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2006/08/20

新聞の投書

今日、妻が「出ているわよ」と渡してくれたので見ると、朝日新聞のオピニオン欄に、高校教員のI さんという方が、放送大学の面接授業を受講しての感想を投書していた。

「誰もが真剣で、私語は聞えず、居眠りする人などもちろんいない。先生の一語一語を聞き漏らすまいと、みな必死で取り組んでいた。」

という状態は、高校の事情は知らないが、ほかの大学ではあまり望めない。このような「理想的な」クラスというものがほんとうに実現しているのかと、まさに奇跡的だと、ほかの大学で教えたり受講を経験したりした方々は思うにちがいない。

このことは、ほぼ全国のすべての学習センターで見られることが、放送大学というところの凄いところで、すでに20年続いていることからして、ひとつの文化となっていると言えるだろう。

おそらく、教員としてのI さんの言いたかったことは、つぎの比較にあるのだと思われる。

「そして思った。(高等)学校教育も本来、このようにあるべきではないのか、と。振り返って今日、学習意欲に欠け、理由がないのに欠席する生徒が学校でまま見受けられる。これでは学力は定着しない。本人にもマイナスと思われるが、多くはそのまま卒業していく。」

放送大学の学生の恐るべきところは、このような「学習意欲に欠け、理由もないのに欠席する」状態を、体験のなかでくぐり抜けてきたかのように見える点である。それぞれ異なると思われる目標をはっきり持って授業に現れる、その時点で、なにか違うのだと思われる。

I さんは最後に、「刺激に満ちていた」という表現を使っていたが、わたしの見るところ、刺激を創り出すのは、先生だけではない。むしろ放送大学では、学生たちのそれぞれの間で、刺激が高まる場合に、このようなクラスが現われるのだ。ちょうど三重学習センターから帰ってきたばかりなので、その通りだと共感し、多少自画自賛的な感傷に染まってはいるものの、現代にあっては、ほんとうに奇跡的な場だなと、いつも感じ入っているところである。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。