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2006/10/29

30年前の自分

大学院の小論文試験があり、試験監督に当たっていた。何十年も、試験を受けたことがなかったような社会人も混じっていて、慣れない問題に取り組んでいた。突如として、論文を書いてみたいと一念発起することは、じっさいあるのだと思う。修論ゼミで、また会えると良いですね。

家に帰ってくると、吉田拓郎の嬬恋コンサートを放映していた。30年前の1976年に行われたコンサートの「同窓会」だそうだ。

思い返せば、30年前には大学院に通っていて、近くの寮に住んでいたので、そこでたぶん友人といっしょに、拓郎を聴いていたと思う。すでに71年の中津川フォークジャンボリーのサブステージで「人間なんて」を歌う拓郎を見て知っていた。(あまり誉められた趣味でもないが、細かいことをいえば、その趣味の違いはいかんともしがたくて、わたしは他のサブステージで、「はっぴーえんど」「高田渡」「ディランⅡ」などを聴いていた。)

わたしにも若い時代があったものだと、今になってみると、思い出すだに恥ずかしい。すでに大学紛争が行き詰まりを見せていて、通っていた大学や大学院でも、内ゲバが激しく、世の中はこの方向を清算し始めていた。きっちり結末が付けられたかと言えば、そううまくはいかなかったが、時代が動いたことは確かだ。

いまから考えれば、明らかに「吉田拓郎」たちの出現は、このような世の中の動きと連動していた。コンサートの最後に歌われた曲が「今日までそして明日から」であった。このような不確実な自分を描いた曲だった。前述の「人間なんて」もそのような傾向を写していたが、「今日までそして明日から」のなかには、つぎのような一節が含まれていた。

「私には私の生き方がある
それはおそらく
自分というものを
知るところから
始まるものでしょう
けれどそれにしたって
どこでどう変わってしまうか」

唄を歌うのは良いとしても、もし現在もこの昔と同じ気分を持っているとしたら、「いいおじさんやおばさんが・・」ということになるだろう。しかし想像するに、おそらく参加者達にはそれなりに乗り越えてきた人生が存在するのだと思う。わたし自身がそうであるように。

コンサートに映し出されたおじさんやおばさんは、興奮しているせいか、すこし虚ろな目をしていたように思われるが、それでもおそらく次の日には、立派な日常生活に戻っていったことだろう。この歳でコンサートに来るだけの余裕ある人びとなら、かつては不確実な状態にあった人たちでも、現在では確実な人生を歩んでいるのだろう。

商業主義に反抗して始まったフォークソングが、すっかり毒牙を抜かれ、商業といっしょに成り立っていく時期が、ちょうど30年前だった気がする。それは、小さなサークルだったフォークの集まりが、数万人規模のもっと大きなネットワークに成長していく際の洗礼のようなものだったのかもしれない。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。