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2006年10月に作成された投稿

2006/10/30

トマス・H・クックのミステリー

日曜日の朝日新聞書評欄で、池上冬樹氏が、トマス・H・クック『緋色の迷宮』を取り上げていた。「クックを知らない人は小説ファンではない」さらに「クックを読まずして現代小説を語ることはできない」とまで、言っていた。

同感である。よくぞ言ってくれたと思う。わたしはミステリーはほとんど読まないが、唯一このトマス・H・クックだけは、すべての邦訳作品を読んでいる。

じつは、初期の作品を同じ中学校を出て、高校も同じだった、S君が訳していたことから手に取るようになったのだが、それ以来ずっと出版されるとすぐ読んできた。

池上氏が指摘するように、「巧緻な仕掛け、堅牢なプロット」が魅力である。小さな人間関係に対して、いつもちょっとした事件が起こり、小説が展開していく。たいがいは謎に包まれて進むのだが、つながり・文脈が途切れない。

今回の作品のなかでは、次のような表現も洒落ていた。「<疑惑は酸のようなものだ>ということをわたしは知っている。それはふれるものをなにもかも腐食させる。物事の滑らかな、きらきら光る表面にくい込んで、拭いがたい痕跡を残す」というように、ぐいぐいと物語が進んでいく。

池上氏の指摘のなかでも、みごとにトマス・H・クックを言い当てているのは、次の部分である。

「とはいえ、正直言って、辛く哀しい小説である。読後感は苦く厳しいけれど、それでも随所で語られる諦観は人生の真実を照らし、絶望感を抱く者には何がしかの慰謝を与えるし、幸福と思い込む者にはいずれ訪れる絶望のレッスンになる」と指摘している。「絶望のレッスン」というのは、気に入った。クックの描く諦観は、静かで根底的なものを連想させるのだ。

池上氏のように、「クックを読め!」などとは到底言えないが、「誰にでも偏見は在るけれど、僕の偏見を一つだけ言わせていただくならば・・・」というくらいの偏見を披露する気にさせるのが、クック作品である。クックを読め!と言っているようなものかもしれないが。

2006/10/29

30年前の自分

大学院の小論文試験があり、試験監督に当たっていた。何十年も、試験を受けたことがなかったような社会人も混じっていて、慣れない問題に取り組んでいた。突如として、論文を書いてみたいと一念発起することは、じっさいあるのだと思う。修論ゼミで、また会えると良いですね。

家に帰ってくると、吉田拓郎の嬬恋コンサートを放映していた。30年前の1976年に行われたコンサートの「同窓会」だそうだ。

思い返せば、30年前には大学院に通っていて、近くの寮に住んでいたので、そこでたぶん友人といっしょに、拓郎を聴いていたと思う。すでに71年の中津川フォークジャンボリーのサブステージで「人間なんて」を歌う拓郎を見て知っていた。(あまり誉められた趣味でもないが、細かいことをいえば、その趣味の違いはいかんともしがたくて、わたしは他のサブステージで、「はっぴーえんど」「高田渡」「ディランⅡ」などを聴いていた。)

わたしにも若い時代があったものだと、今になってみると、思い出すだに恥ずかしい。すでに大学紛争が行き詰まりを見せていて、通っていた大学や大学院でも、内ゲバが激しく、世の中はこの方向を清算し始めていた。きっちり結末が付けられたかと言えば、そううまくはいかなかったが、時代が動いたことは確かだ。

いまから考えれば、明らかに「吉田拓郎」たちの出現は、このような世の中の動きと連動していた。コンサートの最後に歌われた曲が「今日までそして明日から」であった。このような不確実な自分を描いた曲だった。前述の「人間なんて」もそのような傾向を写していたが、「今日までそして明日から」のなかには、つぎのような一節が含まれていた。

「私には私の生き方がある
それはおそらく
自分というものを
知るところから
始まるものでしょう
けれどそれにしたって
どこでどう変わってしまうか」

唄を歌うのは良いとしても、もし現在もこの昔と同じ気分を持っているとしたら、「いいおじさんやおばさんが・・」ということになるだろう。しかし想像するに、おそらく参加者達にはそれなりに乗り越えてきた人生が存在するのだと思う。わたし自身がそうであるように。

