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2006/09/30

シティズンシップの資格付与

今、放送大学では、来年の科目作りが盛んに行われている。わたしもいくつかの科目作りに参加しているが、なかでも面白いのが、『市民と社会を考えるために』である。このなかで、「市民(シティズンシップ)」という考え方が使われている。

この言葉は何度目かの復活を遂げ、いままた流行りつつあるのだ。「シティズンシップ」という考え方は、社会のなかでの「成員資格」ということである。かつては、財産の保有などで資格審査が行われていた。たとえば、典型例は、国家から国民として認められる「選挙権」の資格審査で、財産が要件となったことがあった。

この場合は、国家によって、その社会の成員資格が認められた。このように、シティズンシップでは、この成員資格が誰によって、どのようにして「市民である」と認められるのかが問題となる。

今日のように、市民資格が自己決定で認められる、ということであれば、それは市民ではなく、大衆ということになるだろう。市民性には、最小限、それはもちろん非公式なものであってもよいが、公共的な資格審査が行われるとこれまで考えられてきている。

シティズンシップ、市民性、市民権などの言葉で、放送大学大学院のテキストを検索してみた。現代でのシティズンシップの用例に混じって、なるほどと唸ってしまった指摘を見つけた。

放送大学の図書館長だった伊藤先生のテキストで、以下の記述があった。

「アテネ人男子に市民権を与える主体がポリス自体でなく、クレイステネスの改革のときに設けられた140ほどの地方自治体デーモス (区demos)であるという事実に注目すべきであろうが、それに先立ち彼ら一人ひとりに生まれた家の成員権を賦与する主体も、家自体やポリスでなく、成員同士が少なくとも観念的には血縁でつながるフラトリア(兄弟団phratria)なる集団であった。このようにしてアテネ人男子が公私ともに市民として生きて行けるかどうかを決定し、同時にアテネ市民団の成員構成を左右したのは、個々の市民とポリス市民団との間に介在する自立性の高い中間的社会集団であった。」伊藤貞夫著『地域文化研究Ⅰ』P.42

つまり、市民の起源は、ポリスという国家の原型ではなく、むしろ中間的な組織体において資格が認められていた、というのは、現代のシティズンシップを考える上でも、重要な視点であると思われる。

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