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2007年5月に作成された投稿

2007/05/30

入院とネットワーク

今週になって、母が入院することになった。

判断の難しい状態が続いていたのだが、何回かの検査の結果、ようやくはっきりと骨折がわかったのだ。その場で、診察室からすぐに病棟へ入ることになった。

急なことだったので、なにも用意していなかった。そこで、当日家に帰って、再び病院へ入院の荷物を届けることになった。物資のほうは、次第に整えればよかったので、余裕があった。

もっとも困ったのは、日常生活のなかで済ましておかねばならない決済や、約束していた予定などの処理であった。本人しかわからないのが、ネットワークの(とりわけ、インフォーマルのネットワークの)特性である。

何日か経ってからも、本人宛に電話が何件か掛かってきている。明日予定されている会を休まなければならない事情を説明した。おおよその人脈はわかっていても、日常動いている約束をすべてキャンセルするのは容易ではない。

この2,3日の結果からすると、3つの親密なネットワークがあるらしい。第一は、近所の関係で老人クラブなどがある。病院から帰ってくる途中で、顔見知りのふたりの方が路上で話しているので、事情を説明するとお見舞いの言葉をいただいた。この関係は、これでネットワークを通じて、事情が広まっていくだろう。

第二は、ご近所にお住まいだが、歳をとっているので電話だけでお付き合いしている方々である。たぶん上記の電話のいくつかはこの方々だと思われる。このネットワークは、個人対個人だけの結びつきのようだ。したがって、電話が掛かってきたときしかわからない。母本人にも、今日確認してみようと思っている。

第三は、遠距離の友人で、年に1,2回しか連絡がない方である。同窓会や仕事仲間だった方々で、これも全部に連絡するわけには行かないので、どなたか一人に連絡して、ネットワークを使って広めていただくしかないだろう。

入院によって、これらのネットワークが断絶することになることが如実にわかる。つまり、入院するという重大なことが起こってはじめて、一人の人がいかに多くの人と関わっているのかを知らされることになる。

2007/05/28

日曜ブロガー

ブログの師匠(と勝手に思っているのだが)と仰ぐ、早稲田大学のO先生から葉書が届いた。ときどき登場していただいているばかりか、このたびついに、わたしに対して称号を授けてくださることになった。

「週末に更新されることが多いので、『日曜大工』ならぬ『日曜ブロガー』ですね」というご託宣である。「日曜ブロガー」というのは、このブログの本質を突いていて、なかなか良い呼び名ではないかと思う。今後、「日曜ブロガー」のSです、というのを使わせていただくことにしよう。

もちろん、毀誉褒貶を織り交ぜて表現する方だから、すこし違った解釈をすると喜んでもらえるのではないかと考えた。フランスの画家アンリ・ルソーが勤めているときに「日曜画家」と呼ばれたものだが、せめてそのレベルまで持っていきたいというのはいかがだろうか。「日曜ブロガー」の特性を活かして、目標を高く掲げようと思う。

さて、いただいた絵葉書がオルセー美術館所蔵のW.ハンマースホイ「室内、ストランゲーテ30番地」のカードであった。絵葉書状態で、これほどのものだから、さぞかしほんものは凄いものだっただろうと思う。扉や光が室内から外へ開放的に出て行くのに対して、絵全体は静謐な区分と区画を保持して、渋い統合が描かれているのだ。良い意味で、極めて保守的な絵画である。

オルセー美術館展が開かれているときには、仕事と旅とで放心状態が続いていて、つい見逃してしまったのだが、惜しいことをした。

2007/05/27

ダンス

The Dancing

土曜の夜 アダムスミス・ホールでは
全てのカップルが ダンスマスターの合図で動きます
今夜に限って 彼らは順調で 心配事もないのです
ただ ダンスするだけ ダンスだけの今夜なのです

    月曜の朝になると あまりに早く来てしまうのです
    リンネル工場の音 織機のビート
    でも今夜だけは バンドがロマンティックな音楽を聞かせてくれるのです
    だから ただダンスするだけ ダンスだけの今夜なのです