コンサートに映し出されたおじさんやおばさんは、興奮しているせいか、すこし虚ろな目をしていたように思われるが、それでもおそらく次の日には、立派な日常生活に戻っていったことだろう。この歳でコンサートに来るだけの余裕ある人びとなら、かつては不確実な状態にあった人たちでも、現在では確実な人生を歩んでいるのだろう。

商業主義に反抗して始まったフォークソングが、すっかり毒牙を抜かれ、商業といっしょに成り立っていく時期が、ちょうど30年前だった気がする。それは、小さなサークルだったフォークの集まりが、数万人規模のもっと大きなネットワークに成長していく際の洗礼のようなものだったのかもしれない。

2006/10/28

エルロイ映画の「重厚さ」

原稿2本提出した。もちろん、そう簡単に仕上がるわけはない。じつは、それぞれ頼まれていた分量のほぼ倍を書いてしまっていたのだ。突き返されそうだったので、急遽、半分の量に削って出したというわけだ。

半分の量にしてしまうと、途端に内容まで薄くなってしまったように思えるのは、まだまだ修行が足らないな。それにしても、削って、中味が濃くなるにはどうしたら良いだろうか。

というわけで、原稿が終わった祝いを兼ねて、映画館へ駆け込んで「ブラック・ダリア」を観る。エルロイ小説の「重厚さ」について考えることにする。なぜエルロイ小説は「重厚」だと感ずるのだろうか。映画「L.A.コンフィデンシャル」のときもそうだった。この重厚さは何に由来するのだろうか。

もちろん、人物を克明に描く方法が素晴らしいのはいうまでもない。生い立ちから性格までが、文脈のなかに織物を織り込むように語られている。これらは、映画を観て、小説を読めばわかることだ。

今回気のついたことは、真実と偽りとを、二転三転させることで、一見表面的な事件が二重三重に見え始めるということである。物事には表裏があって、これまで曖昧なまま一体となっていたものが、これで重層的に明らかにされるのだ。

たとえば、映画のなかで、リー・ブランチャードが主人公のバッキー・ブライカートに対して、二重の行動を取る。このなかに、事件の中核が存在することがあとでわかるのだが、筋の展開がバッキーだけでなく、複数の文脈が用意されていて、何回も、幾重にも渡って同じことを描いているのだ。つまり、重厚さということが、ここに現れることになる。

この重厚さを原稿で試そうと思うが、同じことを二重三重に描くことになるから、半分に減らすどころか、4分の1も減らせないような気がする。計算すれば、二重ならば倍になり、三重ならば三倍になってしまう勘定だ。重厚さは原稿を削る方策にはなりそうもないなあ。

2006/10/26

スタジオの小さな世界

スタジオというところは、小さな特殊な世界ですから、とおっしゃったのは、元NHKアナのKさんだ。だから、そこで自分の場を確保しないと存在がないんです、と。

今日は、来年度放映が始まるテレビ科目「消費者と証券投資」の収録を、放送大学のブルースタジオで行った。

Kさんには、3つの家族のインタヴュー・ロケを担当していただいた。今日のスタジオでは、その模様を報告していただいた。

放送という特別な場所では、声と動作が存在を示す。技能の点で、わたしのような素人とは比べようもないほど、格段の差を見せてくださった。一緒に番組を進めてくださったN先生の表現をいただくならば、Kさんの周りにひとつの世界ができてしまったかのようである。Studio

このようなKさんの素晴らしいロケと、表現豊かな対談者であるN先生に恵まれたことで、今回の番組は広がりと深みを得ることができた。来年の4月には放映されるので、乞うご期待。

2006/10/22

乗馬とコーヒー

昨日、桜木町の競馬関連の話を出したが、調べてみたいなと数年前に考えていたことをそのとき思い出した。

それは、横浜での幕末期のコーヒーハウスの件である。当時、横浜の関内居留地から、本牧・根岸にかけて、乗馬道が造られていて、外国人が遊歩などに使っていた。その道沿いに、コーヒーハウスが造られたということだそうだ。

これは、草間俊郎氏の指摘になるものだが、1865年に描かれたワーグマンによるイラストが残されていて、たしかにそこに「COFFEE」という看板を掲げた小屋が載っている。

