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2007年3月に作成された投稿

2007/03/29

離島研究

長崎県の五島列島に来ている。飛行機から見ると、入り組んだ湾がはめ込みGoto絵のごとく広がっている。

卒論でこの五島列島の産業政策を取り上げたいとおっしゃる、Hさんが昨年このゼミナールに参加してきた。直接現地で指導いただきたいと1年ほど前から頼まれていた。ちょうどわたしの消費文化についてのテーマと重なるところができたので、ようやく実現したのだ。

年度末という絶好のタイミングが、Hさんとわたしを、鶯の鳴くこの西の島へ案内したのだ。風は強いが、温暖な土地だなという印象だった。

初日は型どおりの街歩きをして、市役所の統計課を訪れた。街を二回ほどぐるぐる回れば、大体その近辺の生活圏の想像がつく。さらに、話を聞けば、もうすこし広い範囲の様子がわかる。

五島市には、福江の城址に、城を模った市立図書館と、歴史資料館があって、郷土資料がまとめて閲覧できる。ここで印刷されている資料のコピーはほとんど手に入れることができた。

今回はあくまで、わたしの研究は二の次で、メインはHさんの卒論にあるので、わたしのほうの関心は抑えて、極力産業政策に集中して、資料集めを行った。統計課のKさんはたいへん親切に応対してくださった。エクセルの時系列で、必要なものをあらかじめ用意してくださっていた。

役所へ行って、どのように資料収集を行うか、というHow-Toについては、やはり経験がものを言う。あらかじめ関係資料にあたっておくことは必須である。

そして、係りの方との会話のなかで、次第にどのような観点が重要なのかが見えてくる場合が多い。「実証」というのは、そうゆうことだと思っている。もっとも、標準的にはそれでいいのだが、むしろ係りの方が見過ごしているような観点も見つけることができれば、卒論の半分以上は進むことはできる。

この辺りのリサーチ方法については、わたしの専門外ではあるのだが、むかし大学院生時代に某研究所で、先輩の見よう見まねで身に着けたやり方があって、いまでもときどき思い出す。

昼食は街の中心街にある「リバプール」。さばのムニエルがむき出しのにんじんやかぼちゃなどと料理してあって、美味しかった。

夜には、HさんとHさんの弟夫婦一緒に、卒業論文の見通しを話し合いながら、「五島牛」をいただいた。柔らかくてさっぱりした味の肉であった。このホテルには、五島の鬼岳に発する温泉があり、露天風呂に冷たい風が舞い込んで、蒸気の渦巻きダンスが起こって素晴らしかった

2007/03/28

五島にて

福江の風が抜けていく
アヒルや桜や鬼岳を残して

鶯の鳴き声や雀を乗せて風が抜けていく
遠く里の上空を 海や河をまたいで

初めは威勢の良かった人びとも
落ち着きを取り戻し

初めは乗り気でなかった人びとも
次第に巻き込まれて

すべて風のせいにして
通りすぎていく

風化された石垣はそうなることで
実在を示す

積み重ねられた重さが
隙間を埋めていくように
時間の隙間が記憶で埋まっていく

さんご石は時間を模様に織り込んでいる
雲に思想があるように
人びとの考え方にも模様があるのだ

    海の青さに 空の青さに
    島々の荘厳さに絶句して

    長崎の五島列島にて

2007/03/27

京都取材

この春は、消費文化論の取材であちこち飛び回っている。

今日は朝から、京都府立総合資料館を訪れた。京都から地下鉄にのって、北山で降りるとすぐのところにあって、たいへん便利だ。この一体は公園がきれいだし、洒落た店も並んでいる。

府立図書館へ最初行こうとしたのだが、どうも探しているものの多くはこちらに所蔵されているらしい。とくに公官庁の統計資料、歴史資料は充実している。

たとえば、今日採取したもののなかで、明治二年から始まった京都博覧会の資料がある。博覧会であるからには、見せるための、展示的要素のものが多く取り上げられている。

その結果、庶民のテイストとは少し異なったというのか、すこしずれた感覚のものが載っている。そのなかに、外国人向けのホテル朝食メニューというのがあった。

ここに「コーヒ」が出てくる。つまり、外国人向けのものとして出てくるということが重要なのである。日本人に対する趣味としてはまだ確立していないということを逆に示している。資料館では、これ以外にも意義深いものにふれることができた。

収集が早めに終わったので、見逃していた「エルミタージュ」展を、京都市立美術館で見ることができた。帰りに、建物が素晴らしいので写真を撮っていると、「もし人違いだったら失礼ですが、放送大学のS先生ではないですか?」と話しかけられた。以前にわたしの講義を取ってくださった方で、娘さんと一緒に来たのだという。

