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2007/02/18

試験問題の適切さ

今学期の定期試験(放送大学では、単位認定試験と言うが)が終わり、採点も終わって、これで大学の学務はほぼ全部終了したことになる。

今学期の反省をしておきたい。

わたしの科目『産業社会と消費社会の現代』は、4年が経過したので、役割を終えることになる。もっとも、あと一学期だけ再履修者に対して、試験だけ行うが、講義は今学期までだ。学習センターに設置しているビデオも、来学期中には回収される。

今回の試験答案をみて、あっと思ったことがある。この科目授業では、テレビ授業と、テキストの両方で講義が提供されている。したがって、試験範囲も、この両方を含んでいる。

そこで、試験問題のなかで、ビデオ教材を見ないと答えられない問題を含ませておいた。「広告の経済的役割はなにかについて、ビデオ教材の中から具体例を取り上げなさい」というものである。

テレビ教材では、汐留の電通アド・ミュージアムを取材録画したものを使っていた。(この映像では、今となっては著作権のクリアが絶対難しいものがふんだんに使われていて、贅沢なつくりのビデオであったのだが、終わるとなると何となく懐かしさがこみ上げてくるものだ。)

ところが、意外に放送とビデオは見られていないらしいのだ。わたしはまったく引っ掛けるつもりはなかったのだが、結果からすると、多くの人が落とし穴に引っかかってしまった。

答案のなかで、テキストの記述で、テレビでたぶん取り上げているのではないか、と予想される箇所を取り上げている人がかなりいたのだ。つまり、テキストではシャネルの5番のポスターを使って説明しているが、じつは放送教材の「汐留のミュージアム」では使っていない。

そこで、ポスターの説明をえんえんと繰り広げる人が続出したのはたいへんおかしいことだったのだ。もちろん、それはそれで、答える筋が通っていれば、加点したのだが、もちろんビデオ教材を見るという要件を満たしたことにはならないのだ。

(じつは、学生が勘違いしたもうひとつの可能性があって、他の授業で「広告」とは異なる文脈で、シャネル5番ポスターを使っているのだが。それなら、答案にそう記述するだろうと思われる。)

最後の最後になって、こんな簡単な罠に引っかかってしまった人には、たいへん申し訳ないと思う。反省すること、しきりなのだ。(未必の故意であることは言っておきたいが、他方で、してやったりとも思っているのも事実である。)今後は、瑣末な罠は避けるようにして、本質的なところを突くような試験問題を出そうと思っている。

さて、ここからは宣伝になるのだが、4月からは、新たな科目として、『経済社会の考え方』がラジオ科目で始まる。来週には、放送教材も完成する予定である。

また現在、編集者の方と相談しながら、最後の索引作りを行い、そろそろ最終校正を終えるところに差し掛かっている。この科目でも、またいろいろと新しい試みを付け加えていきたいと考えている。乞うご期待。

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コメント

 こんにちは。前に弘明寺ワークショップにてご厄介になっていた(といってもオブザーバーとしてですが)者です。このたび本学のテストについてお書きになっているのを見て思うところがございましたので、学生の立場から言訳(?)を述べてみたいと思います(ちなみに私はこの課目の受講者ではありませんでしたのでご安心ください)。
 たしかにテープをろくに聞かないでテストを受ける学生がいるのは事実だと思います。ときに、「あの課目はテープをまったく聞かないでテキスト・ブックだけで単位を取った」と自慢気に言う人までいるぐらいです(それがどういう意味で自慢になっているのか私には分かりかねますが)。しかしちゃんと毎回テープを聞いている学生も間違いなくいます。問題は、ちゃんとテープを聞いていたからといって、そこからテスト問題が出たときにそれを書けるとはかぎらないということではないでしょうか。どういうことかと申しますと、テープにおいてテキスト・ブックと違った話が出てきて、しかもそれが誰かへのインタビューであったり何か具体的な例であったりすると、これは授業全体にとって本質的に大事なものではないと受止め、いちおう真面目に聞きはしても、帳面にその中身を必死で写し取るということまではしない、という形で終ってしまうことがありうるのではないかと思うのです。帳面に付けていないとなるとテスト勉強でもその細かい話を振返ることはありませので、こういう話があったねと言われればなんとなく「感じ」として思い出すことはできるとしても、自分でそれを一から思い出し、なおかつ筋道を立てて細かく述べてゆくというのは厳しくならざるをえません。ですから先生のお考えになっているほどにはテープが見られていないことはないと私は想像しています。
 かつて「生活と福祉」専攻で「ライフ・コース論」という課目がありました。もはやはっきりとは覚えておりませんが、その課目では、通信指導の問題かどこかにおいて、テストではテープの中身からも問題を出すと書かれていたように思います。テキスト・ブックに載っていない話がテープで出てくるたびにそれを帳面に漏らさず書取るのは学生としては大へんなことですが、少なくとも、そうした注意書きがあれば——本当はそんなのがなくてもそこまでやるべきなのかもしれませんが——、このたびの事態よりはましなことになるのではないかと感じました。
 的外れな意見、もしくは学生として言うべきでない意見だとご判断されました場合には消してください。

槙様ご無沙汰しています。

わたしが考えているほど、「テープが見られていないことはないと私は想像しています」というご指摘は、心強いかぎりです。

ノートに残して置かないと、テストのときに書くことができないかもしれない、ということは、たしかにあると思います。

また、全体の問題のなかで、具体例を挙げることがそれほど重要ではないと、考えられてしまうかもしれないという恐れはあると思います。

これらについては、今後問題作成の参考にさせていただくことにいたします。

それから、最後のご指摘の件ですが、「ライフコース論」といえば、現在早稲田の先生となったO先生とS先生の科目ですね。(O先生のブログはこの欄でも紹介しました。)ちょっと道草ですが。

じつは、通信問題の記述で、試験に放送教材の内容を問う問題が出ることを匂わせることは、今回も行っていたのですが、残念ながら全員の方々にはいきわたらず、功を奏しなかったようです。(もちろん、これをみて、勉強なさった方も確実にいらっしゃったと思いますが。)

というわけで、試験については、いろいろと考えるべきことがまだまだありそうです。また、この欄で相談することがあると思いますので、そのときまた、ご意見をください。

今回は、ありがとうございました。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。