居留地にあったコーヒー店の支店だろうか、すでに日本に住んでいた外国人の間では、コーヒー習慣が浸透していたと考えられる。

当時の新聞が、時折開港記念館の展覧会などに出されるが、そこには、コーヒー豆の宣伝などが頻繁に出されているのを見ることができる。したがって、外国人を中心としたコーヒー文化のひとつがこのルートを通じて、日本に入ってきたことは想像に難くない。

仕事の合間に、ちょっと乗馬して、コーヒーを飲みに行こう、という趣味が日本の外国人の間で流行っていたのだ。日本人の間に、コーヒーが本格的に普及し始めるようになるのは、じつに1920年代であるから、19世紀中期に外国人の間に広まってから、かれこれ半世紀以上を待たなければならなかったことになる。

2006/10/21

街行く人びと

もう1本の原稿が9割がた進んだので、ご褒美というわけにはいかないとしても、息抜きくらいに外へ出ても良いだろうという気分になった。

妻の誘いにのって、マリー=クレール・アランのオルガン演奏会へいそいそと出かける。アランの長兄の作曲した小曲集が良かった。原稿書きですっかり凝り固まった頭のなかが、浄化されていくのを感じる。途中、眠気に襲われるが、上質な音楽ほど、眠りに誘う効果があると思う。自然の条理に素直に従うのも、音楽会の楽しいところだ。

バッハの「トッカータとフーガ」を久しぶりに聴いたが、迫力と正確さが目立った演奏だった。とくに力が入っていたように感じた。アランは、傘寿というから、80歳であり、なおかつこの迫力だ。最近、80歳に圧倒されることが多いなあ。

懐かしかったのは、バッハのコラール前奏曲「主よ、人の望みの喜びよ」だ。結婚式のときに頼んで弾いてもらった曲なのだ。かつては、知っている曲を聴くのを避けていたが、この歳になると、繰り返して何回も聴くことが楽しくなった。身体に浸透してくるのを覚える。歳を重ねることの良さと表現しておくことにしよう。

帰り道は桜木町の野毛を通った。この道筋には、JRAがあって、土日は特に混雑が激しい。

普段ネクタイをして、四角四面の顔つきをしているような男性が、ノーネクタイで晴れ晴れとした顔をしているのを見るのは、たとえ競馬の帰りであろうと、良いものである。けれども、どう見ても、今流行りの格差社会の見本みたいな人が、気の抜けたような風体をして、テレビ画面に見入っているのを眺めると、ああこの十年はなんだったのだ、という気分になって、あまり良いものではない。

音楽会が終わって、瀟洒なみなとみらいホールを出て、パン・パシフィックホテルを眺め、駅を越える。なんか、桜木町駅の向こう側とこちら側とでは、年収差○○○万円じゃない、と妻が言う。その通りだとしても、失礼な。

野毛の街は、それでも好きな街のひとつだ。相変わらず猥雑で、新旧どころか、新旧新、あるいは旧新旧が入り交じっている。「文字亭」という看板が見える。提灯やのれんなどをつくっている店だ。そうかと思えば、向かいには、落語の「にぎわい座」があって、通りすがりの人たちが、必ず気になって、今日の出し物を覗いていく。そして並びには、外までテーブルを張り出したバーガー屋さんが店を構えている。

ここからは、いつも行くジャズ喫茶「ダウンビート」は残念ながらビルの陰になって見えない。このつぎ通るときには、余裕をもって、来ることにしよう。街歩く人びとの顔を見ている内に、元気づけられる思いがする。書きかけの原稿を、明日には提出できることを願っている。

2006/10/19

映画「カポーティ」と取材の方法

映画「カポーティ」をどの視点で見るかは問題だと思われるが、わたしは「取材」という視点に興味を持った。

この映画のなかで、カポーティはかなり積極的な取材方法を採った、ということになっている。そのことを暗喩させる場面がある。

彼が「冷血」のモデルとなった事件を取材するために、カンザス行きの汽車に乗り込む。そこには、幼なじみで、後に小説家になったネル・ハーパー・リーが取材助手として先に乗り込んでいる。そこへ、ドアボーイが荷物を運んできて、「乗車ありがとうございます。本を読みました。あの傑作は・・・」とカポーティの著作をほめる。ネルは、直ちに、カポーティがドアボーイに金を握らせたことを見破る。かれは状況を楽しんで、笑っている。