彼女のパートナーは完璧で、あまりに軽やかなのです 
ダンスの足裁きはまちがいません
たぶん彼らは 古い教会のそばか ハンター通りで会うでしょう
星の下 家に向かって歩いています

カーコーディの堤防のそばに 遅くなって戻ると
海が大きく 空が高くなって
2人の運命なんて まったく問題じゃなくなります
4分の3拍子で ワルツを踊るだけなのです

Song by June Tabor
Andy Shanks, Jim Russell

*先日紹介したジューン・テイバーの「ダンス」という曲が、
素晴らしい(immense)ので訳してみました。音楽のほうを
伝えられないのは残念ですが・・・。

アダム・スミスが生まれ、『国富論』を書きに戻った町
カーコーディ、ちょっと洒落た街の雰囲気が出ていれ
ば良いな、と思います。

スコットランドの街の「土曜の夜のダンス」というのは、
想像するだけでも、海岸で覚まさないと眠れない雰囲気
を持っていると思います。

残念ながら、明らかな「著作権違反」なので、期間限定で
すね。素敵な曲なのにな。

2007/05/26

文献収集の罠と奇跡

午後から、卒業研究のゼミが東京文京学習センターで開かれた。

話題になったのは、文献収集だった。ゼミがスタートして、1ヶ月が経ち、ちょうど学生の方々が文献収集に血道をあげる時期に当たっている。

わたしが学生のころには、この時期に朝から書庫に入って、夕方まで文献を探しつつ、目ぼしい論文を青焼きで揃えていったものである。青焼きと言っても、いまでは通じないであろう。酢の匂いのする液に、青写真をつけて、コピーをとっていくのである。

今日集まった学生の多くは、Cinii(国立情報学研究所の論文情報ナビゲーター)を利用して、論文検索を行い、検索結果のリストを基に放送大学図書館へ依頼して効率よく取り寄せるか、直接近くの図書館へ行ってコピーをとって来ることで、簡単に目標の論文数を集めてしまっている。

筑波から来ているKさんに至っては、筑波大学が近いという地の利を使って、この1ヶ月に、なんと5万円を下らないコピー代を自己負担して、文献を集めたのだそうだ。

コピー1枚10円として、5000枚ですか。2ページが一枚に収まるとして、1万ページのコピーを撮ったことになる。専門書の平均が400ページとして、書籍25冊分。ちょうど良い文献量だと思う。(裏技で、A3用紙に二冊ずつコピーすることもあったとのこと。コピーの達人になったそうだ。)

もともと、放送大学の学生は、経験の場数を踏んでいるので、土地勘や現実感には富んでいる。だから、ひとたび文献さえ手に入り、文体を獲得すれば、すいすいと書き始める学生もいるのだ。

でも、すいすいというわけには行かないのは、コピーの後の読み込みであろう。いまごろ、膨大な文献を前にして、どれから手をつけようかと逡巡している、Kさんをはじめとする、学生の方々の姿が目に浮かぶ。楽しい季節と苦しい季節とが、入れ替わり立ち代り現れるのが、論文作成の面白いところである。

とくに、他者の意見に触れたり、異論を検討したりすることが、じつは自分自身にとってもたいへんな影響を及ぼしていることが、あとでわかってくるのは不思議な感覚である。自分の守備範囲が広がったとでも言おうか、自分の幅が広がったとでも言うべきか(同じことか)。

Yさんは、読書ノートを取り始めたとおっしゃっていた。おそらく、これから経験なさることだと思うが、読書ノートから論文へ書き直すときに、何かが起こるのだと思われる。読書ノートに書かれていることは、まだ他者の考えに相違ないのだ。たしかショーペンハウエルだったと思うが、「読書とは他人に考えてもらうことである」と痛烈にいっていた。

ところが、それが論文に書かれるときには、そのことに自分の考えが加味されたもの、あるいは大分変わって自分の考えそのものになっている、という不思議な事件が起こるのだ。この違いは、いったいどこから来るのだろうか。

