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2007年1月に作成された投稿

2007/01/29

社交について

気の置けない方がたと久しぶりに飲んで食べた。故A先生夫人のNKさんが、松戸市議に返り咲いたので、お祝いにみんなで集まった。

A先生の生前には、年末になると集まって、1年の反省をしながら、舌戦を競いあった。今回も、NKさんの料理に舌鼓を打った。お祝いのつもりが、結局たいへんお世話になってしまった。

部屋には、故A先生の写真が立てかけられていた。たぶんお好きだったワイルドターキーを傾けているところだろう、と想像される。写真のなかから、話しかけてくるかの錯覚にとらわれるような良い構図だった。

そういえば、この会は、始まったときから、徹底して言葉を中心にした会であった。政治学の先生だったので、やはり日米の政治状況が俎上に載せられたと記憶している。

以前よりおしゃべりを抑制するようになったI先生が、盛んに話題提供していたが、(気を使ってなのか)今回も政治の話題が多かったと思う。松戸市議としてのNKさんの話題も、たいへん面白かった。競輪の話や、大学の進出の話などは、ふつう見過ごしてしまうことなので、興味津々だった。

NKさんには、すっかりご馳走になってしまったので、今度は手のかからないところにお呼びして、また気楽なおしゃべりの会を催したいな、と考えている。いつも積極的に会を設定してくださるAさん、次の会もよろしくお願いいたします。

遅刻してきたY先生も、早退したT先生も、みんなペースを守っていて、終わってみると面白い顔合わせの会であるとわかる。そして、なにより会を盛立ててくださったのは、Fママさんであった。故A先生がいなかったならば、およそ結びつかなかった方がただな、と改めて、オーガナイザーの威力に感心したしだいである。

2007/01/28

次善の「親密な関係」

2月のはじめに、大阪でゼミ合宿が行われる。東京駅の旅行代理店でこの切符を取ったら、店のリニューアル記念なので抽選を引いてくださいといわれた。どうせティッシュくらいしか当たらないだろうと一番上にあったくじを差し出すと、3等ですと言われた。

係りの女性が、新幹線の模型と、CDとどちらが良いかと尋ねるので、CDのほうをもらってきた。「トーキョー☆サウンド☆ブックマーク」と名づけられた、特別編集版だった。ところが、内容がすべて女性歌手の曲で、声がうるさく聞こえてしまい、世間ではかなりヒットした曲が集められているらしいが、最初の印象ではあまり聞きたいとも思わなかった。

ところが、二度目に聞くと、いくつかの曲が耳に残っていて、なかなか良いと思い始めた。何が良いのかというと、詞のいくつかの断片に、女性特有の素敵な響きがあることに気づいたのだ。

たとえば、9曲目に入っている「Secret Base~君がくれたもの/ZONE」では、

「君と夏の終わり 将来の夢 大きな夢 忘れない
10年後の8月 また出会えるのを 信じて
最高の思い出を」

という詞があり、将来 10年後 出会い という時間的な「距離」が読み込まれており、現在の自分を将来へ向かって拡大してくれている。4,5分の旅を十分楽しませてくれた。

CDの2曲目にも、同じ趣向の言葉が入っている曲がある。「Slow Train/川村結花」の冒頭の詞で、つぎの言葉から始まる。

「遠く遠くどこまでも ゆっくりゆられて行こう
 かなしい歌は似合わない 僕らはきっとまた会える」

同様に、距離感が素敵なのだ。いずれも、女性に男性の心を歌わせていて、成功している。つまり、現代の男の心情を如実に映し出しており、このことで曲としては男性を意識する女性性が表に現れていると思われる。

ここまでは、おそらくこれらの曲が世間で流行った段階で、みんなが感じたことであり、誰かがどこかで言っているにちがいないと思われる。それほど、これら曲の言葉は現代に浸透する力を持っている。

これらの曲から離れて、すこし考えてみると、このように感じた女性性とはなにか、ということが気になった。

女性歌手には、「艶かしさ」つまりコケットリーが重要だと思う。艶かしさと書くと、ちょっと違うといわれそうだが、上記の距離感がおそらく現代版の「艶かしさ」なのだ。正直に言ってしまうと、この歳になって、ようやくわかってきたことは、女性のコケットリーということだ。