カポーティという小説家は、つねに状況への働きかけを重視する。他者に対して積極的にアプローチして、状況を自分で書き換えようとしそれを可能にする才能があった人として描かれている。取材とはこのようにやるものだ、という見本を見せつけてくれる。

もっとも、この状況への働きかけの後が重要なのだ。最終的な真実は、カポーティの変えようとした現実がそのままカポーティへしっぺ返しを行い、かえってその運命に彼自身が翻弄される。自分の操作が現実からの操作によって、ひっくり返されるのだ。取材は、取材した結果の復讐を受ける。

最初は、世界を相手に操作する側にいたはずが、最終的には操作される身となって、身動きができなくなってしまう。もっとも前半だけを描いても、カポーティのけれん味が遺憾なく発揮されていることがわかるが、後半になって、ほんとうの真実が現れる奥深さが描かれている。取材によって描かれるような、ほんとうの真実などというものはあり得ないとしても、あたかもあるかのように描いているところが、この映画の魅力になっていると思う。

2006/10/14

センター所長の部屋

大学院ゼミナールのため、神奈川学習センターを訪れる。

M2の方々は、修論を仕上げるために、早くもゼミには出ずに、自宅で執筆だと言うので、今日はM1だけのゼミとなった。人数も少なかったので、じっくりと議論を楽しんだ。

そろそろ他の人の論文を理解するようになって、それぞれ互いに議論を吹っ掛けて挑発し始めるようになってきた。この成果が論文に反映されれば良いが・・・。

帰りに、センター所長のH先生の部屋へよって、珈琲をご馳走になった。キリマンジェロの酸味を効かせた豆を振る舞ってくださって、ここまで出てきた甲斐があった。

Hario ガラス製の透明なミル(通販のところに載っていたので、写真を拝借)と、ドリップの珈琲受けに使う、ハリオの薄いガラス製のポットが可愛かった。H先生のところには、いつも抹茶が置いてあったり、茅台酒があったりして、行くと必ず得をした、と思える工夫がしてある。

生まれつき、社交的な方なのだと、いつも感心している。

2006/10/12

映画「記憶の棘」

原稿を1本出したので、ご褒美に映画を1本見てきた。

ニコール・キッドマンが出演している『記憶の棘(原題はBirth)』。驚いたのは、観客の9割9分が女性客だったことだ。そう言えば、Aさんご推薦の言葉が「女心をうまく描いている」であったが、そういうことだったのか。

それでは、というので、じっくりと女心というものを観させていただいた。けれども、やはり女心と同じく、不可思議な映画であった。映画の最初の場面で、その映画が良い映画か否かがわかる、と妻はよく言うが、その伝えでは、良いスタートを切っている。出だしのシーンは期待を持たせていて素敵だ。

けれども、じつはその次から、いくつか質問させていただいてもよろしいでしょうか、と言いたくなる場面がたくさんある。

まず最初に近いシーンで、なぜほかの葬式に参列している人びとがみんな笑っているのでしょうか。

なぜ少年は、誰も知らないはずの「サンタは来ない」と言ったひとを当てることができたのでしょうか。

なぜクリフォードの妻は、手紙を持っていたのでしょうか。

なぜ主人公アナの人格は、最後に崩壊してしまうのでしょうか。

なぜ最後にまた、ジョセフと結婚してしまうのでしょうか。

おそらく原作では、これらのことが十分説明されているのであろうが、映画を観るものにはわかりづらい。

唯一わかるのは、「偽りの現実でも、信じ込んでしまえば、真実になってしまう」、というところだろうか。やはり女心としては、ショーンが生きていたら・・・と思い込みたい、というところなのであろうか。

ひとつひとつのシーンは丁寧に描き込んでいるし、顔の大写しで連続している場面は、映画的な習作を思わせる手法が取り入れられていて、この点では十分楽しめて面白かった。キッドマンについていうなら、彼女は、ほかの「白いカラス」などでもそうだったが、このように精神がすこし危なくなる役には、適役だと思った。

2006/10/11

古くて綺麗なビルディング

早稲田大学のO氏のブログに誘われて、有楽町三信ビルディングへ足を運んだ。放送大学の東京連絡所へ、月に1回ほど会議で出るようになってから、都心での行動範囲がすこし広くなったように思う。 