まさかこのような遠くはなれたところで、わたしの顔を覚えてくださっている放送大学の学生と会えるとは思わなかった。けれども、考えてみれば、講義を取ってくださった方であれば、同じ展覧会を見る可能性はかなり高いと言える。

時間と空間を超越している大学では、たびたび起こっても不思議ではないことかもしれない。もしこれが同じ研究の現場で、先生と学生が偶然会うようになったら、大学としてももの凄いことが始まるのかもしれない。

2007/03/26

Kさんの博士号

Kさんから嬉しい知らせが届いた。神奈川大学の歴史民俗資料学研究科の博士号をいただいたとのこと。

今年79歳で博士を目指していると、7月に、Kさんのことは一度書いたことがある。それが、パシフィコ横浜で行われた神奈川大学の学位授与式で目標を達したのである。

放送大学の学部では、「桐生絹織物の歴史」について卒論を書き、神奈川大学で修士を採ったあと、このたびは、「同業者組織における信仰」について論文を仕上げた。全国各地をまわっての取材から生まれたものだけに、その体力と気力には圧倒される。

まだまだ論文のネタがあるから、これからも書きたいと、先日も雑談したところだった。生涯学習ということを言うならば、ここまでやらなければならないということだろう。

本人からのメールでは、新聞の取材は断ったのだけど、指導教官の頼みで応じたとのこと。けれども、これはやはり社会にとっても良いニュースだと思う。二人で、どちらの方が早く取るかなと言っていたのだが、同時に達成したことで、わたしのゼミ出身のKさんとわたしの、博士号の揃い踏みということになった。

http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryxiimar522/

詳しくは、上記の神奈川新聞の取材記事を読んでください。

2007/03/23

学位授与

阪大の学位授与式に出席した。博士の学位をいただいたのだ。

わたしたちの世代は、70年代の大学紛争のあおりを受けて、学部のときには東大入試がなかったという影響をうけたし、さらに東大の大学院では博士論文審査の体制が壊れていたという影響を被った。

だからといって、ここで被害を受けたという恨みがましいことを言いたいわけではない。むしろ、その体制から自由であったことを今では喜んでいる。

けれども、外国へ行った同期の人たちは、その地で苦労して、Ph.Dを取ったりしているのに対して、日本の大学院に残った多くの同期生は、課程終了時には、博士号をとった人は(統計や経営は別にして、経済学分野では)一人もいなかった。

それに多くの文科系の大学では、就職してしまえば、博士号はほぼ必要ない。このような事情もあって、わたしの場合も博士は課程修了という状態で、論文を書いての修了は行っていなかったのだ。

書いてみると、そのプロセスも含めて、博士論文という制度はかなり良い制度だと実感できた。執筆の緊張感が通常の論文執筆よりもあり、また書き終わってからも、審査員がじっくり読んでくださって、意外に楽しい作業となったのを覚えている。

今日の阪大での学位授与式では、研究科によっては、100名を超えるような博士を量産する大学院もあって、今日の博士号の意味もかなり変わってきていると思われる。70年代と違って、博士課程を修了すれば、博士号を持つのが当たりまえになっている。

それでは今日、なぜ博士論文を書くのか。何のために、博士号をとるのか。資格を取るという形式的な理由以外に、やはり博士論文の実質的な意味があるのだと思われる。

さて、式典が終了して、学位記を受け取りに行こうとしていたら、「放送大学のS先生じゃないですか」と子どもとご主人同伴のかたに話しかけられた。放送大学を卒業して、大阪大学の大学院に進み、今春みごとに学位を取ったということである。

学生と先生が他の大学で、同期として学位をいただくという、放送大学ならではの風景である、と思った。

2007/03/21

図書の返却

休日にもかかわらず、大学へ向かった。辞令が出て、神奈川学習センターへ戻ることになったので、研究室を整理しようというわけである。

部屋が満杯状態で、文献を探すにも、書棚が二重になっていて、苦痛になってきていた。渡りに船で、研究費で購入したもので長期貸し出しの文献を大量に図書館へ返却した。

神奈川大学では、いつも40冊くらいを借りていて、学期末にどっと返却することが多い。けれども、放送大学では、これまで引越しのときにまとめて返却することにしていた。今回も、3年前のときと同じように、大量の返却を行うことになった。

そういえば、研究室へはときどき学生からリクエストがあって、図書の貸し出しを行っている。これだけ多量に返却すれば、リクエストの図書も多く含まれることだろうから、当分要求はないだろう。