人間は親密な関係というのは、それほど多く結ぶことはできない。わたしも親密な関係と呼べるのは妻との関係だけで、それだけでも手一杯だ。(娘や母親まで入れるとしても、これ以上だとパンク状態だ。)カサノバが神格である理由は、おそらくたくさんの親密な関係を結ぶことができたことから来るのだと思われる。ふつうは、たくさんの親密な関係というのは語義矛盾で、ありえないことなのだ。

そこで、社会学者のジンメルがいうように、親密な世界からすこし逸脱した、次善の親密な世界を作り出すことになる。それがコケットリーの関係だと思われる。

つまり、親密な絶対の関係性を延長すれば、世界全体が親密な関係になるだろう、というのは、あきらかに関係性を誤解している。

女性性に二種類があることは、有名である。母か娼婦かという二分法であるが、これはかなり以前の分類で、今日では当てはまらない。そこで、親密な関係の女性性と、次善の親密な関係の女性性という分類を推奨したい。

ここで重要なのは、親密な関係と、次善との間には、絶対的な距離が存在するということである。このことがわかれば、コケテッシュなCDの世界を満喫できること請け合いだ。

CDの7曲目に「夏祭り/Whiteberry」が入っていて、

 「君が居た夏は
 遠い夢の中
 空に消えていった
 打ち上げ花火」

という関係を歌っている。

2007/01/27

芝生の道

070127_160101_2 幕張の帰り道、公園のなかを通ることにしている。緩やかな坂道がずっと上ったり下がったりして、飽きることがない。気分は退屈を感じていても、自然は退屈を感じない。

ところによっては見通しが良くなるが、大概は先が見通せないように造られている。現実とそっくりだ。

前から知りたいと思っている樹なのだが、名前がわからない。図鑑を持ってきて照らし合わせるには、図書館から距離がありすぎる。常緑樹でありながら、広葉樹の並木が道なりに連なっている。070127_160002_1

とくに気に入っているのは、芝生の道である。さく、さくと音がして、枯葉となった 芝生の感触が楽しい。

昔、岡潔という数学者がいて、小林秀雄と対談を行っている本を読んだとき、コンクリートを歩くのは脳に響いて良くない。なるべく刺激を与えないように、底に厚いゴムのついた長靴を履いている、と言っていた。

晴れた日に長靴を履いている人を見つけると、岡潔の信奉者かもしれないと思ってしまうほど、強烈な印象を残している。

それ以来、数学者に会うと、長靴を履くのか、と尋ねることにしているが、いまだかつて、そのような靴を履いている数学者に会ったことはない。といっても、会った数学者の数はそれほど多くはないので、結論を出すまで、まだまだサンプルを増やさねばならぬと思っている。

けれども、この芝生の道ならば、絶対にそんな長靴は無用である。むしろ、さくっとくる感覚は、脳に柔らかな刺激を与え、かえってよい効果を及ぼしているような気がする。

それが証拠に、アスファルトの道に戻った途端に、すこし大袈裟かもしれないが、金槌でガンと打ったような不快な響きを感ずるのだ。

070127_160001_2 今日は試験監督を行った。緊張が悪い影響を与えている。このようなときに、この芝生の道は気分を和らげてくれるのだ。最近、ビジネス街にマッサージ屋さんをよく見かけるが、おそらく芝生の道のマッサージに比べれば、格段下がるサービスに違いない。

2007/01/25

小説のなかの放送大学

今日は、ラジオの収録を午前中一本済まし、気分が良かったので、久しぶりにホイトウで昼食を食べた。「白身魚の甘酢煮」の日替わり定食である。縦長の窓をふと見上げると、ちょうど正面が「幕張ファミールハイツ」であった。

いまから10数年ほど前、わたしの師であるN先生が放送大学で番組を収録し、帰りにこのマンションのなかへ消えていった。

すでに亡くなってしまったが、小説家の後藤明生が関西へ移る前、このマンションに住んでいたことがあり、そこを訪れるということだった。

当時、後藤明生は、「首塚の上のアドバルーン」という連作集を上梓していて、そのなかに頻繁に放送大学の建物と、白と赤のテレビアンテナが登場する。一般の大学では、その大学出身の小説家がいて、青春時代を描き、学園モノの小説を持っているものだ。

