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2006年11月に作成された投稿

2006/11/30

ラジオ収録での言い間違い

今日は、ラジオ番組の収録を行った。やはり、以前と同じBスタジオで、今年度はどうもこちらのスタジオを使う場合が多いらしい。すこし慣れてきたこともあって、Bスタジオにも愛着が湧いてきたようだ。

と思っていたら、隙があったせいか、言い間違いをしてしまった。前半生を「ぜんはんしょう」と言ってしまったのだ。半生を「はんしょう」と読む場合は、「生き死に相半ばする」場合のみである。

そこで早速、「ぜんはんせい」と吹き込んで、それを間違えたところに貼り付けていただく。ここがデジタル録音の凄いところである。声の高低も、長さも、好みに応じて自由に、つながりを気にすることなく、修正ができてしまう。

録音技師さんの腕の見せ所である。できあがりは、ぜひ番組を聞いていただきたい。見事に埋め込まれていて、ほとんどの(たぶん全員の)人が、ここが修正されたとは気がつかないだろう。

アナログのときには、明らかに、ああここは修正したな、と素人にもわかるくらいだった。テープを切り張りしていたように記憶している。

この技術を使えば、ミステリーの一つや二つはモノにすることができるに違いない。

ラジオ番組を聴いていた、というアリバイを主張する犯人がいて、じつは前もってテープで聞いていて、その内容を知っていた。ところが、実際に放送される前に、修正が入って、それに気がつかなかった。そのため、供述のときに知らずに、制作時の内容をしゃべったために、アリバイが崩れてしまう。というのは、いかがだろうか。

あまり面白くないって。それじゃ、声の年賀状というアイディアは、いかがだろうか。実際、全部を吹き込んでいたらたいへんだ。けれども、宛名のところだけ修正して、ほかは最初のものと同じ内容を使う。宛名だけをふきかえても、全部吹き込んだかのように、聞えてしまうのだから、これほど便利なことはない。

ちょうど季節だし、お勧めのアイディアである。

もっとも、技師さんに頼んだら、技術料だけで、たいへんな額になってしまう。それで、あのデジタル機器は、個人で買うことができるようなものだろうか。傍目には、プロ用仕様のように見えるので、ちょっと高いのではないかと思われる。

2006/11/25

喫茶店パールあるいは「古さ」について

広島駅前には、昔の闇市を思わせる市場が残っている。ごちゃごちゃとした、良い意味での猥雑な伝統を残している。よそ者からみると、だいぶ廃れてきているとはいえ、まだまだ市民の支持をかなり得ているように思われる。013

その一角にパールという喫茶店がある。写真で見てわかるように、ビル全体から沸き出るように「古さ」を誇示しているのを観察できる。かなり味のある「古さ」だ。

パールという「古さ」の存立基盤はどこにあるのか。駅前という一等地でありながら、このような状況が許されるのはなぜか、という点はたいへん面白いテーマだ。関東近辺の地方都市ならば、直ちに取り壊され、近代的なビルに建て替えられてしまっていることだろう。

ドアを開けて入ると、パールの日常がわっと襲ってくる。今はほんとうに珍しくなったが、たばこの煙がもうもうとして、常連客が店の中央を占めている。競馬の実況放送の中で、なにやら街の井戸端会議が始まっている。

店のなかには昭和30年代を思わせるような木像がおいてあったり、野球のサインボールが収まるショウウインドウが、通路にむき出しで置かれていたり、さら010には二階に通じる螺旋階段を眺めていると昔への旅を妙に誘うのだ。

わたしの座ったボックスの壁には、どうゆうわけか船の舵が貼り付けられていて、古さを演出する道具として、最大の効果をあげていた。

さて、それではパールの「古さ」とはいったい何なのだろうか。

第一に、古くからの常連客がついていることは、おそらくパールの変わらない要因だろう。改装話が持ち上がるたびに反対しただろうことが目に浮かんでくる。パールの古さは、かれらの親密な関係を抜きにはありえないと想像される。