どれだけ多量だったかといえば、段ボール箱数十個で、およそ1200冊になった。たかが1200冊など大したことはないと思われるかもしれないが、たぶん50冊であってもダンボールを持ち上げることはできない方が多いと思う。

この1200冊を一人で箱に詰め、台車に載せ、運んだのである。日ごろから、返却すれば良かったといつも考えるのだが後の祭りで、いつかは使うだろうと研究室に置いておいた結果である。身から出た錆といえば納得するが、歳をとった身体にきつい。

もっとも、さらに言えば、返却された図書館の係りの方のことを考えると心が痛む。決して、図書館を倉庫代わりに使っているわけではないのだ。返却した図書が、学生の方々に有効に利用されるのを願うばかりである。

残された自分の本は、返却した本のさらに4倍ぐらいの量がある。けれども、返却した本のほうが良い本が多かったらしく、書棚の見劣りが激しい。それに気づいて、終わった途端、疲れがどっと出てきた。

2007/03/16

岡山県立図書館

これまで多くの図書館を見てきたつもりだった。けれども、それらを上回って、いままでで最も使いやすい図書館の筆頭に上げられる図書館が今回現れた。

岡山県立図書館である。まず、立地が良い。県庁の隣にあり、なおかつ岡山城址の公園の一角を占めている。便利であると同時に、文化的な地域のなかにも組み込まれている。

ちょうどお城からでて裏側から入ったのであるが、周りがお堀から抜けて、この図書館の周りにも水の庭園が廻らされていて近代的なビルに柔らかさをあたえていると感じた。

入り口は小さいが、ガラスを多用し、さらに玄関ちかくに開放的な喫茶を兼ねた遊びの部分があり、ロッカーに荷物を預けて、ちょっと喉を潤すことができるようになっている。

また、入り口の狭さはトンネルを潜る様な気分だが、警備上の利点のためと思われる。が、ひとたび入り口を通り抜けると図書館全体が二階に至るまで、ずっと視野に入ってくるようになっていて、一体感を重視している。すべてが一室であるかのようなつくりになっていて、ここでは開放感も大切にしている。

図書館の使いやすさは、すぐに書棚に到達でき、手にとって見ることができる点にある。ブラウジングが図書館の基本であることがわかっているつくりなのだ。

今回は、郷土資料を利用するために訪れたのだが、二階の約半分を使っている。時系列の報告書が直ちに手に入る。こんなに利用しやすい図書館ははじめてだ。特に、パソコンがすべてのところで使えるようになっていて、大学図書館に引けをとらないばかりか、それをはるかに上回っている。

資料収集は順調に進んで、一日かけてかなりの成果を挙げることができた。途中、外にランチを食べに出た。県庁通りの日航の入っているビルの地下に、Appetito(アペティート)というイタリアンの店を偶然見つけた。

キャベツのスープから始まって、パスタを選んで、最後にデザートまでそれぞれ洒落た手作り風の料理が出てきた。暖かい肉厚のパンは、店内のかまどで焼いたものだろうか。これも美味しかった。食事が良いというのは、勉強をする上で、重要な要件だ。

あたま(知性)とおなか(感性)と両方が満足する岡山取材となった。現代の「桃太郎」になった気分で、戦利品をたくさん持って帰ってきたのだ。

2007/03/11

ポスター展

明治・大正期を中心とした「ポスター展」が催されているというので、居ても立ってもいられずに、姫路まで飛んできてしまった。うわさに違わず、用意周到に集められた充実した展覧会であった。

問題は、なぜ大正期に商業ポスターが日本で一気に出回るようになったのか、ということである。消費文化論を守備範囲にしているものにとっては、かなり刺激的な問題提起である。

主として、1911年から20年ごろまでが、キイポイントになるようだ。それでは、なぜ流行るようになったのか。

第一に、技術的な点であるが、この時期に石版が発達し、後にそれに加えて、写真製版の技術がかなり進んだこと。第二に、宣伝効果の著しい企業(ビール、百貨店など)が急速に伸びたこと。第三に、ポスター作家と呼ばれるような専門の画家が数多く世に出たからである。

ポスターを企業内で描く専門の人びとが現れるようになったことは大きかったと思われる。1911年には、三越の改装記念でポスターの一般公募があり、そのなからも、優秀で独創的なポスター作家が現れるようになった。

このようなイベント的な人間関係が形成できるかが、ポスターの腕の見せ所である。

展覧会のなかで印象に残ったポスターは、初期に見られた「暦の入った実用的なポスター」「百貨店ポスターで杉浦非水のもの」カルピスの「初恋の味ポスター(外国に募集を掛けたものだったらしい)」などである。