「首塚の上のアドバルーン」には、残念ながら放送大学の学生は出てこないが、放送大学の雰囲気を、ほんのちょっとではあるが、伝えているという点では、唯一の小説ではないかと思っている。 Img_1287a

この小説に従えば、ファミールハイツから放送大学越しにずっと先方をみると、こんもりとした森がいくつか存在する。これは、戦国時代に築かれた「首塚」なのだそうだ。戦いで首級をあげられた人びとを祭ったところなのだ。

主人公が散歩の足を伸ばして、そこを訪れると、不審な女性がその森を掃除していたりする。ぞくっと来るようなところらしい。一度行ってみたいと思っている。その首塚から、この小説は時空を超えて、観念の冒険が始まるのだが、それは読んでのお楽しみに残しておきたい。

この14階建てのファミールハイツが建ったころには、ずっと何キロも見渡せる環境だったに違いない。そのような景色だったからこそ、この小説のような想像力が湧いたのだと思われる。

Img_1286a 今日、ファミールハイツから、ぐるっと見渡せば、左には幕張新都心が広がり、もっと高いビル群が威圧するように建っている。対照的に、右には歴史を持った旧市街の幕張の町があり、いまは日陰になってしまっている。その左と右の中間に、問題の首塚が眠っており、そしてまた、電波を発して時空を飛び越えている放送大学もあるのだ。

2007/01/14

オーラルヒストリー

Iさんの修士論文をA先生から紹介されて読む機会を得た。トマス・ブレークモアという戦後日本で活躍した弁護士について、オーラルヒストリーの手法を用いて書いた論文である。彼を知っている人びとにインタヴュー調査を行い、彼の生涯を再構成している。

ブレークモアがなぜ注目されるのかといえば、多元的な活躍を戦後日本で行ったからである。GHQで働いた後、外国人が日本へ進出するときにサポートする商業弁護士として活躍する。その活動と同時に、財団法人の国際文化会館の設立や運営にかかわったり、あきる野市にある釣り場を開設したりして、日本に対して独自の貢献を残している。

まず面白かったのは、真面目に遊んでいる、という彼の性格である。とくにそれが発揮されているのが、釣り場の創設である。フライフィッシングを早い時期に日本に紹介したことでも、十分貢献していると思われるが、それ以上に、フライフィッシングの釣り場まで用意するというのは、到底遊び半分ではできないことだ。資金の用意から、実際にフィッシングを楽しむところまで、着実に作業をこなしていて、頼もしい限りである。

論文を書いたIさんの努力に、敬意を払いたい。オーラルヒストリーというのは、90%以上労力の学問なのだ。今回も取材のテープ起こしから、再構成の論文作成まで、すべてひとりで行ったそうである。テープから本文を作成するまでには、話の内容の裏を取ったり、ストーリーを時系列に並べなおしたり、文体を統一したり、などたいへんな作業の集積が必要なのである。

いつまで経っても、作業は終わらない、というのが本音だろうと推測された。今回もまだまだ、課題があるとおっしゃっていた。今後の充実が楽しみだ。また、進んだら読ませていただこうと思う。Photo_11

帰りの途中、東京駅の丸善によって、この論文の参考文献に載っていたR.ホワイティング『東京ワンダーランド』とその続編である『東京アウトサイダーズ』を購入し、横浜までの電車のなかで、戦後日本の不思議な世界を垣間見させていただいた。おそらく、この本も、オーラルヒストリーの手法に近い方法をとっているものと思われる。文献にとらわれない、活き活きとした文体が興味深かった。(写真は、丸善側から見たレンガ造りの東京駅)

2007/01/12

県立図書館からの帰り道

虎ノ門での会議が、考えていたよりずっと早く終わったので、今年に入って最初の県立図書館訪問ということになった。

原稿のなかで使う文献のためだが、ほんとうは自分でその本を持っているはずなのだが、どうしても家のなかで見つからないのだ。最近はこのような状況が増えてきた。このようなときには、県立図書館がたいへん便利である。