高校時代に、国語のN先生がわたしたちに、神を見たことがあるか、と質問したことがある。そのとき、宗教を問題にしている場面ではなかったので、おそらくこのような表現の現れる瞬間のことを言ったのだと、今にして思うしだいである。

2007/05/24

不確実な病院のこと

朝、母から電話が入って、起き上がれない状態だという。

これまでリュウマチが悪化して、膝が痛くて歩けないという状況になったことはあったが、こんどの腰から大腿部にかけての痛みは経験したことのないものだそうだ。

あわてて、神奈川学習センターでの仕事を超特急で済ませて、あまりできることはないかもしれないが、母の家へ駆けつける。

もっとも困ったのは、これまでに経験したことのない状況にあって、誰にどのように相談したら良いのかということであった。じつはその日、母は掛かりつけの医者にその痛みを相談して、強い薬をもらって帰ってきたところだったのだ。

当然、二、三日はその薬の効能を信じて、様子を見るしかなかったのだが、どうも時間が経つにつれて悪化しつつあるようだ。薬が効かないらしかった。その医者に相談するべく電話を入れると、休診日にあたっていて連絡がつかない。

この段階で、いろいろな人の意見を聞きまわってみたのだが、なかなか決定的な情報を得ることができなかった。そうこうするうちに、救急車の要請も考えてみるまでに、事態が逼迫してきた。

二日後、ようやく行きつけの医者と連絡が取れ、近くのレントゲンを撮ることのできる病院へ行くことを勧められる。つまり、次に何をすれば良いのかが、素人にはわからないのだ、と観念する。

このことは、レントゲンを撮った後にも起こった。レントゲンでわかることは、その異常な痛みが骨折か骨折ではないかということだけであり、さらにそれ以上の状況を見るためには、MRIによる検査を受けねばならないのだ、と知らされる。

かなり、原因の微妙な「痛み」になりつつあることが理解されてきた。さて、つぎはどのような展開が現れるのだろうか。このような状況は誰もが経験することであり、これからも何回も悩むことになることだが、ここには明らかに、日常生活の迷路が存在するのだ。

2007/05/19

大正から昭和にかけての時代

泉屋博古館から帰ってきてから、1910年代から1920年代にかけて、日本はどのような文化状況にあったのか、観ておく必要があると感じていた。

ちょうど東京の山種美術館で、近代以後の日本画の展覧会が行われていて、参考になると思って出かけた。もちろん、現代の東山魁夷、横山操、加山又造なども展示されていたが、大正期から昭和初期の日ごろまとまってみることのないものを多く観ることができた。わたしのような素人にもすごいなと思わせる、竹内栖鳳、上村松園、速水御舟などの近代日本画を一堂のもとに観る機会を得た。

西洋近代を一度くぐり抜けた日本画が、どのようにして復活して、大正期にとりわけ盛んな時期を迎えたのか、という点は極めて興味深い点である。在り様について、時間を追って観る事ができた。その特徴のひとつは、根拠はあまりないが、直感的には西洋絵画の明晰さに加えて、日本の「繊細さ」ということではないかと推察したしだいである。

この点での典型例は、時代がすこし下るが、鏑木清方「伽羅」だと思う。横になった娘が、ゆったりとした仕草で、布団の上に起きていて、これも近代の一場面を描いているのだろうが、時間がそこだけ止まっているのだった。

Img_1675a そのようにみると、この美術館の近く、日曜日の千代田区三番町近辺も、近代的な佇まいでありながら、時間の止まっている街だな。

静かなマンションとお屋敷が交差するビルの一階に、UCCの店があったので、久しぶりにジャマイカ豆のコーヒーを注文する。午前に、学習センターでプリントしてきた論文を取り出し、日常を取り返そうと試みる。Img_1676a