061011_192302三信ビルディングは、O氏が言うだけあって、ほんとうに綺麗なビル建築だった。夕方になってから行ったので、外見はあまり見ることはできなかったが、玄関を入って、1階の内装は、アールデコ調(と言っても良いのでしょうか?)の趣味の良い装飾であった。

ビルの中が、一つのパサージュになっていて、テナントが両側に配置され、全体がひとつの閉じられた宇宙を形成している。

3月には、取り壊されるということで聞いていたが、現在でも「New World Service」というカフェレストランが営業している。取り壊されるか取り壊されないか、という瀬戸際の不思議な空間を構成していた。

そこで、定食を食べた。床のタイルと座席の焦げ茶色には、やはり店の歴史を相当感じさせる。そして、何と形容して良いのかわからな061011_192301いが、蝶ネクタイで黒い服を着たかなり年配のウェイターのかたが、英語の発音よろしく給仕してくださるのだ。その様子は、このビルの雰囲気に似合っていた。

「お決めになったら、呼んでください」と言うのが、決まり文句らしい。

20050822light このカフェレストランの客達も変わっていた。窓際には、年配の男性と若い女性客のカップル、そして、外国から流れてきたような40歳代の白人男性、キャリア風独身女性、さらに奥には、疲れ顔の老年カップル、そしてこのようなレトロなカフェには付きものの、中年小母さんグループがたむろしている。おしなべて、長居をすることになっているらしい。

店のなかには、今日は使われてなかったけれど、中二階があって、欄干の装飾が焦げ茶色で、幾何学模様が白の壁に映えていた。それから、10本のアーム状の照明器具が美しかった。061011_181201

このビルだけは、取り崩されそうになったから、評判になった、というそこらのビルと明らかに違っている。行ってみればすぐわかることだが、ほんとうに古いことも実際認めるにしても、それ以上に、ほんとうに綺麗なビルなのである。

なお、10本アームの照明器具の写真は、「三信ビル保存プロジェクト」から借用しました。以下のサイトです。

http://www.citta-materia.org/sanshin.php

2006/10/07

豆腐屋さんの料理

卒業研究ゼミナールを先週行った。

例年、この時期を過ぎると、論文添削と内容の個別相談に移るので、先週のゼミが実質上今年度最後の全員が集まるゼミナールということになる。ほぼ1ヶ月後に迫った論文締切りを目指して、今後は自宅で執筆に専念する。

打ち上げというには、まだ早かったけれども、執筆の勢いをつけるつもりで、懇親会を行ったのだ。

弘明寺商店街の学習センターに近い入り口近くに、F豆腐店があって、その2階で豆腐尽くしのコース料理が出る。「湯葉」の前菜に始まって、最後の「豆腐のコロッケ」まで、途絶えることなく豆腐料理が続く、二番目に出た出来たての生豆腐(名前は忘れてしまったが)は香りも良くて美味しかった。

提案者のNさんが、ちょうど70歳?(には到底見えない)ということもあり、誕生日のお祝いを兼ねることになった。今年の目標は、この卒論を書くことと、それから、水泳大会でバタフライ200Mを泳ぐことだそうだ。後者のほうは、先日の大会で銅賞をとったので、めでたく成就した。残りは、卒論だけだと張り切っていらっしゃった。

雑談では、なぜか働くことに話題が集まった。やはり、みなさん企業に勤める方々なので、現在のはたらく現場での変化には敏感である。近年のパート労働の増大、と常勤の長時間労働は共通の話題であった。

お腹が豆腐で一杯になった。Nさんから元気印のプレゼントを受けたような気分になったところで、みなさん論文の成就を誓って解散した。あれから、1週間が経つが、論文執筆頑張っているだろうか。わたしのほうは元気をいただいたことで順調に進み、お陰様で原稿を1本片づけることができた。

2006/10/06

郊外のアイスクリーム屋

放送大学の現代GPプロジェクトで使わないか、と誘いを受けて、M町にある会社の説明会へ行ってきた。朝から一日中、原稿を書いていたので、ちょうど気分転換になると思っていた。

