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2007/04/30

50歳代半ばの反省

旧友のF氏と久しぶりに会う。かれはスキデルスキーのケインズ伝なども訳していて、共通の話題が多い。

じっくり話そうということで、Y市でも最もゆったりとした時間を過ごすことができて、最もたっぷりとした空間のあるNGホテルの中庭に決めた。

ところが、昔の感覚で入った店が迂闊にも違う店であった。もっともそこで、サービスというのはこういうことを言うのかという待遇に逢う事ができたのであるが。案内の人がすぐに中庭の店の席を予約してくれ、さらにその店が開くまで、そのままの席で待つことを許してくれたのだ。

おかげで、突き抜けた晴天の青空と、白亜の威厳ある建物のちょうど中間に、生成りのパラソルを立てたこじんまりした特等席を、思い描いたとおりに占めることができた。噴水の池と満開の花が、彩りを添えてくれた。

それから、延々と陽がすこし傾くまで、昔話から始まって、将来のことまで、さらに50歳代半ばに至った反省やらをしゃべり続けたのだった。最も面白かったのは、かれの転職の話だった。また、わたしがいまのめり込んでいる「中間論」についても、かれが面白がってくれたことには、感謝するほかない。

50歳代半ばになって反省していることで話題になったひとつは、宗教であった。ふたりとも、宗教についてはあまり真剣に考えてこなかった。F氏が最近マネージした対談で、北大の中島岳志氏が「ヒンドゥー・ナショナリズム」のアジア性について述べていて、それを読むと、オウムと同様、危険性と熱狂性とをいかに考えるか、重要だと思った。ときには、西欧流の政経分離というクールな精神も必要なのかもしれない。

いつも素敵な場所へ行くと、そのような場所を知っているのは女性が多く、そこで談話を楽しむ女性ばかりが目につくのだが、われわれもそのようなレベルについに達して、おしゃべりを楽しむ年代に突入したことを認識したしだいである。

途中、坂道を登って、(H先生からいただいた券で)神奈川近代文学館「中原中也・富永太郎展」を観にいく。ここでまた、この二人の詩人の出会ったのが、1924年であることを知る。1925年には富永太郎は亡くなっている。やはり、1920年代というのは、文化的な事件としては、かなり面白070430_192501いところで成り立っているということを再確認したのは、収穫であった。

最後に、こちらも久しぶりに、野毛のダウンビートへ寄って気持ちを整え、明日からの予定をたてる。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。