今日はさらに、下宿をして出ている娘が、久しぶりに帰ってくるというので、渋谷で待ち合わせて、「モディリアーニと妻ジャンヌの物語展」を観ることにした。連チャンで歩き回るのは、老体にはきついが、それにもまして、モディリアーニの誘惑は強い。

http://www.bunkamura.co.jp/shokai/museum/lineup/07_modigliani/index.html

そういえば、モディリアーニが亡くなったのも1920年であり、晩年の作品が今回数多く来ている。ということは、この展覧会も、大正から昭和へという時期にあたっている。偶然の一致だけれど。

帰りに話題になったのは、誰でも疑問に思うことであった。つまり、なぜモディリアーニの描く人物の目には、瞳が描かれないのか、という点である。

三つくらいの理由があると思われる。パンフレットなどには、(1)彫刻家出身で、瞳は描かないため、(2)鑑賞する人に想像力を書き立てさせるため、などの理由が載っていた。またおそらく、病的な状態からの影響もあったのではないかと想像させられる。

問題は(2)の想像力の問題だと思われる。なぜ瞳を描かないと想像力が動員されるのか、という点だと思う。瞳を書き入れると、表情が確定してしまうということはあると思われる。

モディリアーニを評するもののなかには、「どこを見ているのかわからない空っぽな目」という解釈があったが、これは違うのでないかと思う。むしろ、複数の目を意識していたからこそ、ひとつの目を描き入れることを拒否したのではないだろうか。

モディリアーニはしばしば、同じポーズのモデルを何回も描写したと伝えられている。同じ場面が複数の意味を持つ、というキュビズムの影響は確実に現れている。同じ絵が、あるときは泣いているように見え、あるときは笑っているように見える。Img_1684a

空虚を描いたのではなく、むしろ複数の目を同時に描いたのではないだろうか。

最後に寄ろうとした喫茶店は、改装中で店のなかはがらんとしていた。今日最後のコーヒーはお預け。

2007/05/17

京都日帰り

日帰りで、京大で催された「情報通信政策研究会」に出席してきた。

若手研究者たちの発表も面白かったが、H先生の次から次へ捌いていく手際のよさに見とれてしまった。つい、発言する機会を見逃してしまうこともあった。また、辛口のK先生とI先生の発言で、会全体も引き締まった。Wさん、Aさんの準備の良さが研究会の要になっていると感じたしだいである。

出席しての感想だが、どうも情報通信分野は、「秩序だった混沌」の時代に入ったと思わざるをえない。秩序だっている点では、情報通信産業分野でいわゆる「レイヤー別産業構造」を形成している点で、共通認識が存在する。けれども、いざ将来の問題となると、レイヤー間の分離・統合関係や、他の産業との連関など極めて流動的で「混沌」として不確実である、ということも共通認識となっている。

この混沌をいかに超えるか楽しみである、というくらいの楽観主義で臨みたいと思う。ところで、レイヤーというのは、産業構造の考え方で、コンテンツやアプリ、サービスやインフラなどのインターネット産業特有の機能構造を指している。この産業では、それぞれコンテンツ産業、アプリ産業、サービス産業、インフラ産業が成り立っていて、相互作用を及ぼし合っている。(手軽にこの辺を知りたい方は、また放送大学の宣伝めいてしまうが、放送大学テキスト『ネットワーク産業論』第5章P.126あるいは『光電子技術とIT社会』第13章P194あたりをご参照願いたい。)

発言しながら思い出したのは、日本の電話産業創生期を描いた絵を撮った一枚の写真である。H先生と昨年作成した『情報と社会』のなかで逓信博物館を取材して使ったのだが、電話局の近くの電信柱に電話線が張られている様子を描いている。この写真が、わたしの「情報のイメージ」の原型になっている。

電信柱に夥しいほどの電話線が鈴なりに取り付けられているのである。秋田の竿灯のちょうちんのように、碍子が取り付けられていて、そこに電話線が通っていて、いまにも倒れんばかりのすごい本数が通っている。