ところが、あいにくの天気で、雨は横なぐりだし、傘の骨が折れてしまったほどの強い風が吹いていた。台風が来ていたらしい。

M町は東京郊外の都市で、最近目覚ましい発展を遂げていた。電車で通ることはあっても、じっさい降りて歩いたのは初めてであった。かれこれ駅から20分あまり来ると、店もなくなり、車だけが列を成しているだけだ。

いつものとおり、喫茶店で時間を潰そうと、30分も早く着いたのは良かったが、この台風のなかで、歩き回って探すのは辛かったので、街道沿いに見つけたアイスクリーム屋さんへ、ひとまず避難した。

こんな離れたところで、どのようにして都市型のアイスクリーム屋が成り立つのかも見ておきたかったのだ。駅近くの人混みのなかにしか見たこともないチェーン店だ。女子高生がいなくとも、成り立つのだろうか。

わたしが入ったときには、こんな荒れたちょっと寒さを感じる日なので、悠長にアイスクリームを食べている客などは、当然いなかった。照明の明るさと装飾の華やかさとが、いかにもアメリカの田舎道のドライブインのような雰囲気を造っていて、異国風な感じを演出していた。老年の男がひとりでアイスクリームを食べている図はあまりにアメリカ的過ぎるかもしれない。

窓からみていると、近くに小学校と中学校があるらしく、下校途中の生徒達がたくさん見える。とすると、彼ら彼女らが、日曜日にでも親と一緒に、この店を利用する可能性は十分ある。

途中、軽自動車が乗りつけられ、なかから20代の女性二人が降りてきて、注文していた。やはり、若い女性客が中心であることは間違いないらしい。駅で帰宅途中にふらと、アイスクリーム屋に入る感覚で、帰宅途中の自動車通勤の女性達がやはりふらっと、食べに入ってくるのだ。

さて、この店に入ってきたときに、これはどうですか、とスプーンで勧められたのは、パンプキン・アイスクリームで、カボチャ特有の真黄色で粘りけのある甘さが美味しかった。なぜパンプキンなのかと一瞬思ったが、店全体がハロウィーン装飾で満ちあふれていたのでわかったのだ。先ほどの女性客達も、このパンプキン・アイスクリームを注文していた。

残念ながら、最後までマーケティング調査を行っている時間はなかった。早々に引き上げて、腰から下がびしょびしょになりながらも、目的の会社へ向かった。

2006/10/04

学士会館の古さ

学士会館の小会議室を久しぶりに使った。

何と言っても、立地の良さが学士会館の取り柄である。東京駅から一駅で着くし、タクシーでも便利な位置にある。

都心の真ん中で、これだけのスペースと静けさを確保できるところはそう多くはないだろう。

とりわけ良いと思われるのは、議論が許されるという雰囲気が、ビル全体に存在する点である。たとえば、ビジネスビルではこうはいかない。会議室はかなりうるさいところが多いし、無駄な話はせずに、会議は速く終わらせるのが良いとされる。効率性を追究する場所しか確保できないだろう。

もっとも、この場所にも、高等教育の拠点特有のと言おうか、帝国大学的と言おうか、「見せびらかし」と「スノッブ」の匂いがぷんぷんしていて、それが嫌いだという向きもあることは事実だが・・・。それについては目を瞑ってしまい、虚心坦懐になって利用してしまえば、この古色蒼然たる荘重な建物は、このような研究会の場としては理想的である。

さて、先日この欄でも書き込みした「交詢社」との比較を、やはりしなければならないだろう。現代のクラブというものには、(ここが難しいところだと思われるが、)ブランド性と採算性との間を揺れ動いている状況がある。

本来、ブランド性という観点からすれば、学士会館は交詢社にひけをとらないと思われるが、今日誇りということを前面に出して、これを運営の柱にしている点で、現代の交詢社は優れていると思われる。このようなブランド戦略をちゃくちゃくと進めているようにみえる。

それに対して、学士会館は、現在のところ、採算性に関心があるように見受けられる。たとえば、1階のロビーがずいぶん縮小されてしまって、建物のなかのゆとりが以前よりも無くなったような気がする。ブランド・イメージを悪くし、採算性を最優先している。