第二に、パールの古さは、建物の古さであり、装飾品の古さでもあり、さらに運営する人びとの古さに由来している。このことはたいへん良いことである。頑固に守り続けなければ、失われてしまうものは、今日の世の中には数多い。その中で、守り抜くことの困難さと諦めは、古さを誇示する建物とご本人たちがいちばん知っているのではないか。

けれども、パールの真の存立基盤は、実は次の第三の理由によると考えられる。それは、周りの環境である。猥雑な店が並ぶ市場群が、これほど残っていなかったならば、あのたばこをもうもうとさせる雰囲気は維持できなかったに違いない。そのような常連が来るような周りの雰囲気が必要なのだ。

古さというソーシャル・キャピタルがパールを支えている。ここでいう古さとは「親密さ」「固定」「雰囲気」なのだ。どこまで維持できるかは、これらと世間一般とのバランスにかかっている。

2006/11/24

重層化する多領域

広島大学に来ている。情報教育研究集会に招かれて、パネル・ディスカッションに参加するためだ。

二年に渡った調査をNグループの方々にお願いしていた。20人規模の体制で、放送大学映像資料の著作権処理に当たっていただいた。ときには、涙を滲ませるほどの努力をしていただいたと聞いている。

この努力にはどこかで報いなければならない。成果をどこかで発表したいと考えていた。

ちょうど九州大学のI先生の目に留まり、今回広島大学のN先生の名司会のもとで発表することができた。ほかのパネラーのO先生とU先生の意見とも付き合わせることができた。

広島大学のスタッフもたいへん優秀で、黙々と新たなアイディアに挑戦していた。たとえば、会場でディスカッションと同時進行でアンケートを取れるソフトを開発しており、これを使って、論争で意見が分かれそうな事柄について、会場参加者の賛否を問うていた。

会場に来ていた情報教育研究の多くの方々が、著作権処理について、今後の問題として関心の高いことがわかった。それと同時に、さまざまな学問分野で重層的な問題の存在することも、実感できた。

N先生は、パン・フルートの奏者でもある方なので、夕方からの懇親会で演奏を期待していたが、どうもそれはなかったようだが、さすが広島だけあって、バーベキューでは新鮮なカキがたっぷり出たし、地元西条の酒蔵からの美味しい酒がずらっと並んだのは凄かった。

情報教育とは、人と人のコミュニケーションを図ることだ、ということを身をもって体験することのできた集会であった。

2006/11/18

トンガ王国の反乱

16日から今日にかけて、トンガ王国の反乱がマスコミで報ぜられていた。電力会社への焼き討ちでは、死者が数人出た様子である。

国会議員の定数が30で、そのうち普通選挙で選ばれる国民議員は、9人しかいない。ポリネシア特有のチーフ(首長)制が最後まで残ったのが、トンガ王国だと解釈できるだろう。

今から20数年前に、じつはトンガ王国へJICA(国際協力事業団)から派遣され、滞在したことがある。1ヶ月ほど、首都ヌクアロファの中心地、王宮の隣にあった財務省内に、事務所を設けて国内を調査して歩いた。今回焼き討ちにあった電力会社へも取材に行った記憶がある。

Dateline Hotelという、つまり、日付け変更線がその上を通っているホテルで、やしの実のジュースを飲みながら、報告書を書いた思い出がある。もう時効だと思うので言ってしまうが、同僚のなかには、トンガの女性とほんとうの(というのも変な言い方だが)恋愛関係に陥ってしまい、日本へ帰ってきてからも交際していた人も出るほど、ドラマチックな日々が続いたのだ。

もしそのころのトンガを描くとしたら、おそらくトンガ貴族・エリートたちの抗争というドラマが展開できたであろう。当時は、王侯のラジオ放送が聞こえてきただけで、仕事を投げ出し、聴き入る国民が多かったから、民主デモなど考えることすらできなかった。

