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2006/11/06

大学を続けることが困難に感じるようになったとき

今日は、午後から神奈川大学の講義に出かける。通常、4時限目の講義の後に、早めの夕飯を食べてから、6時限目に臨むことにしている。

いつものように学食で、お盆にご飯と一汁一菜を乗せて、支払を済ませていると、「先生、お久し振り」と声を掛けられた。わたしの講義を2年前に取った女性の社会人学生の方だった。定年過ぎて、法学部へ入学して、今年度はすでに4年生で卒業間近だという。

食事をしながらの雑談のなかで、「やはり社会人学生は、仕事が詰まってくると通学が難しくなって、多くの方が脱落しそうになるのです」、とおっしゃる。3年生には年配の学生が数多くいて、話し相手になってくれるが、4年生で残っているのはわずかで、たいへん淋しいとのこと。

そして、3年生のころ、もうやめてしまおうか、とも考えたことがあったそうである。「そうか、社会人大学生は結構難しいな」、と神大生だけでなく、放送大学生のこともちらっと考えてしまった。

そこで質問をした。「そのとき、なぜ大学をやめなかったのですか」と。彼女が答えて曰く、「自分で言い出したことを途中でやめるのが、周りの人びと、特に家族に対して、恥ずかしくなったからです」と。

究極のところ、やはりここの問題に行き着くのだと思った。元来、人間は、そう変われるものではない。しかも、自分で表明してしまったことには、あとで結構、責任があると思い込む性質を持っている。と言えばいいか、あるいは、自分の言ったことに、引きずられるという性質を本来的に持っているのだ。

けれども、彼女については、このような頑固な性質はたいへん好ましいと感じた。4年間に渡って、決めたことを着実にやり遂げようということは、なかなかできることではない。

彼女の話を聞いていて、むしろ、この性質はもっと利用すべきなのかもしれないと思うようになった。自分で、「やるぞやるぞ!」、と言っているうちに、ほんとうにやり遂げてしまうことが少なくない。

来年になったら、もうすこし気ままに、放送大学にも入って、法律ではない科目も取りたい、と彼女はおっしゃっていた。早速、来年以降にも、この原則を使っていたのには、びっくりした。おそらく、有言実行の、その通りの道をこれからも進んでいくことだろう。

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