なぜそうなったのかといえば、創生期の電話線はいまの光ケーブルのように、一本の線で複数の回線を結ぶことができず、電話局とすべての一般家庭とは同数の回線で繋がっていたのである。

もしそれが今日まで続いていたら、どうなっていたか、このことを想像するだけで楽しくなってくる。けれども、笑い話ではなく、当初はケーブルという発想はなかったはずなので、当事者は本気で、加入者全員をそれぞれ一本ずつ結ぼうと考えていたに違いないのだ。

つまり、電話線で結ぼうという「秩序」は見えていたが、全部つないだらどうなるのかという点では「混沌」であったと言えよう。電信柱が折れる前に、次の技術が開発されて良かったといえよう。

あるいは、もし開発されなければ、もっと前に地下へ埋めるという発想が育っていて、今日の空を覆う混沌は回避されていたかもしれない。こう考えると、何が幸か不幸か実際のところはわからなくなってくる。

ところで、せっかく京都に来て、ひとつの仕事をこなすだけではもったいない。午前中の空いた時間を利用して、東山にある住友財団の「泉屋博古館」を訪れた。お恥ずかしいことに、最近まで「イズミヤ」と読んでいて、ようやく「センオク」であることを知ったのだ。

前に別子銅山へ取材で行ったときに、ここに資料がまとめられていると聞いていて機会があれば訪れたいと思っていた。けれども、常設の展示物としては行われていないようであった。今日の企画展は板谷波山を中心とした「日本の近代陶芸」であった。

http://www.sen-oku.or.jp/kyoto/program/index.html

波山については、千葉学習センターの研修旅行で、笠間の陶芸美術館を観たときに印象に残っていた。葆光彩磁の上品で柔らかい作品が有名で、今回もこの博古館所蔵の「珍果文花瓶」が見られるというので、午前中にもかかわらず少なくない入場者だった。

収穫だったのは、白磁の香炉と、八つ手葉の彫刻花瓶、そして、双魚文皿であった。冷たい白さを抑えた乳白色の白さ、茶色の力強さ、素朴なデザインなど、日本が西洋文明からすこし抜け出し、独自の近代性を導入した時期の特徴を表していると思った。Img_1657b

大正期の消費文化について、また取材すべき題材が増えた、という感想である。帰りに、恒例となった感があるが、「イノダ」のコロンビア豆を買って新幹線に飛び乗った。

2007/05/14

コンピュータとの共生

放送大学のテキストを検索して遊んでいたら、「共生symbiosis」という言葉が分野を超えて、さまざまに使われていることがわかった。技術系のテキストでは、人間とコンピュータの「共生」という使い方をしている。

月刊誌の「論座」の今月号(6月号)で、プロ棋士の羽生善治と脳科学の茂木健一郎が対談していて、コンピュータ将棋ソフト「ボナンザ」を俎上に載せていた。将棋ソフトが初期の状態から進化して、そろそろプロ棋士を負かす段階にきているということである。

問題は、将棋の指し方にあるというのが、この対談の中心テーマである。つまり、これまでのソフトは、人間を真似ようとして、棋士たちの「定石」や「大局観」などをソフトに読み込ませて、プロ棋士に近づけるような開発が進めれてきたということである。これでは、プロ棋士を追い越すことはできない。

ところが、「ボナンザ」はコンピュータ本来の特性を活かして、より速く、より多く演算を行うことができるように、特化させているらしい。つまり、演算能力という力に任せて、相手のあらゆる指し手を読み、効率よくそれに対処するようにできているということである。

そこでは、熟練も必要ないし、定石を知る必要もないのだ。ただただ無機的な演算が行われるだけの将棋が生じているというのである。

これは問題だ。将来の展開が読めないところが、将棋の魅力であったのだが、それをすべて読みきってしまう技術が将棋の世界にも現れようとしていることになる。

いままでと異質な将棋の打ち方が将棋の世界を変えてしまうかもしれないのだ。人間の熟練した技が勝負を面白くしていたのだが、コンピュータの技術がその熟練を超えるかもしれない、という状況が出現しつつあるのだ。

