒常的なプロセスである。われわれはみなそれを知っている。それは呼吸であり、代謝であり、睡眠である。こうしたリズム的現象の三拍子が生命力、気分転換、そしてエネルギーの回復に役立っている。」

母の病院は海辺に建っている。けれども、ずっと寝たきり状態が続いていた。入院して初めて海をみた、という歩行器使用の段階に達したときには、母の健康はすでに日常に隠された「神秘的」な状態に戻っていた。

2007/06/07

プロジェクトが生まれるとき

研究テーマを自分で選ぶときは気軽に設定でき、気楽に廃止できる。けれども、ひとたび他のひとを巻き込むときにはすこし覚悟が必要である。これまでも、何回も痛い目にあってきた。とは言いつつ、止められないのがプロジェクトの面白いところだ。

Eさんから、美味しい店があるので出てきませんか、と久しぶりにお誘いがかかった。上野での弟さんのコンサート以来である。いつものように、健康科学専門のU先生を交えた会となった。ちょうどよい機会が到来した。

横浜では、何か新しいことが始まったり、始めたことを祝ったり、そして終わりにするときにも、理由を見つけては、中華街へ繰り出す習慣がある。この街は、全体が華やかで、いつもお祭りみたいで、何かやるときには後ろから押してくれる。

最近はあまりに街全体が整備されてしまって、表通りの大店が目立つようになってしまったが、通りを曲がると、わたしのような懐具合のものでも受け入れてくれるところがある。独立オーナー系のこじんまりした店が小さな活気を見せており、大店よりもずっと美味しい料理を出してくれる。

三人でテーブルを占めて、気の置けない雑談。平貝と野菜の塩炒めがなかでもとくに美味しかった。アスパラとねぎ、筍などの白い野菜と白身の平貝のさっぱりした炒め味が合っていた。エビチリとフカひれスープも、良かった。

Img1016641792 女児紅(じょじこう)という紹興酒で、皆口の滑りも佳境に入ったので、ちょっとした勢いで、プロジェクトを立ち上げませんか、といってみた。不意打ちだったので、U先生は酔いが醒めてしまったらしい。

でも、このテーマの追究は、然るべく存在すべきであり、仕方がないなあ、と同意してくれた。プロジェクトの成立は、異なる分野からみて、何かがおかしい、ということがあって、まだそれが何ものなのかわからない、けれども、何かやってみたいと思わせるときに生ずるのだ。

すこし気が長いプロジェクトで、三年計画くらいを目指そうということになった。Eさんもご協力いただけるようである。腰を据えて、じっくりと取り組もうと思う。

奇跡が起こるときには、良い料理が欠かせない。中華街があってよかったとほんとうに思う。U先生の要望で関帝廟を詣でてからきたので、「我ら天に誓、我ら生まれた日は違えども、死すときは同じ日同じ時を願わん」という、関羽の祈りが効いたのだろう。ちょっと牽強付会かもしれないが。

2007/06/05

京都の平熱

京都をはじめて訪れてから、かれこれ40年になる。かなり通ったつもりなのだが・・・やはり表面をさっと楽しんでいたという印象は免れない。

信州の故郷に、「清水(しみず)」というところがあって、そこでいつも遊んでいたために、京都の清水寺をつい「しみずでら」と言ってしまう。先日のことだが、口が滑ってしまい、河原町を「かわらちょう」と言ってしまった。すぐ、「かわらまち」と正された。

という程度の「京都通」ならぬ、「京都通い」なのだ。それで「先達はあらまほしき」の状態なのだ。学生時代には、東大がなかった関係で京大に入った同級生のS君がいて、京都へ行くと、学期末試験中にもかかわらず、あちこち案内してくれた。

鍵の壊れた自転車を都合してくれて、下宿先の油小路から御所を横切って、鴨川を渡り、ロック鳴り響く西部講堂近くの学食へいったり、京都のジャズ喫茶めぐりをしたりしてくれた。また、彼のお父さんの知り合いだった西陣の織元にも紹介してくれて行儀作法を教授されたりもした。別の機会だったけれど、楽友会館のゼミも緊張したけど良かったな。

ところが、S君が関東へ帰ってしまってからは、京都が遠くなった。研究会や資料収集で、大学関係は良くわかるようになったが、それでも京都の街は点としか見えなかったしわからなくなった。

今回、「meets」とか、「月刊京都」とか、なぜか関東で流れている「京都チャンネル」とか、それに夥しい「京都本」が発行されているなかで、京都をひっくり返して見せてくれる本が登場したのだ。

京都の案内書はほんとうにたくさん有りすぎるくらいあるのだが、過不足なく京都の同時代性を描いているものはまったくなかった。どれを読んでも満足できるものはほとんどなかった。有りすぎて、どれが真実なのかがわからなかったと言ったほうが正確かもしれない。

こんなときに、鷲田清一『京都の平熱』が出版された。平熱どころか、かなりの熱情がこめられている。次のようなフレーズが中身を代表している。「そこに入ると世界が裏返ってしまうような孔や隙間は、しかし、消えたのではない」と。