けれども、いくつか今日の暴動を予想させる要因が無かったわけではない。トンガは独立当初、完全平等主義をとって、土地を全国民に分けた。ところが、土地には限りがあるから、次から次に生まれてくる国民全員に与えられない時代が到来していた。

それから、外国人の影響がそろそろ深刻になっていた。今回、華僑に対する焼き討ちが伝えられていたが、当時からインド人と中国人の進出は、影響力を増していた。

経済を勉強するものにとってたいへん面白かったのは、財務省の隣の部屋で、貨幣発行が行われていたことである。どのようなときに、通貨供給を増大するのか、というのをつぶさに見ることができた。

たとえば、輸入の増加はふつう通貨を減らす要因になるのだが、特別な事情があって、トンガでは輸入増加に対して、通貨を増大させる政策を採っていた。お雇い外人エコノミストのニュージーランド人が自慢気に語ってくれたことである。

このような国家機密の漏洩に対しては、当然トンガ内部で問題になり、ある部局のボスから質問を受けた覚えがある。でも、いまから思えば、まだ観光客も少なく、工場もすくない、南太平洋の青く広がる、さんご礁の海を前にした夢のような王国での出来事だったのだ。

2006/11/17

「企業内学校」の衰退と新たな動き

企業内学校の閉校が続いている、という記事が10月下旬の新聞に載っていた。東京電力が運営する「東電学園」の記事だった。

見逃すことができないのは、これが社員養成、技能養成のために設立された学校であるにもかかわらず、実際には一般教養も教えていて、通信制の高校卒業ができた、という点である。

つまり、職業訓練と教養とが同時に教えられていたのである。このような企業内学校が減少することは、単に企業内の技能訓練に影響を与えるばかりでなく、社会一般の教養教育の衰退をも意味することになる。もちろん、技能の点では、企業が職場で教えれば、それで済むことかもしれないが、教養については職場教育で済ますわけにはいかないだろう。

じつは、今日東京の代々木にある、高級暖房機製造の企業に呼ばれて、経済学入門を1時間半たっぷり講義させてもらった。夕方、暗くなって仕事を片付け、仕事場のあるほかのビルから、三々五々社員の方々が集まってきた。

倉庫だったところを改造したとおっしゃっていたが、コミュニティセンター顔負けの広いスペースに、ゆったりとした授業用の椅子が配置されていて、真ん中にスクリーンが設けられている。

仕事に直接関係あるとは思えない講座を開こうということさえ、今の時代では珍しいのに、さらに仕事の終わった社員たちが、進んで集まって話を聴こうという心性を持っているのは稀有だといえる。このことだけでも、余裕のある会社だな、と思ってしまった。

講義が始まるまで相手をしてくださった会社の代表の方は、たいへんコミュニケーション能力の豊かな方だったが、奥さんは英国のOU(公開大学)ご出身だとのこと。会社の持つ総合的な潜在力が大事だ、ということを理解している方だとお見受けした。

とくに、女性の参加が多かったのは驚きである。質問に対する受け応えも、たいへん好ましいものを感じた。この時代、企業文化恐るべし、といっておきたい。

もしこのような動きが続くなら、「夜の講義シリーズ」と銘打って、番外編を企画するのもおもしろいな、と代々木公園に面した喫茶店で、一服しながら夢想した次第である。

2006/11/16

小さな職人技

このブログの右側に、evocaというものが貼り付けられているのに、お気づきだと思う。横△印を押して、イヤホンで聴いていただきたい。もちろん、宣伝の内容もさることながら、この装置ソフト自体がたいへん重宝な道具だと思う。職人技だなあと思ってしまう。