人間はこのようなところでも、コンピュータと共生できるのだろうか。恋愛をして、相手を探すよりも、データベースを検索して結婚相手を探したほうがよいという時代がくるかもしれない、と茂木は問題提起している。もちろん、コンピュータを介しないと、行動ができないという事態はかなり危機的であると思われるが、かなり現実的な問題にまでなってきている。

さて、将棋が好きで、かなり強いという、うわさの早稲田大学のO先生が、かれのブログで、わたしの放送大学テキストを取り上げてくださっている。有難いことである。(下記を参照。)彼だったら、コンピュータ将棋について、どのような感想をもつだろうか。聞いてみたいところである。

http://blog.goo.ne.jp/ohkubo-takaji/d/20070512

それにしても、このブログを読むかぎり、O先生の食事は、かなり偏っているのでないだろうか。他人事ながらも、気になってしまった。

2007/05/12

自分の「フィールド」について

午後、東京文京学習センターで、5月の大学院ゼミナールを開いた。

そのとき共通の話題になったことで、「フィールド」とはなにか、ということがあった。放送大学の大学院生は、職業もさまざま、バックグランドも異なるし、専門分野もまちまちである。このとき、自分のフィールドをどこに定め、どのような方法で論文を成就するのかが問われる。

ふつう、論文の問題提起をする場合に、自分の「フィールド」から取り上げるほうが良い、という一般的傾向が、経験的な社会科学の場合には存在する。

学問の分野や領域をフィールドと呼ぶ場合もある。けれども、圧倒的なイメージとしては、フィールド・ワーク、すなわち野外研究、実地調査ということのほうが強い。

今日問題になったことも、同様なことである。つまり、論文の問題意識を固めるために、その人の職業上、生活上のフィールドを重視すべきだ、ということを、オブザーバーで出席していたS氏が主張した。

S氏は明らかに後者のフィールドをイメージしていたのだと思う。自分の常日頃接しているフィールドを題材にすべきだと言うことだ。

S氏の言うことはたいへん的確に論文のテーマ選定の原則を貫いていると思われる。基本的には、その方針で行うことが、放送大学の学生には合っていると思われる。放送大学生には、社会人が多く、経験が豊富なのだ。

しかし、ひとたび論文を書き始めると、「一体、自分のフィールドとは何なのか」ということが改めてさらに深く問われることも確かである。自分が専門でやってきたことが、いざ論文を書くときには、不確かな点が出てきて、今までの知識では太刀打ちできない事態が必ず生ずるのだ。もう一度疑ってみなければならないということが絶えず起こるのだ。

だから、論文を書く作業は、あらためて自分のフィールドを再発見する過程でもあるといえるのではないかと思う。

残念ながら、体調を崩した人が多く、珍しく出席率の悪いゼミナールとなった。けれども、その後の喫茶店へ移っての雑談は盛り上がった。

それにしても、茗荷谷の駅前にあった「同潤会大塚女子アパート」が取り壊されて、さらに道の反対側の雑居的な商店街も取り壊され、かなり大きな再開発が進んでいる。

放送大学のビルも相当古いので、この際これらの再開発に便乗して、新しい試みをこの地で展開したら面白いのではないかと思う。前東京文京学習センター長のK先生が建物の構想を残されていったと聞いている。さて、このような望みはあるのでしょうか。

2007/05/05

「コンテナ」という言葉

昨日のコンテナのような、ちょっと雑然とした言葉?を整理するには、放送大学のテキストほど参照するに適しているものはない。

さっそく、膨大なテキスト群に当たってみると、つぎのような言葉として使用されていることがわかった。

たとえば、 大学院テキストの「国際社会研究Ⅱ」において、輸送費負担の問題として、コンテナ賃料が問題となっている。またじつに、「言語文化研究Ⅱ」では、港湾労働者を取り上げていて、コンテナ船導入で労働者が減少する傾向にあることを伝えている。