横浜の場合、新しいものは市立図書館のほうが充実しているのだが、かなり古いものや、すこし学術系のものは、やはり県立へいかないと手に入らない。

いつも、桜木町から歩いていく。野毛を出て、「音楽通り」という将来良い町並みになりそうな通りをすぎ、かなり急な坂道を登っていく。坂の上に立つと、みなとみらい地区がすぐ手が届きそうに迫っている。

図書館の隣には、音楽堂があって、娘が吹奏楽団に入っていたころには、さまざまな演奏会に通ったものである。写真は、その音楽堂のガラスに映った県立図書館である。070112_131501

いくつかの書籍を参照して、それから、この原稿書きが終わったら取り掛かろうと考えている、次のテーマの書籍も渉猟して、頭の中がパンパンに満タンになったところで、伊勢佐木町へ場所を移した。

途中、今度閉店してしまうJAZZ喫茶「ちぐさ」の前を通りかかると、白髪の二人の老人が、「もう数十年来てないなあ」と言いながら、ドアを開けて入っていった。

帰りの道草の行き先は、まず有隣堂の本店。ここに寄って本を購入し、次に、馬車道のサンマルクカフェで読書というコースが好みである

このサンマルクカフェのあったところには、以前独立系の喫茶店があったのだが、閉店してしまった。けれども、店の内装はほぼ以前のままで、中二階にある、緑の白熱球電灯の下が、本を読むのに適しているのだ。

070112_152801_1 今日は、隣に言葉使いの巧みそうな男女の一団がいて、本を読むにはすこしうるさかったが、すぐに話を切り上げて出て行ってくれたので、その後、コーヒーを二杯飲むくらい長居をしてしまった。

おかげで、読書と、すこし持って行った仕事がはかどった。そういえば、この席では、何人かの友人たちと、半日以上席を占めて議論したこともあったな。

街のなかに、このように居心地の良い場所を持つことは、わたしにとって欠かすことのできないことだと思っている。人生のなかで、と大げさなことを言わなくても、日常のなかでちょっと落ち着いてものを考えることのできる場所は、必要だと思う。

もちろん、家で考えることができれば、それで良いのだが・・・。

2007/01/08

ロードムービーについて

いくつか走っている原稿書きのひとつが片付いたので、ようやく本年はじめての映画鑑賞にくり出すことになった。

映画「リトル・ミス・サンシャイン」は、典型的なロードムービーで、家族が娘のミスコン出場のために、珍道中を繰り広げる映画だ。興味深く見た点は、家族の人びとがそれぞれ皆「個性的で」「奇妙な性格(病気)」を持っているという設定である。これをどのように演ずるかが見ものだった。

内容を言ってしまうのは気がひけるが、ひとつだけいうと、「息子はニーチェ好きで、無言行を自分に課していて、メモ帖で言葉を伝達する」という設定は、たいへん面白かった。メモに書かれる言葉は、感情的で、かえって言いたいことが強調されて表現されるのだ。おじいさんが亡くなったときに、陰でこっそりメモして、妹に「母をハグしてやれ」と伝えるシーンは、これを描きたいために、この設定をしたなと思わせるほど効果的な演出だった。

ポンコツの故障だらけのミニ・バスは、とうぜん家族の隠喩であり、動かなくなったバスをみんなで押して動かすシーンがたびたび出てくるのが、この映画の基底を形成しており、とかく飛び跳ねてしまいそうな映像を落ち着かせる役割を持っていた。

結末に不満があるわけではない。十分期待を裏切ってくれて、魅力的ではあるが、この家族がどうなるのかについて、一言示唆をしてくれればすこしは安心して家路につけたと思われる。ひとりひとりがこのままでは、かなり不安だな。見終わっての昇華の度合いが少ないことが唯一気になったことである。

2007/01/06

穴から出た熊の心境

久しぶりに外へ出る。

バイクが追い越していって、何となくおかしいな、よれよれだ。と眺めていると、駐車場へ乗り入れる敷居を乗り越えられずに、どーと横倒しになった。

坂道で、スピードも出ておらず、倒れるべくして倒れたので、やれやれという雰囲気である。とりあえず、「大丈夫ですか」と声をかけてみたが、そうするまでもなく、本人はにこにこして、やっぱり転んだか、という表情をしている。