続いて、トップの検索装置も試していただけたかな。以前のグーグルのものとは格段の違いにお気づきだと思う。Javaを使う検索装置は、現在わたしの関わっている「現代GPプロジェクト」でも試作中であり、そのうちご紹介できるときもあると思う。(じつは、偶然にも、かなり似たつくりなのだ。)このブログ用検索の作者「暴想」氏は、見るところ、かなり直感力の鋭い、きかん気の職人という感じだ。

「暴想」氏の作品は、もうひとつ利用させていただいている。カテゴリー分類や、月別分類で、過去の記事を読もうとしたとき、どのようなテーマがあるのか、わからない。目次が存在しないという不便な状態であった。

ちょっと本文画面の一番上をみていただきたい。そこに小さな文字で、「目次」 と 「目次とCONTENTS」 というのを発見できると思う。それをクリックしていただきたい。30くらい並んだ本文の「目次」が現れる。

最初は、こんな目次、何に使うのかな、と思っていたが、使い始めるとじつに便利なのだ。時系列的に項目として簡潔に見ることができるので、一覧表として利用できる。わたし自身もそのテーマをどのように追ってきたのかがわかる仕組みだ。そして、表題をクリックすれば、本文へ飛んでいくことができる。職人技というのは、このように渋い技をいうのだ。

昔、家によく顔を出していた大工さんがいて、仕事が暇なときにちょっと寄って、瞬く間に、頑丈そうな生地のままの椅子やテーブルを作って置いていった。本業ではないのだが、ちょっと本気を出せば玄人はだしの技を使う。

わたしはこんな、ちょっとした身近な職人技が大好きである。

2006/11/15

ジャズと内向・外向

以前から気づいていたことだが、わたしの場合明らかに、自分のなかに「内向的性格」と「外向的性格」とが同居している。それが、どのように現れるのか、瞬間的にわかることはあっても、気にすることはあまりなかった。

じつは今日、朝から原稿に向かっていたのだが、お昼を過ぎるころには、自分でもイヤになってしまうほどのヤワな身体なので、肩こり、足のむくみやら、目白押しとなる。余裕がある人は、このようなときにはアルコールか、散歩か、ということになるのだろうが、残念ながら、今その余裕はない。このまま続行しなければならない。

こんなとき学生時代から、特効薬として使っているのが、音楽である。とくに、リズムは、空っぽの頭を共振させて、無い知恵をたたき出し、次々と仕事を転換させていくのに必須だし、メロディーは発想のもとに刺激を与え、何かを搾り出すには最適なのだ。(もちろん、疲れていなければ、これらに頼らず、むしろないほうが本当は良いのだが・・・。)

ところが、最近は歳をとったせいか、言葉があふれている番組は、仕事中は駄目になった。日本語であろうと、英語であろうと、深刻な内容を聞き込んでしまいそうな音楽は、とくに避けるようになってしまった。理由はわかっていただけると思うが、つまり「内向性」の音楽は駄目で、意味を考えてしまうと、仕事が手につかない。

おそらく、それは自分の仕事がかなり内向的なところから来ていると思われる。簡単に言えば、仕事に集中する場合には、言葉の音楽は邪魔になる。

それに対して、言葉のない音楽は、おそらく自分の「外向的性格」に働きかけてくれて、内向的性格とバランスをとってくれるのだ。内向に凝り固まった頭を解放して、疲れを外へ発散してくれるらしい。

というわけで、最近お気に入りは、Jazzのラジオ局である。一日中、ぶっ通しで流してくれる。選曲も、かなり良い。RadioioJazzというインターネット専門局を知っているだろうか。これはお勧めなのだ。

・・・ところが、今日は、はじめてのことだが、朝から放送がつながらない。・・・・・・・・日本からも聞いている者がいるのだから、がんばってくださいよ、とエールを送っておこう。