さらに、学部テキストの「アグリビジネス」では、ダンボールからコンテナへという流通の変化を取り上げている。また、「商法」では、コンテナ輸送の賠償責任について、責任の制限を設けていることが指摘されている。「日本の製造業の新展開」のテキストでは、「二重反転プロペラ」という技術について取り上げている。二重反転プロペラという推進技術が、現在は大型タンカーにつけられているが、それがコンテナ船にも有効であることが述べられている。

ちょっと異分野と思われる心理学領域でも、心理学者サリバンの概念として「器・レトルト・コンテナ」が紹介されている。そして、「臨床心理面接特論」では、心理療法のなかで、クライアントの心を直接晒すのではなく、器やコンテナによる保護が必要で、それによって、心の変容が生ずるとされる。とくに、
面接室が、クライアントの保護をもたらす、「コンテナ」として比喩的に使われている。

心理学にまで及ぶような使われ方をするものとして、コンテナが存在しているとは思わなかった。昨日の疑問は、それでも依然として晴れないが、「容器」という概念の及ぼす広い世界を垣間見ることができた。今日のところは、ここまでにして、後日改めて、昨日の疑問に挑んでみることにしたい。

2007/05/04

輸送について

Container連休中に読んだ本のなかで、一番だったのは、「The Box」という原題をもつマ ルク・レビンソン著『コンテナ物語』だ。

「ものを運ぶこと」は、中間段階の生産過程の問題である。流通問題であることは確かだが、今日の世界では「生産」に対して最も深刻に影響を与えている。「ものを運ぶ」ことそれ自体が、体系をもったひとつの「システム」だと主張している。

最初のところで面白かったのは、ふつう船には全体としてどのくらいの品物が積み込まれているのか、という問いかけである。

コンテナ船が出現する前の段階で、「ウォーリア号」という5千トンの船では、約19万個の荷物が積まれ、全米151都市から集荷されて、その品物の発送人だけでも、1156人が関係しているそうである。こんなに多種類で、雑然として整理不能な集合物が船の積荷の正体だったのだ

この19万個の荷物をそれぞれひとつずつ扱っていたら、それは流れる川の水をペットボトルに入れなおして運ぶような非効率な流通でしかないだろう。このペットボトルをひとつずつ運ぶのではなく、「box」に入れて運ぶことで、いわゆる「規模の経済」(大きく括ることで単価が安くなる効果)が発生し、運搬コストが驚くほど低下するのだと考えられている。

この本の例では、1トン当たり5.83ドルだったコスト(船賃)が、トン当たり0.158ドルにまで下げることが可能となったということである。コンテナという社会技術の経費削減(ダウンサイジング)効果は抜群である。

そして、この本の楽しく読める点は、マルコム・マクリーンという破天荒な企業家に焦点を結んで記していることにある。先行投資ということの醍醐味を味わわせてくれるのだ。

すこし不満が残るのは、たしかに削減効果が抜群であることはわかるのだが、なぜ「箱詰め」するだけで、こんな効果が生ずるのかについて、根本的な原因が書かれていないことだ。コンテナが巨大であればあるほど、効果がより上がるかといえば、そういうわけでもない。「規模の経済」は表面的な理由でしかないのだ。じつはここが、ほんとうのところ面白いのではないかと思った。続編に回してしまったのだろうか。

2007/05/02

バベル

神奈川県立図書館の川崎分館には、「社史」が豊富に揃っていて、よく利用する。検索してからいったので、4冊の本はすぐに見つかった。帰りには、バスに乗って、川崎駅に出なければならない。

時間を見計らっていて、足は自然とシネコンへ向かうことになる。映画「バベル」は、社会の分断現象を観察しているものなので、研究対象としてはずすことはできない。期待して観た。

結論からすれば、(映画のひとつの規準だと勝手にわたしが考えているのだが、)「昇華」の程度が足りないというのが感想である。

聖書のバベル物語では、人間が天に到達しようとして塔を建て、神を恐れぬ所業の結果として、神の怒りに触れて断罪され、異なる言葉を持つ民族へ分割される。

これに対して、今回の映画では、4つの家族がそれぞれの世界に存在していて、相互に見えない形で細い繋がりを持っている。ところが、事件がつぎつぎに起こって、最後は分断されて、孤立した家族だけが残される、という物語として描かれている。