今年はこんな年ではないかと思う。どーとまではいかずに、途中で倒れるのを食い止めたいが、倒れたら仕方がない。けれども、このバイクのように、倒れるな、倒れるかもしれないな、と思いつつ、倒れることにしよう。

余裕ある倒れ方というのがあると思う。たぶん、後ろを歩くわたしを意識して、このバイクは倒れたように思われる。

心の余裕ができたところで、横浜の駅まで足を伸ばし、何か美味しいものを買いたいと思っていたら、良い匂いがしてきて、それに誘われて、やはりP店のパンを買ってしまった。自分で書くと、そのことが自分の行動を縛ることが良くある。

2007/01/03

丘と平地のネットワーク

夜と昼の区別がわからないような正月を過ごしている。今年だけは特例にしてほしい、と思い続けているが、毎年このように続くと、そろそろ「シジュポスの神話」的状況になってきている。そこで、この状態を楽しむことに気持ちを転換しつつあるのが正直なところである。

それで、夜になって起きてくると、塩野七生がNHKで対談を行っていて、中世の都市の成り立ちについて語っているところに、ちょうど出くわした。

ローマ帝国が世界に覇権を広げた時代から、中世に入ってくると、平地に広がっていた世界は混沌としてきて、秩序が乱れ始める。そこで、為政者たちは治安を維持し、安全な生活を送るために丘の上に城を築き始め、その周りに中世の街が作られていくのだそうだ。

平地は常に侵略され、異国の文化との混交を余儀なくされる。平地の街は、保護や安全を諦めなければならない分、開放的で外に向かって絶えず発展していく可能性がある。それに対して、丘の上の街は防御し易く、親密な世界を構築できる。

中世の街の多くは、丘の上に閉鎖的に作られたために、進展に対しては抑制されてきたといえる。けれども、その結果かえって城山独自の文化がそれぞれ形成されたのだと思われる。ここで城山というものの評価が分かれると思われる。

閉鎖的な点を批判すれば、城山は不利である。けれども、多地点的発展を主張するには、うってつけの装置として城山は働く可能性がある。

丘の上の街の小さな親密な世界と、平地の街の大きな発展的な世界との、両方綯い交ぜになった世界として、中世を捉えたいと思う。

2007/01/01

年初めの習慣

年の初めに行われる、家の慣わし、習慣というものがあって、それが意外に異なっていることに気づいたのは、ようやく大人になってからである。ふつうさまざまな地域を遍歴しているうちに気づくのだろうが、結婚をして、異なる家を構えたときにそれがわかった。空気みたいな大切なものに気づくのが、昔から苦手だった。

うちは、どうみても商家の習慣である。元旦の朝の挨拶のときに、お茶を飲むのだが、そのときに「栗と柿」がでる。「繰り回しよく、掻き取る」という意味だと教えられた。

つまり、「金銭などの都合をつけて、やりくりし、全体から利益をかき集めてくる」ことを祈念するのだ。ビジネスの極意がこめられ、年初の挨拶としてはたいへん洒落ていると思っている。もちろん、金銭文化の賜物ではあるのだが、それ以外のところでも教えられるところ大である。

この習慣は、母方から伝わった。母の父は材木を営んでいたから、そのころの風習が定着したものと考えられる。もっとも、祖父は「栗」がうまくいかず、最後は「柿」取られてしまって、破産に追い込まれてしまったのだが。

「栗と柿」を食べながら、小さな歳の順に今年の抱負を述べていくのだ。「今年は字をきれいに書く」とか「いつも手を洗う」とか、小さなころ思いつくことは、可愛いものが多かった。

このことで飛躍するのは、人生の岐路に立ったときである。家を出るとき、就職のとき、そして今でも覚えているのが、結婚のときに、この機会を利用した。習慣は、ときに習慣を破る契機を用意するものだ。

夕方には、妹夫婦がきて、カード・ゲームを楽しんだ。そのときの雑談で、思い出したことである。さて、今年の抱負は・・・・・・・。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。