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2006/10/28

エルロイ映画の「重厚さ」

原稿2本提出した。もちろん、そう簡単に仕上がるわけはない。じつは、それぞれ頼まれていた分量のほぼ倍を書いてしまっていたのだ。突き返されそうだったので、急遽、半分の量に削って出したというわけだ。

半分の量にしてしまうと、途端に内容まで薄くなってしまったように思えるのは、まだまだ修行が足らないな。それにしても、削って、中味が濃くなるにはどうしたら良いだろうか。

というわけで、原稿が終わった祝いを兼ねて、映画館へ駆け込んで「ブラック・ダリア」を観る。エルロイ小説の「重厚さ」について考えることにする。なぜエルロイ小説は「重厚」だと感ずるのだろうか。映画「L.A.コンフィデンシャル」のときもそうだった。この重厚さは何に由来するのだろうか。

もちろん、人物を克明に描く方法が素晴らしいのはいうまでもない。生い立ちから性格までが、文脈のなかに織物を織り込むように語られている。これらは、映画を観て、小説を読めばわかることだ。

今回気のついたことは、真実と偽りとを、二転三転させることで、一見表面的な事件が二重三重に見え始めるということである。物事には表裏があって、これまで曖昧なまま一体となっていたものが、これで重層的に明らかにされるのだ。

たとえば、映画のなかで、リー・ブランチャードが主人公のバッキー・ブライカートに対して、二重の行動を取る。このなかに、事件の中核が存在することがあとでわかるのだが、筋の展開がバッキーだけでなく、複数の文脈が用意されていて、何回も、幾重にも渡って同じことを描いているのだ。つまり、重厚さということが、ここに現れることになる。

この重厚さを原稿で試そうと思うが、同じことを二重三重に描くことになるから、半分に減らすどころか、4分の1も減らせないような気がする。計算すれば、二重ならば倍になり、三重ならば三倍になってしまう勘定だ。重厚さは原稿を削る方策にはなりそうもないなあ。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。