それはそうなのだが、それでは当たり前過ぎるのではないだろうか。観てみたかったのは、バベル状況に在っても、バラバラにされた家族が細々と遠くのものと結びついている、という可能性である。このほうが意外性があり、よっぽど映画的ではないだろうか。

ちょっと辛口にいうならば、世界がバラバラなのに、家族だけが最後に結びつきを強固にする、というかなり家族主義的な結末になっていて、今日の世界を把握しそこなっているのではないかと思われた。

じつは、今日の午前中、以前ここでも紹介した79歳で博士号をとったKさんと会っていたのだ。学位授与の新聞記事で、反響がいくつかあったそうである。ご本人はちょっと違うんだがな、と言いつつ、「Kさんは同世代女性の亀鑑です」という葉書をいただいたとのことだ。

女学校を出ても、大学へ行く女性は少なく、男性との差別を感ずる世代であり、論文を実際に書くことができることを示したことでは、やはり満足しているそうである。このことでは、社会的貢献を行ったのではないだろうか。

K大学の宣伝に貢献するのは、あまりいい気持ちはしないが、実際にお世話になったので、感謝を行うという意味はあったとのことだ。

映画「バベル」のようにバラバラな世界のなかにあっても、Kさんのように論文を書くことで、あちこちの分散している知識を、一気に集めたことは重要だと思う。このことはほんとうに意味のあることだと思う。

2007/05/01

山の向こうへ

ここ数ヶ月、旅の季節を送った。わたしは山国育ちで、盆地のなかから、いつも「山の向こうへ」という意識があったために、旅好きになったのだと思う。

妻が『池澤夏樹の旅地図』を図書館から借りてきたので、ちょっと拝借して、読ませてもらった。

65ページに、「初めての旅は覚えていますか」という質問に答えて、「最初の旅は、帯広から広尾線の軽便鉄道に乗ってほんの少し南にある知り合いの牧場まで行ったこと。札幌に行ったほうが先だったかもしれません。」といっている。

初めての旅がどのようなものだったかは、かなりその人のその後の旅行観を決定するのではないかと思う。ボヘミアンの素質というのは、旅行を始めたときに明らかになるのだ。

今読んでいる「ロビンソン・クルーソー」がやはりそうなのだ。旅に出ては失敗を繰り返すのだが、反省を何回も重ねてもかれの旅には変化がないというのか、ありすぎるというのか、なのだ。旅をせざるを得ないという性分は直らない。

さてそれでは、自分の「初めての旅」はどのようだったか、思い出してみた。家族と一緒の旅は数多くあった。けれども、やはり「初めての旅」と呼べるのは、わたしの場合ひとり旅行である。

距離は短かった。小学校3年生だったと思うが、長野県の松本から、大糸線に乗って、信濃大町まで。約1時間ではあったが、一人だという印象が強い。当時漫画を読むことには躊躇があったのだが、旅の開放感があって、ちょうど「少年サンデー」が週刊誌として創刊されていて、それを買って乗り込んだ。

だから、この小旅行は、いつも生活している自分ではない自分を生きるためにあったと、初めて言える旅であった。それから何度も、自分から逃れるために(もちろん、逃れることなどできないにもかかわらず)、現実を否定するために、旅を重ねてきたといえる。ロビンソン・クルーソーのように、「船」が座礁してしまったら、いつも自分に戻ってこれるとは限らないであろう。

池澤の旅に比べれば、わたしのはまだ序の口でしかないと思われる。彼の旅とは、「いるべきでない場所にいる、という矛盾がぼくの人生を貫いてきた。今もってぼくはそれを解決しきれないでいる」ということらしい。

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『貨幣・勤労・代理人』(経済文明論)

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。