« 「生かすこと」と「殺すこと」 | トップページ | ダウンサイジングのもうひとつの文脈 »

2006/07/03

「太陽の都」カンパネラ

大きな組織が崩壊するときには、その予兆というものが存在する。

カンパネラが描いた『太陽の都』1602年も、典型的なその一例である。中世の教会組織というものが崩れる危機に陥っており、確実にそのことを見通していた。Taiyo_1

教会組織に代替できるような組織は、存在しうるであろうか。暗黙のうちに、カンパネラが問題提起したことである。

とくに、仕事観については、現代に通ずるものを持っている。すこし引用すると、

「軍務、農耕、牧畜は、みんなが共同でおこないます。これらの仕事に習熟することはだれにとっても義務であり、かれらのあいだではこれらがいちばん貴い仕事なのです。しかもなるべく多くの仕事に通じた者が、それだけ高貴な人とみなされますし、だれもが自分にいちばん適した仕事に従事しています。・・・・・・・・それに、かれらのあいだでは、労働の配分が適正になされるので、だれひとり個人の健康をそこなうような労働には従事せず、ただ壮健にするような労働だけにたずさわることになるのです。」

というように、地位が高くなればなるほど、「多くの仕事に通じなければならない」状態になっていて、この現実は現代そのものである。その原型はこの「太陽の都」にあるといえるのではないか。

この都の統治は、「太陽」という多くの仕事と学問に通じた「形而上学者」によって行われており、かれは上記で指摘されたように、あらゆる仕事と学問に通暁していなければならない。

「太陽」の下には、三人の副統治者「ポン(力)」「シン(知恵)」「モル(愛)」がいて、統治者を補佐している。ポンは戦争・和平・軍略をつかさどり、シンはあらゆる学芸や技術に詳しくて、さらにモルは男女の結びつきから、生活全般を見ている。かなり、はばの広い機能をそれぞれ司っている。

話は現代に戻るが、1980年代から90年代にかけて、企業の上層部は多機能的な仕事を多く引き受けなければ責任を問われるような状況が起こってきていた。『太陽の都』カンパネラは、歴史の早い段階から、このような事態を予想して、ひろくこの本を書いて知らしめようとしていたに違いないのだ。

« 「生かすこと」と「殺すこと」 | トップページ | ダウンサイジングのもうひとつの文脈 »

政府との関係」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/173786/10779015

この記事へのトラックバック一覧です: 「太陽の都」カンパネラ:

« 「生かすこと」と「殺すこと」 | トップページ | ダウンサイジングのもうひとつの文脈 »

社会経営研究配布中

  • 2015study

社会経営ジャーナル配布中

  • 2015journal

開いている講義    「社会的協力論」

  • cooperation

「音を追究する」第13回・第14回

  • art

「多様なキャリアを考える」第2回・第3回・第4回

  • cooperation

「グローバル化と私たちの社会」第11回

  • cooperation
2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

Recommend

プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。