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2007/05/26

文献収集の罠と奇跡

午後から、卒業研究のゼミが東京文京学習センターで開かれた。

話題になったのは、文献収集だった。ゼミがスタートして、1ヶ月が経ち、ちょうど学生の方々が文献収集に血道をあげる時期に当たっている。

わたしが学生のころには、この時期に朝から書庫に入って、夕方まで文献を探しつつ、目ぼしい論文を青焼きで揃えていったものである。青焼きと言っても、いまでは通じないであろう。酢の匂いのする液に、青写真をつけて、コピーをとっていくのである。

今日集まった学生の多くは、Cinii(国立情報学研究所の論文情報ナビゲーター)を利用して、論文検索を行い、検索結果のリストを基に放送大学図書館へ依頼して効率よく取り寄せるか、直接近くの図書館へ行ってコピーをとって来ることで、簡単に目標の論文数を集めてしまっている。

筑波から来ているKさんに至っては、筑波大学が近いという地の利を使って、この1ヶ月に、なんと5万円を下らないコピー代を自己負担して、文献を集めたのだそうだ。

コピー1枚10円として、5000枚ですか。2ページが一枚に収まるとして、1万ページのコピーを撮ったことになる。専門書の平均が400ページとして、書籍25冊分。ちょうど良い文献量だと思う。(裏技で、A3用紙に二冊ずつコピーすることもあったとのこと。コピーの達人になったそうだ。)

もともと、放送大学の学生は、経験の場数を踏んでいるので、土地勘や現実感には富んでいる。だから、ひとたび文献さえ手に入り、文体を獲得すれば、すいすいと書き始める学生もいるのだ。

でも、すいすいというわけには行かないのは、コピーの後の読み込みであろう。いまごろ、膨大な文献を前にして、どれから手をつけようかと逡巡している、Kさんをはじめとする、学生の方々の姿が目に浮かぶ。楽しい季節と苦しい季節とが、入れ替わり立ち代り現れるのが、論文作成の面白いところである。

とくに、他者の意見に触れたり、異論を検討したりすることが、じつは自分自身にとってもたいへんな影響を及ぼしていることが、あとでわかってくるのは不思議な感覚である。自分の守備範囲が広がったとでも言おうか、自分の幅が広がったとでも言うべきか(同じことか)。

Yさんは、読書ノートを取り始めたとおっしゃっていた。おそらく、これから経験なさることだと思うが、読書ノートから論文へ書き直すときに、何かが起こるのだと思われる。読書ノートに書かれていることは、まだ他者の考えに相違ないのだ。たしかショーペンハウエルだったと思うが、「読書とは他人に考えてもらうことである」と痛烈にいっていた。

ところが、それが論文に書かれるときには、そのことに自分の考えが加味されたもの、あるいは大分変わって自分の考えそのものになっている、という不思議な事件が起こるのだ。この違いは、いったいどこから来るのだろうか。

高校時代に、国語のN先生がわたしたちに、神を見たことがあるか、と質問したことがある。そのとき、宗教を問題にしている場面ではなかったので、おそらくこのような表現の現れる瞬間のことを言ったのだと、今にして思うしだいである。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。