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2006/10/02

必需について

最近聞かれなくなってきた言葉で、「必需(necessity)」がある。生きていく上で、どうしても必要なもの、というのが、常識的な意味だが、ピンと来ないらしい。

ピンと来ないのは、現代の大学生たちにとってである。今日の神大講義では消費行動の基礎的な考え方を扱った。学生たちに「お金を出して買うもののなかで、もっとも必要なものは何か?商品をあげよ」と質問してみた。

「食べ物」をあげた学生がもっとも多かったのは頷けるとしても、商品まであげる学生はほとんどいなかった。食べ物をあげるのであれば、美味しいものをたくさんあげてくれるのか、と考えていたのだが、期待はずれであった。

つまり、学生の間には、必需イコール食べ物という構図ができあがってしまっていて、それ以上の想像力は働かせることはないらしい。参考までに、食べ物をあげた学生は、200名以上いるうち、ほぼ99%であった。それ以外のものとしては、これまた常識的な回答だが、衣食住の「衣」と「住」であった。

これと比較するために、お金で買うことを条件にしないで、「人生でもっとも必要なものは、何か?」という質問も同時にした。

こちらは期待どおり、かなり多様な答えが返ってきた。けれども、ここで、6割以上を占めたのは「お金」であった。自分の学生時代を考えてみてもそうだが、若いときは食べることと、お小遣いのことが頭を占めていたような気がする。それはそのとおりだとしても、そのまま答えるとは、なんと即物的な人たちなのだろうか!なかには、両方の質問への回答が「食べ物」という学生もいた。

つぎに、これも典型的な答えであると思うが、「お金」に続いては、「愛情」「家族」「友だち」「人との付き合い」が多かった。

問題は、前者の質問と、後者の質問との間のずれを、いかに考えるかである。人生の目的として「お金」を貯めて、「食べ物」購入しよう、というのでは、それこそ夢も希望も無いではないか。他方、家族や友だちとの付き合いを大切にして、美味しいものを食べて暮らそうというのも、小さくまとまりすぎているのではないだろうか。

いずれにしても、昔から今日まで、人間の欲望はそれほど変わりなくて、第一次的には、心理学の五段階説であるマズロー的状況からは自由ではなく、生理的欲求の世界が続いていると言うことかもしれない。少なくとも、今日の神大学生たちは、わたしを含めて、その典型例であるといえるだろう。

ということは、すこし逆説的だが、必需という言葉は、実際にはまだ死語にはなっていないのではないだろうか。わたしたちの消費活動をまだ支配している考え方であると言えるのかもしれない。

あるいは、・・・抽象的には残っているが、具体的なイメージとしては消えつつあるということを示しているとも解釈できるかもしれない。もうすこし、この言葉・考え方を見守りたい。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。