もっとも、このようなことはあるにしても、他の世界と比べれば、古い会議室の雰囲気はいまでも良い状態を保っている。今日も、話が沸騰して、2時間しか時間がなかったにもかかわらず、数日分の話ができたかのような状況をつくってくれた。このような場所は、現代にあって、やはり得難いと思う。

2006/10/03

蜜柑の熟すとき

向かいのO家の蜜柑がたくさんの実をつけた。Imgorenge1

毎日、O家では、朝早くから、ガーデニングに余念がない。その甲斐あって、枝もたわわに、実がついたのだ。

でも、まだ10月のはじめで、早生の蜜柑としても早すぎるのでは。栄養が良いのかな。

インターネットで調べると、早生でも10月半ばからである。ましてや、ふつうの蜜柑になると、やはり実が熟すのは、早くとも11月からである。

すると、O家の蜜柑は、和歌山や愛媛をしのいで、NO.1に実を付けたことになる。これほど目立つ存在はないはずである。

ところが、妻や娘に尋ねてみても、これまでこの蜜柑が、わが家で話題になったことはなかった。今年になって、急に立ち現れたわけではないと思われるが・・・。

Imgorenge2_1毎年、見過ごしてきたのは事実だ。なぜ見過ごしてきたのか、考えてみると、いくつかの理由があった。

第一に、あまりに正面であり過ぎた。すこしずれていれば、おそらく目線が届いたものと思われる。つまり、意外にわたしは、まっすぐ前をみて歩くわけではないことがわかった。

第二に、O家の蜜柑は、かなり低木であり、目線をかなり下へ向けていないと、つい見過ごしてしまう。

第三に、垣根によく使われている榊の一種だと思いこんでいて、ほかの木々の可能性をまったく考えていなかった。

これらの常識的な理由もさることながら、おそらくわたしの場合、蜜柑がなること自体、度外視していたという理由が、一番もっともな理由のように感ずる。

Oさんにそのことを言ったら、じつはO家には、レモンもなっているのです、と・・・。あらら、それも見逃していたとは・・・。

2006/10/02

必需について

最近聞かれなくなってきた言葉で、「必需(necessity)」がある。生きていく上で、どうしても必要なもの、というのが、常識的な意味だが、ピンと来ないらしい。

ピンと来ないのは、現代の大学生たちにとってである。今日の神大講義では消費行動の基礎的な考え方を扱った。学生たちに「お金を出して買うもののなかで、もっとも必要なものは何か?商品をあげよ」と質問してみた。

「食べ物」をあげた学生がもっとも多かったのは頷けるとしても、商品まであげる学生はほとんどいなかった。食べ物をあげるのであれば、美味しいものをたくさんあげてくれるのか、と考えていたのだが、期待はずれであった。

つまり、学生の間には、必需イコール食べ物という構図ができあがってしまっていて、それ以上の想像力は働かせることはないらしい。参考までに、食べ物をあげた学生は、200名以上いるうち、ほぼ99%であった。それ以外のものとしては、これまた常識的な回答だが、衣食住の「衣」と「住」であった。

これと比較するために、お金で買うことを条件にしないで、「人生でもっとも必要なものは、何か?」という質問も同時にした。

こちらは期待どおり、かなり多様な答えが返ってきた。けれども、ここで、6割以上を占めたのは「お金」であった。自分の学生時代を考えてみてもそうだが、若いときは食べることと、お小遣いのことが頭を占めていたような気がする。それはそのとおりだとしても、そのまま答えるとは、なんと即物的な人たちなのだろうか!なかには、両方の質問への回答が「食べ物」という学生もいた。

つぎに、これも典型的な答えであると思うが、「お金」に続いては、「愛情」「家族」「友だち」「人との付き合い」が多かった。

問題は、前者の質問と、後者の質問との間のずれを、いかに考えるかである。人生の目的として「お金」を貯めて、「食べ物」購入しよう、というのでは、それこそ夢も希望も無いではないか。他方、家族や友だちとの付き合いを大切にして、美味しいものを食べて暮らそうというのも、小さくまとまりすぎているのではないだろうか。

いずれにしても、昔から今日まで、人間の欲望はそれほど変わりなくて、第一次的には、心理学の五段階説であるマズロー的状況からは自由ではなく、生理的欲求の世界が続いていると言うことかもしれない。少なくとも、今日の神大学生たちは、わたしを含めて、その典型例であるといえるだろう。