そして、「身体」哲学者としての官能的な文章が続く。

「たとえば、濡れた石畳。驟雨の後もいいが、打ち水した石畳はもっと心地よい。足元に広がる墨絵の世界。その上を歩くと顎を生暖かい蒸気が撫でる。足裏に頑固な石の肌理を感じたとおもえば、次の瞬間、危うくつるりと足を滑らせそうになる。下駄のからから鳴る音に、ときどきひぃーっときしむ音が混じる。水を打った石畳、それは、見た目には静謐でも、そこを通り抜けると、身体のあちこちでいろいろな感覚がにぎやかにさざめきはじめるのだ。線香の香り、苔の感触、家の前に水を打つ音、格子越しに聞こえる包丁の音、簾越しに漏れくる三味線の音、舞妓を叱責する女将のきつい声、竿竹、豆腐、花の売り声。木戸をくぐるときの腰のしゃくれ。かつをだしの匂い。障子がつくる陰影。つるつるに磨いた柱の手触り……。そして、石畳の悠久の時間と、町家の木目に刻まれた自然の時間と、道を急ぐひとのせわしない生活の時間。つまり三重に折り重なる時間の層。感覚のざわめきと言うよりは、むしろせせらぎがここにある。感覚の陰影のなかにいまも奥深く身を沈めることのできる町。」

京都らしさ、とは言いたくないそうだが、京都の得意わざは次の点にあると、「京都市の基本構想」としてまとめたそうだ。京都の産業にそれぞれ対応していると、わたしは見た。1.「めきき」・・・なるほど、2.「たくみ」・・・そうかも、3.「きわめ」・・・つっぱってますね、4.「こころみ」・・・ちょっと詰まってありきたりかな、5.「もてなし」・・・それはそうだろう、そして、6.「しまつ」・・・きめましたね。

でも、これよりももっと京都らしいな、とおもったのは、この本のつぎの箇所だ。

「小さな土地にとてつもない人口密度で生活する。そのなかで町衆たちはたがいのあいだでも、深入りしないという風を築いてきた。きっとあきれられるだろうが、こんな慣わしもある。家の前の水撒き、それは共同生活のエチケットである。じぶんの家を冷やすという意味もあるが、共同の生活の場所をきれいにするという意味もあるし、通りすぎるひとが涼んだ気分になれるように―じっさいは水が陽に煮たって気化するぶん蒸し暑い―というサービス精神もある。が、そのとき、隣の家の前まで水を撒けば、「お節介」ということになる。じぶんの家の前しか撒かなければ、こんどは「けち」ということになる。で、十センチか二十センチだけ隣との境を越えて撒く。これが長い共栄の知恵なのだ。なんともせせこましいが。」

アングロサクソン文化では、隣の芝生が刈ってなければ、刈りなさい、と口をはさんでくるし、それでも効かなければ、「戦争」になるところだろう。

「ひげを動かすと隣のひげについ触れてしまうような隔たり。ひげに触れてしまうけれど、皮膚には触れないような絶妙の距離。」これが、目利きが活きて、巧みが発揮され、極められた試みとしてのもてなしであり、始末なのであろう。

この本を読んでいたら、H先生の秘書Wさんから情報が入り、この著者が阪大の総長になったということである。阪大から博士号をいただいたから贔屓するわけではないが、大学行政をどのようにひっくり返して特色を引き出すのか、しっかり拝見させていただこうと、えらそうにいうわけではなく、傍からちょっと注目させていただこうと思う。

そういえば、以前ここでも注目した学問の極意である「おもろい」の起源についても、この本には書かれている。

2007/06/01

「タイの染織」

Docu2_1 酒井豊子先生(放送大学名誉教授)から、素敵な翻訳書が送られてきた。

『タイの染織』S.コンウェイ著(めこん社刊)である。放送大学生活文化研究会の方がたと一緒に訳されたものだ。タイの染めと織物について、詳細な写真を盛り込んで、デザインと技術を克明に報告している。

タイは、タイシルクや木綿の染織が発達した国であることは有名である。この本は各地方の模様の特徴を精緻に捉えている点で貴重な書だと思う。奥付からみると、大英博物館の研究シリーズらしい。

じつはわたしが初めて海外に出た先が、タイであった。大学院生のときに、バンコクから入って、タイ国内を回って歩いたのだが、もっとも印象的だったのが、チェンマイである。夜になって、チェンマイの市場に出かけると、そこに練習として織られたり刺繍されたりした布切れがたくさん並んでいて、どの一枚を採っても綺麗だった。

とくに、黒を色調とした、北の民族のものだと言われた布には、特徴があった。この書物のなかにも、パーシンという女性の腰衣が数多く取り上げられ、地域ごとに特徴ある模様を紹介している。

きっと地方ごとに特色のある模様を編み出すことには、そしてとくに、女性の衣装として作られたことには、人間の交流上の差し迫った必要性が元来あったのだと推測できる。

バンコクでよく見る金銀の絹でできた宮廷衣装も綺麗だが、ほんとうのことを言うと、地味な黒の縞模様の民族衣装のほうがもっと素敵だ。そこには、人間の時間が織り込まれているように思えてくる。観ていてほんとうに落ち着くのだ。その土地に定着した模様は、その土地の趣味連関、つまりは人間関係を織り込んでいるのではないだろうか。そして、外から来た異なる地域の人びとを魅了し、そこに交流が始まるのだ。

翻訳に当たった「放送大学生活文化研究会」は、1986年に設立されているから、放送大学のなかでもかなり古い研究会である。この翻訳が始まったのが1992年ごろで、翻訳が終了したのが2004年だとあとがきに記されている。それがようやく出版されたのだ。研究会の方がたの努力が織り込まれている著書といえよう。出版おめでとうございます。

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「グローバル化と私たちの社会」第11回

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。