« 世界と自分の関係イメージ | トップページ | 好奇心の原型 »

2006/07/07

保育園の庭で

幼稚園や保育園で、なにを学んだか、覚えていますか。

社会と経済カンファレンス室Aさんの通勤途中に、保育園があるそうだ。今日通りかかったら、保母さんが「ちゃんと水を取りなさいよ」と園児たちに言っていたそうである。

この暑さにもかかわらず、園児たちは朝から、そとで走り回っている。当然、汗をかくから、水分不足になる。家ではそんなことは教わらないから、園児たちは保育園で習うことになるのだろう。

え、そんなことまで、とは思うが、考えてみれば、わたしたちの世代でもこのような生活の基本を、幼稚園や保育園で習っている。

じつはわたしの通勤路にも、それぞれ保育園と幼稚園とがあり、今日は円陣(サークル)を組んで、サッカーのパスの練習を行っていた。

面白かったのは、サークルを組んでいるが、明らかにその意味がわかっていないということだ。丸く並んで、パスを行って、もしひとりがボールを受け損ねても、すぐ隣の人が対応してくれるから、サークルの意味が出てくる。

ところが、かれらはボールの受け渡しを1対1でしか行っていないのである。ボールがひとりの園児からもうひとりの園児に向かってしまうと、隣の園児は我関せずを決め込んでいる。

したがって、パスの慣れていない園児たちは、受け取ろうとするたびに後ろへそらしてしまう。けれども、隣の園児はそれをフォローする態勢にない。見ていても、いつも蹴ってはそらし、また戻してはそらし、という1対1の対応を繰り返しているだけなのである。

たぶん、保育園では、このようなことを学んだのだと思う。いつまで経っても、なんだか分からないが、上手くいかない、どうして上手くいかないのだろうか。この繰り返しが身体に染み込んだのだと思う。

おそらく、ふつうは個人的に解決してしまうのだろう。ボールを受ける技術、蹴る技術を修得して、1対1でも上手くいってしまう状況ができて、問題が解決したと思いこむのだろう。

サークルを組む意味がわかるのは、ずっとずっと後であり、もしかすれば一生わからずに過ごしてしまう場合もあるかもしれないのだ。でも、ここで上手くいかない、という経験はたいへん重要だと思う。

みんなと一緒にやっていて、どうしても噛み合ってこないという感覚。この感覚が存在する人と存在しない人との差は、ずっと後ではものすごいことになって返ってくるのだと思う。(先日、サッカーの中田選手が引退宣言をしていたが、この感覚を最も持っていた人だと思う。うまくそれが活かせなかったのは残念だ)

それにしても、園児とボールとの視覚的な比重の差は、見ていて微笑ましかった。ボールは大抵、大人用に作られている。園児たちがボールを追いかけている様子は、すこし大げさかもしれないが、運動会での大玉転がしを連想させるに似たものであった。

« 世界と自分の関係イメージ | トップページ | 好奇心の原型 »

日常生活の関係」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/173786/10843069

この記事へのトラックバック一覧です: 保育園の庭で:

« 世界と自分の関係イメージ | トップページ | 好奇心の原型 »

『貨幣・勤労・代理人』(経済文明論)

  • “「貨幣・勤労・代理人」"

社会経営研究配布中

  • 2015study

社会経営ジャーナル配布中

  • 2015journal

開いている講義    「社会的協力論」

  • cooperation

「音を追究する」第13回・第14回

  • art

「多様なキャリアを考える」第2回・第3回・第4回

  • cooperation

「グローバル化と私たちの社会」第11回

  • cooperation
2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ

Recommend

プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。