2006/11/13

噺家の話

森まゆみの『円朝ざんまい』平凡社刊を妻が借りてきた。

原稿予定が滞っていて、本を読むどころではないのは、重々わかっているのだが、やはり忙しいときほど読書が進むというのも、古今東西の真理なので如何ともしがたい。

噺家については、素人でまったく知らないのだが、かつて放送大学のK先生や、I先生、S先生など、数えだすと、多くの人から、話を聞いた覚えはある。

そこで、興味の赴くままに、ちらっと『円朝ざんまい』を読ませていただく。ところが、最初のところで、ぐっと惹きこまれてしまった。

円朝が山岡鉄舟をたずねる場面がある。「そこに近所の子どもが遊んでおって、ひとつあの子らに桃太郎の話をしてやってくれ、という。円朝は名をなした噺家ですから、子ども相手に昔話とは、ムッとはきたが、腕によりをかけて桃太郎をやる。鉄舟は、いった。『おまえの話はうまい。うまいが舌で語るから話が死んでおる』『私は三つ子のころから母に毎晩、桃太郎の話を聞かされた。それでも飽きなかったのは、話が生きておったからだ』」と鉄舟に一本取られる。それから、二年やっと、「今日の話は生きておるぞ」といわれる。「役者は体なくしてはじめて名人となる。噺家は舌なくしてはじめて名人という。」円朝は、そこで「無舌居士」という号をもらう。

円朝の墓石の側面には、

               耳しひて聞き定めけり露の音

という句もあるそうだ。

娘は「格好いい」といったが、ほんとうに「枕」として「はまった」話である。これだけでも、十分読者を惹きこんでしまう。あとは、・・・読んでのお楽しみとしておこう。

妻がいうには、この本はなにかの「賞」を絶対とるとのこと。そうゆうことでもないと思うが、ほんとうのところ掛け値なしに、噺家の話と、森まゆみの語り口と、二重に楽しめる本であることは間違いない。

2006/11/11

仕事と趣味

晩秋の気持ちよく晴れた日だった。窓から、すこし涼しい、快適な風が教室に流れ込んでくる。

大学院生と神奈川学習センターで、ゼミナールを開いた。気候が良いせいか、議論していても、時間のたつのを忘れてしまうほどだ。

京都から来ているNさんは、新幹線に乗らなければならないので、すぐに帰ったが、ゼミ終了後ほかの方と近くの喫茶店へいく。

放送大学の大学院生の多くは、社会人なので、仕事と勉強とで手一杯という学生が多いなか、Fさんは拳法も4段とのこと。けんかのやり方など、話題に事欠かない。たいへん頼もしいかぎりである。

わたしの場合には、仕事柄、仕事と趣味の区別はなかなかつかない。本を楽しんで読んでいても、趣味で読んでいるわけではないし、かといって、仕事だというには気が引ける場合がある。けれども、後になって、仕事に役立つことはあって、とくにコーヒーの話はあとで論文に盛り込まれることが多い。

となると、わたしにとっては、論文を書くことも、仕事ではなく、趣味なのかもしれない。

Fさんの拳法はどちらに属するのだろうか。聞くのを忘れてしまったのは残念だが、将来道場を開いて、本業になる可能性もあるだろう。趣味も、段階を重ねていくと、仕事と見分けがつかないような段階があるのだと思う。

「極致」とか、「悟り」とか、あるんですかと聞いてみた。いっぺんに「鉛」が「金」に変わるような大変化としての極致というものはないそうだ。けれども、このあとの言葉が素敵だと思ったが、「鉛に金箔を一枚一枚貼っていくことは可能なんです」とおっしゃる。

金箔じゃなかなか大きくならないじゃないですか、というと、そのほうが良いのです、緻密に貼っていって、何万枚か重ねたときに意味が出るんです、と。あとで縦に切ったときに、鉛よりも金が多く含まれていれば、本物に近づいたということなのだと。

おそらく拳法で培ってきた経験的な話であろうが、自分の仕事もこの流儀でこなしてきたのだと思われる。放送大学生の持っている経験主義の好例だと思う。来年の論文成就が楽しみだ、というのは蛇足だったかもしれない。