とくに懐かしいのは、いぜんわたしの教科書でも掲載させていただいた1922年「寿屋の赤玉ポートワイン」ポスターである。黒い色調の中から、日本的な美女がワインを突き出している。ワインだけが赤く輝いている。広告の原点が率直に語られている。(このポスターには、セピア版とグリーン版があることが、クレジットされていた。今回のものはグリーン版)

姫路には、城をはじめ、多くの見るべきものが多くあるにもかかわらず、このポスター展をじっくりみると、これだけで十分満腹の気分になってしまった。時間も思いのほか、かなりかかってしまった。

帰ってから、いろいろの人にこの展覧会を推薦しているが、やはり目を輝かせて話に乗ってくるのは、印刷屋さんや、プリント関係の方だった。石版プリントのプロセスも展示されていたが、これを仕事でやりだしたら、確かに没入してしまうだろうな。

2007/03/09

お別れの季節

お別れ会の季節が到来した。放送大学は、全国組織である。そこで広大な地域をカバーしなければならない。必然的に、自前の組織だけでは足らないことになる。

たとえば、全国の地域にそれぞれに明るい人がいなければならないと同時に、本部には全体を見ることのできる人もいなければならない。二律背反する人事がつねに含まれている。放送大学は不思議な組織体であるのだ。

このため、それぞれ3年が経過すると、外部への転出と外部からの導入が繰り返されることになる。毎年、組織が3人に1人ずつ代わっていくというシステムを持っている。

先日は、わたしの所属する千葉学習センターでお世話になった方がたと、すこし早めの非公式な同窓会を催して、お別れしたし、今日は「大学の窓」でお世話になったOさんとのお別れ会で、Kさん、Fさん、Mさんという豪華メンバーで食事会を催した。

それに、今日はわたしの側の参加者で、現代GPのお手伝いをいただいているSoさんとSiさんも加わった。

お別れ会というのが、もっとも「社交的」な会になるという逆説は良くあることだが、これまでのご無沙汰を埋めるべく、短い時間を楽しいおしゃべりで過ごすことができた。

参加者が20代から30代ということもあって、これからどのような人生を辿っていくのか、というテーマが多かったように思う。

それから、ブログ仲間であるKさんとは、会の開かれたパスタ屋さんへ行く道すがら、話すことができた。彼女のブログで紹介している歌手の「松倉如子」についておしゃべりした。Kさんの入れ込みようは、かなりのものだと見た。

松倉の曲はUTubeを通じて聴くことができる。とくに、そこでは、わたしも好きな「高田渡」の曲が多く載せられている。彼の曲を歌うには、現世を超えた特別な間合いが必要であると思っていた。この間合いを表現できる歌手は、当分現れないのでは、と思っていたのだが、ついに出てきたのだ。

調子をすこしはずすような歌を、ここ当分楽しませていただこうと思っている。お別れの季節には、このような現実の世界を超える工夫をしないと辛くなってくる。

2007/03/08

「遮断」という問題

「分離」とか、「分断」とか、「遮断」とかという問題が、人間関係を見るときには、重要であることは知っているが、いざそれらを活き活きとした形で取り上げようとすると、なかなか良い例が見当たらない。

先日、社会と経済のカンファレンス室で雑談をしていたら、N先生が絶妙の例を教えてくださった。すこし前置きが長くなってしまうが、最後まで書いておこう。

コンパなどで、料理屋さんへ行くと、何回かに1回は経験する事がある。トイレに立っていくと、途中で昔の友人とばったり会ったりする。これで「やあ、やあ」ということになれば、コンパや談論などの非公式なつき合いの効能が発揮されたということになり、談合の積極的な事例となる。

これに対して、わたしたちの住む世界とは異なる世界も存在する、というのがN先生のお話であった。つまり、友人ならよいが、気まずい人、会いたくない人、見られては困る人に限って、会う場合が起こり、これを避けたいという世界も現実には存在する。

N先生がかつて行ったことのある料亭(政治家の集まるところとして有名らしいが)では、談合する部屋は個室になっているそうだ。ということは、当然トイレもそれぞれの個室に付いている。

これは、遮断の好例である。遮断することで、一つの別の特別で親密な世界が作り出されるのだ。ここまでサービスしないと、料亭という名前に値しない、というのはたいへん面白いと思う。