ということは、すこし逆説的だが、必需という言葉は、実際にはまだ死語にはなっていないのではないだろうか。わたしたちの消費活動をまだ支配している考え方であると言えるのかもしれない。

あるいは、・・・抽象的には残っているが、具体的なイメージとしては消えつつあるということを示しているとも解釈できるかもしれない。もうすこし、この言葉・考え方を見守りたい。

2006/10/01

経験の厚さ

毎年この時期に感じることは、「経験の厚さ」というのは大切だ、という(きわめて当たり前であるが現実的な)ことである。

新学期を迎え、今日は放送大学の「入学者の集い」と「第1学期卒業式」が千葉学習センターで開かれた。入学式では、オリエンテーションの当番に当っていたので、しゃべる時間を節約して、すこし羽目をはずし、学生へのインタヴューを試みた。「なぜ放送大学へ入学したのですか」と・・・。

いつも感心するのは、突然の質問にもかかわらず、ほとんどの方が嫌な顔せずにすぐ応じてくださる点である。このような態度は、一般の大学では皆無である。やはり、放送大学の学生は実社会で揉まれていて、その分自分を表出することに慣れているのだ。

じつは、感心どころか、感動するのが、卒業式が終わったあとの、同窓会主催の懇親会である。どなたかが「人生劇場」と呼んでいたことが、まさにこの懇親会の内容をあらわしている。

最初の方が、「面接授業の朝、母を亡くし、まるまる授業を受けることができなかった。」と口火を切ると、「就学中に、夫と両親を看取りました」という方もいた。家族の健康は、学習を続ける絶対条件である。

「1981年に入学して、途中休学して、やっと卒業しました」「今年で13年目、一度再入学をして、すこしずつ単位を取りました」「6年半かかりました。思えば6年前に風呂に入っていたところ、S先生から電話がかかってきて、質問に丁寧に答えてくださり、すっかり風呂のお湯がぬるくなった覚えがあります。」今回、集まった方の多くは、かならずしも4年間卒業にはこだわらない方が多かった。物事を成就するには、時間を十分にかけ、それでも飽きずに、しかも諦めないということが重要だと痛切に思った。

「子どもが大学に入学して、自分を追い越していくような気がして・・・」「子どもに勉強しなさいと一度も言ったことがありません。わたしの勉強する姿を見て、自分から勉強するようになりました。」「子どもが司法試験を受けるのを逡巡しているのをみて、じゃわたしが受けてやる、とまず4年制大学を卒業しようと思いました」「子どもが大学を卒業する機会に、今度はわたしが卒業しようと考えました」

というように、子どもとの関係が学習にこれほど重要な要素として効く、とはわたしはこれまで考えたことがなかった。そういえば、今回の懇親会に、中学生のお嬢さんを連れてきていた卒業生がいて、彼女が卒業生たちの話をどのように聴いたのかも、たいへん興味のある点だ。(残念ながら、聞きそびれてしまったが)

いつも話題になるのは、大学の講義は役立つか、役立たないか、という永遠のテーマである。今回、途中から、役立たない派が勢力を盛り返してきた。もちろん、役には立たないから駄目だというのではなく、役に立たないから楽しいという論調だが。「仕事で理科系だったので、この大学ではその仕事の無関係の科目をとりました」という方がいた。

最後のほうでお話なさった方で、脳梗塞で左の手が効かなくなり、リハビリをしながら、放送大学で単位を取った牧師さんがいらっしゃった。すでに、単位は4回くらい卒業できる単位数を取っているそうだが、今回80歳の節目にようやく第1回目の卒業をすることにしたとのこと。

その方が言うには、卒業のために勉強しているわけではない、したがって、何が卒業時期を決めるのかといえば、自分の人生サイクルなのだそうだ。

このような方は、絶対に他の大学にいない。放送大学は、「新しい教養」を目指してきているが、実際にこのような体験談を聞いていると、彼らの体験、そして経験の厚さは、まさに今までの大学にはなかったような「新しい教養」の実例をそのまま提示しているのではないかと思われる。

実際に、その場で聴くと、これらの話は真に迫ってくるのだが・・・。今回、そのほんのすこしばかりを垣間見る気持ちで書き付けした次第である。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。