2006/11/10

金魚鉢の世界

ラジオの収録を2本行った。

放送大学には、ラジオ・スタジオがRAスタジオとRBスタジオのふたつある。これは偶然だと思われるが、これまでわたしのラジオ収録は、RAスタジオでのものが圧倒的に多かった。

この二つのスタジオのどこが異なるかと言えば、大きさである。RAは、10人ぐらいはゆったりと入れるようなスタジオであるのに対して、RBはほぼ2人用のスタジオである。

どちらが好きかと言えば、やはりこれまで慣れ親しんだRAスタジオかもしれない。広い分だけスタジオ特有のしんとした静けさが、奥深く感ずるからだ。

今日はどうゆうわけか、RBスタジオだった。金魚鉢に入った途端に、閉所恐怖症になりそうである。身体全体がしんとするのではなく、ヘッドフォンを付けたような、身動きできない閉塞感がある。

もちろん、好みの問題はあるが、しかし、録音が始まってしまえば、こちらのものだ。自分の声が壁に吸収されていき、反響がない分だけ、自分の世界をさらに前へ推し進めなければ、存在自体が吸い込まれそうになってくる。

昔、ピアノのグレン・グールドが人前でコンサート活動を行わずに、もっぱらスタジオ録音を追究するようになったとき、おそらくスタジオでの自分の表出に何かを見いだしたのだと思う。(グールドに比べるのはすこしおこがましいが)その感触はすごくよく分かる。声に出して、自分の考えを表に出すという感触は、頭のなかで考えていたときとすこし異なるのだ。

金魚鉢の世界は、常日頃の自分とは異なる自分と向き合わせてくれる、特別な世界なのだ。今日も、しゃべっていて、いつもと異なる自分を発見することができた。この感覚はわたしの場合ラジオ特有のものであるというのが、いつも不思議だなと思っていることなのである。

2006/11/06

大学を続けることが困難に感じるようになったとき

今日は、午後から神奈川大学の講義に出かける。通常、4時限目の講義の後に、早めの夕飯を食べてから、6時限目に臨むことにしている。

いつものように学食で、お盆にご飯と一汁一菜を乗せて、支払を済ませていると、「先生、お久し振り」と声を掛けられた。わたしの講義を2年前に取った女性の社会人学生の方だった。定年過ぎて、法学部へ入学して、今年度はすでに4年生で卒業間近だという。

食事をしながらの雑談のなかで、「やはり社会人学生は、仕事が詰まってくると通学が難しくなって、多くの方が脱落しそうになるのです」、とおっしゃる。3年生には年配の学生が数多くいて、話し相手になってくれるが、4年生で残っているのはわずかで、たいへん淋しいとのこと。

そして、3年生のころ、もうやめてしまおうか、とも考えたことがあったそうである。「そうか、社会人大学生は結構難しいな」、と神大生だけでなく、放送大学生のこともちらっと考えてしまった。

そこで質問をした。「そのとき、なぜ大学をやめなかったのですか」と。彼女が答えて曰く、「自分で言い出したことを途中でやめるのが、周りの人びと、特に家族に対して、恥ずかしくなったからです」と。

究極のところ、やはりここの問題に行き着くのだと思った。元来、人間は、そう変われるものではない。しかも、自分で表明してしまったことには、あとで結構、責任があると思い込む性質を持っている。と言えばいいか、あるいは、自分の言ったことに、引きずられるという性質を本来的に持っているのだ。

けれども、彼女については、このような頑固な性質はたいへん好ましいと感じた。4年間に渡って、決めたことを着実にやり遂げようということは、なかなかできることではない。

彼女の話を聞いていて、むしろ、この性質はもっと利用すべきなのかもしれないと思うようになった。自分で、「やるぞやるぞ!」、と言っているうちに、ほんとうにやり遂げてしまうことが少なくない。