おそらく、ここで話される談合は、このような遮断を必要としており、秘密でなければ話が進まないような種類の関係が、ここで結ばれることになるのだ。

2007/03/07

傘寿

母が80歳になった。傘寿のお祝いということになるので、久しぶりで皆で、東京に集まることになった。ビルの35階にある和食の店で、ささやかな昼食を取った。

量はいらないという希望だったので、会席を取ることにした。美味しかったのは、先日銚子でも注文した平目の刺身、それと石焼の蛸とイカ。すこし焦げ目ができたところがとくに美味である。

「もてなし」という風習は、「見せびらかしの消費」に分類されると思われるものであるが、そのなかでは「品格」が感じられ、密着した「ラブリィ」な感じがする。日ごろ疎遠となっていた家族が、もてなしによって結び付けられるのは良いことである。

もっとも、もてなしが結ぶ人間関係にも二種類あると思われる。これは、他の方に聞いたのだが、地域によっては、家族で還暦や喜寿や傘寿を祝うという「もてなし」以外にも、本来の意味を込めて、もうすこし家族を広げた親族や、コミュニティを主眼とする「もてなし」があるようだ。

広い関係のもてなしになってくると、定型が発達し、話してくださった方の地域では、餅と料理の重箱が振舞われるそうである。そうなってくると、人数も多くなってくるから、誕生日のお祝いといってもたいへんな準備が必要になる。

さて、わたしたちの会席は幸いなことに、前者の狭い範囲のもてなしであるから、気の置けない話が続いた。

今回、皆、過去への探検を行い始めたのだ。不思議なもので、すぐに時間がすこし戻ったような感覚になる。じつは、うちの場合、家族のなかで、記憶の良い人と悪い人とがはっきりと分かれる。

たとえば、母の還暦をどこで行ったのか、という話題では、わたしの場合思い出すまでにすこし時間がかかってしまう。これに対して、記憶力のよいのが妻で、すぐに店を指摘したのだ。

通常の誕生日だと、個人的な記憶に終始するが、やはり傘寿のような会では、皆の記憶を呼び起こすような話題が湧いて来る。還暦や傘寿は、あまり頻繁に行われるわけではないから、家族にとっては貴重な時間を構成しており、家族の歴史の道しるべとでもいえるものだと思う。

2007/03/03

入学試験日

海浜幕張駅から放送大学まで、ゆっくり歩いて10分ぐらいである。JRの駅を出て、大きな通りを北へ向かう。

今日は道のところどころに、近くにあるK外語大学の案内人が立っていた。たぶん、入学試験日ではなかろうか。今だと、後期日程だろう。

出勤の時間が早かったので、まだ案内される受験生を見ることはなかったが、準備の職員達は足早に通り過ぎていった。そしてもちろんのこと、まだ近くに受験の同伴者を見ることもなかった。

カルフールというスーパーマーケットがあり、その奥の跨線橋を越えると、ちょうど放送大学とそのK外語大学の中間の位置に、千葉の進学校として有名なS高校がある。同伴者といえば、このS高校の入試の時には、壮観な風景がちょうどその跨線橋辺りに見られたのだ。

このS高校の正面玄関まえは、かなり広い通りが通っており、その先にイトウヨーカ堂がある。S校の入試の日に、ずらっと高級外車がそこに並んだのだ。ちらほらと国産車があっても、それはトヨタのレクサスだけだった。それは見事に車種が一定していたのだった。そして、その車の中には、恰幅の良い金持ち風の男性か、高級毛皮をまとった女性達が、新聞を読んだりタバコを吹かしたりして、待機していたのだった。

もちろん、彼らはS高校の受験生の同伴者であり、試験の終わるのを待っているのだった。「見せびらかし」というのは、金持ちの意図的な個人技として存在し、これらが現れるときには、集団現象として一気に出現する。

まさにこの特徴そのものが、ここに現れたのだった。おそらく、運転してきた同伴者達は、たまたま、この広い通りに最適なスペースを見つけたに違いない。ところが、いざみんなが揃ってみると、見事な集団的一致がここに現れたのだった。

このような一ヶ月以上前の現象を思い出しながら、大学へ着く。メールを開くと、まず飛び込んできたのは、KさんがY国立大学大学院後期博士課程に合格した、という報告であった。たいへんお目出度い。

Kさんは、この春放送大学の修士課程を修了することになっているのだが、じつを言えば、中学・高校・大学を通じての、わたしの後輩に当たることが入学してからわかったのだ。これらの学校は、それぞれ東京の大泉、世田谷、そして、横浜と、かなり離れたところにあるので、この三つとも同じだという人は、それほど多くは無いはずである。

この意味でも、たいへん喜ばしい。入学という通過儀礼は人をさまざまな形態で結びつける可能性を秘めており、じつに興味は尽きないと思った次第である。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。