来年になったら、もうすこし気ままに、放送大学にも入って、法律ではない科目も取りたい、と彼女はおっしゃっていた。早速、来年以降にも、この原則を使っていたのには、びっくりした。おそらく、有言実行の、その通りの道をこれからも進んでいくことだろう。

2006/11/05

科研費の季節

また今年も、科学研究費申請の季節を迎えた。今朝、締切りの過ぎていた原稿を一本送付して、すこし勢いがあったので、その調子で、二本の申請書類をつくった。

今年は、原稿の締切りに追われているので、一切の申請は止めにしようと心に誓っていたが、早くも原則が崩れてしまった。

間際になって、奇特な方からお誘いがあって、今回はすこし書類を追加するだけの負荷条件で、研究班に加えてくださるという。この好意には、答えざるをえないだろう。もうひとつは、以前にもこの欄で書いたことのある出版助成のための申請である。

おかしなもので、申請書を書いていると、ついすでにもらう気分になってしまっている自分を発見する。ほんとうに、この辺が現実感が抜けているということなのかもしれない。もらったらどうしようか、と捕らぬ狸のなんとか、を夢想する幸せな性分なのだ。

2006/11/03

卒論の締切り間近

卒論の締切りが11月10日に迫ってきた。この時期になると、かつては郵便で分厚い封筒がどさっと届いたものであった。

電子メールで送ってくる学生が、きょうびほとんどである。今年度、手書きはついに1名になってしまった。丁寧な方もいて、提出までの時間の余裕を計って、ワープロで仕上げてプリントアウトしてから、郵送してくる。これはたいへん有り難い。しかし、こういう方も少数派になってしまった。

大半は、時間が迫ってきているので、つまり締切り間近になって、重いメールがストンストンと次々届く。それからが、じつはたいへんなのだ。パソコンの小さな画面上で、添削してコメントをつけ、送り返さなければならない。とりわけ祭日、土曜日、日曜日になって、何人かのメールが一度に着くと、夜になるころには、眼がしょぼしょぼしてくるのだ。

こうなってくると、パソコンとメールの普及が労働強化につながった、とする労働経済学の「柔軟性」学派のいうことも、多少信じたくなってくる。とはいえ、こちらの泣き言はこの際どうにでもなるから良いとして・・・

結局のところ、論文というものは、外から何か言っても、駄目である。こちらからは、ほんのわずかの刺激を与えて、注意を喚起するだけだ。

最後に、この時点でなにを言いたいのかと問われれば、卒論を現在仕上げている学生の方々に、もう一度と言わず、何回も何回も読み直して、自分自身で欠陥を発見して、さらに磨きをかけることを目指していただきたいということだ。

論文は自分の分身である。自分だけが特別な内容を書くことができ、それを愛でることのできるのも、せいぜい今のうちしかない。けれど、それももう1週間で終わってしまう。そのあとは一人歩きをはじめ、自分から離れていってしまうのだから。

2006/11/02

放送大学のプロモーション

放送大学のプロモーションのために、銚子にあるC大学を訪れた。プロモーションというのは、その場へ行って、実際に行ってみると、考えることが次々に出てきて、たいへん面白い。

プロモーションというくらいだから、プロ(前へ)、モーション(動作)をかけるという性質をもっている。そもそも「前進する」という意味だろうが、相手が有ることだけに、その点で難しい。A組織とB組織があって、AからBへいつもより積極的な働きかけが行われる。そのとき、AがBにくい込めば、プロモーション成功である。

けれども、世の中そんなに甘くない。通常は、AからBへの働きかけがあっても、BからAへ押し戻しが働き、最初の状態に戻ってしまうのだ。

プロモーションは、「振興」「促進」と訳されることからわかるように、花瓶などがそこにあったときに、そのままでは注目されないので、イルミネーションを付けたり、回して見せたりというように、すこし動かしたり振ったりして注意を興させるものである。

花瓶がそこにあることは、存在そのものなので、前から判っていても注意は向かない。そこで、左右に振ってみて、注意をひき付けようとするときに、プロモーションが成立する、と頭のなかではわかっていても、なかなかそううまくはいかないものだと実感した。

Katuo2_1今日訪れた大学では、ご挨拶だけだとおっしゃっていた学長も気さくにお話におつき合いいただけたし、職員の方々も熱心に聴いてくださった。こちらもいろいろと勉強になったし、プロモーションのなんたるかを、この歳になって学ぶとは思わなかったので、たいへんな収穫であった。Katuo

帰りに、やはり銚子に来たら、魚をおみやげに持って帰らねば、と短い時間だったが、街を散策して、老舗の佃煮屋さんを見つけた。なかでも、美味しい「かつおの佃煮」がお勧めである。お茶漬けに一切れ入れて食べると、ほかは何もいらない

(HPを探していたら、落語家の柳家小袁治氏が同じ佃煮を載せていて、発売元のHPのものよりも格段に美味しそうに撮った写真だったので、その写真を拝借した。感謝申し上げる次第である。)

2006/11/01

よく使い込まれた”金魚鉢”

BayFMのラジオ・スタジオに招かれて、「日本人の貯蓄」について話をしてきた。「話をしてきた」というは、ちょっと正確ではないな。じっさい、おしゃべりを楽しんできたというところだろうか。

それほど、気楽な雰囲気を保っているプログラムだった。相手をしてくださったのは、DJのAさんで、どんどんリードして進めてくださったし、ここにいたるまでの下準備をしてくださったのは放送作家のTさんだった。

お二人と控え室で雑談をしていて、「じゃあ、続きは金魚鉢(スタジオ)のなかで」、と言って、おしゃべりをしているうちに、途中気がつくと、もう本番が始まっていて、リハーサルなのかなと思っていたら、「ご苦労様でした」と、終了していた。

ほんとうに好きな推理小説は、すっと抜けて後に残らない、とよく言うが、おそらく良いラジオ番組も、すっと入ってすっと出て行くのではないだろうか。

でも、聴くほうならまだしも、制作でも後に残らないような番組作りをしてしまってもよいものだろうか(!)。ほんとうに、こんなにリラックスして、金魚鉢の中にいた経験は初めてだった。AさんとTさんと、BayFMのスタッフの方々に感謝申し上げる次第である。

この雰囲気をぜひお伝えしたいと思う。もし興味を持った方は、話の内容はともかくとして、お聴き願いたいと思う。(これは、宣伝です)

それにしても、このスタジオには無駄なものが置いてない。すこし古い感じがたいへん似合っていて、(たとえば、金魚鉢のガラスが牛乳瓶の底ほどの厚いもので、狭い感じがとても良い。)よく使い込まれた野球のグローブのようなスタジオであった。

このスタジオを訪れた人びとが、居心地の良さとはこうゆう状態だよ、と語り継がれ、受け継がれてきたかのような心地よさを保持しているのは、なかなかなものだと感心した。このようなスタジオを放送大学のなかにも欲しいな。

今日録音されたものは、11月3日、10日、17日、24日(毎週金曜日)の午前11時54分から5分ずつ放送される予定だそうだ。BayFM金曜日の番組表はこちらです。
http://www.bayfm.co.jp/table/fri.html
■放送大学 presents MANABEES' CAFE(金)11:54~11:59

追伸:写真を取らせてもらえばよかったな、と帰ってきてから思ったが、後の祭りなので、Aさんの公式サイトを掲載します。許可してもらえますか。http://www.jap.co.jp/amemiya/

P.S.その後、ラジオ収録されたものが、インターネット公開されることになりました。時論的な内容なので、このときの時間へ帰って聞いていただければありがたいと思います。

http://www.bayfm.jp/wmt/manabee/manabee-200611.asx

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。